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幕間~王都騒乱~
真の力
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「なッ!?」
「これは……なんて……」
なんだ? 何が起こった?
俺の攻撃はさっきまで確かに通用していたはずだ。
なのにいったい何が……ッ!?
そこで俺はようやく気づいた。
奴の、魔人モーリスの様相が先程とは変貌している。
先程まで奴はモーリスとしての姿をしていたが、まずその面影が姿形も無い。
肌は黒く、髪は白一色に染まり、目は赤黒く変わってしまっている。体躯も肥大化しており、細身ながらも強靭なことが見て取れるその肉体はもはや老体のそれではなかった。
だが、これは奴が変わったんじゃない。ただ戻っただけだ。つまり、あれこそが奴の本来の姿。言ってしまえば隠していた姿を現にしたに過ぎない。奴の変化がそれだけなのであれば恐れることは無かった。
真に問題なのは奴が身に纏ったその黒色のローブと鎧が一体化したようなその装備だ。あれは……なにかヤバい。
どこがと正確に言えるわけではない。だが、確実にあれがただの装備じゃないことだけは確かにわかった。
「くふふふ、何をこの程度で驚いているのですか、勇者様?
真の力、魔装を解放したこのワタシに、あの程度の攻撃が効くわけがないでしょう」
「……随分とふざけた理屈だな。魔人ってのは全員そんなに傲慢なのか?
因みに、参考まで何をしたのか教えてくれたりはしないのか?」
冷汗が頬を伝う。
何をしたのかが全く分からない。
絶対切断の牙は俺の持つ攻撃手段の中でもかなり上位に位置するスキルだ。
それがまさかああもあっさりと対応されるとは思いもよらなかった。
俺が内心動揺しながら問いを投げかけると、力を開放し、愉悦に浸っている魔人モーリスが余裕たっぷりといった調子で口を開いた。
「通常であれば、答える必要などないと切り捨ててしまうところですが……いいでしょう!
今の私は久方ぶりにこの力を開放し、気分がいい。特別に答えてあげるとしましょうか」
魔人モーリスは大仰な動作でこちらを挑発しながら、皮肉るような口調で言葉を続ける。
「魔人にはそれぞれ魔力に性質のようなものがあってね。まぁ性質といっても、覚える魔法に偏りが出る程度が本来の姿ではあるのですが……ワタシは中でもより性質が強く出るらしく、それが魔力に大きく反映してしまっている。そして、ワタシの魔力の性質は……支配!!
支配の性質を色濃く内包するワタシの魔力は、浸食したものを支配するのです!!
洗脳、扇動もその能力の一端に過ぎません。
先ほどはただ私の周りの空気を魔力により浸食支配し、あなたの攻撃にぶつけ、相殺したというだけ……どうです? 簡単でしょう?」
「……そんな馬鹿な話が……ッ!?」
「ちッ…………」
魔人モーリスの話に、ナタリーが驚愕を露わにする。
どうやら否定しきれていないところを見ると奴の心を読んで今の話が真実だと悟ってしまったのだろう。
果たして今の話が真実だとわかってしまったことが俺にとって良かったのか悪かったのか……
魔人が強い。そのことは知識として一応知ってはいた。
だが、
「まさかここまでとは……これは、少しまずいか……」
―――底が見えない。
目の前に立つ敵の実力、それが見えてこない。
まるで底のない虚覗いているような、そんな感覚。
それは途方もない絶望感を俺に与え、体が重たくなるような、そんな錯覚まで感じ始める。
……錯覚? いやまて……これは……ッ!?
「―――くッ!? 何だこれは……か、体が本当に重たくなって……」
あまりの重圧に思わず膝を着いてしまう。
これは、なんだ……?
気づけばどうやらこの現象が起きているのは俺だけではないらしく、背後のナタリーも片膝をつき苦悶の表情を浮かべていた。
これはまさか…………重力か!?
何かに気付いたような俺の顔を見て、魔人モーリスはあざ笑うような笑みを浮かべると、言葉を発した。
「ほう? ようやく気付いたようですね。どうですか、どんどん自分の体が重くなっていく感覚というものは? なかなかに不快な感覚でしょう? キヒヒヒヒ!」
「くそっ……な…ぜだ……俺には……魔法の類、は……一切、効かない、はずだと……いうのに、どうして……」
「キヒヒヒ、それがアナタの弱点なのですよ!! 勇者の魔法を無効化する鎧は確かに脅威です……。
ですが、件の鎧が無効化するのはあくまで装備車に害意のある魔法のみ、つまり、魔力そのものの特質により引き起こされた現象は無効にできないのですよぉ!!
加えて私の支配はただそこにあるものを操っているだけ、今も現に私はあなた方の周りの重力を支配し、操っているに過ぎません。重力そのものに害意があるわけではないのですから、二重の意味で無効にすることはできないのですがねぇ!!
さァ、理解したのならば、そのまま押しつぶされて果てるがいい、異界の勇者ッ!!」
「うっ……勇者様、このままでは……きゃッ」
「くッ……くそがぁ……」
ナタリーの苦悶の声が耳に届く。
どうやら彼女はかかる重力に耐え切れず、地に伏してしまったらしい。
かくいう俺も時間の差こそは多少あれど、その重さを増加し続ける重圧の前に、数分と立たずナタリーと同じ状況になってしまった。
くそ……どうする? 勇者の技術とはつまり、体の動かし方だ。
体の動かせないこの状況ではもはや頼りにすることはできない。
だが、このままでは本当に増加し続ける重力に押しつぶされるだけだ。
何か……何かないのか? 奴の支配を打ち破り、状況を覆す一手。
―――――考えろ、考えろ、考えろ、考えろ、考えろ……ッ
俺は必死に思考を働かせるが、そう簡単に打開策が思いつくはずもなく、増し続ける重力によって徐々に考える気力すら奪われていく。
体は軋み、節々が限界を超えた加重に悲鳴を上げている。
このままでは力尽きるのも時間の問題だった。
正に万事休す。このままではナタリーもろとも魔人によって葬られるのは確定的。
だから考えろ、思考を止めるな。何か、何かあるはずだ。
この絶望的状況を覆せる一手を手繰り寄せろ。
あるはずだ。無いわけがない。いや、例え見つからなくとも捻り出せッ!!
俺は勇者なんだ。もう無力だったあの頃の俺とは違うはずだ、そうだろッ!?
「……ゆ、勇者様……」
「~~~~ッ」
ナタリーの苦しげな声が耳に届く。
勇者である俺はともかく、ナタリーはこの重圧にそう長くは耐えられない。
そうだ……このままでは間違いなくあいつは死ぬ。
当然だ。心が読めるとはいえ、彼女は所詮十六歳の少女にすぎない。
ここまで耐えられていることすら既に奇跡、これ以上を求めるのは無茶な話だ。
だが、別に俺はあんな奴がどうなろうと知ったことでは……
―――ない、と俺は断じようとし……そうできない自分がいる事に気付く。
……何故だ。何故かはわからない。だが、俺はどうしてもあいつを、ナタリーを切り捨てる事ができそうにない。
いや、そうだ。分かってる。本当は理由なんて、そんなものはとっくに分かっているのだ。
ただ俺がそれを認めようとしてこなかったというただそれだけの話。
ふと、あいつの、ナタリーの言葉がいくつも脳裏をよぎる。
『自然に聞こえてきてしまうのですよ、ふふ』
『本当に難儀な人……本当はわかっているのでしょう? あなたは彼に……』
『……もう、仕方のない人ですね、まったく』
『……死なないで下さいね?』
『ふふ、そこだけ聞くとなんだか恋人同士のようですね、勇者様?』
『まったく勇者様は見かけによらず初心な方なのですから』
ああ、そうだ。そうだったのだ。
いつからと言われても、明確には答えられない。
だが、俺は確かにあいつの、ナタリーのことが……
しかし、何かに届きかけた俺の思考を遮るように魔人モーリスの声が響く。
「ひひひ、遊ぶのもこの辺にしてそろそろ止めを刺させてもらいましょうか。
これ以上もたもたしているとアドラメレクの奴がこちらについてしまう。それはそれで面倒です。
なにしろあいつには知性も品性もありはしない。しっちゃかめっちゃかに暴れられて、無駄な損害を出されてはたまりませんからね」
そう告げると魔人モーリスは無様に床へと伏せる俺を横目に通り過ぎると、まっすぐナタリーの元へと歩いて行く。
まさか……あいつ……。
俺の脳裏に最悪の予想が浮かび上がる。そして……それは現実となった。
「ひひひ、勇者といえどこうなってしまえばただのガキ、どうとでも料理できます。今はそれよりも小娘の能力が厄介です。いくら非力なメスガキとはいえ、心を覗かれ、思考を暴かれているのは不快極まりない。まずはアナタの方から始末させてもらうとしましょうかぁッ!!」
「うっ……ぐっ……」
魔人モーリスが無力に伏せるナタリーの首を右腕で掴み、無造作に持ち上げる。
首を圧迫されているが故に、苦し気に顔を歪めるナタリーはしかし、身に降りかかる荷重によりもがくことすら叶わない。
彼女は為す術もなく、動かぬ体で苦悶の表情を浮かべ続ける。
「きひひひひッ!! いいですね、そうです、その顔です!! ワタシはその顔が見たかったッ!!
今まで散々小賢しい真似をしてくれましたが、それもここで終わりです!!
無様に悲鳴のコーラスを奏でながら、ここで物言わぬ亡骸へと成り果てるといいッ!!」
「うっ……あっ、ぐっ、あぁぁ……」
「く、そ……ナタリー……」
ちくしょう……なんだよこの様は……これじゃあ、あの頃と俺は何も変わらないじゃねぇか……。
俺は変わったんじゃなかったのか? いや、変わろうと決めたんじゃなかったのかッ!?
何もできず、力に屈し、圧力に屈し、そして地べたに這いつくばる……そんな自分を捨てようと、そう誓ったんじゃなかったのかッ!?
そうだ、そのために俺は力を手に入れ、強くなった。
他者を圧倒できる力を手に入れた、そのはずだ。
だが……。
そこで、あいつの言葉を思い出す。力を手に入れ、天狗になっていた俺の鼻っ面をへし折ったあの男、あいつは何と言っていたか?
『他人から与えられたものをそのまま使ってるようじゃ、いつまでたってもお前は何も変わらない。お前はいまだに弱いままなんだ―――』
そうだ、確かにこれは俺の力じゃない。今俺が振るっているのは全てこの勇者装備の力に過ぎない。
なら、俺は何も変わっていなかったのか……?
俺はあの敗北から学ぶものがあったと、あの敗北を経て、遂に俺は本当の意味で変わり始めたのだと、そう思っていた。
だが、まだ俺はあそこから一歩を踏み出せていなかった?
借り物の力を我が物の如く振るっていただけだった……?
なら、俺は今まで一体何を……。
自身の無様な現実に呆然としつつ、俺は苦しむナタリーに目を向ける。
彼女は今も苦しみに顔を歪めながら、ただ耐えている。
泣き言も言わず、不満も言わず、ただ現状を乗り越えようと、耐え続けている。
きっと、彼女はこれまでもああやって生きてきたのだ。
幼いころから敵の存在を意識し、常に気を張りながら、最低の状況を生き抜いてきたのだ。
そうだ、俺なんかより、彼女のほうがよほど強い。
そんなことはとっくに気づいていて、それでも俺は彼女に弱い自分を見透かされたくなくて……。
そうして俺は視線を彼女へと向ける。すると、苦し気に耐える彼女の顔がこちらを向き“大丈夫、わかっている”とでも言うかのように、無理矢理に笑顔を作ると、震える唇を動かして一言、
―――“ごめんなさい”と、そう俺に向かって告げたのだ。
その言葉を聞いた瞬間、俺の中に沸き上がった感情は嘆きでも、悲しみでもなく、怒りだった。
ふざけるな、ふざけたことを抜かしてんじゃねぇ。そうあいつに叫びたかったのだ。
だってそうだろう? こんな結末は間違ってる。
どうしてあいつが謝らなきゃいけないんだ? ここまであらゆる苦難に耐え抜き、泣き言も言わずただ耐え忍んできたあいつが、なぜ俺みたいな奴に謝る必要があるッ!?
お前は自分のことを誇ってもいいはずだ。自分の状況を嘆いてもいいはずだ。もっと我がままを言ってもいいはずだッ!!
納得できない。否、こんな現実に納得してたまるものか。
俺はジャックにあいつのことを託され、その思いを受け継いだ。
だから、この役目は俺の担うべきものだ。
俺はナタリーに言わなきゃいけない事がある。
それを伝えるためにも、俺がここであいつの命を諦めるわけにはいかない。
それに―――この程度で立ち止まっているようじゃ、鬼道彰を越えられないッ!!
俺は……誓ったはずだ。
あの男を超えると、そう誓った。
奴ならきっとこんな状況であろうと乗り越える、そんな理由もない確信がある。
ならば、こんなところで躓いてなんていられないッ!!
そうだ。俺は今度こそ……本当に、本当の意味で―――勇者になる。いや、なって見せるッ!!
そう決意したその時、俺の中で―――何かの歯車が噛み合った。
「これは……なんて……」
なんだ? 何が起こった?
俺の攻撃はさっきまで確かに通用していたはずだ。
なのにいったい何が……ッ!?
そこで俺はようやく気づいた。
奴の、魔人モーリスの様相が先程とは変貌している。
先程まで奴はモーリスとしての姿をしていたが、まずその面影が姿形も無い。
肌は黒く、髪は白一色に染まり、目は赤黒く変わってしまっている。体躯も肥大化しており、細身ながらも強靭なことが見て取れるその肉体はもはや老体のそれではなかった。
だが、これは奴が変わったんじゃない。ただ戻っただけだ。つまり、あれこそが奴の本来の姿。言ってしまえば隠していた姿を現にしたに過ぎない。奴の変化がそれだけなのであれば恐れることは無かった。
真に問題なのは奴が身に纏ったその黒色のローブと鎧が一体化したようなその装備だ。あれは……なにかヤバい。
どこがと正確に言えるわけではない。だが、確実にあれがただの装備じゃないことだけは確かにわかった。
「くふふふ、何をこの程度で驚いているのですか、勇者様?
真の力、魔装を解放したこのワタシに、あの程度の攻撃が効くわけがないでしょう」
「……随分とふざけた理屈だな。魔人ってのは全員そんなに傲慢なのか?
因みに、参考まで何をしたのか教えてくれたりはしないのか?」
冷汗が頬を伝う。
何をしたのかが全く分からない。
絶対切断の牙は俺の持つ攻撃手段の中でもかなり上位に位置するスキルだ。
それがまさかああもあっさりと対応されるとは思いもよらなかった。
俺が内心動揺しながら問いを投げかけると、力を開放し、愉悦に浸っている魔人モーリスが余裕たっぷりといった調子で口を開いた。
「通常であれば、答える必要などないと切り捨ててしまうところですが……いいでしょう!
今の私は久方ぶりにこの力を開放し、気分がいい。特別に答えてあげるとしましょうか」
魔人モーリスは大仰な動作でこちらを挑発しながら、皮肉るような口調で言葉を続ける。
「魔人にはそれぞれ魔力に性質のようなものがあってね。まぁ性質といっても、覚える魔法に偏りが出る程度が本来の姿ではあるのですが……ワタシは中でもより性質が強く出るらしく、それが魔力に大きく反映してしまっている。そして、ワタシの魔力の性質は……支配!!
支配の性質を色濃く内包するワタシの魔力は、浸食したものを支配するのです!!
洗脳、扇動もその能力の一端に過ぎません。
先ほどはただ私の周りの空気を魔力により浸食支配し、あなたの攻撃にぶつけ、相殺したというだけ……どうです? 簡単でしょう?」
「……そんな馬鹿な話が……ッ!?」
「ちッ…………」
魔人モーリスの話に、ナタリーが驚愕を露わにする。
どうやら否定しきれていないところを見ると奴の心を読んで今の話が真実だと悟ってしまったのだろう。
果たして今の話が真実だとわかってしまったことが俺にとって良かったのか悪かったのか……
魔人が強い。そのことは知識として一応知ってはいた。
だが、
「まさかここまでとは……これは、少しまずいか……」
―――底が見えない。
目の前に立つ敵の実力、それが見えてこない。
まるで底のない虚覗いているような、そんな感覚。
それは途方もない絶望感を俺に与え、体が重たくなるような、そんな錯覚まで感じ始める。
……錯覚? いやまて……これは……ッ!?
「―――くッ!? 何だこれは……か、体が本当に重たくなって……」
あまりの重圧に思わず膝を着いてしまう。
これは、なんだ……?
気づけばどうやらこの現象が起きているのは俺だけではないらしく、背後のナタリーも片膝をつき苦悶の表情を浮かべていた。
これはまさか…………重力か!?
何かに気付いたような俺の顔を見て、魔人モーリスはあざ笑うような笑みを浮かべると、言葉を発した。
「ほう? ようやく気付いたようですね。どうですか、どんどん自分の体が重くなっていく感覚というものは? なかなかに不快な感覚でしょう? キヒヒヒヒ!」
「くそっ……な…ぜだ……俺には……魔法の類、は……一切、効かない、はずだと……いうのに、どうして……」
「キヒヒヒ、それがアナタの弱点なのですよ!! 勇者の魔法を無効化する鎧は確かに脅威です……。
ですが、件の鎧が無効化するのはあくまで装備車に害意のある魔法のみ、つまり、魔力そのものの特質により引き起こされた現象は無効にできないのですよぉ!!
加えて私の支配はただそこにあるものを操っているだけ、今も現に私はあなた方の周りの重力を支配し、操っているに過ぎません。重力そのものに害意があるわけではないのですから、二重の意味で無効にすることはできないのですがねぇ!!
さァ、理解したのならば、そのまま押しつぶされて果てるがいい、異界の勇者ッ!!」
「うっ……勇者様、このままでは……きゃッ」
「くッ……くそがぁ……」
ナタリーの苦悶の声が耳に届く。
どうやら彼女はかかる重力に耐え切れず、地に伏してしまったらしい。
かくいう俺も時間の差こそは多少あれど、その重さを増加し続ける重圧の前に、数分と立たずナタリーと同じ状況になってしまった。
くそ……どうする? 勇者の技術とはつまり、体の動かし方だ。
体の動かせないこの状況ではもはや頼りにすることはできない。
だが、このままでは本当に増加し続ける重力に押しつぶされるだけだ。
何か……何かないのか? 奴の支配を打ち破り、状況を覆す一手。
―――――考えろ、考えろ、考えろ、考えろ、考えろ……ッ
俺は必死に思考を働かせるが、そう簡単に打開策が思いつくはずもなく、増し続ける重力によって徐々に考える気力すら奪われていく。
体は軋み、節々が限界を超えた加重に悲鳴を上げている。
このままでは力尽きるのも時間の問題だった。
正に万事休す。このままではナタリーもろとも魔人によって葬られるのは確定的。
だから考えろ、思考を止めるな。何か、何かあるはずだ。
この絶望的状況を覆せる一手を手繰り寄せろ。
あるはずだ。無いわけがない。いや、例え見つからなくとも捻り出せッ!!
俺は勇者なんだ。もう無力だったあの頃の俺とは違うはずだ、そうだろッ!?
「……ゆ、勇者様……」
「~~~~ッ」
ナタリーの苦しげな声が耳に届く。
勇者である俺はともかく、ナタリーはこの重圧にそう長くは耐えられない。
そうだ……このままでは間違いなくあいつは死ぬ。
当然だ。心が読めるとはいえ、彼女は所詮十六歳の少女にすぎない。
ここまで耐えられていることすら既に奇跡、これ以上を求めるのは無茶な話だ。
だが、別に俺はあんな奴がどうなろうと知ったことでは……
―――ない、と俺は断じようとし……そうできない自分がいる事に気付く。
……何故だ。何故かはわからない。だが、俺はどうしてもあいつを、ナタリーを切り捨てる事ができそうにない。
いや、そうだ。分かってる。本当は理由なんて、そんなものはとっくに分かっているのだ。
ただ俺がそれを認めようとしてこなかったというただそれだけの話。
ふと、あいつの、ナタリーの言葉がいくつも脳裏をよぎる。
『自然に聞こえてきてしまうのですよ、ふふ』
『本当に難儀な人……本当はわかっているのでしょう? あなたは彼に……』
『……もう、仕方のない人ですね、まったく』
『……死なないで下さいね?』
『ふふ、そこだけ聞くとなんだか恋人同士のようですね、勇者様?』
『まったく勇者様は見かけによらず初心な方なのですから』
ああ、そうだ。そうだったのだ。
いつからと言われても、明確には答えられない。
だが、俺は確かにあいつの、ナタリーのことが……
しかし、何かに届きかけた俺の思考を遮るように魔人モーリスの声が響く。
「ひひひ、遊ぶのもこの辺にしてそろそろ止めを刺させてもらいましょうか。
これ以上もたもたしているとアドラメレクの奴がこちらについてしまう。それはそれで面倒です。
なにしろあいつには知性も品性もありはしない。しっちゃかめっちゃかに暴れられて、無駄な損害を出されてはたまりませんからね」
そう告げると魔人モーリスは無様に床へと伏せる俺を横目に通り過ぎると、まっすぐナタリーの元へと歩いて行く。
まさか……あいつ……。
俺の脳裏に最悪の予想が浮かび上がる。そして……それは現実となった。
「ひひひ、勇者といえどこうなってしまえばただのガキ、どうとでも料理できます。今はそれよりも小娘の能力が厄介です。いくら非力なメスガキとはいえ、心を覗かれ、思考を暴かれているのは不快極まりない。まずはアナタの方から始末させてもらうとしましょうかぁッ!!」
「うっ……ぐっ……」
魔人モーリスが無力に伏せるナタリーの首を右腕で掴み、無造作に持ち上げる。
首を圧迫されているが故に、苦し気に顔を歪めるナタリーはしかし、身に降りかかる荷重によりもがくことすら叶わない。
彼女は為す術もなく、動かぬ体で苦悶の表情を浮かべ続ける。
「きひひひひッ!! いいですね、そうです、その顔です!! ワタシはその顔が見たかったッ!!
今まで散々小賢しい真似をしてくれましたが、それもここで終わりです!!
無様に悲鳴のコーラスを奏でながら、ここで物言わぬ亡骸へと成り果てるといいッ!!」
「うっ……あっ、ぐっ、あぁぁ……」
「く、そ……ナタリー……」
ちくしょう……なんだよこの様は……これじゃあ、あの頃と俺は何も変わらないじゃねぇか……。
俺は変わったんじゃなかったのか? いや、変わろうと決めたんじゃなかったのかッ!?
何もできず、力に屈し、圧力に屈し、そして地べたに這いつくばる……そんな自分を捨てようと、そう誓ったんじゃなかったのかッ!?
そうだ、そのために俺は力を手に入れ、強くなった。
他者を圧倒できる力を手に入れた、そのはずだ。
だが……。
そこで、あいつの言葉を思い出す。力を手に入れ、天狗になっていた俺の鼻っ面をへし折ったあの男、あいつは何と言っていたか?
『他人から与えられたものをそのまま使ってるようじゃ、いつまでたってもお前は何も変わらない。お前はいまだに弱いままなんだ―――』
そうだ、確かにこれは俺の力じゃない。今俺が振るっているのは全てこの勇者装備の力に過ぎない。
なら、俺は何も変わっていなかったのか……?
俺はあの敗北から学ぶものがあったと、あの敗北を経て、遂に俺は本当の意味で変わり始めたのだと、そう思っていた。
だが、まだ俺はあそこから一歩を踏み出せていなかった?
借り物の力を我が物の如く振るっていただけだった……?
なら、俺は今まで一体何を……。
自身の無様な現実に呆然としつつ、俺は苦しむナタリーに目を向ける。
彼女は今も苦しみに顔を歪めながら、ただ耐えている。
泣き言も言わず、不満も言わず、ただ現状を乗り越えようと、耐え続けている。
きっと、彼女はこれまでもああやって生きてきたのだ。
幼いころから敵の存在を意識し、常に気を張りながら、最低の状況を生き抜いてきたのだ。
そうだ、俺なんかより、彼女のほうがよほど強い。
そんなことはとっくに気づいていて、それでも俺は彼女に弱い自分を見透かされたくなくて……。
そうして俺は視線を彼女へと向ける。すると、苦し気に耐える彼女の顔がこちらを向き“大丈夫、わかっている”とでも言うかのように、無理矢理に笑顔を作ると、震える唇を動かして一言、
―――“ごめんなさい”と、そう俺に向かって告げたのだ。
その言葉を聞いた瞬間、俺の中に沸き上がった感情は嘆きでも、悲しみでもなく、怒りだった。
ふざけるな、ふざけたことを抜かしてんじゃねぇ。そうあいつに叫びたかったのだ。
だってそうだろう? こんな結末は間違ってる。
どうしてあいつが謝らなきゃいけないんだ? ここまであらゆる苦難に耐え抜き、泣き言も言わずただ耐え忍んできたあいつが、なぜ俺みたいな奴に謝る必要があるッ!?
お前は自分のことを誇ってもいいはずだ。自分の状況を嘆いてもいいはずだ。もっと我がままを言ってもいいはずだッ!!
納得できない。否、こんな現実に納得してたまるものか。
俺はジャックにあいつのことを託され、その思いを受け継いだ。
だから、この役目は俺の担うべきものだ。
俺はナタリーに言わなきゃいけない事がある。
それを伝えるためにも、俺がここであいつの命を諦めるわけにはいかない。
それに―――この程度で立ち止まっているようじゃ、鬼道彰を越えられないッ!!
俺は……誓ったはずだ。
あの男を超えると、そう誓った。
奴ならきっとこんな状況であろうと乗り越える、そんな理由もない確信がある。
ならば、こんなところで躓いてなんていられないッ!!
そうだ。俺は今度こそ……本当に、本当の意味で―――勇者になる。いや、なって見せるッ!!
そう決意したその時、俺の中で―――何かの歯車が噛み合った。
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