魔障のシルヴィオ

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02 黒炎の騎士

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#02


 城へ行くには辻馬車しかないと言われて、セラフィナは嫌がる馭者に頼み込んだ。酔客や劇場帰りなどの客を対象にしているため、山腹の城まで行くなら割増料金をもらうと言われてしまったが、背に腹は代えられない。
 今日着くと言ってしまったため、なんとしてでも今日中に城までたどりつきたかったのだ。

「ううう、足がもげそう……」

 箱馬車の中でブーツを脱いでセラフィナは冷たくかじかんだ足先を手で温めた。
 帰りたい──。こんな寒い場所で暮らしていける気がしない。どうせ婚家でも歓迎されないだろう。それなら慣れ親しんだ気候の東の神殿で暮らしたほうがマシだ。たとえ浄化の聖女とは名ばかりの売春婦になったとしても。
 孤児のセラフィナには行き場がなかった。そうした娘はたいていが神殿に引き取られ、聖女教育を受ける。うまくすれば名門騎士の家系に嫁ぐ希望もあった。
 代々騎士として務め、魔物と戦った家門ほど魔力核が強化されるからだ。魔力核は丹田にある魔力を生み出す源で、大きいほど強力な魔法を使えるようになる。それは騎士として魔物を屠るのに役立つが、弊害もあった。
 魔力は魔物に通じる力だ。使うほどに身体は魔障に蝕まれ、魔物を殺すほどに進行する。魔障の先に待つのは人間の魔物化だった。
 そうならないためにセラフィナたちのような聖女がいるのだ。
 だがもはや、建前は有名無実化していた。
 名門家門に嫁ぐのは、神殿に多額の寄付をした家の聖女ばかり。ろくに聖女教育も受けていない彼女たちが良家に嫁ぐ一方で、セラフィナのような神聖力が高く成績も良い聖女でも、身元が孤児なら訳ありの縁談しか来ない。
 虐げられることにセラフィナは慣れてしまっていた。どうせ孤児なんてこんなもの──と諦めることでしか現実を生きていくすべがない。

「氷狼だ……!!」

 馭者の悲鳴でセラフィナは我に返った。箱馬車の扉を開けると、きらめく氷の体躯を持つ狼が多数、こちらに向かってくるのが見えた。

(あれが北の魔物……!)

 東の魔境で出る魔物は、砂漠から来る砂や岩石、虫の魔物だった。北の魔物は雪と氷、獣の姿をしていると神殿で習ったが、いざ目にすると恐ろしい。
 馭者が信号弾を上げた。その間にも氷狼は迫り、怯えた馬が一頭限界を迎えると、他の馬たちも一斉に走り出した。
 突然のことに馬車の扉を開けていたセラフィナは振り落とされて落下した。

「嘘でしょ……!?」

 馬車はセラフィナを置いて走り続ける。振り返った馭者と目が合ったが、彼は振り切るように馬車を走らせた。
 セラフィナを助けに戻っては自分も危ないと判断したのだろう。見捨てられたのをセラフィナは悟った。

(祈祷祈祷祈祷、神殿で覚えたでしょ……!!)

 スタンピードなど、長期の遠征が必要な時は聖女も戦場へ行く。後方とはいえ、危険があるのは変わらないので護身のために祈祷術を習う。神聖力を使う聖女の魔法だ。

「聖なる炎よ、敵を焼け!!」

 聖印を握りしめてセラフィナは叫んだ。神殿では誰よりも祈祷術の成績はよかったが、10年間介護しかしなかったので記憶ははるか彼方だ。
 それでもかろうじて黄金の炎が氷狼の一匹を焼いた。

(勝ち目はないわ、逃げなきゃ……っ)

 どこへ? どうやって?
 セラフィナには土地勘もなく、逃げる当てもなかった。雪に足を取られながら走ったところですぐに追いつかれる。

(私の人生、ここで終わるの……?)

 すべての人が自分の人生に満足して死ねるわけではないと知っていた。でももう少し、マシな死に方をするのだと漠然と思っていた。
 まさか魔物に食い殺されるなんて──。

「伏せろ!!」

 怒号と共に黒い炎が礫《つぶて》のように飛んできた。
 六本脚の馬にまたがった騎士団が雪の斜面を駆け下りてくる。その先頭に立つ人物には、背中から黒い片翼が広がっていた。

(あれ、攻撃魔法……!?)

 セラフィナは近くの木の陰に飛び込んだ。同時に黒い羽根が矢のように氷狼たちへ降り注いだ。羽根は黒炎だ。高度で強力な魔法だった。
 一撃で氷狼たちは壊滅的な被害を受けた。逃げるもの、軽傷のものには騎士団が速やかに剣でトドメを刺していく。統率された動きだった。
 魔物の傷から黒い霧が広がる。瘴気──浴びれば魔障のもととなる、有害な毒だ。
 セラフィナは反射的に口元を覆った。

「怪我はありませんか」

 黒炎の攻撃魔法を使った騎士がセラフィナを助け起こした。
 騎士服の上に簡易な胸甲を纏い、頭も兜で覆っているため顔は見えない。

「ありがとうございます。命拾いしました……」
「……緊急信号弾はあなたが?」
「いえ、馭者です。私は馬車から振り落とされたんです……」

 公子、と騎士の1人が呼びかけた。

「氷狼の掃討、完了しました。負傷者はありません」
「ご苦労。街への警報は継続する。討ち漏らしがいる可能性を考えて、明日の日中にもう一度捜索だ」
「承知しました」

 軽く頭を下げて騎士が下がる。
 セラフィナは自分より頭一つ分、背の高い黒炎の騎士を見上げた。

「……シルヴィオ様ですか?」

 あれほどの魔法が使える騎士は国でも数人だ。そして「公子」は貴い身分の人への敬称だった。

「……その靴とコートで来たんですか?」

 質問を無視されてセラフィナは面食らった。

「この地ではそんな装備は役に立ちませんよ」

 そう言って彼は自分のマントを外した。

「失礼」
「なっ」

 マントでくるまれたかと思うと、突然抱き上げられてセラフィナは悲鳴を飲み込んだ。
 片腕でセラフィナを抱き支えて、黒炎の騎士はセラフィナの靴を脱がせる。彼はそれを部下に投げ渡した。
 セラフィナを六脚馬に乗せて彼は言った。

「コートも脱いだほうがいいです。そのままでは凍死しますよ」

 ブーツと同じくコートもぐっしょり濡れて冷たかった。屈辱を感じながら、セラフィナは言われるままにコートを脱いだ。彼はそれも部下に投げ渡した。
 マントのほうがはるかに暖かい。

「……私にマントを貸して、あなたは平気なんですか?」
「ええ。お気になさらず」

 平然と言って彼はセラフィナの後ろにまたがった。セラフィナが落下しないよう後ろから支える。

「足を曲げられますか?」

 意味がわからないも言う通りにすると、彼はセラフィナの両足を掴んで自分のシャツの下から腹に触れさせた。

「な、なにをやって……」
「黙って。凍傷で指を失いたくなければ、このまま離さないで」

 凍えたセラフィナの足を温めるために、彼は自分の肌を提供してくれたらしい。

「……冷たいのでは?」
「申し訳なく思うなら、二度とあんな靴は履かないでください」
(靴に怒ってるの……?)

 変わった人だ。しかし彼は身を挺してセラフィナを温めようとしてくれている。きっと悪い人ではないのだろう。

「城に行きます。しっかり掴まってください」

 六脚馬の足は速い。走り出すと雪のまじる冷たい風が容赦なくセラフィナの頬を打った。

「……シルヴィオ様ですよね? 私のことを聞いていますか」
「……すぐに妻じゃなくなる人でしょう。舌を噛むのでもう黙って」

 六脚馬がさらにスピードを上げる。

(歓迎されないのは知ってたわ……)

 期待なんてしていなかった。だからこの風の冷たさほどには、夫の関心のなさに堪えずにすんだ。

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