fruit tarte

天ノ谷 霙

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作戦実行の午後1時

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彼がいじめられていると気付いたのは、彼が不登校気味になってからだった。休みが続いた後、初めて学校に来た日に「大丈夫?どうしたの?」と聞くと、彼は笑って「不登校気味」と答えた。理由も話していたが、何か違和感を感じて調べてみた。案の定、1つ上の先輩達からのいじめだった。体の表面上は見えない場所を蹴飛ばし、脅迫行為を笑いながら行っていた。私はそれを目撃した時、正常な判断は出来なかった。つい、声をかけてしまった。
「何してるの」
先輩達は、一瞬表情を歪めたが、何もしてないような態度をとって、逃げて行った。
「…あの先輩達の名前、わかる?」
「…ッ…」
私はハンカチを取り出して、痛みからか、緊張からか、流れた彼の汗を拭う。
「保健室行こう。ここじゃ手当も出来ない」
「…そんなことしたら…バレて…」
「そうね。バレるわね」
彼の顔が蒼白になる。私は彼の疑問を否定せずに、平然と言葉を返しながら、彼を支えて立ち上がる。
「でも大丈夫よ。見つかったのが私で良かったわね」
私はそのまま保健室に行って、彼の手当を終えたあと、ベッドで寝るよう指示した。
「流石に保健室で寝てる生徒に手出しは出来ないでしょう。私が保健の先生に話をするから、名前だけ教えてくれる?」
「…2年の、…先輩と…」
彼がポツポツと話した相手の名前を、私は一字一句違わず覚えた。昔から、記憶力には自信がある。
「おっけー、わかった。じゃあゆっくりおやすみ」
そっと彼の頭を撫でると、彼は瞳から一筋の涙をこぼして、眠りについた。
「…話は終わった?聞いても大丈夫?」
「はい。名前は覚えたので、調べるだけです」
「流石ね」
「ありがとうございます。では先生、なるべく少ない人数に伝えて頂けますか。校長先生と、教頭先生と…あと私のクラスの担任だけに」
「主任の先生とかには?」
「なるべく少ない方が作戦は実行しやすいですから。担任の先生は、私が協力を依頼する時に、授業中いなくても何も思わないようにです」
「了承したわ。もう作戦まで考え付いているのね」
「えぇ。その為には、調べることが必要なので、まだ少し時間はかかりますが。それまで、彼のことを保健室で預かってもらうことは出来ますか」
「出来るわ。けど、あまり多いと他の先生から苦情が来るから、なるべく万全の体制で早めにね」
「承知しました」
私はそう言ってその場を後にする。授業開始を告げるチャイムはもう鳴り終わっている。なるべく急いで戻ったが、それでも先生と話していたこともあり、5分を過ぎていた。
「すいません、保健室へ行っていました」
ドアを開けるなりそう言うと、生物の先生は「そうか。大丈夫か?」と返事をした。大丈夫です、と返して席に着く。板書をノートに写しながら、先ほどの名前について考える。もう覚えたから書き出さなくても大丈夫。そう考えながら、作戦について思考を巡らす。どれもこれも、クラスと出席番号が分からないといけないけれど。
そう考えているうちに、授業終了のチャイムが鳴り響いた。

放課後。私は帰宅部なのだが、珍しく学校に残る。他の人達がいると邪魔なので、他の生徒は知らない隠し部屋のような教室に行った。そこで2年生の名簿を開いて、覚えた名前をくまなく探す。
「…ふぅん…出席番号…番の…へぇ…」
呟く声は私にしか聞こえない。その番号までセットで暗記して、私はその部屋を出る。そして、校長室に向かった。校長室の扉をノックして、返事があったので開ける。
三峰みつみね  りょうです」
「…座って」
私が名乗ると、校長先生は厳しい顔をした。
「例の件、保健医から聞きましたでしょうか」
「聞いているよ。それで…」
校長先生の話を途中で遮って、そのままだったらこう聞いてくるであろう言葉に返事をする。
「個人まで絞れました。今回の作戦には"親御さんの声"も使いたいので、住所を教えて頂けますか」
「…何年何組だ?」
「2年4組、6組、7組です。出席番号は…」
「…わかった。少し待っていてくれ」
低い声で返事をすると、立ち上がって職員室と繋がっているドアから出て行く。5分くらいして、4枚のコピーされたらしい紙が私の目の前に差し出された。
「これであっているか確認してくれ。作戦内容は、必ず私に報告するように」
「わかりました。ありがとうございます。…はい、あっています。それでは作戦内容ですが……」
私は簡単に10分程度で話した。校長先生も険しい顔をしていたが、私には口出し出来ない。私の親が理事長というわけでも、私が校長先生の弱みを握っているわけでもないのに。弱みといえば弱みなのだろうか。私は、この学校に借りを作っている。
「…わかった。親の声が録れたらもう一度報告してくれ。そうしたら実行の許可証を出そう」
「お願いします。では、これで失礼します」
席を立って、そのまま校長室を出て行く。そして手に入れた住所を調べて、地図アプリでマークする。時間的に、今日は集められそうにない。明日行こう。今回の犯人の親は専業主婦3人。午前中だけパートに入っている人が1人。なので、夕ご飯に影響しない時間が良いだろう。
午後に連絡を入れてから、それぞれの家に行った。部活の時間。子供は家にいない時間。それを狙って、私は1人ずつ話をしに行った。先生方が市内で行われる大きい会議に出る日を選んだ。話を終え、その録音データを家に持ち帰ってパソコンである程度の短さに切る。それを小型の機械に移し、私は作戦内容に必要な人材集めを始めた。といってもそんなに必要ない。放送委員の友達だけで、相馬そうま  あまねだけで良い。放送のやり方を教えて貰って、私とともに授業中に放送を始めてくれれば。周は悪知恵が働くし、悪戯好きだ。私が秘密裏に解決してきた他の事件の時も、少し協力を得ていたから信用もある。
今回の件も、二つ返事で了承を得られた。
さて、準備は整った。後は私と周が授業を1時間、サボれば良い。サボる気は無いが、結果的にサボったことになってしまうことはもう諦めた。私は似たようなことで何度も授業を休んでいるから。そのせいか、私のクラスは私がいないと何かが起こるのだろうな、と察するようになってしまったらしい。なんか申し訳ない。
朝のうちに2年生の机の中に手紙を入れておく。そして、担任の授業である時間を狙って、私と周は放送室に行く。休み時間に、バレないようにそっと。授業を告げるチャイムが鳴ってから5分。周が、放送開始のチャイムを鳴らす。
『授業中、失礼します』
ざわざわと、教室内で混乱している様子が見えた。周の綺麗な声が、校内に響き渡る。
『この時間を借りて、少し放送を行いたいと思います。今やっている授業は中断です。校長先生から許可は貰っています』
周が、私と放送を交代した。
『最近、この学園で脅迫現場を見ました』
声が変わり、唐突にこう述べたからか、どよめきが聞こえた。
『私は、その現場につい声をかけてしまいました。きっと、身に覚えがある人がいるでしょうね』
静かに、淡々と話す。
『私に見つかっても、今尚行われているその行為。許されますか?』
宗教のように、静かに、呟く。煩くなった教室の中で、一部の人にしか聞こえなさそうな声で。
『だから私は、その人たちの家に行って、母親と話をしてきました』
"は!?"と。そんな心の声が聞こえてきそうだと思いながら、私は次の言葉を考えた。いや、途中で考えを変え、何も言わずに録音音声を流した。
『…そんな…うちの子が…相手の子に…何て言えば…』
涙声混じりの女性の声。
『…信じられない…証拠まで…警察沙汰になっても、おかしくないわね…』
真剣なトーンの女性の声。
『…こんな事するなんて!あの子は人間をやめたのかしら!!』
少しヒステリックな、悲鳴のような女性の声。
『…ごめんなさい…私の教育が間違っていたのね…』
悲しそうな静かな女性の声。
これらの声が、学園中に響き渡る。勿論、声の主は あの先輩達の母親だ。最初は私のことを信じずに、嘘つき呼ばわりもされた。しかし録音と録画、被害者のケガの写真などで信じさせた。不登校になりかけていることも話した。そして、そのことを確認したいなら子供に何も言うなと釘を刺した。数日後に子供から話があるだろうから、と。信じて待てますよね?と諭して。
お陰で母親の録音データが手に入った。そして計画が崩れる可能性として、母親が子供に聞いてしまうのではないか、という心配があったが、先輩達の様子を見ても何も変わっていなかった。今日の朝も、彼がやられているのを見たため、確信した。母親に言われたのであったら、もっと酷くなったりしそうだと思っていた。しかし、それすらも変わっていなかった。だとすると、先輩達は何も言われていないのだろう。だから計画は、作戦は、狂わない。狂わせない。
『今の音声を聞いて自身の過ちに気付いたのなら、引き出しに入れておいた手紙の場所に来なさい』
私はその一言だけで終わらそうと思っていた。しかし、来ないかもしれないという予感が頭をよぎった。来なければ意味がない。少し呼吸を整えて、私はもう一度口を開く。
『もし来なければ、貴方のクラスに行く。覚悟しておきなさい』
終わりを告げるチャイムを鳴らす。わずか10分の出来事だった。しかし、どこのクラスもこの放送の後授業をする気にはなれなかったようで、呆然とするクラスが放送室の窓から見えた。
「…了って本当…怖いもの知らずというか何というか」
「周だって共犯扱いよ。1番目立つ放送を手伝ったんだもの。他は私1人でやったって言ったって信じてもらえないでしょうね」
「巻き込まれたの、あたし」
「好きでしょ、そういうの」
「超好き」
周が楽しそうに言う。私もつられて笑う。
さて、今日の放課後、南校舎西階段前に来るかしら。

私が行くと、もうすでに1人の生徒が来ていた。母親は涙声混じりの女性だったはず。
「あら、来て下さったんですね」
皮肉を交えて、目の前に笑顔で立つ。先輩は1人。いつも彼をいじめている時に1番喋らない人。1人だと何も出来ないのかオロオロしていた。
「そんなに緊張なさらないで下さい。こっちまで緊張します」
微塵も思っていないが、あくまで会話を続ける手段として、そんなことを言う。すると2人やって来た。
「…あら、あと1人はいらっしゃいませんの?」
「…アイツは、母親のことなんてどうでもいいって言って帰った」
「へぇ、良い度胸…してますわね」
私の声が少しだけ低くなる。目の前の先輩2人がびくりと震えたのがわかった。
「まぁこんなところで立ち話なんて面倒ですし、お入り下さいな。話は中で致します」
「…?中って…」
私は階段下の、細かく傷がついたところが13本重なった場所を押す。すると、がこんっという音を立てて、ドアが開いた。何もなかったはずの階段下から、私が触っただけでドアが現れる。このギミックには誰でも驚くだろう。私だって最初は驚いた。
「…さぁ早く、入って下さいな」
恐る恐る、さっき私にもう1人について教えてくれた先輩が入る。続いてもう1人、最後の1人と全員入った。1番最後に私が中に入って、ドアを閉める。校長室のようなソファに腰掛けるよう促して、私は向かいの椅子に座る。そして、私は睨みつけながら口を開いた。
「…皆さんは、反省してこちらにいらっしゃったの?それとも…」
「そうだ!」
私の言葉を遮って、さっきから1番話している先輩が言った。面倒だからこの人をA先輩とする。私より先に来た口数が少ない人をB先輩、さっきからきょろきょろしたり、私の様子を伺ってくる小柄な人をC先輩、そして今日来なかった人をD先輩とする。
A先輩は私に喋る暇も与えずに、話した。
「…イライラしていたんだ、最初にやった時。部活も上手くいかないし勉強も上手くいかない。親とも、友人ともだんだん険悪になっていく。なのに1年生は成長していって…怖かったんだ」
「…な、中でも、あいつが…1番上手くて、レギュラー取られるんじゃないかって…怖くて…!」
その後を継いで、C先輩が慌てたように話し出した。大体は分かったが、何かC先輩の動きが怪しい。私はそう思った。
「…反省しても、しきれないことは分かってます。でも、俺たちだって…苦しくて」
演技だ。私は唐突に、なぜか確信を持ってそう思った。C先輩は、演技をしている。私を騙そうとしている。私相手に、演技勝負とは強気なものだ。
「…それは、今の話で分かりました。いくら練習しても伸びない実力。それが気になって勉強にも手がつかない。お陰で成績も落ちて…親に怒られて、行き場のないモヤモヤ」
ならば、騙されたふりをしてやろうでは無いか。見破られたぼろぼろの仮面を貼り付けて笑っているお前の、その真っ黒な腹から腹わたを引きずり出してやる。
「…だからと言って、後輩に対する暴力や脅迫行為をするのは「分かってます!」
C先輩の叫び声のせいで、鼓膜が痛い。イラっとしたのを完璧に隠しながら、演技をする。
「…先輩方が、辛い思いをしてきたということは痛いほどに伝わりました。全校放送なんて手段に出てしまって、ごめんなさい。でも、私の話も聞いてください。彼が、どれだけ苦しい思いをしていたか」
そう前置きして、私は話す。事実を淡々と。それでいて、罪悪感を煽るように。そして、彼の言葉を少し隠すように。
「…苦しい思いをさせてしまっていたことを、改めて感じました。彼への申し訳なさでいっぱいです」
嘘つき。じゃあなんで謝罪するとか、治療費を負担するとか、そういう反省の言葉が出て来ないの。上辺だけの薄っぺらい反省じゃ、私は誤魔化されない。
「…はぁ…俺のせいで、こんな事になってしまって…俺が…」
「…お前だけじゃねぇよ!俺だって…」
C先輩とA先輩が自分を責め始めた。A先輩は事の大きさを理解し"自分たちが悪い"と考えているようだが、C先輩からはそれが感じられない。むしろ、私を騙せていると勘違いしている。おめでたい頭だ。私に目を付けられて、逃げられると思っている。
いい加減、うんざりだ。
「…それで?」
「…え?」
「それで、何するの?」
唐突に自分のことを責め始めたのは、上がりかけた口角を、苦しみで表情が歪んでいると錯覚させるためでしょう。誤魔化すためでしょう。
私は足を組んで、ソファにもたれかかる。冷めきった目で、拙い演技で私を騙そうとした大馬鹿者を見つめる。
「反省してるふりして、それで終わりだなんて言った覚えないんだけど」
先輩だから敬語を使え、とか思ってるだろうけどそんなの知ったことじゃない。他人を蹴落とすことを行動に出さなきゃストレスから逃げられない、子供みたいな思考の持ち主を敬う気なんてさらさらない。
「…言ったわよね、過ちに気付いたのならここに来なさいって。反省する気がないなら、分かってるわよね」
ぞくっと、背筋が凍るような笑顔。そう形容されてもおかしくない笑みを浮かべ、私は目の前の先輩を見つめる。先輩方の顔が、青ざめた。C先輩が下を向き、B先輩が目をそらした。かろうじてA先輩が口を開く。
「…ま、待ってくれ。反省してる…から」
「じゃあどうして彼に謝罪するという話が一度も出て来ないの?」
ぴしゃり、と言い放つ。私の言葉に、A先輩は言葉を失った。気付いたのだ。出るはずの反省を示す言葉が、重要な言葉が一度も出て来ていない事実に。
「…ねぇ、C先輩」
実際には名前を呼んでいるが、プライバシーは保護してやる。晒し者にしなかっただけ、感謝してほしい。
C先輩がびくびくとしながら私の方を見る。
「…は、はい」
この部屋に入って来た時とは違う、本当の怯え方。
あぁなんだ。もう終わり?もっとクズクズしく、馬鹿みたいに私を騙そうと演技を続けて、それを指摘してやりたかったのに。目の前で大笑いしてやりたかったのに。
そんなことを思いながら、まっすぐに見つめて口を開く。
「さっき自分のことを唐突に責め始めたわよね。下を向いて、唇を噛んで、抑えきれない自己嫌悪から自分の太腿をつねった。素人から見れば、本当に反省している素直な青年ってところかしら」
C先輩の瞳をとらえて、奥を覗く。恐怖に支配された瞳。奥で震える心。
「私を騙そうとして、楽しかった?」
私の言葉に、がたっと机が動いた。焦ったC先輩が蹴ったのだ。
「私相手に演技で誤魔化そうなんて、良い度胸してるじゃない。だから特別に騙されたふりをしてあげたのよ。唇を噛んだ理由が、上がった口角を隠すためだと知っていながらね」
C先輩が、私から目線を外すことが出来なくなっていた。青ざめた表情は、生気すら抜いてしまったみたいだ。私は立ち上がって、C先輩の目の前にしゃがむ。ソファに座っているC先輩の手をとって、なっこりと微笑む。
「反省させないと、ね?」
凍ったように動かなくなったC先輩と私のやりとりを見て、A先輩もB先輩も顔を真っ青にして怯えている。楽しくなってきた。
「それじゃあ、反省、始めましょうか」
それからのことは私の秘密にしておこうか。何をしたか気になる人にヒントを与えるとすれば、3人の顔が真っ青を通り越して白っぽくなり、震えながらふらふらとした足取りで帰っていった、とかだろうか。たまに悲鳴が上がっていたけれど、誰も知らない場所だし、防音っぽいし、大丈夫だろう。
そして、最後はD先輩のみとなった。

「了、流石に教室に行くのは…危なくない…?」
「呼んだところで来ないのよ?家に行ったって、あの母親ね。1番ヒステリックだった人だろうから、まぁ家庭でのストレスが原因ってとこでしょうね」
「そうかもね~でもさ、了」
「何?」
「危険になったら、逃げてよ?」
周の心配そうな声。久々に聞いた気がした。
「私を誰だと思ってるの、周」
私はそう言って笑った。ドアを開けた瞬間、ひんやりとした風が私の髪を揺らす。周の表情をはっきりとは見なかった。私なりの線引き。私と彼女との、踏み込んではいけない線引き。
幼少期から弁護士の父親が色々な冤罪事件を解決する姿をずっと見てきた。父親自身も何度か巻き込まれ、それを母親が解決したところを見てきた。事件の裏の公表されない汚いどろどろした部分まで見てきた。ずっと、ずっとこの目で。そして記憶した。そして両親の罪を暴いて、刑務所に葬った。犯罪者の娘として扱われることは気にしなかった。実際に言われなかった。だって解決したのは私。私が犯罪を犯せば「蛙の子は蛙」とでも言われるのだろうが、そんなこと言わせない。私は罪を解決する側にいたい。解決する快楽に溺れているのだから。犯人が、加害者が、私の正論に、演技に、私自身に勝てないと気付いて呆然とする姿が好きだから。その姿を見る楽しさから、もう抜けられないから。何年も前から自覚している、私の常識離れした気持ち悪いところ。それでもやめられない。先生を、校長を、大人を手玉にとって勝利を掴むことが私の記憶に刻み込まれている。周すら知り尽くせない奥深い私の闇は、今、静かに顔を出す。
「すいません、D先輩はいらっしゃいますか」
ドアを開けて、知らない上級生に話しかける。上履きの色と性別を見て不思議がっていたが、呼んでもらえた。
「…なんですか」
ぶっきらぼうに、D先輩は言う。見慣れた姿に聞き慣れた声。私のクラスメイトに対して酷いことをし続けた奴らのリーダー。私は微笑んで、D先輩の耳元で音量マックスの録音機を再生した。
「っるさっ…!!」
D先輩が慌てて耳を塞ぐが、最大音量の声が聞こえて、クラスメイトが気付かないわけがない。クラスの注目が一瞬、こちらに向いた。私の持っている録音機に。
『ママぁ、僕、1年生にレギュラーとられそうなんだぁ…』
『あらあら、大丈夫よ。Dくんはとっても良い子だから、きっと神様も見てくださるわ』
甘えたようなD先輩の声。ざわざわとクラス中が騒ぎ始める。D先輩が、私が何を再生しているかに気付き、顔を真っ赤に染める。それを見て、私は別のデータを再生する。普段の先輩からは想像出来ない母親に甘える小学生のような言葉。D先輩が激昂してひったくろうとするのをかわしながら、いくつか再生し終わった後、ある音声を再生する。
『ごめんなさい…ごめんなさい…!僕が…僕が生きてるから…!ごめんなさい…!』
嗚咽混じりの涙声。生々しい暴力を振られている音。さっきまでの甘えた声とは違う、痛々しい声。
D先輩はその音声を聞いて、呆然とする。手から力が抜けた瞬間を私は見逃さない。D先輩の服を一瞬で捲り上げる。青紫に染まった白い肌。最近のものと思われる傷が見えて、正直グロい。
「…ッやめろよ…ッ!!」
私の手を振り払って肌を隠すが、もう遅い。クラスメイトの注目を浴びている中で、あんな証拠とも言える傷だらけの肌を晒したら、噂なんて一瞬で広まる。
「…甘えないと、いつまでも少年のように振る舞わないと激昂する母親。怒らせるのが怖くて、反抗したくても出来なくて、ずるずると成長したことを隠した先輩。それにストレスも重なって、行き場のなくなった痛み」
伸びた前髪の隙間から、D先輩の顔を見る。顔を真っ青に染めて、震えている。それは私に対する恐怖心か、それともバレたことが怖いのか、私にはわからない。
「…相談して、母親が針のむしろのような目線に晒さられるが怖かった。自分さえ我慢していれば、ってずっと思っていた。けれど行き場のなくなったストレスに耐えられなくなってきたとき、大丈夫ですかって声をかけられた」
「…っめろ…」
「声の主は自分からレギュラーを奪いそうなくらい上手い後輩。先輩は思わず、殴ってしまった。ストレスのはけ口にするように、何度も…何度も」
「やめろ…ッ…!!」
D先輩が頭を掻きむしって、嗚咽を吐く。よろけて机にぶつかったあと、力が抜けたようにしゃがみ込んだ。
「貴方が彼にしたことは許されることじゃない。でも、償うことは出来る」
私はD先輩の前髪を横に流す。涙で濡れた瞳が、太陽の光を反射してきらきらした。
「彼、知ってたんだよ。だから公になることを拒んだ。まぁ、私に知られた時点でそれは無理だったんだけど。先輩と同じで、耐えられなくなってきたから休むようになった。彼は家に逃げられたけど、先輩は家が原因だから逃げられなかった」
ぼろぼろと、D先輩は涙をこぼす。私はそれを指先で拭う。
「先輩」
私は、D先輩に手を差し出す。D先輩が私を見上げて、戸惑ったような表情を浮かべた。私はその表情をまっすぐ見つめて、にっと笑った。いつもの冷たいものじゃない、太陽みたいな笑顔を意識して。
「一緒に、立ち直ろう」
お母さんと、という言葉は飲み込んだ。今思い出させたら、無理だって躊躇ってしまうかもしれなかったから。
D先輩は涙を拭って私の手を取った。それから、久しぶりに表情を緩めて、心の底から笑った。
私はD先輩の手を引っ張り上げて、立たせる。
「まずは保健室に相談ね。あの先生、心理カウンセラーの資格も持ってるから大丈夫よ。私もよく保健室にいるから、少しずつで良いからお話ししましょう。お母さんも、一緒に」
びくっと、D先輩が震えたのがわかった。だから私は、D先輩の手を一回ぎゅっと握った。それだけで、D先輩は落ち着いたようだった。
「うん、頑張る」
そう言って笑ったD先輩に、涙で真っ赤な目を洗ってくるように言うと、素直に従った。廊下に行ったのを見てから、教室の方を見る。
「巻き込んでしまって申し訳ありませんでした。不器用な人には、これくらいのショック療法でないと効かなさそうだったので。D先輩が立ち直れるよう、サポートして頂けると嬉しいです」
それでは、とお辞儀をして廊下に出て行く。D先輩のクラスは明るくてノリが良いので、多分大丈夫。支えてくれる人として、適任だと思う。私は水道のD先輩を保健室に連れて行き、クラスに戻った。
「了!」
クラスの扉を開けた瞬間、周が胸に飛び込んできた。慌てて支えたので、よろける程度で済んだ。
「了、無茶しすぎだよ…っ!」
泣きそうな顔をして、周が言う。胸をどんどんと叩かれて、周の痛みを感じる。
「…うん、ごめんね」
私は周の頭を撫でる。クラスを超えて、学年を超えて、噂になっている私の行動。問題扱いされてもおかしくないほどに、学校中を巻き込んだ行動。もう私の存在が知られても不思議ではない。
ならばいっそ、利用してやろうか。
私の知名度と、解決することに快楽を覚えるこの性癖を利用して、学校を守ることが出来るのなら。
「…ねぇ周。周って帰宅部よね?」
「そうだよ?」
きょとんとした顔で、周は私を見つめる。私は周の頭を撫でながら、今思いついたことを話す。
「ねぇ、一緒に部活を作らない?学校で起こる問題を解決する部活」
その名も、と一呼吸おく。
そして、そのまま何も考えずに言葉を紡ぐ。
「"防犯部"とか!」
私の言葉に最初は不思議そうな顔をしていた周が、次第に表情を明るくしていった。そして、うん、と元気な返事をしてくれた。私を元気づける、きらきらした笑顔で。
「楽しみだなぁ」
ちらっと時計を見ると、授業開始の13時50分を過ぎていた。
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