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七,白鶴の弟
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白く細い煙が空を揺蕩い、噎せ返るような香の薫りが室内を埋め尽くす。
豪奢な絹織りを敷いた寝台の上で、『彼』は下男に爪の手入れをさせている。恭しい下男は自らが選び抜いた、下下の中でもとびきり顔のよい男だった。
そしてもう一人、寝台の脇に男が侍っている。同じく顔の整った者は、見たという事物を無駄なく告げた。
「……そう。報告ありがとう、いい子だね」
すべてを聞き終えると、彼は手入れを終えた方の指先で、侍る男の顎を撫でてやる。
「ありがたいお言葉です。鶴黛様……」
男はまるで猫のように目を細めながら、主の名前を甘く呼ぶ。――この、鶴黛と呼ばれたこの青年こそ、鶴皙と瓜二つの双子の弟である。
鶴皙と同時期に性器を手放し、体の弱った兄よりも先に後宮の宦官として仕えた。しかし、現在《いま》はというと……。
「ふん、兄さんが後宮にくるなんてたまったもんじゃないよ」
王太子が夜な夜なうろついているという噂を聞きつけ、手の者に探らせたのだ。
もともとさほど兄という存在は好きではない。ほとんど同じ顔というだけで、作法や勉学に少しの差でも生じれば、すぐに比べられる。よって、官吏になるための術後、鶴皙の体調が優れなかったとき、それはそれはいい気分であった。
「……それに、これはもう兄さんだけの問題じゃないんだから」
あの暗愚が兄の口先によって仁君として目覚めでもしたら、それこそ事だ。暗愚太子がつつがなく即位する。それだけは阻止しなければならない。
「『あの方』を次の王に。僕の望みは、それだけ」
筆を手に取ると、さらさらと紙面を甘い言葉で埋め尽くした。
「これを持ってお行き。うまくやったら……口吸いくらい許してやろう」
――王弟の寵愛深い宦官《ぼく》の唇を味わえるなんて、そう罪深いことはないよ。
羅針宮と呼ばれる王弟の宮の一室で、鶴黛は口端をそっと上げて微笑んだ。
新月の暗闇のなか、竺董は馬を走らせる。鶴皙から密やかに文が届けられたのだ。
『お会いしたい』――そんな言葉を彼からもらうのは初めてである。求められている喜び、そしてその珍しさへの疑問を綯い交ぜにして、竺董は湖畔へ向かう。
朔の日はやはり暗い。それも森の中に入れば更に深くなる。
いつもは月明かりを受けて輝く湖面も、今夜は幽冥へ繋がる穴のようだ。
「鶴皙!」
「竺董様……」
湖のほとりにぼんやりと浮かぶ白い衣が、名を呼びひしと体に抱き着いた。
「一体どうしたのだ? そなたから文とは……」
強く抱き締められ、竺董もそれに応える。愛おしい人を待ち望んでいた抱擁に、思わず破顔してしまう。
「……申し訳ございません、どうか……お慈悲を分けていただけませんか」
「慈悲、とは」
迫る艶やかな声色に竺董はやや面食らった。しかし、腕の中からは目が離せないでいた。
あっという間に体温が上がっていく。
「情でございます。……あなたが、欲しいのです」
「それは……つまり」
「……抱いてほしいと……そう、申し上げています」
いけませんか。潤む瞳が、宵闇の中で宝玉のごとく輝いた。
豪奢な絹織りを敷いた寝台の上で、『彼』は下男に爪の手入れをさせている。恭しい下男は自らが選び抜いた、下下の中でもとびきり顔のよい男だった。
そしてもう一人、寝台の脇に男が侍っている。同じく顔の整った者は、見たという事物を無駄なく告げた。
「……そう。報告ありがとう、いい子だね」
すべてを聞き終えると、彼は手入れを終えた方の指先で、侍る男の顎を撫でてやる。
「ありがたいお言葉です。鶴黛様……」
男はまるで猫のように目を細めながら、主の名前を甘く呼ぶ。――この、鶴黛と呼ばれたこの青年こそ、鶴皙と瓜二つの双子の弟である。
鶴皙と同時期に性器を手放し、体の弱った兄よりも先に後宮の宦官として仕えた。しかし、現在《いま》はというと……。
「ふん、兄さんが後宮にくるなんてたまったもんじゃないよ」
王太子が夜な夜なうろついているという噂を聞きつけ、手の者に探らせたのだ。
もともとさほど兄という存在は好きではない。ほとんど同じ顔というだけで、作法や勉学に少しの差でも生じれば、すぐに比べられる。よって、官吏になるための術後、鶴皙の体調が優れなかったとき、それはそれはいい気分であった。
「……それに、これはもう兄さんだけの問題じゃないんだから」
あの暗愚が兄の口先によって仁君として目覚めでもしたら、それこそ事だ。暗愚太子がつつがなく即位する。それだけは阻止しなければならない。
「『あの方』を次の王に。僕の望みは、それだけ」
筆を手に取ると、さらさらと紙面を甘い言葉で埋め尽くした。
「これを持ってお行き。うまくやったら……口吸いくらい許してやろう」
――王弟の寵愛深い宦官《ぼく》の唇を味わえるなんて、そう罪深いことはないよ。
羅針宮と呼ばれる王弟の宮の一室で、鶴黛は口端をそっと上げて微笑んだ。
新月の暗闇のなか、竺董は馬を走らせる。鶴皙から密やかに文が届けられたのだ。
『お会いしたい』――そんな言葉を彼からもらうのは初めてである。求められている喜び、そしてその珍しさへの疑問を綯い交ぜにして、竺董は湖畔へ向かう。
朔の日はやはり暗い。それも森の中に入れば更に深くなる。
いつもは月明かりを受けて輝く湖面も、今夜は幽冥へ繋がる穴のようだ。
「鶴皙!」
「竺董様……」
湖のほとりにぼんやりと浮かぶ白い衣が、名を呼びひしと体に抱き着いた。
「一体どうしたのだ? そなたから文とは……」
強く抱き締められ、竺董もそれに応える。愛おしい人を待ち望んでいた抱擁に、思わず破顔してしまう。
「……申し訳ございません、どうか……お慈悲を分けていただけませんか」
「慈悲、とは」
迫る艶やかな声色に竺董はやや面食らった。しかし、腕の中からは目が離せないでいた。
あっという間に体温が上がっていく。
「情でございます。……あなたが、欲しいのです」
「それは……つまり」
「……抱いてほしいと……そう、申し上げています」
いけませんか。潤む瞳が、宵闇の中で宝玉のごとく輝いた。
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