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創造するって事は

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オルフェウスは、苦しそうにガリガリやっていた頭をようやく持ち上げた。
美しい緑色の瞳には、分厚い眼鏡越しにもわかるほどに涙があふれているではないか。

ミシェルはぎょっとして、大急ぎでこの青年の頬を伝う涙をハンカチでぬぐってやったが、そのハンカチに刺されている下手くそな刺繍が目に入って、ため息をついてしまった。

(前に出会ったイケメンも問題児だったわね)

ミシェルはぼんやりと、このハンカチの送り主であるセイの事を思い出した。
最近では随分情緒も落ち着いて、ようやく己のしでかした事がパワハラである事に気が付いて今度は自己嫌悪で鬱になってるらしい。
ようやく被害を被った人々にセイから丁寧な謝罪の手紙が各所に送られているらしいが、ダンテが時々様子を見に行き始めるようになった。察するにあまりセイのメンタルの状況はよくないのだろう。人生は一筋縄ではいかないものだ。

「オルフェウスさんはどんな詩を書くんですか?別に小説にしなくとも、先ほどの詩も歌も、とても素晴らしかったですよ。馬車の中の人たちはみんなうっとりと聞きほれていましたもの」

オルフェウスの涙をぬぐってやって、今度はミシェルがお茶を作ってやって飲ませると、少し落ち着いたらしい。
いや、どうも御見苦しい所を、とペコペコとオルフェウスは謝って、ミシェルにぽつぽつと事情を話だした。

「私は、詩は得意と申しますか、あまり努力をしなくても、勝手に詩の方がやってくるといいますか、なんとも説明がしにくいのですが」

そう言って、カバンを開けてごそごそと、ざらりとした紙に書かれた散文をいくつか見せてくれた。

散文はどれも非常に耽美的なものだった。

月の光が水仙に照らされた一瞬の風景を切り抜いたもの。
水面に映る己の顔のそばかすをを気にしていた少女。
何気なく窓枠につもる冬の雪の冷たさを思う、花嫁。

「・・どれも宝石みたいに美しい言葉です。こんな美しい言葉を歌にしても、素晴らしいと思います。一体何が問題なんですか?」

ミシェルは美しいものが好きだ。
そんなミシェルの目から見てもこの詩は掛け値なしに美しいと思う。
オルフェウスの作品の何が問題なのかわからないし、そもそもこの男、詩文が研究対象というではないか。

あっさりと自分の作品を褒めてもらって、少しうれしさはあったのだろう。
がり、と頭をオルフェウスは掻くと、ため息まじりにこう言った。

「ありがとうミシェルさん。ですが私はこの美しい宝石のかけらを集めて、物語にしてみたいのです。短文でよいので物語を綴ろうとこの10年は努力をしているのですが、私が詩をつづるようには文がつづれないのです。つづったものを見ても、どうにもこうにも読めたものじゃない。つづった文を読んで、自分の文章にがっかりするんです」

ミシェルにはよくわからないが、詩と文は全然ちがうものらしい。
美しければどちらでもいいじゃないかと、そうミシェルは思うのだが。

「今年はカロン様の成人なので、聖女様から特別大きな祝福を授けられると、そう思って今年は殊の外たのしみにこの行事に参加しているのですよ。馬車からこんな美しくて若い女性とお知り合いになれて、今年はとてもいい年になりそうです」

そう、苦笑いをしてオルフェウスはぐい、っと紅茶を飲みほした。

奥の若いウェイ系の連中は、まだきゃっきゃと大騒ぎで、先ほどは若い男の子が肩を組んで一斉に飛び込んで、今度は若い女の子が頭から見事な飛び込みをみせてくれた。楽しそうでなにより。

ちなみに本日の気温は、水たまりが凍っていた所をみると氷点下だ。

まだまだ儀式にまでは時間がかかるらしい。
オルフェウスによると奥のウェイ系の子供達は、あれでなんと神殿の子供達と、巫女の見習いだという。日々厳しい神殿での暮らしらしいのだが、ウェイ系はどんな状況でもウェイな機会があると楽しめる様子だ。

子供達は成人の儀式を終えると、神官見習いから神官に、巫女見習いから巫女になるという。神官や巫女になると見習い時期よりも随分大きな神力を扱えるとかで、カロンは成人後に大きな神力を扱う為の修行をダンテの館で行っているとミシェルは聞いていた。

あんなウェイな子供達でもやはり神殿の子供には穢れを払う力が強いのだろう。

ウェイウェイ言いながら崖から氷点下の水に子供が飛び込むその場所から、土地そのものが浄化されていくのがミシェルには感じた。
どんどんミシェル達の近くの空気まで清浄になってきて、オルフェウスの後ろにうごめく光の粒のゆらぎがよく見える。

(こんな所で仕事なんかしたくないんだけどな)

光の粒がおしよせてくる。

ミシェルはお悩み相談なんかではなく、イケメンハントに集中したいのだが、光の方がミシェルにこの粒を読んでくれと迫ってくるように見えるではないか。

(ほんとうに・・)

先ほど見てしまったオルフェウスの緑の美しい瞳から流れた涙と、馬車で聞きほれた美しい歌声。そしてざらざらした紙にちりばめられた美しい宝石のような詩を思い出して、ミシェルはため息をついた。

ミシェルはお人よしだ。
そして美しいものが好きだ。
美しいものを作り出すことで苦しんでいる人間が目の前にいたら、それはナンパよりも優先させてしまうのがミシェルという人間だ。

ミシェルは2段目までぱっくり開けていた胸元のボタンをさっさと締めなおして光の粒に集中する事した。

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