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クリスマス休暇があけた頃、私は足首を捻挫してしまい、しばらくはタクシーでの通勤となって、ピーターに会うことはなかった。
ギャラリーの展示会で、展示品を運んだ時に捻ってしまったのだ。
その後、一度だけ駅でピーターを見かけたが、いつぞやのコーヒーを買ってあげていた紳士と、話し込んでいたので、声かけは遠慮した。
ピーターのジャケットは、新しいものになっていた。
いつもの寒そうな薄い物ではなくて、あの日紙袋に入っていた、暖かそうな、新品だった。
悪いことは、重なるものである。
足首を捻挫したその頃、私は、婚約を破棄していた。
やはりと言うか、なんと言うか、日本にいる婚約者は、私がいない間に、私の友人と浮気をしていた。
「婚約者をおいて、海外でフラフラしているからよ!」
嫁に箔がつくと、ニューヨークでの就職を後押ししてくれた、姑となるはずだった女は、掌を返した様に、私を責めた。
だが不思議なことに私は、五年も一緒の時を過ごしたこの男に、未練が全くなくなっていた。
この男と結婚して、十年後、それから二十年後の自分の姿が、どんな顔をしているかと想像してみたが、どれもつまらなそうな顔をしていたことに気がついたのだ。
契約は満期となり、あれだけ憧れたギャラリーを退職する日がきた。
「今までありがとう。」
マダムは、そう言って、アンティークのオパールのブローチを、記念にくれた。
「このオパールは、古いから白く濁っているけれど、手入れをしたら輝きを取り戻すわ。」
マダムは非常にセンスが良い。
イタリア旅行に行った時に手に入れたものだと言う、そのオパールの濁った白は、なんだかピーターの白い目を思い出して、少し嬉しくなった。
「。。帰国したら、何をするの。」
婚約破棄になったことはマダムにも知らせていた。
2度の結婚に敗れたマダムは、人生の、そして女性としての、良き先輩でもある。いい女になるわ。とだけ言って、そっと抱きしめてくれた。
「。。まず、旅にでようと思います。」
そうするといいわ、男なんて旅先で、いくらでも漁っていらっしゃい。
マダムらしからぬ下品な言葉で私の門出を、祝ってくれた。
最後の出勤日。
もうこの駅を利用することはない。
いつもの通り、一ドル札を握り締めて、そして私は、大切な友に声をかけた。
「おはよう。今日もいい天気ね。」
久しぶりでびっくりしたのだろう、ピーターは、ハッ、とした顔をして、それから大きく笑って、こう言ってくれた。
「おはよう僕の友達。今日はいい日だ。」
。。それが、ピーターと交わした最後の言葉だ。
私は、これが最後になることを、言えなかった。いつでも、少なくともピーターにだけは、私は、ただの、Good Newsでありたかったのだ。
私はその後、帰国直前に、コーヒーショップで知り合ったこの街の男と恋に落ち、すったもんだがあって、なんと、数年は経過したが、またこの国にいるのだ。
77丁目の駅に立ち寄ることがあると、いつもあの、古いオパールの様な、濁った白い目を探してしまう。
あの後、残念ながら、一度もピーターに出会ったことはない。
だが、何年たっても、この広いニューヨークのどこで出会っても、きっと、私が、「おはよう」と言って、一ドル札を手渡してあげたら、きっとピーターは、あの繊細そうな、優しそうな笑顔で、「おはよう僕の友達」そう、言ってくれる気がするのだ。
了
ギャラリーの展示会で、展示品を運んだ時に捻ってしまったのだ。
その後、一度だけ駅でピーターを見かけたが、いつぞやのコーヒーを買ってあげていた紳士と、話し込んでいたので、声かけは遠慮した。
ピーターのジャケットは、新しいものになっていた。
いつもの寒そうな薄い物ではなくて、あの日紙袋に入っていた、暖かそうな、新品だった。
悪いことは、重なるものである。
足首を捻挫したその頃、私は、婚約を破棄していた。
やはりと言うか、なんと言うか、日本にいる婚約者は、私がいない間に、私の友人と浮気をしていた。
「婚約者をおいて、海外でフラフラしているからよ!」
嫁に箔がつくと、ニューヨークでの就職を後押ししてくれた、姑となるはずだった女は、掌を返した様に、私を責めた。
だが不思議なことに私は、五年も一緒の時を過ごしたこの男に、未練が全くなくなっていた。
この男と結婚して、十年後、それから二十年後の自分の姿が、どんな顔をしているかと想像してみたが、どれもつまらなそうな顔をしていたことに気がついたのだ。
契約は満期となり、あれだけ憧れたギャラリーを退職する日がきた。
「今までありがとう。」
マダムは、そう言って、アンティークのオパールのブローチを、記念にくれた。
「このオパールは、古いから白く濁っているけれど、手入れをしたら輝きを取り戻すわ。」
マダムは非常にセンスが良い。
イタリア旅行に行った時に手に入れたものだと言う、そのオパールの濁った白は、なんだかピーターの白い目を思い出して、少し嬉しくなった。
「。。帰国したら、何をするの。」
婚約破棄になったことはマダムにも知らせていた。
2度の結婚に敗れたマダムは、人生の、そして女性としての、良き先輩でもある。いい女になるわ。とだけ言って、そっと抱きしめてくれた。
「。。まず、旅にでようと思います。」
そうするといいわ、男なんて旅先で、いくらでも漁っていらっしゃい。
マダムらしからぬ下品な言葉で私の門出を、祝ってくれた。
最後の出勤日。
もうこの駅を利用することはない。
いつもの通り、一ドル札を握り締めて、そして私は、大切な友に声をかけた。
「おはよう。今日もいい天気ね。」
久しぶりでびっくりしたのだろう、ピーターは、ハッ、とした顔をして、それから大きく笑って、こう言ってくれた。
「おはよう僕の友達。今日はいい日だ。」
。。それが、ピーターと交わした最後の言葉だ。
私は、これが最後になることを、言えなかった。いつでも、少なくともピーターにだけは、私は、ただの、Good Newsでありたかったのだ。
私はその後、帰国直前に、コーヒーショップで知り合ったこの街の男と恋に落ち、すったもんだがあって、なんと、数年は経過したが、またこの国にいるのだ。
77丁目の駅に立ち寄ることがあると、いつもあの、古いオパールの様な、濁った白い目を探してしまう。
あの後、残念ながら、一度もピーターに出会ったことはない。
だが、何年たっても、この広いニューヨークのどこで出会っても、きっと、私が、「おはよう」と言って、一ドル札を手渡してあげたら、きっとピーターは、あの繊細そうな、優しそうな笑顔で、「おはよう僕の友達」そう、言ってくれる気がするのだ。
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