男女比5対1の女尊男卑の世界で子供の頃、少女を助けたら「お嫁さんになりたい!」と言って来た。まさか、それが王女様だったなんて……。

楽園

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15話 地下書庫の密会

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(アルト視点)
 
 翌日の放課後。
 俺は、囚人のような重い足取りで、図書館の地下階段を下りていた。
 カビ臭い冷気が、足元から這い上がってくる。
 それでも……逃げられない。
 
 昨夜のメモ。『明日も、ここに置いておきます』。
 あれは、ただの案内じゃない。「お前の行動はすべて把握している。逃げても無駄だ」という、王女からの無言の圧力だ。
 
 もし俺が今日ここに来なければ、次はどんな手が打たれるか分からない。
 部屋の前に、今度は何が置かれるのか。あるいは、部屋の中に誰かが……。
 想像するだけで、胃が痛くなる。
 地下書庫の重い鉄扉を開ける。
 
 ギィィィ、という錆びついた音が、静寂を引き裂く。
 俺は、恐る恐る中を覗き込んだ。
「…………」
 誰も、いない。
 あるのは、静寂と埃、そして無数の本棚だけだ。
 いつもの定位置――崩れかけた本棚の影にある、小さな書き物机――には、昨日と同じように、あの『禁書』がポツンと置かれていた。
 
 ……よかった。本だけか。
 俺は、心の底から安堵のため息をついた。
 最悪の事態を想像していたが、どうやら杞憂だったようだ。
 彼女は、単に「餌」を置いて、俺がそれに食いつく様を遠隔で楽しんでいるだけなのだろう。
 ……悔しいが、続きが気になる。
 俺は、周囲を警戒しつつも、机の前の椅子に腰を下ろした。
 
 本の表紙に触れる。
 昨日の続き。古代の質量兵器、その詳細なスペック、墜落の軌道計算。
 ページをめくると、そこには俺の知的好奇心を焼き尽くすような、魅惑的な情報が溢れていた。
 
 ……すごい。この計算式、現代の魔法理論より遥かに進んでいる。
 俺は、時間を忘れ、没頭した。
 王女への恐怖も、ここが地下であることも忘れ、知識の大海に溺れていた。
 ――その時だった。
 
「ふふっ。……随分と、熱心ですこと」
 背後から。
 鈴が鳴るような、優雅で、しかし絶対的な響きを持つ声がした。
「……ッ!?」
 俺は、弾かれたように振り返った。
 
 心臓が、早鐘を打つ。
 いつの間に? 鉄扉が開く音などしなかったはずだ。
 薄暗い書庫の入り口から、カツ、カツ、と硬質なヒールの音が近づいてくる。
 
 ランプの明かりの範囲に入ってきたのは、このカビ臭い場所にはあまりにも不釣り合いな、煌びやかな金色の髪。
 そして、完璧な笑みを浮かべた、この国の頂点。
 リリアーナ王女。
 
「……お、王女殿下……」
 俺は椅子から転げ落ちそうになりながら、立ち上がった。
 彼女は、まるで王宮の庭園を散歩するかのように、優雅に俺の机まで歩み寄ってきた。
 手には、別の古い文献が抱えられている。
 
「ごきげんよう、アルト・フォン・キルシュヴァッサー。……約束通り、来てくれましたのね」
「……『置いておく』と書いてあったはずですが」
 俺は、乾いた喉で、精一杯の皮肉を返した。
 
「貴女自身が『来る』とは、聞いていません」
 彼女は、クスクスと楽しそうに笑った。
「言葉の綾ですわ。……それに、その本は持ち出し禁止の『禁書』。私が管理していなければ、貴方は『禁書持ち出しの罪』で捕まってしまいますもの。……私がここにいるのは、貴方を守るためですのよ?」
 
 ……|《詭弁》だ。
 完全に、包囲されている。
 俺が本に夢中になっている隙を狙って、背後から近づくなんて。
 やはり、俺の行動はすべて筒抜けだったのだ。
 
「……何の御用でしょうか。俺は、ただ静かに勉強がしたいだけで……」
 俺が本を閉じ、帰ろうとする素振りを見せると、彼女はすっと俺の前に立ち塞がった。
「ええ、存じています。ですから、私も『勉強』をしに来ましたの」
 彼女はそう言って、持っていた文献を机の上にトン、と置いた。
 
「この地下書庫には、地上の図書館にはない『真実』が眠っています。……貴方が今、夢中になって読み耽っていたように、ね」
 俺は、ごくりと唾を飲み込んだ。
 彼女は、俺が座っていた椅子の隣――普段は荷物置きにしかしていない、埃っぽい予備の椅子――に、ハンカチも敷かずに優雅に腰掛けた。
 
 そして、ポンポンと、自分の隣の椅子(俺の席)を叩く。
「……お座りなさい。今日は、二人で『答え合わせ』をしましょう」
「……答え合わせ?」
 
「ええ。先日の講義での、貴方の『質量兵器』説。……そして、この禁書に記された『鉄の城』の記述。……貴方の推察がどこまで正しかったのか、私にも教えてくださる?」
 
 その瞳は、獲物を狙う猛禽類のように鋭く、そして……どこか、異様な熱を帯びていた。
 それは、自分の所有物に対する「執着」なのか、それとも知的な玩具に対する「好奇心」なのか。
 今の俺には判別がつかない。
 
 ただ、この誘いを断って立ち去れば、俺の人生が終わるということだけは理解できた。
 ……逃げ場なし、か。
 俺は、諦めて、重い足取りで彼女の隣の椅子に座り直した。
 
 距離が近い。
 彼女から漂う、高貴な花の香りが、カビ臭い書庫の空気を塗り替えていく。
 心臓の音が、うるさいくらいに鳴り響く。
 
「……では、始めましょうか。アルト先生」
 彼女は、楽しそうに俺の手元の禁書を開いた。
 薄暗い地下書庫での、逃げ場のない密会。
 俺は、この国最強の権力者に、完全にロックオンされたことを、絶望と共に悟った。
 
 ……父さん。俺、もうダメかもしれない。
 俺の知識欲を利用した、王女による完璧な包囲網。
 この日から、俺の放課後は、王女との「秘密の勉強会」という名の、地獄の拘束時間へと変わってしまったのだ。
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