ニューヨークの物乞い

Moonshine

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ピーターと友達になったら、今まで風景の一部でしかなかった、街中の物乞い達が、急に鮮やかな色になって、急に私の視界に入ってくる様になってきた。

今まで気がついていなかっただけ、かなりの人々が、路上で物乞いをしているのだ。

私の住む駅にも、一人いた。若い男だ。

大抵若い男や若い女が路上で物乞いをしている場合、

「帰るまでのバス代がない、バス代50ドル貯まったらテキサスの家族の元に帰るから、神の愛を」

段ボールにそんな感じのことが書いてある。
家出してきた子供だろう。
大体1-2週間で、どこかに消える。
中にはカップルで物乞いをしている若い二人もいたりする。
そう言う若い物乞いは、高確率で、引き寄せの法則の本を読んでいたのには、笑えた。

よく犬を連れている物乞いにも出会う。
大抵はフードトラックの側に陣地を張っているので、何故だろうと不思議に思っていたが、やはり全ての事には理由があるらしい。
よく観察してみると、フードトラックでご飯を買う人々が、

「君の犬に食べさせておやり」

とか言って、ホットドッグを買ってもらえる率が高いのだ。この国は、愛犬家が多い。

「君も何か食べないか」

そうやって、飼い主のほうも犬のお相伴に預かれるので、お金の実入りの方はよくわからないが、食べることにはあまり困らなそうだ。

どういうわけだか、小型犬ではなく、大型犬を連れている物乞いが多い様に思える。
大抵は、犬と飼い主はとても、とても飼い主と仲が良く、寄り添う様にして生きている。
私が勝手にお祈り系、と呼んでいるタイプの物乞いも、よく見かけた。

街中で、膝をついて一身に、自宅から持ってきたのだろうか、小さめの地蔵サイズのイエスの像を持ってきて、祈りを捧げている、物乞いだ。
祈っている自分の前に、ちょっと大きめの瓶を置いておいて、人々がお金をおいていくのをただ、待っている。
虚無僧の様なものらしい。

ビジネス街の真ん中にこの手の物乞いは多い。

どうやらこの方式は、フランチャイズ形式らしく、誰か元締めがいて、収入を回収しているらしい。
そのかわりに競争率の高い場所を提供してもらえるという、なかなかの、ヤクザなシステムで、実際ギャングが絡んでいるらしい。

さすが、と言うか、フランチャイズマニュアルもきちんとしているらしく、どんなに寒くても手袋をしてはいけないらしい。
去年の冬は5人くらいが手袋あげてるところを見たわ、とお祈り系の近くの、キオスクのおばさんは、笑った。
あれだけ毎冬たくさん手袋もらってるのに、つけているところ見たことがないんですもの!と。

コリアタウンにも、一人、女性の物乞いがいた。
どうやら同胞達に大切にされている様子で、いつ見ても、韓国系の女性達が、何かタッパーに入ったキムチのお弁当らしきものをあげていたり、面倒を見てもらっている様子だった。
いつも大きな洗濯用のカートに、女性らしい可愛らしい毛布だの人形などを入れて、ニコニコとコリアタウンのある駅を徘徊していた。いつも髪を二つ分けにしていて、老婆なのに少女の様だった。
英語はできない様子だった。
彼女の人生に、何があって、今この街で、大きなカート一杯の可愛い品々と一緒に生きているのか。
優しいこの街の、韓国の女性達が、そっと彼女を支え続けています様に。

地下鉄の電車の中では、演説系の物乞いが多い。

「私の名前は。。。。退役軍人で、病気の母がいる。子供にはもう五年も会っていない、母の薬代が欲しくて、皆にお願いがあります。」

大抵はこんな感じの演説のスタートだ。
退役軍人だと、どうやらポイントが高いらしい。中には非常に泣ける演説をする物乞いもいて、5分ほどで20ドルくらいを演説で荒稼ぎする人もいる。

「子供のために、もう一度やり直すチャンスが欲しい、面接にいく服と、交通費を恵んで欲しい」

こんな締めで演説を終わらせた物乞いは、拍手喝采だった。

演説の内容の真偽のところはわかりかねるが、これだけの演説の能力があれば、きっと彼は立派にどこでもやっていけると、思う。

もちろん、ちょっと笑えるタイプの物乞いばかりではない。

一番胸が張り裂けるのは、親子の物乞いだ。
若いお母さんが、小さな子供を連れて道端に座って、虚な目で座っていることがある。
段ボールには、大抵酷い旦那から逃げてきた被害者であるとか、そういうことが書かれていて、子供はお母さんが茫然としている横で、小石などで遊んでいたりする。
私は、この親子の物乞いに出会ってしまうと、どうして良いかいまだにわからない。
どう言う気持ちになるべきなのかも、全くわからない。
ただ、子供が笑っているところを見て、泣きたくなる。

定期的にホームレスの施設の人々が、街の物乞いに声をかけて、施設に入る様に説得するが、あまりホームレスが減っている様には見えない。

同じ親子の物乞いがいるビジネス街の別の角に、病気のおじさんがいる。

彼は、丸太の様に感染症でずるむけて、太く腫れ上がった足で、いつも閉店した婦人服屋の影にいた。ズボンにはいつも自分の排泄物をへばりつけていて、もう正気を保っている様子には見えなかった。

とても大柄な人で、近づくと物凄い異臭を放ち、彼の住処はいつも尿の匂いで立ち込めていて、私は、怖かった。

人懐こい人々の多い物乞いだが、このおじさんは、いつも苦しそうで、怒りに満ちている様子で、誰も話かけている所を見たことがなかった。

定期的に誰かが食べ物を差し入れしている様子だが、おじさんの住んでいる、場所の前には、お金をもらうために、大抵の物乞いが置いてある、空き缶や、空き箱すら置いていなかった。

まるで、生きる事を諦めているかの様な、そんな様子だった。

おじさんの住むビジネス街は、多くの病院も、ある。誰か、せめておじさんの足を見てくれないかと、勇気のない私は身勝手に願うだけだった。
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