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3.セラフィム・L・ゴレロワ

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 ヴィクトルが飾り窓に立った翌日、Aは再び従業員控え室を訪れた。「他の従業員に飾り窓の話は付けておいてやるが、毎日顔を出せ」と脅されたからだ。

 Aは東洋人としても貧弱な部類に入る。身体を鍛えるには、あまりにもカロリー不足の生活を送ってきたせいだ。ヴィクトルのような大柄の西洋人に睨みを利かされては従わずにいられない。
 何より目に入れても痛くない銀行口座の金を「顔を出さないなら、臨時ボーナスを支払え」と人質に取られてしまった。

 Aは深い溜息と共に、控室のドアを開けた。
 途端、綿あめのような甘ったるい匂いが流れ込んできた。専属の職人に調合させた香水なのだろう。大酒飲みのAには甘すぎる。収まった筈の二日酔いを誘発する匂いだ。反射的に塩っ気が欲しくなる。

 口元を覆って一歩踏み入ると、セラフィムが仁王立ちでAを待ち構えていた。
 思わず逃げ腰になる。
 セラフィムは顎で人を使い、自分では椅子の上でふんぞり返って絶対に動かないタイプのDomだ。
 ……どうやら相当、お怒りの様子だ。気が滅入る。

「この僕に飾り窓に立てって、どういう了見なの」

 年齢不詳が少年の形をとったものが、苛立ちにプラチナブロンドを逆立てんばかりにしている。怒りのために頬に上った血液さえ、爛熟した果実の香りがしてきそうだ。

「……組合のご意向でして、」

 へこへことAは頭を下げた。相手は一見子供なので一層、情けなさが身に沁みる。いっそAがこれまでされてきたように「大人のやることに口を出すな」と頬に一発くれてやれれば楽なのだが、悲しいかな、Aは暴力を振るうのも恐いのだ。

 おまけにセラフィムは一番の稼ぎ頭でもある。拝金主義者のAとしてはへりくだるしかない。
 キャストに気持ち良く仕事をしてもらうのも黒服の仕事だよ。女に顔面をぶん殴られた、死んだ目の黒服の言葉が脳裏に過ぎた。

「でもヴィクトルも立ったわけだし……」
「じゃあ今夜もやらせれば?」
「そう言わずに」
「スツール!」

 取り付く島もなくツンと横を向いたセラフィムが、鋭く呼んだ。
 部屋の隅に蹲っていた肉色の塊が、のそりと蠢く。

 Aは食傷気味の顔になって胸元を押さえた。肉色の塊の正体を知っているせいだ。それ・・は、他の調度品と同じようにセラフィムが控え室に持ち込んだ家具のひとつだ。
 ただし、生きている。

 初めて「スツール」を見たとき、Aは嫌悪感から全身の産毛を逆立ててしまった。脂っぽく腹の出た中年男が、全裸に頭部を覆うようなレザーのマスクのみを着け、さも自分は椅子ですよと言わんばかりの顔で四つん這いになっていたからだ。

 スツールはやはり四つ足でセラフィムに近づくと、彼が座り易い高さに手足の関節を曲げて調節した。
 セラフィムは全裸の中年男の背に躊躇うことなく座る。まるで羽でも生えているかのような軽やかさだ。
 Aなら中年男の全裸が視界に入るだけでもイヤなのに、良く平気だなと毎回思ってしまう。

 ヴィクトルを指名するティーンエイジャーが多いのに対して、セラフィムの客は金を持ってる中年から老年ばかりだ。人間、或る程度の社会的成功を収めると今度は破滅したくなってくるものらしい。そんな彼らにとって、セラフィムは絶好のオム・ファタルだ。
 話に聞くと、スツールも元はセラフィムの客だったらしい。

「大体、インテリアまでやらせるなら事前連絡するものだろ!
 なんのためのスマホだ!」

 セラフィムはまだ文句が言い足りないらしく、スツールの上で脚を乱暴にばたつかせた。高いヒールが腹を打ったが、家具は呻き声すら上げずに堪えている。

「……ごめん、俺、スマホ持ってない」

 住所不特定のAが気まずげに頭をかくと、セラフィムがいっそうヒステリックな声を上げた。

「野蛮人め! どんな生活してるんだよ!」
「っていうか、昨日ヴィクトルから聞いただろ?」
「一朝一夕でコンセプトが決まるもんか!」
「簡単なので良いんだよ、ほんと」

 キーキー喚くセラフィムを宥めながら、Aはなんだか怒りの矛先が変わってきているのに気づいた。
 飾り窓に立つのが嫌なのではなく、舞台が完璧じゃないのが気に入らないのではないだろうか。家具にはかなりの拘りがあるようだし。

 まだ何か言い募っているセラフィムの文句を右から左に聞き流しながら、Aは身体を捩じって彼の横顔を見つめた。さながら、名のある彫刻家が晩年になってようやく削り出した、奇跡のラインだった。
 これだけの美貌で人前に出るのがイヤということはないだろう。そもそもセラフィムはちやほやされるのが大好きだ。

「俺も荷物運び手伝うから、頼むよ。なっ。
 実はうちが飾り窓に立つの、同業者から目の敵にされててさあ。セラフィムが立ってくれたら、あいつらだって『あ、これじゃしょうがないな』って納得するじゃん。
 お願いします、この通り!」

 Aは深々と頭を下げた。
 後頭部にセラフィムの視線を感じる。この感覚だと、もう一押しというところか。さらに声を張り上げる。

「お願いします!!」

 まるで接客過剰な飲食店だな、と思ったが、セラフィムはいたく自尊心を満足させたらしい。

「──まあ、良いよ」

 エロい女が流し目をくれながらセックスしてやっても良いわよ、と承諾する口調だった。

「ありがとうございます!!」
 Aは女神が降臨した童貞のように大袈裟に頭を下げた。背を曲げたままこっそりとため息を吐く。
 それから、Aと、どこからともなく現れたセラフィムの奴隷一号と二号は、彼の指定する重厚な家具をひいひい言いながら、昨日と同じ飾り窓へと運び込んだ。

「コラー! 雑に扱うな!
 レイズリーファミリーの兄と弟が共同経営を始めた、記念すべき一八八三年の作品だぞ! ライオンの刻印が目に入らないのかー!」

 飾り窓の外で、セラフィムが拳を突き上げながらどやしたてている。こんなに活きの良いセラフィムは初めて見る。
 Aはすっかりくたびれてしまった。

「監督、中に入ってみて貰って良いっすか……」
「誰が現場監督だ!」

 セラフィムがぷりぷりしながら、ヒールの音も高らかに飾り窓の中に入っていく。
 コートを脱ぎ落し、黒いヒラヒラの服に包まれた線の細い身体が表われる。
 と、猥雑な赤いライトの小部屋の空気が一瞬で変わった。

「…………はぁ、」

 奴隷一号と二号、それからAは殆ど同時に感嘆の息を漏らす。

 ひとり掛けのソファに身体を投げ出した姿からは、人間としての生気や温度が全く感じられない。怖いほどに美しい。
 右手側のひじ掛けに重心を寄せ、針金のように細い指先で口元を隠しているせいで、憂いを帯びた自堕落と退廃の目元が際立っている。
 飾り窓そのものが、セラフィムという人形を納めておくパッケージのようだ。

 奴隷一号がスマホで画像を撮った音をきっかけに、一斉にシャッター音の雨が降った。
 見惚れている間に、いつの間にか人だかりができていた。

 このうち何割がセラフィムの客になって、何割が家具になるまで堕ちきるのだろう。
 ショップカードは全て配り切ってしまい、Aは空のポケットを叩きながら帰途に付くことになった。

「突貫にしては悪くないじゃん。
 パパ共同経営者に送ってあげようっと」
 前を歩くセラフィムがそんなことを言いながら、ご機嫌でスマホを弄っていた。
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