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第二章 ヴィオレット
第四話
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アニエスが帰宅して、夕食の後部屋でぼんやりしていると母に来客を告げられた。
「こんにちは、ヴィオレットさん」
「マリエル⋯⋯」
「体調はどうですか?」
不気味なくらいに満面の笑みのマリエルが立っていて、押されるように後ずさってしまう。
「そんなに怯えないでくださいよ」
「⋯⋯体調はもう大丈夫よ。お店に迷惑をかけてごめんなさい」
「全然問題なかったですよ。私ウェイトレスも向いてるのかも」
先ほどのお客さんの言葉が思い出されて、また苦い気持ちになった。
「私ヴィオレットさんに教えてあげたいことがあって来たんです。少し時間もらえますか」
マリエルの笑みが不敵なものに変わる。
なんなんだろう。
今日お客さんが言ってたことだろうか。
わざわざそんなことを教えてもらいたいなんて思わない。
警戒する私に気付いたのか、マリエルがさらに言い募る。
「ヴィオレットさんも知りたいと思いますよ。アル先輩のことですから」
私は仕方なく、家の近くの道端で話を聞くことにした。
家に入れて、後から事実を捻じ曲げられたくなかったので、他人の目のある場所がよかったのだ。
それに、私もそれなりに気が立ってしまっている。
人に見られていれば、取り乱さずに済むような気がした。
「ヴィオレットさん、アル先輩のこと解放してあげたらどうですか」
外へ出て、開口一番マリエルがそう言った。
「⋯⋯何?」
「アル先輩、ヴィオレットさんには話してないんですよね」
わけ知り顔のマリエルにどんどん苛々が募っていく。
「この前からなんなの?」
その苛立ちを隠すことなくぶつけてみれば、
「アル先輩、本当は魔法の勉強がしたいんですよ」
あまりにも思いがけない答えが返ってきた。
「⋯⋯魔法?」
アルシェが、魔法の勉強をしたがってる?
あまりに唐突な内容に虚を衝かれる。
これまでそんな話は一度も聞いたことがなかった。
「でもヴィオレットさんとの約束があったから、お店を継ぎたいってことにしてたんですよ」
マリエルの言葉に、幼いときの約束が思い出される。
『アルシェが料理を作って、私が運ぶね。ずーっとそうしようね』
「そんなこと⋯⋯」
言いかけて、
『ヴィオレット、僕、店を継いでいいと思う?』
また、記憶が蘇る。
あのときアルシェは本当に迷ってたんだ。
魔法の勉強がしたくて、私にあんなこと聞いてきたんだ。
「⋯⋯私、アルシェはお店を継ぎたいんだと思って」
「ヴィオレットさんは背中を押す振りをして、願望を押し付けて、自分が進ませたい方に無理やり向かわせてただけなんですよ。自分の夢もないくせに、アル先輩にまとわりついて」
マリエルの言葉が突き刺さる。
アルシェの夢を応援してるつもりだったのに、私が邪魔していたんだろうか。
力が抜けて座り込みそうになるのを、なんとか耐える。
「マリエル、教えてくれてありがとう⋯⋯」
なけなしの力を振り絞ってそう返すが、マリエルは、ふんと鼻を鳴らした。
「教えてあげたいのはそれだけじゃないんですよ」
マリエルの酷薄な笑み。
「ヴィオレットさん、運命の花って知ってますか?」
脈絡のない質問に戸惑いながらも、操られるように記憶から浮かび上がってくる。
確か、魔法学校の卒業記念品だったと思う。
自分が咲かせた花が、自分の運命を教えてくれる。
そんな風に言われていたはずだ。
それがなぜ今マリエルの口から語られるのだろう。
「⋯⋯知ってるけど、それが何?」
「私の兄が魔法学校の卒業が決まったので、持って帰ってきたんです」
マリエルが何を言いたいのかわからない。
ただ、嫌な予感に胸がざわつき始める。
「それを兄に頼んで譲ってもらったんですよ」
「⋯⋯それで?」
必死に声が震えないようにしたが、マリエルにはとっくに胸のうちを悟られているんだろう。
「アル先輩に咲かせてもらったんです」
マリエルがこんなにも勝ち誇ったような顔をしているのだから、結果はわかりきっていた。
そして彼女の口が予想通りの言葉を吐く。
「スズランの花が咲いたんですよ」
心が抉られたような気がして息が詰まった。
思わず、マリエルの胸元で揺れるスズランの花を引きちぎりたい衝動にかられる。
「私がアル先輩の運命の人なんですよ」
追い打ちをかけるようなマリエルの声。
「でも、アル先輩優しいから、ヴィオレットさんに言い出せないみたいで」
頭が割れそうだ。
吐き気がする。
「わかった。ありがとう」
自分の意志とは関係なく口が動いて、マリエルに背を向ける。
これ以上もう何も聞きたくなかった。
なのに。
振り向いた先に、こちらに駆け寄ってくるアルシェの姿が見えた。
「アル先輩」
マリエルが呼ぶ。
不安そうな震える声。
私が間違っていたんだろうか。
どうすればずっとアルシェと一緒にいられたんだろう。
アルシェは困ったような顔で、私とマリエルを見ている。
心のどこかではまだ期待していたのかもしれない。
アルシェがわかってくれるんじゃないかって。
「アルシェ」
名前を呼ぶ。
「ヴィオレットごめん。ちゃんと話さなきゃって思ってたんだけど」
ただ、立ってるだけなのに息がうまくできない。
苦しい。
苦しい。
それでも、アルシェが本当にやりたいことを見つけられたのならよかったと思いたかった。
けど、目の端に薄っすらと笑うマリエルが映って。
それで、気が付いてしまった。
あぁ、そうか。
そうなんだ。
今度は、マリエルに決めてもらったんだ。
アルシェは私のことを信頼して、聞いてくれてたんじゃなかったんだ。
優柔不断な自分の背中を押してくれる人なら誰でも良かったんだ。
これからはマリエルがアルシェに道を教えてあげる。
ただ、それだけ。
「私帰るね」
その場から逃げ出して、それからの記憶がない。
気が付いたら自分の部屋のベッドで寝ていて、起きたら二日経っていた。
どうやらあの後熱を出して寝込んでいたらしい。
目は覚めたけど、しばらく頭痛が治らなかった。
母に頼んで店を辞めた。
無作法な気もしたが、マリエルにもアルシェにもお客さんにも会いたくなかった。
私が寝ている間にアニエスが話をしてくれていたようで、母がそれについて何か言ってくることはなかった。
店を辞めたことで卒業後の行く先がなくなってしまった私を心配して、伯父さんが所長を務める研究所で秘書として雇ってもらえることになった。
それから、残りの学校生活をなんとかこなして卒業の日を迎えた。
何も越えられないまま、
時間だけは勝手に過ぎていく。
そして──、
あのとき待ちわびていた、春が来た。
「こんにちは、ヴィオレットさん」
「マリエル⋯⋯」
「体調はどうですか?」
不気味なくらいに満面の笑みのマリエルが立っていて、押されるように後ずさってしまう。
「そんなに怯えないでくださいよ」
「⋯⋯体調はもう大丈夫よ。お店に迷惑をかけてごめんなさい」
「全然問題なかったですよ。私ウェイトレスも向いてるのかも」
先ほどのお客さんの言葉が思い出されて、また苦い気持ちになった。
「私ヴィオレットさんに教えてあげたいことがあって来たんです。少し時間もらえますか」
マリエルの笑みが不敵なものに変わる。
なんなんだろう。
今日お客さんが言ってたことだろうか。
わざわざそんなことを教えてもらいたいなんて思わない。
警戒する私に気付いたのか、マリエルがさらに言い募る。
「ヴィオレットさんも知りたいと思いますよ。アル先輩のことですから」
私は仕方なく、家の近くの道端で話を聞くことにした。
家に入れて、後から事実を捻じ曲げられたくなかったので、他人の目のある場所がよかったのだ。
それに、私もそれなりに気が立ってしまっている。
人に見られていれば、取り乱さずに済むような気がした。
「ヴィオレットさん、アル先輩のこと解放してあげたらどうですか」
外へ出て、開口一番マリエルがそう言った。
「⋯⋯何?」
「アル先輩、ヴィオレットさんには話してないんですよね」
わけ知り顔のマリエルにどんどん苛々が募っていく。
「この前からなんなの?」
その苛立ちを隠すことなくぶつけてみれば、
「アル先輩、本当は魔法の勉強がしたいんですよ」
あまりにも思いがけない答えが返ってきた。
「⋯⋯魔法?」
アルシェが、魔法の勉強をしたがってる?
あまりに唐突な内容に虚を衝かれる。
これまでそんな話は一度も聞いたことがなかった。
「でもヴィオレットさんとの約束があったから、お店を継ぎたいってことにしてたんですよ」
マリエルの言葉に、幼いときの約束が思い出される。
『アルシェが料理を作って、私が運ぶね。ずーっとそうしようね』
「そんなこと⋯⋯」
言いかけて、
『ヴィオレット、僕、店を継いでいいと思う?』
また、記憶が蘇る。
あのときアルシェは本当に迷ってたんだ。
魔法の勉強がしたくて、私にあんなこと聞いてきたんだ。
「⋯⋯私、アルシェはお店を継ぎたいんだと思って」
「ヴィオレットさんは背中を押す振りをして、願望を押し付けて、自分が進ませたい方に無理やり向かわせてただけなんですよ。自分の夢もないくせに、アル先輩にまとわりついて」
マリエルの言葉が突き刺さる。
アルシェの夢を応援してるつもりだったのに、私が邪魔していたんだろうか。
力が抜けて座り込みそうになるのを、なんとか耐える。
「マリエル、教えてくれてありがとう⋯⋯」
なけなしの力を振り絞ってそう返すが、マリエルは、ふんと鼻を鳴らした。
「教えてあげたいのはそれだけじゃないんですよ」
マリエルの酷薄な笑み。
「ヴィオレットさん、運命の花って知ってますか?」
脈絡のない質問に戸惑いながらも、操られるように記憶から浮かび上がってくる。
確か、魔法学校の卒業記念品だったと思う。
自分が咲かせた花が、自分の運命を教えてくれる。
そんな風に言われていたはずだ。
それがなぜ今マリエルの口から語られるのだろう。
「⋯⋯知ってるけど、それが何?」
「私の兄が魔法学校の卒業が決まったので、持って帰ってきたんです」
マリエルが何を言いたいのかわからない。
ただ、嫌な予感に胸がざわつき始める。
「それを兄に頼んで譲ってもらったんですよ」
「⋯⋯それで?」
必死に声が震えないようにしたが、マリエルにはとっくに胸のうちを悟られているんだろう。
「アル先輩に咲かせてもらったんです」
マリエルがこんなにも勝ち誇ったような顔をしているのだから、結果はわかりきっていた。
そして彼女の口が予想通りの言葉を吐く。
「スズランの花が咲いたんですよ」
心が抉られたような気がして息が詰まった。
思わず、マリエルの胸元で揺れるスズランの花を引きちぎりたい衝動にかられる。
「私がアル先輩の運命の人なんですよ」
追い打ちをかけるようなマリエルの声。
「でも、アル先輩優しいから、ヴィオレットさんに言い出せないみたいで」
頭が割れそうだ。
吐き気がする。
「わかった。ありがとう」
自分の意志とは関係なく口が動いて、マリエルに背を向ける。
これ以上もう何も聞きたくなかった。
なのに。
振り向いた先に、こちらに駆け寄ってくるアルシェの姿が見えた。
「アル先輩」
マリエルが呼ぶ。
不安そうな震える声。
私が間違っていたんだろうか。
どうすればずっとアルシェと一緒にいられたんだろう。
アルシェは困ったような顔で、私とマリエルを見ている。
心のどこかではまだ期待していたのかもしれない。
アルシェがわかってくれるんじゃないかって。
「アルシェ」
名前を呼ぶ。
「ヴィオレットごめん。ちゃんと話さなきゃって思ってたんだけど」
ただ、立ってるだけなのに息がうまくできない。
苦しい。
苦しい。
それでも、アルシェが本当にやりたいことを見つけられたのならよかったと思いたかった。
けど、目の端に薄っすらと笑うマリエルが映って。
それで、気が付いてしまった。
あぁ、そうか。
そうなんだ。
今度は、マリエルに決めてもらったんだ。
アルシェは私のことを信頼して、聞いてくれてたんじゃなかったんだ。
優柔不断な自分の背中を押してくれる人なら誰でも良かったんだ。
これからはマリエルがアルシェに道を教えてあげる。
ただ、それだけ。
「私帰るね」
その場から逃げ出して、それからの記憶がない。
気が付いたら自分の部屋のベッドで寝ていて、起きたら二日経っていた。
どうやらあの後熱を出して寝込んでいたらしい。
目は覚めたけど、しばらく頭痛が治らなかった。
母に頼んで店を辞めた。
無作法な気もしたが、マリエルにもアルシェにもお客さんにも会いたくなかった。
私が寝ている間にアニエスが話をしてくれていたようで、母がそれについて何か言ってくることはなかった。
店を辞めたことで卒業後の行く先がなくなってしまった私を心配して、伯父さんが所長を務める研究所で秘書として雇ってもらえることになった。
それから、残りの学校生活をなんとかこなして卒業の日を迎えた。
何も越えられないまま、
時間だけは勝手に過ぎていく。
そして──、
あのとき待ちわびていた、春が来た。
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