「奇遇ですね。私の婚約者と同じ名前だ」

16

クラウディオはセシルの部屋を後にし、自室へと戻った。扉を閉め、静まり返った部屋の中で、窓の外を見つめる。

――リリエットは、俺のことを見ていた。

彼の美貌や剣の腕だけでなく、所作や振る舞いに憧れ、そして何より、妹への態度を見て「本当は優しいのではないか」と期待し続けていた。

それを、自分は無自覚のまま突き放し続けたのだ。

拳を強く握る。今さら何かを変えたところで、彼女の気持ちがすぐに戻るはずもない。

それでも、諦めるわけにはいかなかった。

彼女を知りたい。

そして――彼女に知ってもらいたい。

今までの自分ではなく、これからの自分を。

クラウディオはゆっくりと鏡の前に立つ。

長髪の時期、リリエットの目が輝いていたという話が脳裏に浮かんだ。

――そんなに、気に入っていたのか。

今の短めの髪を手で梳きながら、ふと考える。

過去の自分を変えられないなら、これからの自分を変えるしかない。

リリエットのために、何をすべきか。

そう考えたとき、彼の中で一つの決意が生まれた。

――もう二度と、彼女を突き放したりしない。

クラウディオは深く息を吐き、窓の外を見つめた。

夜空は澄み渡り、静かに月が輝いていた。




学園の廊下は、昼下がりの光が差し込んで穏やかな空気に包まれていた。

リリエットは友人たちと談笑しながら歩いていたが、ふと前方に立つ人物に気づいて足を止めた。

クラウディオだった。

以前よりも少し長くなった髪が柔らかく揺れ、端整な顔立ちは以前にも増して落ち着いた雰囲気を醸し出している。

彼はリリエットを見つけると、微かに微笑んだ。

「リリエット、少しいいか？」

「……ええ」

自然に返事をしている自分に気づき、少しだけ驚く。

以前なら、彼に呼び止められたらどこか身構えてしまったかもしれない。でも、今の彼は違う。

かつての冷たい態度は影を潜め、距離を詰めようとするわけでもなく、絶妙な距離感で接してくる。

「この前、君が言っていた白い花が温室に咲いていると聞いた。見に行かないか？」

彼の声は穏やかで、まるで友人に誘いをかけるような自然な響きだった。

リリエットは少し考えた後、微笑んだ。

「ええ、行きましょう」

クラウディオの表情が僅かに緩む。その仕草すら以前とは違う。

――この人が、あの頃のクラウディオなのかしら。

そんなことを考えながら、彼と並んで歩き始めた。

彼の変化は明らかだった。以前よりも成績を伸ばし、剣の腕もより洗練されてきている。以前はどこか無関心そうだった学業にも真剣に取り組み、周囲からの評価も高まっていた。

それだけではない。

彼は今、何よりもリリエットとの時間を優先していた。

食事の時間、学園での休憩時間、そしてこうして何気ない会話のひととき。以前なら彼から話しかけられることなど考えられなかったが、今ではそれが当たり前になりつつあった。

「そういえば」

ふと、リリエットが言った。

「最近、髪を伸ばしているの？」

クラウディオは意外そうに目を瞬かせ、それから微かに笑った。

「気づいたか？」

「ええ、少し雰囲気が変わったわ」

「そうか……」

彼はどこか嬉しそうに髪をかき上げた。

「悪くはないと思っている」

リリエットはその様子を見て、ふと過去の自分を思い出した。

――彼が長髪だった頃、私はよく「お似合いです」と言っていたわね。

当時の彼は、それをそっけなく流していた。でも、今の彼は――。

「……よく似合っているわ」

リリエットがそう言うと、クラウディオは一瞬驚いたような顔をし、それから少し照れくさそうに視線を逸らした。

「そうか……ありがとう」

――彼が、こんなふうに照れるなんて。

そんな些細な変化が、リリエットの心に小さな波紋を広げる。

今の彼なら、もう過去の彼とは違うのかもしれない。

――そう思ってもいいのかしら？

彼の柔らかな笑顔を見ながら、リリエットは静かに考えた。