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過去話・後日談・番外編など
十年先 11
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おそらく五年以上前のこと。
誠は初めて夜彦に激しく反抗した。さすがに暴れたりはしなかったが、グラスを床に叩きつけたような記憶はある。
思いつく限りの言葉を使って誠が怒鳴り散らしている最中も、夜彦は笑っていた。
だが、暴言を吐き続けた誠が息切れしたあたりで夜彦は誠の襟首を掴み、強引に外へと引きずり出した。そして、嫌がる誠をなんの説明もないまま車の中に押し込んだのだ。
正直、その時点で嫌な予感はしていた。
笑顔のまま何も言わない夜彦が怖くて、その隣で誠は体を縮こまらせる。
それから車が向かった先は、まぶしくも薄汚い繁華街だった。あまり治安の良くない区域だ。
そこに着いた途端、夜彦は誠を車から蹴り出し、そのままバタンとドアを閉めた。
突然ひとりで外に放り出された誠は、さっと血の気が引くのを感じる。
その時にはもう、誠は夜彦がいなければひとりで外にはいられない状態になっていて、それを夜彦も知っているはずだった。
いや、知っているからこそ、夜彦はここで誠をひとり車の外へと蹴り出したのだ──気付いた瞬間、誠は車の窓に縋り付いて、震える声で謝罪と懇願を繰り返した。
ごめんなさい。もう二度と逆らいません。許してください。お願いだから中に入れてください。置いていかないでください。捨てないでください。ごめんなさい。許してください。ごめんなさい。
誠が必死に謝れば謝るほど、夜彦は楽しそうだった。
そして、追い縋る誠の惨めな姿をたっぷり堪能してから、あっさりと、残酷に、誠を突き放すのだ。
「えー? でもさっき、俺に死ねと消えろとか言ってたじゃん。俺が死んだらお前ひとりで生きていかなきゃいけないんだから、いまのうちに練習しといた方がいいだろ?」
僅かに開いた窓の隙間から、気怠げで、それでいて楽しげな夜彦の声が聞こえてくるのと同時に、車のエンジン音が鳴り響いた。
誠は気が触れたように大声で泣きながら謝罪を繰り返したが、夜の街に誠を残したまま、躊躇なく夜彦を乗せた車は行ってしまう。
車が見えなくなった途端、周りの喧騒が大きくなった気がした。
たくさんの人がいて、笑ったり、怒鳴ったり、踊ったり、道で倒れたりしている。大抵は酔っ払いか薬中のどちらかだろう。
その中の数人が、ニヤニヤと笑いながら誠の方を指差していた。
自分に向けられた指先を見た瞬間、誠はその場にうずくまり、自身を抱き締めるようにして体を縮こまらせる。
──こわい。
皆、誠があの『神田誠』であることを知っているような気がした。もうニュースになったのは数年も前のことで、一時期ワイドショーを賑わせた政治家の息子のことなんて誰も覚えているはずがない。そう頭ではわかっているはずなのに、それでも不特定多数の視線が怖くてたまらなかった。
笑い声も、怒鳴り声も、すべてが自分に向けられたもののように感じられる。
目をキツく閉じて膝に顔を埋めていると、いっそうその場にある視線のすべてが誠に注がれているように思えて仕方なかった。
──なんで俺がこんな目に。死ね。全員死ね。底辺。消えろ。クソ夜彦。死ね。死ね。
体を震わせながら、ただただ呪いの言葉を吐き続ける。
誠をこんな目に合わせる夜彦が憎らしくて、このままひとりで生きていかなければならない現実が恐ろしい。
昔はこんなところ、ひとりでも平気で歩けた。
誠は夜の街に入り浸る人間は低俗なバカしかいないと見下していた。いや、いまも間違いなく見下してはいるのだ。
けれど、気付けば誠よりも彼らの方がずっと人生を謳歌しているように見えた。
誰かの視線に怯えてうずくまっている人間なんて、誠以外に誰もいない。
怖い。惨めで、苦しい。
死にたい。誰かに殺してほしい。
そんなことを思っていたところで、なにかが髪に触れた。
くしゃりと誠の髪を掴み、乱暴に撫で回す。
誠が顔を上げると、そこに夜彦がいた。
しゃがみこんで誠の髪を撫でながら、どこか満足そうに微笑んでいる。
そのとき、誠には夜彦が神様のように見えた。
夜彦に心酔する信者の気持ちが初めてわかった気がした。
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