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卒業から数年が経ち、リリエットとクラウディオの関係は着実に深まっていた。
学園時代のすれ違いが嘘のように、今の二人は穏やかで心地よい時間を共有していた。
クラウディオはすっかり青年らしく逞しくなり、その姿はかつての「冷たく遠い婚約者」ではなく、今や頼もしくも優しい大切な人へと変わっていた。
彼の肩幅は広くなり、剣の鍛錬を続けたことでより洗練された体つきになった。その所作のひとつひとつにも余裕があり、リリエットは気づけば彼に見惚れることが増えていた。
しかし、本人はそんな彼女の視線に気づかず、ただ嬉しそうに微笑んでいた。
「……どうかしたか?」
「え?」
リリエットがぼんやりと彼を見つめていたことに気づいたクラウディオが、少し不思議そうに首を傾げる。その長い髪がさらりと揺れ、陽の光を受けて美しく輝いた。
クラウディオは、彼女の視線の意味を自分なりに解釈し、ふっと得意げに微笑んだ。
「やはり、長髪にして正解だったな」
「……え?」
「君がよく見てくれるのは、きっとこの髪の効果だろう?」
彼は、どこか嬉しそうに自分の髪をかきあげる。
リリエットは呆れつつも、微笑みを隠せなかった。
――確かに、長髪の彼は素敵だけれど。
「……それだけではないわ」
「ん?」
「貴方が、素敵だからよ」
何気なくこぼれた言葉に、クラウディオは驚いたように目を瞬かせ、それから僅かに顔を赤らめた。
「……そうか」
ぎこちなくそう呟いた彼を見て、リリエットはくすっと笑った。
相変わらず、こういう場面には弱いのね――そんな風に思いながら。
その日の夕方、二人は庭園のベンチに並んで座っていた。
柔らかな風が草花を揺らし、心地よい時間が流れる。
リリエットはふとクラウディオの方を見つめ、静かに口を開いた。
「……結婚の話、そろそろ日取りを決めましょうか」
クラウディオは一瞬、言葉の意味を理解できなかったかのように彼女を見つめた。
しかし、すぐにその言葉が何を意味しているのかを理解し、目を見開く。
「――本当に?」
「ええ。もう迷いはないわ」
リリエットの穏やかな微笑みが、彼の胸を強く打った。
ずっと夢見ていた瞬間だった。
彼女が「自分と生きる未来」を選んでくれた。
次の瞬間、クラウディオは反射的に彼女を抱きしめていた。
「……っ!」
驚いたリリエットは一瞬動きを止めたが、彼の腕の温もりを感じ、すぐに力を抜いた。
「リリエット……ありがとう……!」
彼の声が震えている。
まるで、今までの努力や想いがすべて報われたかのように。
だが、その喜びの裏で、彼の心の奥底にはまだ拭えないものがあった。
――これで、許されたのか?
リリエットがこうして隣にいてくれることが、今でも夢のように感じる。彼女は許してくれたのかもしれない。けれど、それで本当に償いは済んだのか?
「……俺は、本当に君にふさわしいのか?」
ポツリとこぼれた言葉に、リリエットがゆっくりと彼を見上げる。
「何を言っているの?」
「君を傷つけたことは、消えない。どれだけ努力しても、それを帳消しにできるとは思えないんだ」
彼の指先がわずかに震えていた。
「……だから、俺はまだ、足りないんじゃないかって……」
リリエットは静かにその言葉を聞き、そっとクラウディオの手を取った。
「クラウディオ」
名前を呼ばれ、彼ははっとして顔を上げる。
「貴方は変わったわ。昔の貴方とは、まるで別人のように」
彼の手を包み込むように握りながら、リリエットは微笑んだ。
「貴方は私のために努力してくれた。それを私はずっと見ていたのよ」
彼女の言葉は、優しく、けれど確かなものだった。
「もう、十分よ」
「……リリエット」
彼の瞳に、迷いが揺れていた。それでも、彼女の手の温もりが、それを静かに溶かしていく。
「貴方は昔のことを気にしているけれど、私は今の貴方を見ているわ」
リリエットはゆっくりとクラウディオの手を握り直した。その指先に、かすかに力がこもる。
「貴方は変わろうとした。ただ口先だけでなく、行動で示してくれた。だから……私は、貴方と生きる未来を選んだのよ」
「……俺は」
クラウディオの喉が震えた。
「俺は、君にどれだけのことをしても、まだ足りないと思うんだ」
彼の声はかすれていた。
「過去は消せない。それでも、俺は君の隣にいていいのか?」
その問いに、リリエットは少しだけ目を細めた。そして、静かに息を吸う。
「いいえ」
クラウディオの肩が、ぴくりと動く。
「貴方がそうやって自分を責め続けるなら、私は貴方を許さないわ」
彼女の声は優しく、しかし強い意志を宿していた。
「……リリエット?」
「貴方がしたことは、確かに簡単に許されるものではないかもしれない。でも、私は貴方が償おうとしてきたことを知っている。そして、今の貴方を愛しているの」
言いながら、リリエットはクラウディオの手をぎゅっと握る。
「それなのに、貴方自身が貴方を許さないのなら……それは私の気持ちを否定することになるわ」
クラウディオの表情が変わる。
「私は貴方と未来を共にしたいと思っている。それなのに、貴方が『自分はふさわしくない』と決めつけるなら……それは、私の決意を無駄にすることになるのよ」
リリエットの言葉が、彼の胸に深く突き刺さる。
「だから、貴方がしなければならないのは――」
彼女はゆっくりと彼の頬に手を添え、真っ直ぐに見つめた。
「これからも、私の隣で誠実でい続けてくれること。それだけよ」
クラウディオは息を呑んだ。
「過去のことを忘れろとは言わないわ。でも、過去に囚われすぎて、今を見失うのはやめて」
静かな言葉が、彼の胸の奥まで響く。
「私は貴方と共に生きたい。それが私の答えよ」
クラウディオはしばらく何も言えなかった。ただ、リリエットの言葉を噛み締めるように、深く息をついた。
「……俺は」
震える声で呟き、そっと彼女の手を握り返す。
「……それでも、もっと君に相応しい男になりたい」
彼の瞳には、もはや迷いはなかった。
「それでいいわ。これからもずっと、一緒に成長していけばいいのよ」
リリエットは微笑み、彼の手をそっと引いた。
そのまま、彼女の額が、そっとクラウディオの肩に触れる。
「……だから、もう自分を責めないで」
彼の背中に回されたリリエットの手は、震えることなく、ただ穏やかに彼を抱きしめていた。
クラウディオはそっと目を閉じる。
――これからも、ずっと彼女の隣で生きていく。
その決意を胸に、彼は静かにリリエットの温もりを抱きしめ返した。
学園時代のすれ違いが嘘のように、今の二人は穏やかで心地よい時間を共有していた。
クラウディオはすっかり青年らしく逞しくなり、その姿はかつての「冷たく遠い婚約者」ではなく、今や頼もしくも優しい大切な人へと変わっていた。
彼の肩幅は広くなり、剣の鍛錬を続けたことでより洗練された体つきになった。その所作のひとつひとつにも余裕があり、リリエットは気づけば彼に見惚れることが増えていた。
しかし、本人はそんな彼女の視線に気づかず、ただ嬉しそうに微笑んでいた。
「……どうかしたか?」
「え?」
リリエットがぼんやりと彼を見つめていたことに気づいたクラウディオが、少し不思議そうに首を傾げる。その長い髪がさらりと揺れ、陽の光を受けて美しく輝いた。
クラウディオは、彼女の視線の意味を自分なりに解釈し、ふっと得意げに微笑んだ。
「やはり、長髪にして正解だったな」
「……え?」
「君がよく見てくれるのは、きっとこの髪の効果だろう?」
彼は、どこか嬉しそうに自分の髪をかきあげる。
リリエットは呆れつつも、微笑みを隠せなかった。
――確かに、長髪の彼は素敵だけれど。
「……それだけではないわ」
「ん?」
「貴方が、素敵だからよ」
何気なくこぼれた言葉に、クラウディオは驚いたように目を瞬かせ、それから僅かに顔を赤らめた。
「……そうか」
ぎこちなくそう呟いた彼を見て、リリエットはくすっと笑った。
相変わらず、こういう場面には弱いのね――そんな風に思いながら。
その日の夕方、二人は庭園のベンチに並んで座っていた。
柔らかな風が草花を揺らし、心地よい時間が流れる。
リリエットはふとクラウディオの方を見つめ、静かに口を開いた。
「……結婚の話、そろそろ日取りを決めましょうか」
クラウディオは一瞬、言葉の意味を理解できなかったかのように彼女を見つめた。
しかし、すぐにその言葉が何を意味しているのかを理解し、目を見開く。
「――本当に?」
「ええ。もう迷いはないわ」
リリエットの穏やかな微笑みが、彼の胸を強く打った。
ずっと夢見ていた瞬間だった。
彼女が「自分と生きる未来」を選んでくれた。
次の瞬間、クラウディオは反射的に彼女を抱きしめていた。
「……っ!」
驚いたリリエットは一瞬動きを止めたが、彼の腕の温もりを感じ、すぐに力を抜いた。
「リリエット……ありがとう……!」
彼の声が震えている。
まるで、今までの努力や想いがすべて報われたかのように。
だが、その喜びの裏で、彼の心の奥底にはまだ拭えないものがあった。
――これで、許されたのか?
リリエットがこうして隣にいてくれることが、今でも夢のように感じる。彼女は許してくれたのかもしれない。けれど、それで本当に償いは済んだのか?
「……俺は、本当に君にふさわしいのか?」
ポツリとこぼれた言葉に、リリエットがゆっくりと彼を見上げる。
「何を言っているの?」
「君を傷つけたことは、消えない。どれだけ努力しても、それを帳消しにできるとは思えないんだ」
彼の指先がわずかに震えていた。
「……だから、俺はまだ、足りないんじゃないかって……」
リリエットは静かにその言葉を聞き、そっとクラウディオの手を取った。
「クラウディオ」
名前を呼ばれ、彼ははっとして顔を上げる。
「貴方は変わったわ。昔の貴方とは、まるで別人のように」
彼の手を包み込むように握りながら、リリエットは微笑んだ。
「貴方は私のために努力してくれた。それを私はずっと見ていたのよ」
彼女の言葉は、優しく、けれど確かなものだった。
「もう、十分よ」
「……リリエット」
彼の瞳に、迷いが揺れていた。それでも、彼女の手の温もりが、それを静かに溶かしていく。
「貴方は昔のことを気にしているけれど、私は今の貴方を見ているわ」
リリエットはゆっくりとクラウディオの手を握り直した。その指先に、かすかに力がこもる。
「貴方は変わろうとした。ただ口先だけでなく、行動で示してくれた。だから……私は、貴方と生きる未来を選んだのよ」
「……俺は」
クラウディオの喉が震えた。
「俺は、君にどれだけのことをしても、まだ足りないと思うんだ」
彼の声はかすれていた。
「過去は消せない。それでも、俺は君の隣にいていいのか?」
その問いに、リリエットは少しだけ目を細めた。そして、静かに息を吸う。
「いいえ」
クラウディオの肩が、ぴくりと動く。
「貴方がそうやって自分を責め続けるなら、私は貴方を許さないわ」
彼女の声は優しく、しかし強い意志を宿していた。
「……リリエット?」
「貴方がしたことは、確かに簡単に許されるものではないかもしれない。でも、私は貴方が償おうとしてきたことを知っている。そして、今の貴方を愛しているの」
言いながら、リリエットはクラウディオの手をぎゅっと握る。
「それなのに、貴方自身が貴方を許さないのなら……それは私の気持ちを否定することになるわ」
クラウディオの表情が変わる。
「私は貴方と未来を共にしたいと思っている。それなのに、貴方が『自分はふさわしくない』と決めつけるなら……それは、私の決意を無駄にすることになるのよ」
リリエットの言葉が、彼の胸に深く突き刺さる。
「だから、貴方がしなければならないのは――」
彼女はゆっくりと彼の頬に手を添え、真っ直ぐに見つめた。
「これからも、私の隣で誠実でい続けてくれること。それだけよ」
クラウディオは息を呑んだ。
「過去のことを忘れろとは言わないわ。でも、過去に囚われすぎて、今を見失うのはやめて」
静かな言葉が、彼の胸の奥まで響く。
「私は貴方と共に生きたい。それが私の答えよ」
クラウディオはしばらく何も言えなかった。ただ、リリエットの言葉を噛み締めるように、深く息をついた。
「……俺は」
震える声で呟き、そっと彼女の手を握り返す。
「……それでも、もっと君に相応しい男になりたい」
彼の瞳には、もはや迷いはなかった。
「それでいいわ。これからもずっと、一緒に成長していけばいいのよ」
リリエットは微笑み、彼の手をそっと引いた。
そのまま、彼女の額が、そっとクラウディオの肩に触れる。
「……だから、もう自分を責めないで」
彼の背中に回されたリリエットの手は、震えることなく、ただ穏やかに彼を抱きしめていた。
クラウディオはそっと目を閉じる。
――これからも、ずっと彼女の隣で生きていく。
その決意を胸に、彼は静かにリリエットの温もりを抱きしめ返した。
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