練習なんかじゃ終われない!

リツカ

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 足を止めたリョクは出鼻をくじかれた気分になりながら、ポケットからスマートフォンを取り出す。
 着信相手は店長だった。
 リョクは舌打ちをして、通話ボタンをタップする。

『リョク、お前今どこいんだよ? 四時に予約してる客からお前が来ないって連絡あったんだけど』
「…………」
『あと、その前の客からクレームも来てる。客の名前呼び間違えたんだって? なにやってんだよ、お前』

 淡々と叱られ、リョクは返す言葉もなかった。
 ……というより、みっちゃんの様子を注視しているせいか、あまり店長の言葉が頭に入ってこない。

『おい、聞いてんのか? 四時からの予約はどうなってんだよ。返事ぐらいしろ』
「……行けそうにないからキャンセルしといて」
『──はっ? お前舐めてんの?』

 それまでいつも通り気怠げだった店長の声色ががらりと変わった。
 夜の人間──というより裏社会の人間に近い冷ややかな圧を感じて、リョクの背筋がぞくりとする。

「……すみません。なんか体調悪くて……」
「嘘ついてんじゃねぇ。惚れた男が他の男に会ってるの見て取り乱してるだけだろーが」

 電話口から聞こえてくるはずの声がすぐ真後ろから聞こえて、リョクの体はビクッと跳ね上がる。
 あわてて振り返ると、そこには呆れたような顔をした店長が立っていた。
 
「なっ……!」
「はああぁ……お前ちょっとこっち来い」

 店長は深いため息をついたかと思うと、リョクの首根っこを掴み、ずるずる引きずるように車道の方へと歩いていく。
 見ると、路肩に店長の愛車が停められていた。
 助手席のドアを開けた店長は、リョクをそこに蹴り入れる。

「いって! ……おいっ」
「おー、随分威勢がいいなぁ。さっきまでビビり散らかしてたくせに」
「別にビビってないし……」
「どうだか」

 運転席に座った店長は、胡乱な目でリョクを睨んでいた。
 しかしその間も、リョクの意識はちらちらとみっちゃんへ向けられている。
 もしあの男がみっちゃんに指一本でも触れたら、みっちゃんがあの男とホテル街に消えたら──そう考えるだけで、居ても立っても居られないのだ。

「……俺が全部悪かったよ。あとでちゃんと話は聞くし、罰金も払うから、だから今は見逃してくれない?」
「見逃す? お前が業務外で客に接触しようとしてるの許せってのか?」
「別にそんなことは……」
「嘘つくなって言ってんだろ。俺がとめなきゃ店に乗り込んで騒いでたくせに、なに誤魔化そうとしてんだこのカス」

 罵られたリョクはとっさに反論しようとしたが、事実そうなので返す言葉もなかった。ぐうの音もでないとはこのことだ。
 リョクが黙り込んでいると、足を組んだ店長は真剣な顔で言う。

「リョク、勘違いすんなよ。お前がどれだけ売れっ子だろうが、客とキャストは対等だ。客は金を払わないとキャストに会えないし、キャストも客が金払ったときしか客には会っちゃいけねぇんだよ。求められてないんだから」
「…………」

 そんなこと、リョクだってわかっている。
 いや、わかっていたはずだ。少なくとも、今日までは。

 リョクは今まで、金が払えなくなった客を簡単に切り捨ててきた。同時に、客から簡単に切り捨てられることもあった。
 当たり前で、普通のことだ。
 仕事だから。いっときの夢だから。
 客との繋がりが途切れることなんて、リョクにとっては気に留める必要のない些細な出来事のひとつでしかなかった。

 なのに、みっちゃんに対してだけはそう思えない。

 みっちゃんから離れたくない。離れてほしくない。
 会いたい。触れたい。
 もうお金なんてどうでもいいから──……

「はっ……」

 息苦しくて吐き出した声は、みっともなく震えていた。
 リョクの右手が自身の胸元あたりを掴もうとするように、シャツの布地をぎゅっと握り締める。

 他の男のもとに行ってしまうみっちゃんの姿を想像するだけで、胸を掻きむしりたくなるような絶望感に襲われた。
 金で繋がった薄っぺらい関係も、本命ができるまでの練習相手も、もうリョクには耐えられない。
 みっちゃんの思い出の中だけで生きる『初めての男』で終わるなんて、リョクは絶対に嫌だった。

 だって、リョクはもうとっくに──

「泣くなよ」
「……泣いてないし」
「今にも泣きそうな顔してんじゃねぇか」

 店長が大きな手でぐしゃぐしゃとリョクの髪を撫で回した。
 そして、苦笑いしながら言う。

「自分がどんなに相手に会いたくても、相手が金払ってくれないと会えないって、馬鹿みたいだろ」
「…………」
「だから俺はウリ辞めたんだよ。好きなやつに会いたいときに会えないってのが無理になっちまったから。……まっ、結局この業界から足洗えたわけじゃないけど、それはお互い様だし……」

 俯き加減だったリョクは顔をあげ、まじまじと店長の顔を見つめた。

「……ヨウジさんが金持ってるから付き合ってんだと思ってた……」
「んな安い男じゃねぇよ。俺も、あいつも」

 店長はくつくつと笑いながら、ウインカーを点灯させる。
 リョクがあっと言う間もなく、車は車道へと戻って走り出した。

「ちょ……!」
「あそこであのひとのこと見張ってても仕方ないだろ。時間外に勝手に客と接触するとか、俺が絶対許さないしな。というか、お前やってることストーカーみたいでかなりキモいぞ」
「うるせぇよ……っ」

 悪態をつきながらも、遠ざかっていくみっちゃんを窓越しに見るのがやめられない。
 やがてみっちゃんの姿が完全に見えなくなったところで、リョクは浮かない顔をしながら前を向いた。

「……隣にいた男、彼氏だと思う?」
「さあな。つか、お前はまだそんなこと気にかけていい段階じゃないからな。ただのキャスト風情が客のプライベートに首突っ込もうとしてんじゃねぇよ」

 呆れたように釘を刺され、リョクは口をつぐむ。
 いつになくしおらしいリョクを見て、店長はニヤニヤと笑っていた。

「ま、とにかく、相手に気持ち伝えたいなら最低限の筋くらい通してからにしろ。本気で惚れてんだろ?」
「…………ん」

 指摘されるたびに否定してきたが、もうそんな気はない。
 リョクの心をかき乱すこの気持ちが、古今東西の老若男女を狂わせてきた『恋』というものなのだと認めれば、自分の中に湧き上がるすべての感情に納得がいく。
 結局はコウの言った通り、リョクはもうずっと前からみっちゃんに恋をしていたのだろう。

「はぁ……だーからこう面倒なことになる前に相談しろって言ってんのによぉ……」

 店長が愚痴をこぼしている隣で、リョクは複雑な表情を浮かべながら窓の外を眺める。

 もうどうしようもないくらい、みっちゃんのことが好きで好きでたまらなかった。



 ◇◇◇

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