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すりぬけた
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思わず頷いてしまいそうになりましたが、日下部様の手を煩わせるなんて、とんでもないことです。慌てて頭を下げてお礼を述べ、丁寧にお断りしました。
「本当に申し訳ありません。でも、大丈夫ですので――」
その言葉を聞いて日下部様は少しだけ困ったように微笑んでから、名残惜しそうに手を離してくださいました。その温かさが消えてしまうのが少し寂しく感じてしまう自分が情けないです。
「わかった。でも、気をつけてね。」
彼の柔らかな声に背中を押されるように、私は紫藤様の元へ戻ります。日下部様の瞳にもう一度触れたくて振り返りそうになるのを、ぎゅっとこらえて前だけを見ることにしました。
「なんだかすごいことになっていたけど、大丈夫?」
待っていてくれた紫藤様が心配そうに訊ねます。私は小さく頷きながら彼女の手を取り、急いで足を進めました。しかし焦ったところで、既に移動教室の授業開始には間に合いそうもありません。
音楽室の扉をそっと開けたとき、中からは授業が始まったばかりのピアノの音色が聞こえてきました。若い音楽教師が演奏を止め、入室する私たちに目を向けます。
「遅刻か。どうしたんだい?」
先生は眉をひそめながら問いかけてきますが、紫藤様がさっと機転を利かせました。
「夢見様が少し具合が悪かったのです。申し訳ありません。」
その言葉に先生は何か考えるように一瞬間を置きましたが、不思議と厳しい叱責はありませんでした。むしろ、少しだけ笑みを浮かべてこう言ったのです。
「仕方ないな。今回は特別に許すとしよう。でも、次回は気をつけてくれよ。」
そう告げる先生の視線は、どこか私たちの手元に注がれているような気がしました。思わず繋いでいた紫藤様の手を離すと、先生は満足げに頷いて再びピアノに向き直ります。
「夢見様、本当に大丈夫?顔が真っ赤よ。」
授業が始まった後、そっと紫藤様が囁いてきました。私はかぶりを振って、彼女に小さく笑いかけます。でも心の中では、いまだに日下部様の温かさと優しい言葉がぐるぐると渦巻いていました。
人の好感度は、第一印象がかなりの割合を占めると聞いたことがあります。そう考えると、先日の失態は取り返しのつかないものだったのではないでしょうか。
せっかく日下部様がもったいなくも気まぐれに声をかけてくださったのに、楽しいお喋りの時間を提供できず、ご心配をおかけするだけの結果に終わったなんて。自分のぽんこつさが、許せません。
深く自責の念に駆られながら机に突っ伏していると、教室の入り口から涼やかな声が響きました。
「夢見さんて、ここのクラスだよね?悪いけど、彼女を呼んでくれないかな。」
その瞬間、背筋が凍りつきました。日下部様のお声です。そんな――。いったい、私にどんな御用があるというのでしょう。あわせる顔などありません。それでも気になるのは当然で、ですが、この乱れた心情を抱えたままお呼び出しに応じてしまえば、さらなる失態を重ねるのは目に見えています。なんというか、その自信だけはあります。
顔を隠すように机に伏せたまま、ずるりと床へと滑り込みます。そんな私の動きを見て、察しの良い紫藤様が、声をひそめて尋ねました。
「まあ。逃げてしまいますの?」
「戦略的撤退というものです。」
「うふふ、恋の駆け引きですわね。」
違います。それは誤解です。でも、ここで言い訳している暇はありません。紫藤様が手招きするように持ち上げた教室のカーテンの裾に潜り込みました。
「あれー?夢見様、さっきまでいらしたわよね?」
クラスメイトの声が背後に響きます。その言葉を聞きながら、私は反対側の扉からこっそり教室を抜け出しました。逃げる途中、日下部様のすらりとした背中が視界に入り、思わず足を止めてしまいます。
どうしてそんなに自然に人を惹きつけることができるのでしょうか。少しだけ、ほんの少しだけその後ろ姿を目に焼き付けてから、私はそっとその場を離れました。
「本当に申し訳ありません。でも、大丈夫ですので――」
その言葉を聞いて日下部様は少しだけ困ったように微笑んでから、名残惜しそうに手を離してくださいました。その温かさが消えてしまうのが少し寂しく感じてしまう自分が情けないです。
「わかった。でも、気をつけてね。」
彼の柔らかな声に背中を押されるように、私は紫藤様の元へ戻ります。日下部様の瞳にもう一度触れたくて振り返りそうになるのを、ぎゅっとこらえて前だけを見ることにしました。
「なんだかすごいことになっていたけど、大丈夫?」
待っていてくれた紫藤様が心配そうに訊ねます。私は小さく頷きながら彼女の手を取り、急いで足を進めました。しかし焦ったところで、既に移動教室の授業開始には間に合いそうもありません。
音楽室の扉をそっと開けたとき、中からは授業が始まったばかりのピアノの音色が聞こえてきました。若い音楽教師が演奏を止め、入室する私たちに目を向けます。
「遅刻か。どうしたんだい?」
先生は眉をひそめながら問いかけてきますが、紫藤様がさっと機転を利かせました。
「夢見様が少し具合が悪かったのです。申し訳ありません。」
その言葉に先生は何か考えるように一瞬間を置きましたが、不思議と厳しい叱責はありませんでした。むしろ、少しだけ笑みを浮かべてこう言ったのです。
「仕方ないな。今回は特別に許すとしよう。でも、次回は気をつけてくれよ。」
そう告げる先生の視線は、どこか私たちの手元に注がれているような気がしました。思わず繋いでいた紫藤様の手を離すと、先生は満足げに頷いて再びピアノに向き直ります。
「夢見様、本当に大丈夫?顔が真っ赤よ。」
授業が始まった後、そっと紫藤様が囁いてきました。私はかぶりを振って、彼女に小さく笑いかけます。でも心の中では、いまだに日下部様の温かさと優しい言葉がぐるぐると渦巻いていました。
人の好感度は、第一印象がかなりの割合を占めると聞いたことがあります。そう考えると、先日の失態は取り返しのつかないものだったのではないでしょうか。
せっかく日下部様がもったいなくも気まぐれに声をかけてくださったのに、楽しいお喋りの時間を提供できず、ご心配をおかけするだけの結果に終わったなんて。自分のぽんこつさが、許せません。
深く自責の念に駆られながら机に突っ伏していると、教室の入り口から涼やかな声が響きました。
「夢見さんて、ここのクラスだよね?悪いけど、彼女を呼んでくれないかな。」
その瞬間、背筋が凍りつきました。日下部様のお声です。そんな――。いったい、私にどんな御用があるというのでしょう。あわせる顔などありません。それでも気になるのは当然で、ですが、この乱れた心情を抱えたままお呼び出しに応じてしまえば、さらなる失態を重ねるのは目に見えています。なんというか、その自信だけはあります。
顔を隠すように机に伏せたまま、ずるりと床へと滑り込みます。そんな私の動きを見て、察しの良い紫藤様が、声をひそめて尋ねました。
「まあ。逃げてしまいますの?」
「戦略的撤退というものです。」
「うふふ、恋の駆け引きですわね。」
違います。それは誤解です。でも、ここで言い訳している暇はありません。紫藤様が手招きするように持ち上げた教室のカーテンの裾に潜り込みました。
「あれー?夢見様、さっきまでいらしたわよね?」
クラスメイトの声が背後に響きます。その言葉を聞きながら、私は反対側の扉からこっそり教室を抜け出しました。逃げる途中、日下部様のすらりとした背中が視界に入り、思わず足を止めてしまいます。
どうしてそんなに自然に人を惹きつけることができるのでしょうか。少しだけ、ほんの少しだけその後ろ姿を目に焼き付けてから、私はそっとその場を離れました。
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