「奇遇ですね。私の婚約者と同じ名前だ」

ねむたん

文字の大きさ
12 / 23

12

しおりを挟む
クラウディオは、リリエットの頷きを見た瞬間、胸の奥が熱くなるのを感じた。

こんなにも冷たい態度を取ってきた自分に、彼女はまだ向き合おうとしてくれている。婚約を続けると決めたからには、彼を避けずに関わろうとしてくれている。その誠実さと優しさが、彼の心を深く揺さぶった。

彼は思わず、彼女をじっと見つめていた。

リリエットが戸惑いを隠せずにカップを持つ指を僅かに動かすのを見ながら、今まで自分がどれほど愚かだったのかを改めて思い知る。

この優しさを、ずっと当たり前のものだと思っていた。

彼女が傷つきながらも追いかけてくることを、当然だと思っていた。

だが、今はもう違う。

彼女はもう、自分に期待をしていない。自分を好きだった頃の彼女ではない。それでもなお、彼女は向き合おうとしてくれる。

それが、どれほど貴いことか。

クラウディオは、美貌にほんの僅かな甘さを滲ませながら、リリエットを見つめた。

「……ありがとう、リリエット」

彼女は驚いたように顔を上げる。

「……何が?」

「君が、まだこうして向き合ってくれていること」

リリエットは一瞬、言葉を失ったようだった。そして、すぐに視線を伏せ、静かに紅茶を口にする。

「……気にしないで」

その言葉の裏には、複雑な感情が見え隠れしていた。

彼女はまだ、何かを決めたわけではない。

それでも、こうして話をすることを許してくれたのだ。

クラウディオは、それだけでも十分すぎるほどに心が満たされていくのを感じた。

自分はもう、彼女を見逃さない。

この気持ちが遅すぎたのだとしても、彼はもう二度と目を逸らさないと、心に誓った。



観劇の当日、リリエットは大きな鏡の前に立ち、そっとドレスの裾を持ち上げた。

「どう? すごく素敵でしょう?」

セシルが隣で満足げに笑っている。

「とても……綺麗だわ」

リリエットは柔らかく微笑んだ。例の商会で選んだ外出用の装いは、普段の彼女とは少し違う雰囲気を持っていた。落ち着いた青を基調としたワンピースに、繊細な刺繍が施されたショール。華美すぎず、それでいて洗練されたデザインは、彼女の気品を引き立てていた。

「兄様、ちゃんと褒めてくれるかしら?」

セシルがからかうように言うと、リリエットは少しだけ肩をすくめた。

「どうかしらね」

だが、その心配は無用だった。

待ち合わせの場所でクラウディオと向かい合った瞬間、彼の目が一瞬見開かれるのが分かった。

「……綺麗だ」

彼の口から零れた言葉に、リリエットの心が小さく揺れる。

けれど、それは嬉しさではなかった。

――どうして今になって、そんなふうに言うの?

夜会で別人と勘違いされ、初めて向けられた好意的な態度。そのとき感じた冷めた感情が、今も胸の奥に残っている。

「ありがとう」

リリエットは微笑みをつくった。

クラウディオは、そんな彼女の表情に何かを感じ取ったのか、一瞬だけ表情を曇らせたが、それ以上は何も言わず、彼女に手を差し出した。

「行こうか」

「ええ」

彼の手を取り、馬車へと向かう。

――彼のエスコートは、完璧だった。

これまで冷たく避けられ続けてきた日々が嘘のように、彼は細やかに気を配り、常にリリエットが快適に過ごせるように気を遣っていた。馬車へ乗り込む際には手を添え、歩くときも人混みを避けるように気を配る。劇場へ入る際も、彼の動きには一切の無駄がなかった。

そして、観劇そのものも――思いのほか楽しかった。

クラウディオは劇の内容について話し合うことを楽しみ、リリエットの感想を聞くたびに穏やかに頷いていた。これまでまともに会話すらしてこなかった相手とは思えないほど、自然に話が弾んでいた。

――これが、もっと早くにできていたら。

そんな考えが、ふと頭をよぎる。

でも、それを口にするのはやめた。

劇場を出て、馬車に揺られながら屋敷へと向かう。

屋敷の前に着き、クラウディオが手を貸してくれた。

「……今日は、楽しかった」

自分でも意外だった。けれど、それが本心だった。

クラウディオが何かを言いかけたが、ふと口を閉じる。そして、僅かに逡巡するように彼女を見つめた。

「……また、誘ってもいいか?」

その瞳には、これまで見たことのない迷いがあった。

まるで、自分が拒絶されるかもしれないと恐れているような。

リリエットは静かに頷いた。

「ええ」

それだけを言って、彼女は屋敷へと向かう。

ふと振り返ると、クラウディオは名残惜しそうに彼女を見つめていた。

リリエットは、そんな彼を見ながら――戸惑いを隠せないまま、屋敷の扉を開いた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】お世話になりました

⚪︎
恋愛
わたしがいなくなっても、きっとあなたは気付きもしないでしょう。 ✴︎書き上げ済み。 お話が合わない場合は静かに閉じてください。

失った真実の愛を息子にバカにされて口車に乗せられた

しゃーりん
恋愛
20数年前、婚約者ではない令嬢を愛し、結婚した現国王。 すぐに産まれた王太子は2年前に結婚したが、まだ子供がいなかった。 早く後継者を望まれる王族として、王太子に側妃を娶る案が出る。 この案に王太子の返事は?   王太子である息子が国王である父を口車に乗せて側妃を娶らせるお話です。

天然と言えば何でも許されると思っていませんか

今川幸乃
恋愛
ソフィアの婚約者、アルバートはクラスの天然女子セラフィナのことばかり気にしている。 アルバートはいつも転んだセラフィナを助けたり宿題を忘れたら見せてあげたりとセラフィナのために行動していた。 ソフィアがそれとなくやめて欲しいと言っても、「困っているクラスメイトを助けるのは当然だ」と言って聞かず、挙句「そんなことを言うなんてがっかりだ」などと言い出す。 あまり言い過ぎると自分が悪女のようになってしまうと思ったソフィアはずっともやもやを抱えていたが、同じくクラスメイトのマクシミリアンという男子が相談に乗ってくれる。 そんな時、ソフィアはたまたまセラフィナの天然が擬態であることを発見してしまい、マクシミリアンとともにそれを指摘するが……

二度目の恋

豆狸
恋愛
私の子がいなくなって半年と少し。 王都へ行っていた夫が、久しぶりに伯爵領へと戻ってきました。 満面の笑みを浮かべた彼の後ろには、ヴィエイラ侯爵令息の未亡人が赤毛の子どもを抱いて立っています。彼女は、彼がずっと想ってきた女性です。 ※上記でわかる通り子どもに関するセンシティブな内容があります。

【完結】私の婚約者はもう死んだので

miniko
恋愛
「私の事は死んだものと思ってくれ」 結婚式が約一ヵ月後に迫った、ある日の事。 そう書き置きを残して、幼い頃からの婚約者は私の前から姿を消した。 彼の弟の婚約者を連れて・・・・・・。 これは、身勝手な駆け落ちに振り回されて婚姻を結ばざるを得なかった男女が、すれ違いながらも心を繋いでいく物語。 ※感想欄はネタバレ有り/無しの振り分けをしていません。本編より先に読む場合はご注意下さい。

不実なあなたに感謝を

黒木メイ
恋愛
王太子妃であるベアトリーチェと踊るのは最初のダンスのみ。落ち人のアンナとは望まれるまま何度も踊るのに。王太子であるマルコが誰に好意を寄せているかははたから見れば一目瞭然だ。けれど、マルコが心から愛しているのはベアトリーチェだけだった。そのことに気づいていながらも受け入れられないベアトリーチェ。そんな時、マルコとアンナがとうとう一線を越えたことを知る。――――不実なあなたを恨んだ回数は数知れず。けれど、今では感謝すらしている。愚かなあなたのおかげで『幸せ』を取り戻すことができたのだから。 ※異世界転移をしている登場人物がいますが主人公ではないためタグを外しています。 ※曖昧設定。 ※一旦完結。 ※性描写は匂わせ程度。 ※小説家になろう様、カクヨム様にも掲載予定。

気づいたときには遅かったんだ。

水瀬瑠奈
恋愛
 「大好き」が永遠だと、なぜ信じていたのだろう。

1度だけだ。これ以上、閨をともにするつもりは無いと旦那さまに告げられました。

尾道小町
恋愛
登場人物紹介 ヴィヴィアン・ジュード伯爵令嬢  17歳、長女で爵位はシェーンより低が、ジュード伯爵家には莫大な資産があった。 ドン・ジュード伯爵令息15歳姉であるヴィヴィアンが大好きだ。 シェーン・ロングベルク公爵 25歳 結婚しろと回りは五月蝿いので大富豪、伯爵令嬢と結婚した。 ユリシリーズ・グレープ補佐官23歳 優秀でシェーンに、こき使われている。 コクロイ・ルビーブル伯爵令息18歳 ヴィヴィアンの幼馴染み。 アンジェイ・ドルバン伯爵令息18歳 シェーンの元婚約者。 ルーク・ダルシュール侯爵25歳 嫁の父親が行方不明でシェーン公爵に相談する。 ミランダ・ダルシュール侯爵夫人20歳、父親が行方不明。 ダン・ドリンク侯爵37歳行方不明。 この国のデビット王太子殿下23歳、婚約者ジュリアン・スチール公爵令嬢が居るのにヴィヴィアンの従妹に興味があるようだ。 ジュリエット・スチール公爵令嬢18歳 ロミオ王太子殿下の婚約者。 ヴィヴィアンの従兄弟ヨシアン・スプラット伯爵令息19歳 私と旦那様は婚約前1度お会いしただけで、結婚式は私と旦那様と出席者は無しで式は10分程で終わり今は2人の寝室?のベッドに座っております、旦那様が仰いました。 一度だけだ其れ以上閨を共にするつもりは無いと旦那様に宣言されました。 正直まだ愛情とか、ありませんが旦那様である、この方の言い分は最低ですよね?

処理中です...