練習なんかじゃ終われない!

リツカ

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 光秋とリョクの間に、気まずい沈黙が流れる。いや、気まずいと感じているのは光秋だけなのだろうか。
 注がれるリョクの視線が痛くて、光秋の額には冷や汗がにじみはじめていた。
 どうしよう……と光秋が軽く俯いた直後──ふいにリョクの腕が光秋の背中に回り、力強く抱き締められた。
 言葉の出ない光秋が目を白黒させていると、光秋の肩口に顔を埋めたリョクの唇から深いため息がこぼれる。

「……そんなかわいいこと言われたら、怒れないじゃん」
「か、かわいい……?」

 光秋が困惑しているうちに、光秋の肩口に顔を埋めていたリョクが顔を上げた。再び光秋と目線を合わせたリョクは、拗ねた子どものような瞳で光秋を睨む。

「俺のこと嫉妬させたくてコウのこと指名したの?」
「えっ? ち、違うよ」
「……は? じゃあ、なんでコウのこと指名したの? 浮気?」
「うっ、浮気……? いや、その……このままじゃなにも変われないなって思って……リョク君といるのは楽しいけど、リョク君以外とデートして経験重ねた方がいいって弟にも勧められたし、それに……」
「……それに?」

 リョクに続きを促され、光秋は視線を落としながら答える。

「俺、最近おかしくて……仕事だってわかってるのにリョク君にすごく執着してしまっているというか、依存してしまっているというか……」
「…………」
「このままだといつかストーカーとかになってリョク君に迷惑かけそうだし、そうなる前に他のひととデートとかして男慣れしといた方がいいかなって思ったんだ。だから、これからはリョク君以外のひととも会って、ちゃんと本物の彼氏ができるようがんばろうって──」
「──絶対ダメ」

 光秋の話をリョクの低い声が遮った。
 リョクは少し怒ったような顔をしながら口を開く。

「他の男とかいらないだろ。みっちゃんには俺がいるんだから」
「で、でも……」

 俯いた光秋はもごもごと口を動かしたが、なかなか言葉は出てこない。
 そうこうしているうちに、リョクの指がふいに光秋の顎をくいっと持ち上げた。かと思うと、瞬きする間もなく、唇に触れるだけのキスをされる。
 柔らかな唇の感触に、光秋は目を見開いた。石のように固まった光秋は、目を閉じたリョクの長いまつ毛を呆然と見つめることしかできない。

 やがて、唇が離れ、リョクの瞼がそっと持ち上げられる。その瞳に光秋だけを映したリョクは、光秋の頬を撫でながら甘い声で囁いた。

「みっちゃん、好き。他の男によそ見しちゃダメだよ」
「……他のお客さんにもそう言ってるの?」
「言ってないよ。みっちゃんだけ。みっちゃんは特別だから」

 嘘だとわかっているのに、光秋の心臓はきゅんと跳ねて、とくとくと早鐘を打ちはじめる。
 きっと、夜の世界の男に騙される人間はみんなこんな気持ちなのだろう。
 信じているから、夢を見ているから、離れられないのではない。
 すべてまやかしだと、結ばれることなんてないと、本当はわかっている。
 わかった上で、それでも騙されていたいから、信じているふりをするしかないのだ。

 光秋はおずおずとリョクの体を抱きしめ返し、その首筋に頬を寄せる。嗅ぎ慣れた甘い香水の匂いに一瞬頭がくらりとした。

「……好きって言ってもいい?」
「当たり前じゃん」
「……リョク君が好き」
「俺もみっちゃんが好きだよ」

 柔らかな声で告げられ、光秋はなんだか泣きたい気分になる。
 こんなの間違っているのに、自分でも頭ではそう理解できているのに、それでも光秋はリョクのことが好きだった。好きだと認めざるを得なかった。
 きっと、『練習』で終わるなんて最初から無理な話だったのだ。だって、光秋にとってリョクは完璧な恋人で、初めて会ったときから光秋はリョクに夢中だった。

 底なし沼に落ちていくような感覚が怖くて、ずっともがいていた。
 けれど、報われない恋に落ちた愚かな自分を許してやると、途端にその沼が心地良く思えてくる。
 まるで蜂蜜でできたようなその底なし沼は甘く、温かい。いつか呼吸ができなくなって溺れ死ぬ日が来るのだとしても、もうそこから抜け出したいとは思えなかった。

「……みっちゃん、いつまでもここに突っ立ってるのもあれだから、そろそろ部屋に行こっか」
「あ、ご、ごめん……」

 光秋はあわてて体をパッと離す。
 思えばずっと玄関で話し込んでいた。
 くすりと笑ったリョクに手を引かれ、ふたりはリビングへと向かう。

「今日は『恋人コース』二時間だよね。コウとはなにするつもりだったの?」
「はじめてだし、一緒に映画でも見ようかなって……あの、そういえばコウさんはどうしたの?」
「死んだ。殺した」
「えっ!?」
「冗談だよ。熱があったから俺が代わってやったの。というか、あいつのこととか考えなくていいから。みっちゃんは俺のことだけ考えてればいいの」
「そ、そっか……」

 そりゃ冗談だよな、と胸を撫で下ろしつつ、光秋はふたりぶんの飲み物を用意して、テレビの前のソファに座った。リモコンをぽちぽちといじりながら、契約している動画の配信サービスを立ち上げる。

「リョク君、見たい映画とかある?」
「うーん、特にないかなぁ。コウとはなに見る予定だったの?」
「えっと……ホラー系の映画を一緒に見てもらおうと思ってた、かな。ひとりでホラー見るの怖いから……」

 光秋が言うと、リョクは吹き出すように笑った。
 そして、少しムッとした光秋の赤い頬にキスをしながら、甘い声で囁く。

「みっちゃんってほんとかわいいよね」
「……馬鹿にしてるでしょ」
「してないよ。ほんとかわいい」

 言って、今度は唇にキスをされた。
 いっそう顔を赤くしながら、光秋は眉を下げる。

「……今更なんだけど、今日はただの『恋人コース』で予約したから、キスとかはしちゃダメなんじゃ……」
「本当はダメだけど、みっちゃんは特別だからいいの」

 お店には内緒ね、と付け加えられた言葉に、光秋は戸惑いながらもこくりと頷いた。
 リョクは光秋の腰を抱き寄せどこか満足げに微笑むと、甘えるように光秋の肩にこてんと頭を預けてくる。
 頬に触れるリョクの髪が少しくすぐったくて、愛おしかった。

 ──このこと秋也に報告したら、きっと怒られるんだろうなぁ……

 ちょろすぎる自分に苦笑いしながら、光秋は動画の再生ボタンを押した。
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