瑞鳥湖―鶴舞う湖のほとりで―

佐竹梅子

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一,妖の湖

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 とある小国――深い緑に恵まれ、浩大な水脈に抱かれた豊かな地を持つ、平穏な国。
 王は善政を敷き、民は日々の暮らしを歌い、恵みに感謝し、労働に汗を流す。

 そんなあまりにも波風のない暮らしのなかで……ある日、妖の噂がまことしやかに囁かれていた。
 合歓《ねむ》の木の生い茂る森の奥深く、透き通る手足が現れては湖面を妖しく揺蕩う――森へ入る木こりは魅入られ連れ去られ、湖の水を飲んだ者はその穢れに死ぬ。民にとってその不可解な噂は、怯えるに充分なものであった。


「……ふむ。それで、連れ去られた木こりを目撃した者はいるのか?」
「さあ? 同行者がいたのかは知れない」
「死んだ者の飲んだ水が、本当にその湖の水だと誰か確かめたのか?」
「……竺董、お前は本当につまらないヤツだな」

 扇の骨を鳴らしながら、青年は溜息をついた。
 太子・竺董に対し、こうも気安い口を利けるのは、同門の誼ゆえだろう。
 竺董と貴族の子息たちは、暇さえあれば宮殿の四阿《あずまや》へ集い、取るに足らない城下の噂や、どこそこの娘が器量よしだとか、こうして好き勝手にのたまう。

「そうは言っても、不確かな妖の噂話など、何が楽しいのだ」

 勇ましい眉が、ぎゅっと寄せられる。竺董は唯一の太子であり、当然ながら次代国王としての薫陶を受けてきた。勉学も真面目に修め、優秀な成績をもって書院を出た。
 しかしその根底の、人格の部分というものか。少々扱いにくいところがある。

「なんというか。竺董は逆に純粋すぎるんだよな」
「ああ、次代の国王陛下として、冗談の一つは言えるくらいになった方がいいぞ」
「……何? ではいまの噂話は冗談の一つだと?」

 友人たちに揶揄され、ますます竺董の眉根は刻まれる。
 いつもこうなのだ。話しているうちに、その本質が見極められるずに、迷子になってしまう。
 そんな己に、竺董は静かに腹を立てる。

「ああ、そういえば殿下。今夜は宴でしょう?」

 友の一人が、その空気を払拭すべく口を開く。そうだそうだと、皆同調してゆるく破顔した。

「宴か……興味はないな」

 竺董は四阿の柱に寄りかかると、友人たちから視線を逸らす。

「おいおい、主役がそれでどうする」
「めでたいことだぞ。我が家からも祝いの品を贈るつもりだ」
「それに美味い宮廷料理に秘蔵の美酒に……俺たちもご相伴に与ろうじゃないか」

 陽気な友人は手で杯をあおるように、しきりにくいっと手首をひねる。「綺麗な踊子も来るんだろうな」一人がそう言えば、年頃の男だちはわいわいと一層盛り上がった。

 ――今宵は、竺董二十一歳の祝宴である。

 貴族に役人に……そして民にまで王宮の門扉は開かれ、夜通し太子の健勝を祝うのだ。

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