瑞鳥湖―鶴舞う湖のほとりで―

佐竹梅子

文字の大きさ
7 / 10

七,白鶴の弟

しおりを挟む
 白く細い煙が空を揺蕩い、噎せ返るような香の薫りが室内を埋め尽くす。
 豪奢な絹織りを敷いた寝台の上で、『彼』は下男に爪の手入れをさせている。恭しい下男は自らが選び抜いた、下下の中でもとびきり顔のよい男だった。

 そしてもう一人、寝台の脇に男が侍っている。同じく顔の整った者は、見たという事物を無駄なく告げた。

「……そう。報告ありがとう、いい子だね」

 すべてを聞き終えると、彼は手入れを終えた方の指先で、侍る男の顎を撫でてやる。

「ありがたいお言葉です。鶴黛様……」

 男はまるで猫のように目を細めながら、主の名前を甘く呼ぶ。――この、鶴黛と呼ばれたこの青年こそ、鶴皙と瓜二つの双子の弟である。
 鶴皙と同時期に性器を手放し、体の弱った兄よりも先に後宮の宦官として仕えた。しかし、現在《いま》はというと……。

「ふん、兄さんが後宮にくるなんてたまったもんじゃないよ」

 王太子が夜な夜なうろついているという噂を聞きつけ、手の者に探らせたのだ。
 もともとさほど兄という存在は好きではない。ほとんど同じ顔というだけで、作法や勉学に少しの差でも生じれば、すぐに比べられる。よって、官吏になるための術後、鶴皙の体調が優れなかったとき、それはそれはいい気分であった。

「……それに、これはもう兄さんだけの問題じゃないんだから」

 あの暗愚が兄の口先によって仁君として目覚めでもしたら、それこそ事だ。暗愚太子がつつがなく即位する。それだけは阻止しなければならない。

「『あの方』を次の王に。僕の望みは、それだけ」

 筆を手に取ると、さらさらと紙面を甘い言葉で埋め尽くした。

「これを持ってお行き。うまくやったら……口吸いくらい許してやろう」

 ――王弟の寵愛深い宦官《ぼく》の唇を味わえるなんて、そう罪深いことはないよ。

 羅針宮と呼ばれる王弟の宮の一室で、鶴黛は口端をそっと上げて微笑んだ。



 新月の暗闇のなか、竺董は馬を走らせる。鶴皙から密やかに文が届けられたのだ。
 『お会いしたい』――そんな言葉を彼からもらうのは初めてである。求められている喜び、そしてその珍しさへの疑問を綯い交ぜにして、竺董は湖畔へ向かう。

 朔の日はやはり暗い。それも森の中に入れば更に深くなる。
 いつもは月明かりを受けて輝く湖面も、今夜は幽冥へ繋がる穴のようだ。

「鶴皙!」
「竺董様……」

 湖のほとりにぼんやりと浮かぶ白い衣が、名を呼びひしと体に抱き着いた。

「一体どうしたのだ? そなたから文とは……」

 強く抱き締められ、竺董もそれに応える。愛おしい人を待ち望んでいた抱擁に、思わず破顔してしまう。

「……申し訳ございません、どうか……お慈悲を分けていただけませんか」
「慈悲、とは」

 迫る艶やかな声色に竺董はやや面食らった。しかし、腕の中からは目が離せないでいた。
 あっという間に体温が上がっていく。

「情でございます。……あなたが、欲しいのです」
「それは……つまり」
「……抱いてほしいと……そう、申し上げています」

 いけませんか。潤む瞳が、宵闇の中で宝玉のごとく輝いた。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

キサラギムツキ
BL
長い間アプローチし続け恋人同士になれたのはよかったが…………… 攻め視点から最後受け視点。 残酷な描写があります。気になる方はお気をつけください。

後宮の男妃

紅林
BL
碧凌帝国には年老いた名君がいた。 もう間もなくその命尽きると噂される宮殿で皇帝の寵愛を一身に受けていると噂される男妃のお話。

邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ

BL
鍛えられた肉体、高潔な魂―― それは選ばれし“供物”の条件。 山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。 見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。 誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。 心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。

執着

紅林
BL
聖緋帝国の華族、瀬川凛は引っ込み思案で特に目立つこともない平凡な伯爵家の三男坊。だが、彼の婚約者は違った。帝室の血を引く高貴な公爵家の生まれであり帝国陸軍の将校として目覚しい活躍をしている男だった。

優秀な婚約者が去った後の世界

月樹《つき》
BL
公爵令嬢パトリシアは婚約者である王太子ラファエル様に会った瞬間、前世の記憶を思い出した。そして、ここが前世の自分が読んでいた小説『光溢れる国であなたと…』の世界で、自分は光の聖女と王太子ラファエルの恋を邪魔する悪役令嬢パトリシアだと…。 パトリシアは前世の知識もフル活用し、幼い頃からいつでも逃げ出せるよう腕を磨き、そして準備が整ったところでこちらから婚約破棄を告げ、母国を捨てた…。 このお話は捨てられた後の王太子ラファエルのお話です。

僕の幸せは

春夏
BL
【完結しました】 【エールいただきました。ありがとうございます】 【たくさんの“いいね”ありがとうございます】 【たくさんの方々に読んでいただけて本当に嬉しいです。ありがとうございます!】 恋人に捨てられた悠の心情。 話は別れから始まります。全編が悠の視点です。

三十年後に届いた白い手紙

RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。 彼は最後まで、何も語らなかった。 その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。 戴冠舞踏会の夜。 公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。 それは復讐でも、告発でもない。 三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、 「渡されなかった約束」のための手紙だった。 沈黙のまま命を捨てた男と、 三十年、ただ待ち続けた女。 そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。 これは、 遅れて届いた手紙が、 人生と運命を静かに書き換えていく物語。

鳥籠の夢

hina
BL
広大な帝国の属国になった小国の第七王子は帝国の若き皇帝に輿入れすることになる。

処理中です...