婚約者と運命の花

逢坂積葉

文字の大きさ
8 / 22
第二章 ヴィオレット

第三話

しおりを挟む
 アルシェがマリエルの言い分を信じてしまったのは、私のせいかもしれない。
 私がいつも自分の意見をぶつけていたから、アルシェは声高に主張されるものをそのまま受け入れるようになってしまったのかもしれない。
 昨日は、その場で二人と別れて一人で家に帰った。
 陥れられたこと、誤解されたこと、そして逃げ帰ってしまった自分にも悔しさが込み上げてくる。

 体調が悪いと言って学校を休んで寝ていると、アニエスが訪ねてきてくれた。

「ヴィオレット大丈夫? ひどい顔してるよ」

「うん、ありがとう」

 お菓子を食べながら、二人でお茶を飲む。

「その顔、あのマリエルのせいなんでしょ。情報手に入ったよ」

 アニエスが神妙な面持ちで話し始めた。

「彼女、休学してるって話だけど、どうやら同級生とうまくいかなくなったからみたい」

「うまくいかなくなった?」

「うん。それで休学して留年するみたいなんだけど」

 どういうこと? と私は尋ねる。

「なんか同級生の男を取った取らないで揉めたらしくて」

 なんとなく想像がついてしまったが、私はカップを置いて、

「でも、それならマリエルだけが悪いってこともないんじゃないの」

 と、口を挟む。
 マリエルの相手をしていた男にも責任はあるはずだ。

「まぁね。でも、それが一人二人じゃないらしくて、婚約者に近付かれた女の子の親がさすがにって学校に怒鳴り込んできたみたいで」

「それはまた」

「でも、マリエルの方は誤解だって言って。しかも!」

 アニエスが語気を強めて、

「男の方もマリエルは悪くないって庇ったらしいのよ!」

 と、忌々しげに言う。

「実際、マリエルがあからさまな言動で誘ったりとかではないみたいなんだけど。誘惑じゃなくて誘導というか、男の方から構ってくるように仕向ける感じで」

 確かにマリエルには守ってあげたくなる雰囲気があるし、勝手になんとかしてあげたいと思って世話を焼いてしまうのかもしれない。

「それで、巻き込まれた子を中心に、あの学年の子たちはみんなマリエルのことを遠巻きにするようになったんだけど。それで自主休学というか、学校側からもそうするように勧められたみたい」

「アルシェはそのことを知らないのかな」

「そうだと思う」

 二人揃ってため息をつく。

「早くアルシェに話して、誤解も解かないと」

 アニエスにはまた報告すると言って、早々にアルシェの家に行くことにした。


「誤解なんだよ」

 そう言ったのはアルシェの方だ。

「同級生とトラブルになったのは知ってるよ。でも、マリエルが悪いわけじゃないんだ」

「でも、それはマリエルから聞いただけなんでしょ」

 簡単に話が進められると思っていた私は、アルシェの予想外の言動に焦ってしまった。

「いや、当事者の後輩に聞いたんだけど、自分がマリエルを手伝ってたのを彼女に誤解されたって言ってて」

「いや、だからそれはマリエルがそうさせたというか」

「ヴィオレット」

 アルシェが静かだけど有無を言わさない口調で私の名前を呼ぶ。

「マリエルがうちで働くことになったのも、俺から誘ったんだよ。マリエルに頼まれたからじゃない。それに、そう提案してくれたのはヴィオレットじゃないか」

 それは、そうだけど。
 あのときは確かに、困ってるなら助けてあげればいいと思った。
 でも、マリエルのことを知ってたら、そんなこと言わなかった。

「ヴィオレットが気になるなら、帰りは別々に送っていくよ。ごめんね」

 アルシェの的外れなセリフにめまいがしそうになる。
 わがままを言う私を宥めるようなアルシェ。

「⋯⋯私のことは送ってくれなくていい」

「え、でも」

「大丈夫だから」

 それだけ言うのが精一杯で、私は唇を噛んで涙をこらえながら家に帰った。
 アルシェには、私が嫉妬からこんなことを言い出したと思われてるんだろう。
 辛い。
 悔しい。
 ⋯⋯でも。
 マリエルには会いたくないけど、お店の仕事もお客さんのことも好きだ。
 アルシェもきっとそのうちわかってくれるはずだから。
 とにかく私は彼女と関わらないようにすればいい。

 それからマリエルとは仕事をする上で必要なときにだけ話して、あとはできるだけ避けるようにしていた。
 アルシェは心配そうに見ていたが、何も言ってこない。
 それに卒業直前だからか忙しそうで、彼がお店に出る回数自体も減っていた。
 このまま春になれば、また前みたいな日々が戻ってくる。
 マリエルさえいなくなれば。
 そう思っていた。

 それは、学校が終わっていつもより早い時間に仕事に向かっていた日のこと。
 お店の開いた窓の横を通ったときに、中で行われている会話が、とぎれとぎれに聞こえてきたのだ。
 カーテンは閉まっているので、向こうから私のことは見えていないのだろう。
 お客さんが、私のことを話していた。

「⋯⋯のとき⋯ヴィオレットちゃんは⋯⋯過ぎ⋯⋯、女王様みたいで」

「⋯⋯そう⋯⋯睨まれてるのかと⋯⋯って」

「きつい印象⋯⋯」

 そんな声が聞こえてきて、サッと血の気が引く。

「⋯⋯から、マリエルちゃん⋯⋯大丈夫だよ」

 私は急いで店から離れた。
 呼吸が乱れる。
 体中が冷えていく。
 どうしよう。
 これからあの場所に行かないと。
 大丈夫。
 まだ時間はある。
 きっとすぐに落ち着く。
 自分に言い聞かせるようにして建物の陰で休んでいると、

「どうしました?」

 声をかけられた。
 顔を上げると、眼鏡の男の人が心配そうにこちらを見ている。

「顔、真っ青ですよ」

「あ、ちょっと貧血みたいで。少し休めば大丈夫です」

「あそこの店員さんですよね。お店の人呼んできますね」

 私のことを知ってるみたいだ。
 でも、それは困る。

「大丈夫です!」

 慌てて引き止めた。

「え、でも⋯⋯」

 男の人は、どうしようかと思案している。
 そのとき幸運なことに、道の向こうからアニエスが歩いてくるのが見えた。

「あ、身内の者が来ましたので、大丈夫です。ありがとうございました」

 アニエスの方もこちらに気付いて駆け寄って来てくれたので、男の人は、

「よかった」

と、言ってから彼女に会釈すると、入れ違いに離れていく。

「ヴィオレット大丈夫!? さっきの誰!? 何かあった!?」

「あの人は、心配して声かけてくれて⋯⋯」

 アニエスの顔を見たら、こらえきれずに涙があふれてきた。

「⋯⋯私、今日お店、休ませてもらおうかな」

「それがいいわよ! 待って、私言ってくるから!」

 アニエスは理由も聞かずにすごい速さでお店に入っていくと、しばらくして同じ勢いのまま戻ってきてくれる。

「お店は大丈夫だからゆっくり休んでって! アルシェさんが来そうだったけど止めといた!」

 よかった。
 今はあのお店の誰にも会いたくない。

「アニエスありがとう」

「ヴィオレットのためならなんでもやるわよ!」

 頼もしい年下の従姉妹に少し元気が出てきた。
 支えられるようにして家に帰ると、アニエスも一緒に部屋までついてきてくれる。

「ヴィオレット、何があったの?」

「お客さんが⋯⋯、私のこと女王様みたいだとか、睨まれてるとか、きついって言ってるのが聞こえて⋯⋯」

 自分の部屋に帰ってきたことで安心したら、よどんだ記憶がそのまま、ぽろぽろと言葉になってこぼれていった。

「何よそれ!!」

 アニエスがこちらが驚くほどの剣幕で怒り出す。

「どうせまたマリエルに言わされてるのよ!」

「でも、そう思われてるんだよね⋯⋯」

 お客さんと仲良くできてると思ってたのは、私の勘違いだった。
 確かに自分の見た目が怖い印象を与えることはわかってたけど、何年も接してきたお客さんに言われたのはショックだった。

「お店辞めてもいいんじゃない?」

 アニエスが気遣ってくれるが、私は首を振る。

「でも、あと少ししたらマリエルも学校に戻るし、お客さんとももっとちゃんとした関係を築けるようにがんばりたい」

 何より、卒業してもアルシェが迷ったときに背中を押せる関係でいたい。
 まだ、そう思っていた。

「無理はしないでね。私はヴィオレットの味方だから!」

 アニエスが力強く言ってくれる。
 私は泣きながら頷いた。
しおりを挟む
感想 8

あなたにおすすめの小説

さようならの定型文~身勝手なあなたへ

宵森みなと
恋愛
「好きな女がいる。君とは“白い結婚”を——」 ――それは、夢にまで見た結婚式の初夜。 額に誓いのキスを受けた“その夜”、彼はそう言った。 涙すら出なかった。 なぜなら私は、その直前に“前世の記憶”を思い出したから。 ……よりによって、元・男の人生を。 夫には白い結婚宣言、恋も砕け、初夜で絶望と救済で、目覚めたのは皮肉にも、“現実”と“前世”の自分だった。 「さようなら」 だって、もう誰かに振り回されるなんて嫌。 慰謝料もらって悠々自適なシングルライフ。 別居、自立して、左団扇の人生送ってみせますわ。 だけど元・夫も、従兄も、世間も――私を放ってはくれないみたい? 「……何それ、私の人生、まだ波乱あるの?」 はい、あります。盛りだくさんで。 元・男、今・女。 “白い結婚からの離縁”から始まる、人生劇場ここに開幕。 -----『白い結婚の行方』シリーズ ----- 『白い結婚の行方』の物語が始まる、前のお話です。

お母様!その方はわたくしの婚約者です

バオバブの実
恋愛
マーガレット・フリーマン侯爵夫人は齢42歳にして初めて恋をした。それはなんと一人娘ダリアの婚約者ロベルト・グリーンウッド侯爵令息 その事で平和だったフリーマン侯爵家はたいへんな騒ぎとなるが…

望まぬ結婚をさせられた私のもとに、死んだはずの護衛騎士が帰ってきました~不遇令嬢が世界一幸せな花嫁になるまで

越智屋ノマ
恋愛
「君を愛することはない」で始まった不遇な結婚――。 国王の命令でクラーヴァル公爵家へと嫁いだ伯爵令嬢ヴィオラ。しかし夫のルシウスに愛されることはなく、毎日つらい仕打ちを受けていた。 孤独に耐えるヴィオラにとって唯一の救いは、護衛騎士エデン・アーヴィスと過ごした日々の思い出だった。エデンは強くて誠実で、いつもヴィオラを守ってくれた……でも、彼はもういない。この国を襲った『災禍の竜』と相打ちになって、3年前に戦死してしまったのだから。 ある日、参加した夜会の席でヴィオラは窮地に立たされる。その夜会は夫の愛人が主催するもので、夫と結託してヴィオラを陥れようとしていたのだ。誰に救いを求めることもできず、絶体絶命の彼女を救ったのは――? (……私の体が、勝手に動いている!?) 「地獄で悔いろ、下郎が。このエデン・アーヴィスの目の黒いうちは、ヴィオラ様に指一本触れさせはしない!」 死んだはずのエデンの魂が、ヴィオラの体に乗り移っていた!?  ――これは、望まぬ結婚をさせられた伯爵令嬢ヴィオラと、死んだはずの護衛騎士エデンのふしぎな恋の物語。理不尽な夫になんて、もう絶対に負けません!!

旦那様、離婚しましょう ~私は冒険者になるのでご心配なくっ~

榎夜
恋愛
私と旦那様は白い結婚だ。体の関係どころか手を繋ぐ事もしたことがない。 ある日突然、旦那の子供を身籠ったという女性に離婚を要求された。 別に構いませんが......じゃあ、冒険者にでもなろうかしら? ー全50話ー

【完結】捨てた女が高嶺の花になっていた〜『ジュエリーな君と甘い恋』の真実〜

ジュレヌク
恋愛
スファレライトは、婚約者を捨てた。 自分と結婚させる為に産み落とされた彼女は、全てにおいて彼より優秀だったからだ。 しかし、その後、彼女が、隣国の王太子妃になったと聞き、正に『高嶺の花』となってしまったのだと知る。 しかし、この物語の真相は、もっと別のところにあった。 それを彼が知ることは、一生ないだろう。

【完】まさかの婚約破棄はあなたの心の声が聞こえたから

えとう蜜夏
恋愛
伯爵令嬢のマーシャはある日不思議なネックレスを手に入れた。それは相手の心が聞こえるという品で、そんなことを信じるつもりは無かった。それに相手とは家同士の婚約だけどお互いに仲も良く、上手くいっていると思っていたつもりだったのに……。よくある婚約破棄のお話です。 ※他サイトに自立も掲載しております 21.5.25ホットランキング入りありがとうございました( ´ ▽ ` )ノ  Unauthorized duplication is a violation of applicable laws.  ⓒえとう蜜夏(無断転載等はご遠慮ください)

婚約破棄ブームに乗ってみた結果、婚約者様が本性を現しました

ラム猫
恋愛
『最新のトレンドは、婚約破棄!  フィアンセに婚約破棄を提示して、相手の反応で本心を知ってみましょう。これにより、仲が深まったと答えたカップルは大勢います!  ※結果がどうなろうと、我々は責任を負いません』  ……という特設ページを親友から見せられたエレアノールは、なかなか距離の縮まらない婚約者が自分のことをどう思っているのかを知るためにも、この流行に乗ってみることにした。  彼が他の女性と仲良くしているところを目撃した今、彼と婚約破棄して身を引くのが正しいのかもしれないと、そう思いながら。  しかし実際に婚約破棄を提示してみると、彼は豹変して……!? ※『小説家になろう』様、『カクヨム』様にも投稿しています

裏切られた令嬢は、30歳も年上の伯爵さまに嫁ぎましたが、白い結婚ですわ。

夏生 羽都
恋愛
王太子の婚約者で公爵令嬢でもあったローゼリアは敵対派閥の策略によって生家が没落してしまい、婚約も破棄されてしまう。家は子爵にまで落とされてしまうが、それは名ばかりの爵位で、実際には平民と変わらない生活を強いられていた。 辛い生活の中で母親のナタリーは体調を崩してしまい、ナタリーの実家がある隣国のエルランドへ行き、一家で亡命をしようと考えるのだが、安全に国を出るには貴族の身分を捨てなければいけない。しかし、ローゼリアを王太子の側妃にしたい国王が爵位を返す事を許さなかった。 側妃にはなりたくないが、自分がいては家族が国を出る事が出来ないと思ったローゼリアは、家族を出国させる為に30歳も年上である伯爵の元へ後妻として一人で嫁ぐ事を自分の意思で決めるのだった。 ※作者独自の世界観によって創作された物語です。細かな設定やストーリー展開等が気になってしまうという方はブラウザバッグをお願い致します。

処理中です...