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01 北部の雪
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#01
防水のブーツを買っておくんだった。
薄く雪の積もった道を少し歩いただけで、ぐっしょりと濡れて冷たさしか感じなくなった毛皮のブーツを見下ろしてセラフィナはため息をついた。
(雪国を舐めてたわ……)
セラフィナは荒野の広がる東のアスカリク出身。生まれてこのかた28年になるが、雪は数えるほどしか見たことがない。
(幸先の悪い……)
しもやけになりそうなほど冷たい足のせいで、不安が浮かんだ。予想以上の北の寒さが思ったより堪えているのかもしれない。
セラフィナは嫁ぎ先に向かっているところだった。
北の魔境伯フロスティエル家。一年中、雪と氷に閉ざされたグラシエラ山脈を擁する侯爵家だ。
山脈の向こうからやってくる魔物から領地と人々を、引いてはこの国を守っている名門だ。
セラフィナは侯爵の次男に嫁ぐことになっていた。
玉の輿ではない。セラフィナは28歳。結婚適齢期は過ぎているし、すでに一度結婚もしている。高齢だった夫を亡くしていくらも経っていないのに縁談が持ち上がった時点で、ろくな話ではないだろうことは想像がついた。
フロスティエル家の次男はシルヴィオといい、22歳の若さながら、すでに二度結婚し、離婚しているらしい。セラフィナは三人目の妻というわけだ。
年増で年上のセラフィナをぜひにと求める時点で裏があるのは間違いなかった。
(また介護要員かしらね……)
神殿で聖女として修行をしたセラフィナは最初の結婚で東のバルハト家に嫁いだ。嫁いでから知ったが夫は高齢で、すでに体を弱らせていた。
セラフィナは介護のために名目上の妻として、彼の息子に縁談を仕組まれたのだ。
長年騎士として東の荒野の魔物と戦い続けた夫は魔物による呪い──魔障を患っていて、セラフィナのような聖女によるケアが必要だった。
聖女の結婚は、たいていそんなものだ。魔障を患う騎士を浄化するために妻として求められる。
魔障を患った騎士や兵士を浄化するには、神聖力を宿した聖女と性交しなければならない。戦い続けるために彼らは聖女を必要とし、聖女もそのために神殿で教育を受ける。
魔境と接するこの国では、決してなくならない宿命だ。
夫を看取ったセラフィナは、ろくな遺産相続もないままに息子に追い出された。夫はセラフィナの介護に感謝し、十分な資産を残すと言ってくれたが、遺産を渡したくない息子が遺言を握りつぶしたのだ。
抗議したが「金の亡者聖女」と罵られ、同じくセラフィナに遺産を渡したくない親族一同に偽証されては勝ち目がなかった。
神殿に戻り、魔障を患う不特定多数の騎士たちを浄化する娼聖女──いわゆる売春婦──になるしかないかと思い詰めていたら、2度目の縁談があったというわけだ。裏がありそうとは思ったが、セラフィナに断る選択肢はなかった。
(綺麗な街……)
セラフィナがいるのは北部最大の都市ルミナリア。白い石で作られた家々が並ぶ、歴史の古い街だ。
夜なのに色とりどりの街灯が明るく通りを照らし、劇場や酒場など開いている店も多い。まるで王都のようなにぎわいだった。
軒下にたまった雪を見るにかなりの降雪があるようだが、道にはほとんど積もっていない。おそらく道自体に雪を溶かす何かの機能が備えられているのだろう。
おかげで道がびしょびしょで足が冷たくて仕方ないが、そんなことになっているのはセラフィナだけのようだ。道行く人々の平然とした様子を見るに、みんな北国仕様の靴を履いているのだろう。どこで買えるのかぜひ教えてほしい。
「すみません。侯爵様のお屋敷に行くにはどうしたらいいですか?」
道行く人に尋ねると、壮年の夫婦連れはジロジロとセラフィナを見た。怪しまれている。こんな時間に侯爵家に行くなんて不審極まりない自覚はセラフィナにもあった。
「今日の昼過ぎに着く予定だったのですが、乗り換えを間違えてしまい……」
なにせ列車と乗合馬車を乗り継ぎ、27時間にも及ぶ長旅だった。セラフィナは旅に不慣れで、乗り換えを尋ねた駅員は不親切だった。ここまで一人でたどり着いただけでもセラフィナにとっては快挙だ。
夫妻はとたんに同情的になり、星空を塗りつぶす山脈のほうを指さした。
「中腹のお城が見えるかい? あれが侯爵様の氷蔦城。北の魔境の要だよ」
山を削って建てられた城がここからでも見える。改めてセラフィナはなんてところに来てしまったんだろうかと身震いした。
防水のブーツを買っておくんだった。
薄く雪の積もった道を少し歩いただけで、ぐっしょりと濡れて冷たさしか感じなくなった毛皮のブーツを見下ろしてセラフィナはため息をついた。
(雪国を舐めてたわ……)
セラフィナは荒野の広がる東のアスカリク出身。生まれてこのかた28年になるが、雪は数えるほどしか見たことがない。
(幸先の悪い……)
しもやけになりそうなほど冷たい足のせいで、不安が浮かんだ。予想以上の北の寒さが思ったより堪えているのかもしれない。
セラフィナは嫁ぎ先に向かっているところだった。
北の魔境伯フロスティエル家。一年中、雪と氷に閉ざされたグラシエラ山脈を擁する侯爵家だ。
山脈の向こうからやってくる魔物から領地と人々を、引いてはこの国を守っている名門だ。
セラフィナは侯爵の次男に嫁ぐことになっていた。
玉の輿ではない。セラフィナは28歳。結婚適齢期は過ぎているし、すでに一度結婚もしている。高齢だった夫を亡くしていくらも経っていないのに縁談が持ち上がった時点で、ろくな話ではないだろうことは想像がついた。
フロスティエル家の次男はシルヴィオといい、22歳の若さながら、すでに二度結婚し、離婚しているらしい。セラフィナは三人目の妻というわけだ。
年増で年上のセラフィナをぜひにと求める時点で裏があるのは間違いなかった。
(また介護要員かしらね……)
神殿で聖女として修行をしたセラフィナは最初の結婚で東のバルハト家に嫁いだ。嫁いでから知ったが夫は高齢で、すでに体を弱らせていた。
セラフィナは介護のために名目上の妻として、彼の息子に縁談を仕組まれたのだ。
長年騎士として東の荒野の魔物と戦い続けた夫は魔物による呪い──魔障を患っていて、セラフィナのような聖女によるケアが必要だった。
聖女の結婚は、たいていそんなものだ。魔障を患う騎士を浄化するために妻として求められる。
魔障を患った騎士や兵士を浄化するには、神聖力を宿した聖女と性交しなければならない。戦い続けるために彼らは聖女を必要とし、聖女もそのために神殿で教育を受ける。
魔境と接するこの国では、決してなくならない宿命だ。
夫を看取ったセラフィナは、ろくな遺産相続もないままに息子に追い出された。夫はセラフィナの介護に感謝し、十分な資産を残すと言ってくれたが、遺産を渡したくない息子が遺言を握りつぶしたのだ。
抗議したが「金の亡者聖女」と罵られ、同じくセラフィナに遺産を渡したくない親族一同に偽証されては勝ち目がなかった。
神殿に戻り、魔障を患う不特定多数の騎士たちを浄化する娼聖女──いわゆる売春婦──になるしかないかと思い詰めていたら、2度目の縁談があったというわけだ。裏がありそうとは思ったが、セラフィナに断る選択肢はなかった。
(綺麗な街……)
セラフィナがいるのは北部最大の都市ルミナリア。白い石で作られた家々が並ぶ、歴史の古い街だ。
夜なのに色とりどりの街灯が明るく通りを照らし、劇場や酒場など開いている店も多い。まるで王都のようなにぎわいだった。
軒下にたまった雪を見るにかなりの降雪があるようだが、道にはほとんど積もっていない。おそらく道自体に雪を溶かす何かの機能が備えられているのだろう。
おかげで道がびしょびしょで足が冷たくて仕方ないが、そんなことになっているのはセラフィナだけのようだ。道行く人々の平然とした様子を見るに、みんな北国仕様の靴を履いているのだろう。どこで買えるのかぜひ教えてほしい。
「すみません。侯爵様のお屋敷に行くにはどうしたらいいですか?」
道行く人に尋ねると、壮年の夫婦連れはジロジロとセラフィナを見た。怪しまれている。こんな時間に侯爵家に行くなんて不審極まりない自覚はセラフィナにもあった。
「今日の昼過ぎに着く予定だったのですが、乗り換えを間違えてしまい……」
なにせ列車と乗合馬車を乗り継ぎ、27時間にも及ぶ長旅だった。セラフィナは旅に不慣れで、乗り換えを尋ねた駅員は不親切だった。ここまで一人でたどり着いただけでもセラフィナにとっては快挙だ。
夫妻はとたんに同情的になり、星空を塗りつぶす山脈のほうを指さした。
「中腹のお城が見えるかい? あれが侯爵様の氷蔦城。北の魔境の要だよ」
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