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ep.09
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また日常が戻ってきた。
すっかり健康を取り戻したラスは仕事に復帰した。
しかし、平和な日はある日突然終わりを迎える。
夕食の買い物から戻ると、いつも「おかえり」と迎えてくれるラスの声がしない。
こじんまりとしたリビングを占拠していたのは、見知らぬ男たちだった。黒い騎士服に獅子の紋章。イネス村で見た王宮騎士団、第一王子専属近衛隊だ。
「ラスっ?」
ラスは二人の騎士に後ろ手に拘束されている。殴られたのか、頬には青いあざができていた。
「いったいなんなんですか!ここはわたしたちの家よ。すぐに出て行って!」
「一緒に来ていただきます」
長身の男はリリの声を無視して命令する。物言いは丁寧だが有無を言わせぬ口調だった。
そして、ラスを見下ろすと吐き捨てるように言った。
「まったく馬鹿なことをしてくれた。いつからそんなに愚かになったんだ。手間をかけさせるんじゃない」
ラスは黙ったまま睨み返す。
リリは腕を掴まれ、着の身着のまま強引に部屋から連れ出された。
ふたりは別々の馬車に押し込まれる。
連れてこられたのは、白い石壁の広大な屋敷だった。他に類を見ない美しさと豪華さで、貴族とは無縁なリリでも、特別な身分であろうことは想像がつく。
「ここは何処なんですか?」
黒い騎士たちに訊ねるが、問いかけには誰も何も答えてはくれない。
しかし、聞かずとも答えはリリの胸の内にあるような気がした。
――――わたしはここを知っている
かすかだが、懐かしさを感じる。だがそれ以上に、漠然とした不安が心を覆っていった。
ラスと引き離されたまま、ひとり豪奢な客室に通された。
のちほどこの館の主人がくるので、それまで部屋で待っているように、長身の騎士はそれだけを告げると足早に立ち去った。
リリは落ち着きなくうろうろと部屋の中を歩き回る。
ラスは何処にいるのだろう。アパートでは手荒なことをされていたようだ。顔の痣以外にも怪我はしていないだろうか? ちゃんと手当てしてもらえただろうか?
心配で居ても立っても居られず、探しに行こうとしたが、部屋から出ようとすると扉の前の見張りに連れ戻されてしまう。せめてラスが無事なのか教えてくれと頼んでも、何も話してはくれなかった。
窓から抜け出せないかバルコニーに出てみたが、少なくとも三階以上の高さがあり、万が一落ちたら怪我ではすみそうにもない。
ただ時間が過ぎるのを待つしかなかった。
小一時間も経っただろうか、ノックもなしにガチャリと扉が開いた。
振り向くと、背の高いすらりとした青年が立っている。紺色のフロックコートに同色のトラヴァース、白い絹のクラヴァットが喉元でふわりと揺れる。チェーンブローチには大きなダイヤモンドが使われていた。見るからに高価な、この豪邸にふさわしい装いだ。
しかし、リリが驚いたのはその容貌だった。
透き通るペールブルーの瞳と陶磁器のようにきめ細やかな白い肌。緩やかにウェーブした金色に輝く長い髪は一つにまとめられている
思わず息を呑んだ。
『白薔薇の王子』と心の中で呼んでいた、夢に何度も出てきた男性が目の前を歩いている。妄想でしかないはずの人物が、まさか現実に存在するなんて。
ラスやエイダンがハンサムなら、この青年は美の神が創造した芸術品のようだった。完璧なまでの美貌とはこのようなことをいうのか。
ただ、リリが思い描いていた空想の王子様は美しいながらもどこか少年のようなあどけなさを持っていた。だが、目の前の美丈夫は、成人した大人の色香を漂わせている。
青年は端正な顔を綻ばせると、突然、両腕を広げリリを胸に掻き抱いた。呼吸が苦しいほど、強く抱きしめられる。
しかし、どんなに恐ろしいまでの美形であっても、知らない男性に触れられるのは抵抗があった。
「あっ、あのっ、ごめんなさい、離してください」
腕の中から逃れようと、身じろぎしながら胸を押し返すと、青年は少し傷ついた顔をしたが、仕方がないというように首を振り小さく溜息をついた。
「リリアーナ、ようやく会えたな。何故、逃げたりしたんだ? 探したんだぞ」
「どうして私の名を知っているのですか?」
リリは愛称で、本当の名前はリリアーナだ。知っているのは兄であるラスだけ。ラスも本当の名前はライアスだ。
「お前の事は何でも知っているよ。当たり前だろう?」
不思議なことを聞いたというように小首をかしげる。
「申し訳ございません。わたしは貴方様のことを存じ上げません」
「すぐに思い出せる。そこのソファに座って、右足を出すんだ」
穏やかながら威圧感を含んだ声。命令しなれている者の話し方だ。
リリは不条理に感じながらも、言われたとおりソファに腰掛けた。アンクレットを付けた片足をオッドマンに乗せる。シャンデリアの光を受けて、その存在を主張するかのようにきらりきらりと赤と青の宝石がそれぞれ光を放つ。
青年は胸のポケットから小さな鍵を取り出した。アンクレットの穴に鍵を差し込むと、静かな部屋にかちりという音が響く。
「リリアーナ、お前を偽りの記憶の鳥籠から解きはなとう」
すっかり健康を取り戻したラスは仕事に復帰した。
しかし、平和な日はある日突然終わりを迎える。
夕食の買い物から戻ると、いつも「おかえり」と迎えてくれるラスの声がしない。
こじんまりとしたリビングを占拠していたのは、見知らぬ男たちだった。黒い騎士服に獅子の紋章。イネス村で見た王宮騎士団、第一王子専属近衛隊だ。
「ラスっ?」
ラスは二人の騎士に後ろ手に拘束されている。殴られたのか、頬には青いあざができていた。
「いったいなんなんですか!ここはわたしたちの家よ。すぐに出て行って!」
「一緒に来ていただきます」
長身の男はリリの声を無視して命令する。物言いは丁寧だが有無を言わせぬ口調だった。
そして、ラスを見下ろすと吐き捨てるように言った。
「まったく馬鹿なことをしてくれた。いつからそんなに愚かになったんだ。手間をかけさせるんじゃない」
ラスは黙ったまま睨み返す。
リリは腕を掴まれ、着の身着のまま強引に部屋から連れ出された。
ふたりは別々の馬車に押し込まれる。
連れてこられたのは、白い石壁の広大な屋敷だった。他に類を見ない美しさと豪華さで、貴族とは無縁なリリでも、特別な身分であろうことは想像がつく。
「ここは何処なんですか?」
黒い騎士たちに訊ねるが、問いかけには誰も何も答えてはくれない。
しかし、聞かずとも答えはリリの胸の内にあるような気がした。
――――わたしはここを知っている
かすかだが、懐かしさを感じる。だがそれ以上に、漠然とした不安が心を覆っていった。
ラスと引き離されたまま、ひとり豪奢な客室に通された。
のちほどこの館の主人がくるので、それまで部屋で待っているように、長身の騎士はそれだけを告げると足早に立ち去った。
リリは落ち着きなくうろうろと部屋の中を歩き回る。
ラスは何処にいるのだろう。アパートでは手荒なことをされていたようだ。顔の痣以外にも怪我はしていないだろうか? ちゃんと手当てしてもらえただろうか?
心配で居ても立っても居られず、探しに行こうとしたが、部屋から出ようとすると扉の前の見張りに連れ戻されてしまう。せめてラスが無事なのか教えてくれと頼んでも、何も話してはくれなかった。
窓から抜け出せないかバルコニーに出てみたが、少なくとも三階以上の高さがあり、万が一落ちたら怪我ではすみそうにもない。
ただ時間が過ぎるのを待つしかなかった。
小一時間も経っただろうか、ノックもなしにガチャリと扉が開いた。
振り向くと、背の高いすらりとした青年が立っている。紺色のフロックコートに同色のトラヴァース、白い絹のクラヴァットが喉元でふわりと揺れる。チェーンブローチには大きなダイヤモンドが使われていた。見るからに高価な、この豪邸にふさわしい装いだ。
しかし、リリが驚いたのはその容貌だった。
透き通るペールブルーの瞳と陶磁器のようにきめ細やかな白い肌。緩やかにウェーブした金色に輝く長い髪は一つにまとめられている
思わず息を呑んだ。
『白薔薇の王子』と心の中で呼んでいた、夢に何度も出てきた男性が目の前を歩いている。妄想でしかないはずの人物が、まさか現実に存在するなんて。
ラスやエイダンがハンサムなら、この青年は美の神が創造した芸術品のようだった。完璧なまでの美貌とはこのようなことをいうのか。
ただ、リリが思い描いていた空想の王子様は美しいながらもどこか少年のようなあどけなさを持っていた。だが、目の前の美丈夫は、成人した大人の色香を漂わせている。
青年は端正な顔を綻ばせると、突然、両腕を広げリリを胸に掻き抱いた。呼吸が苦しいほど、強く抱きしめられる。
しかし、どんなに恐ろしいまでの美形であっても、知らない男性に触れられるのは抵抗があった。
「あっ、あのっ、ごめんなさい、離してください」
腕の中から逃れようと、身じろぎしながら胸を押し返すと、青年は少し傷ついた顔をしたが、仕方がないというように首を振り小さく溜息をついた。
「リリアーナ、ようやく会えたな。何故、逃げたりしたんだ? 探したんだぞ」
「どうして私の名を知っているのですか?」
リリは愛称で、本当の名前はリリアーナだ。知っているのは兄であるラスだけ。ラスも本当の名前はライアスだ。
「お前の事は何でも知っているよ。当たり前だろう?」
不思議なことを聞いたというように小首をかしげる。
「申し訳ございません。わたしは貴方様のことを存じ上げません」
「すぐに思い出せる。そこのソファに座って、右足を出すんだ」
穏やかながら威圧感を含んだ声。命令しなれている者の話し方だ。
リリは不条理に感じながらも、言われたとおりソファに腰掛けた。アンクレットを付けた片足をオッドマンに乗せる。シャンデリアの光を受けて、その存在を主張するかのようにきらりきらりと赤と青の宝石がそれぞれ光を放つ。
青年は胸のポケットから小さな鍵を取り出した。アンクレットの穴に鍵を差し込むと、静かな部屋にかちりという音が響く。
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