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八,最後の甘毒
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つい先ほどまで体を包んでいた熱が、夜風を受けて連れ去られていく。
「鶴皙、寒くはないか?」
「……はい。ご心配には及びません」
どちらのものとも分からなくなった衣を敷いて、裸体の彼らは身を寄せ合う。そうは言いつつも身じろぐ鶴皙を案じて、竺董は一層肌を引き寄せる。
「本当は手順を踏んでそなたを王宮へ迎えるつもりであったが……そうも言っていられないな」
「竺董様……」
「明朝、迎えにこよう。俺の我慢が出来そうにない。……ずっと、俺の傍にいてほしい」
「そんな……嬉しい……」
鶴皙の瞳から、玻璃《ガラス》のような涙が零れおちていく。重力に逆らえないそれは、つ、と美しく流れた。
そうして鶴皙は竺董を見送り、その背中にそっと微笑む。それはあまりにも妖艶で、そして邪悪な笑みであった。
「ふん。本当に暗愚だな、あの太子様は」
竺董が抱き、未来を誓ったのは鶴皙――を装った彼の弟・鶴黛であった。
顔も声も体つきも瓜二つの彼らは、こうも暗ければ見分けもつかない。
寝乱れた髪を手櫛で整えると、草叢へ控えさせていた輿に乗り込み、竺董とかち合わないよう自らも王宮へ戻っていく。
明日迎えると言われた、まさにその王宮だ。
「太子の迎えには断りを入れておけばいい。きっと失望するだろうから」
ことがうまく進んだということを『主』へ報せるべく、鶴黛はその人のもとへ向かう。
王宮の敷地のなか、西の端で控え目にたたずむ羅針宮。しかしその主《ぬし》とて、建物のように控え目で無欲というわけではない。
――心の奥底に沈めた、王位への恋慕。
それを叶えるべく、鶴黛は自ら駒となり動く。ただ女の衣服を整えるだけの役回りであった自分を、寵愛《あい》してくれる王弟のため。
「羅針公、ただいま戻りました」
勝手知ったる、主の私室の戸を開く。室内の灯りが線を描くように足元へ伸びた。
「――!」
「なにごとだ!」
鶴黛が息をのんだのと、羅針公が声を荒げたのとほぼ同時であった。
羅針公は宵に茶を飲む習慣がある。いまも円卓の前に座し、茶を並べていた。
しかしそれはいつも鶴黛が用意するものと決まっている。
では、なぜ。だれが。
「ああ! お助けください!」
茶器ががちゃりと取りこぼされる音が響く。
羅針公の隣には、鶴黛の衣に身を包んだ鶴皙が、まるで己のように立っていた。
(どうして、どうしてここに兄さんが!)
そうしてたっぷりと怯えた双眸をして、偽の主にすがりついた。
「お助けください、いま都で噂になっている妖が、わたくしを殺そうとしております!」
「なんと、これが妖と!?」
悲痛な鶴皙の声を聞き入れ、王弟は床に立てていた剣を手に取る。
「噂では……取り殺す者と瓜二つの顔をして現れると聞き及んでおります! どうか!」
「なっ……! にいさ――!」
ひらり、灯りを受けた夕陽色の剣がひらめいた。
ほんの一瞬のことであった。弁明すらできず、鶴黛はあっという間に絶命する。愛していたはずの男の手によって。
「……ああ、本当に恐ろしゅうございました」
「鶴黛よ、今宵は我から離れるでないぞ」
「……嬉しい。さあ、お休み前の茶を、どうぞ」
「うむ」
安眠のため煎じた茶を、いつものように飲み干す。ほどなくして、卓へ戻そうとされる茶碗がころりと床に転がった。
王弟の体からは力が抜け、両の手が重りのように空中を揺らいだ。
「……おやすみなさい、羅針公。あなたが王位を望むなど、あってはならないのです」
開いたままの瞼をそっと閉じると、深く深くその遺体に頭を下げた。
そうして王弟の宮を出ると、慣れた足取りで丹頂殿へと向かう。
「――瑞鳥の計、無事完遂いたしました」
「おお、鶴皙よ……やってくれたか」
王の目前に、鶴皙は恭しく侍った。
「このような大役を、感謝いたします。……ただの洗衣房であったわたくしを召し抱えていただき、諜報の任まで」
鶴皙は術後の体に鞭打って、正規の出仕から一年ののち、後宮へ入った。その頃には鶴黛は王弟に目をかけられており、彼らが後宮で顔を合わせることはついになかったのだ。
そして鶴皙はというと、そのたおやかな所作から王の寵愛を受け、更には駒として手練手管を教え込まれていた。
――瑞鳥の計。
それは鶴の名を持つ双子を利用した、王による一手であった。
「太子殿下はわたくしに信頼をお寄せです。あとは――」
そこで鶴皙は口を閉ざした。視界が真っ赤になったような気がしたのだ。
背後から受けた痛打に振り返りかけたが、再び赤い衝撃が脳天を貫いた。微かに目の端に入ったのは、護衛兵長の甲《よろい》。
「陛、下……?」
「我が弟、その手駒の鶴黛……そして、この王宮の、最後の毒を取り除こう」
「わたくしも……、毒であった、と……?」
膝から崩れ落ちた鶴皙の体は、最後までしなやかで美しささえ感じさせる。
「……そなたは良き懐刀であったが、その美しさがゆえ、やがて竺董を狂わせるだろう」
王の声が重重しく、丹頂殿の中、静かに寂しく響いた。
「鶴皙、寒くはないか?」
「……はい。ご心配には及びません」
どちらのものとも分からなくなった衣を敷いて、裸体の彼らは身を寄せ合う。そうは言いつつも身じろぐ鶴皙を案じて、竺董は一層肌を引き寄せる。
「本当は手順を踏んでそなたを王宮へ迎えるつもりであったが……そうも言っていられないな」
「竺董様……」
「明朝、迎えにこよう。俺の我慢が出来そうにない。……ずっと、俺の傍にいてほしい」
「そんな……嬉しい……」
鶴皙の瞳から、玻璃《ガラス》のような涙が零れおちていく。重力に逆らえないそれは、つ、と美しく流れた。
そうして鶴皙は竺董を見送り、その背中にそっと微笑む。それはあまりにも妖艶で、そして邪悪な笑みであった。
「ふん。本当に暗愚だな、あの太子様は」
竺董が抱き、未来を誓ったのは鶴皙――を装った彼の弟・鶴黛であった。
顔も声も体つきも瓜二つの彼らは、こうも暗ければ見分けもつかない。
寝乱れた髪を手櫛で整えると、草叢へ控えさせていた輿に乗り込み、竺董とかち合わないよう自らも王宮へ戻っていく。
明日迎えると言われた、まさにその王宮だ。
「太子の迎えには断りを入れておけばいい。きっと失望するだろうから」
ことがうまく進んだということを『主』へ報せるべく、鶴黛はその人のもとへ向かう。
王宮の敷地のなか、西の端で控え目にたたずむ羅針宮。しかしその主《ぬし》とて、建物のように控え目で無欲というわけではない。
――心の奥底に沈めた、王位への恋慕。
それを叶えるべく、鶴黛は自ら駒となり動く。ただ女の衣服を整えるだけの役回りであった自分を、寵愛《あい》してくれる王弟のため。
「羅針公、ただいま戻りました」
勝手知ったる、主の私室の戸を開く。室内の灯りが線を描くように足元へ伸びた。
「――!」
「なにごとだ!」
鶴黛が息をのんだのと、羅針公が声を荒げたのとほぼ同時であった。
羅針公は宵に茶を飲む習慣がある。いまも円卓の前に座し、茶を並べていた。
しかしそれはいつも鶴黛が用意するものと決まっている。
では、なぜ。だれが。
「ああ! お助けください!」
茶器ががちゃりと取りこぼされる音が響く。
羅針公の隣には、鶴黛の衣に身を包んだ鶴皙が、まるで己のように立っていた。
(どうして、どうしてここに兄さんが!)
そうしてたっぷりと怯えた双眸をして、偽の主にすがりついた。
「お助けください、いま都で噂になっている妖が、わたくしを殺そうとしております!」
「なんと、これが妖と!?」
悲痛な鶴皙の声を聞き入れ、王弟は床に立てていた剣を手に取る。
「噂では……取り殺す者と瓜二つの顔をして現れると聞き及んでおります! どうか!」
「なっ……! にいさ――!」
ひらり、灯りを受けた夕陽色の剣がひらめいた。
ほんの一瞬のことであった。弁明すらできず、鶴黛はあっという間に絶命する。愛していたはずの男の手によって。
「……ああ、本当に恐ろしゅうございました」
「鶴黛よ、今宵は我から離れるでないぞ」
「……嬉しい。さあ、お休み前の茶を、どうぞ」
「うむ」
安眠のため煎じた茶を、いつものように飲み干す。ほどなくして、卓へ戻そうとされる茶碗がころりと床に転がった。
王弟の体からは力が抜け、両の手が重りのように空中を揺らいだ。
「……おやすみなさい、羅針公。あなたが王位を望むなど、あってはならないのです」
開いたままの瞼をそっと閉じると、深く深くその遺体に頭を下げた。
そうして王弟の宮を出ると、慣れた足取りで丹頂殿へと向かう。
「――瑞鳥の計、無事完遂いたしました」
「おお、鶴皙よ……やってくれたか」
王の目前に、鶴皙は恭しく侍った。
「このような大役を、感謝いたします。……ただの洗衣房であったわたくしを召し抱えていただき、諜報の任まで」
鶴皙は術後の体に鞭打って、正規の出仕から一年ののち、後宮へ入った。その頃には鶴黛は王弟に目をかけられており、彼らが後宮で顔を合わせることはついになかったのだ。
そして鶴皙はというと、そのたおやかな所作から王の寵愛を受け、更には駒として手練手管を教え込まれていた。
――瑞鳥の計。
それは鶴の名を持つ双子を利用した、王による一手であった。
「太子殿下はわたくしに信頼をお寄せです。あとは――」
そこで鶴皙は口を閉ざした。視界が真っ赤になったような気がしたのだ。
背後から受けた痛打に振り返りかけたが、再び赤い衝撃が脳天を貫いた。微かに目の端に入ったのは、護衛兵長の甲《よろい》。
「陛、下……?」
「我が弟、その手駒の鶴黛……そして、この王宮の、最後の毒を取り除こう」
「わたくしも……、毒であった、と……?」
膝から崩れ落ちた鶴皙の体は、最後までしなやかで美しささえ感じさせる。
「……そなたは良き懐刀であったが、その美しさがゆえ、やがて竺董を狂わせるだろう」
王の声が重重しく、丹頂殿の中、静かに寂しく響いた。
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