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さて、そんなこんなで見合い日当日。

祖父も父も最後まで泣き喚くようにギャーギャーと文句を言っていたが、仕事があった為付き添うことが出来ず秘書の人達に連行されるように会社へと連れて行かれてしまった。
そうなると付き添い人はどうしようかと思えば、祖父や父と同じように意気揚々と立候補した兄と兄の奥さんが行くことになった。
本当は兄の奥さんだけの予定だったんだが、相手がαなのだから何かあった時にΩだけだと危険だと最もらしい理屈を捏ねられては反論ができない。
流石に自分から言い出した見合いで見合い相手に何かしようとするような奴が居るとは思えないが、俺が無自覚に相手を怒らせることがあるかもだから仕方ない………のか?
ちょっと納得できないけど、理解しようとは思う。

「あの、お義姉さん………そんなに気合い入れなくても………」
「あら、駄目よ!これはね、甲冑と一緒なの!」

俺には似合わないと思うような明るい色の派手目な着物を着付けてくれながら、兄の奥さんはそう言った。
まるで人形みたいに可愛らしいフィメールΩの彼女は、いつだって俺には到底理解が及ばない話をする。
着物が甲冑って、どういうこっちゃ。

「もしも相手が貴方の言う通り馬鹿にする目的なのであれば、尚更。とびきりのおめかしして、とびきりのお化粧して、綺麗になって見返すのよ。」

うーん………それは俺みたいなちんちくりんがやった所で珍獣具合が増すだけだとは思うけど。
そう思ったが、口には出さないが吉。
神妙な顔っぽくして頷いて、でも決してうんともすんとも言わない。
何故なら言い方でカケラも納得してないことがバレるからだ。

「………!!こんなに可愛くして!相手が惚れたらどうするんだ!?」

早朝から続いた(兄の奥さん曰く)戦支度は漸く終わり、本番前にすっかりヘロヘロとなったところに兄の訳分からない悲鳴が頭に響いた。
いや、俺ちゃんと鏡見たけど、いつものちんちくりんが七五三みたいになってただけだったよ。
よく見ろ。
兄のSP達も思わずひっそりと首傾げちゃってるじゃん。
うそ。
俺可愛い状態の兄がそんな様子を見たら、SPの人達がクビになるかもだから見ないであげてほしい。

「それは絶対に無いと思うから………もう疲れた、早く行こう。」

正直、今すぐ部屋に帰って寝たい位にはクタクタだ。
さっさと行って、さっさと満足してもらってさっさと帰ろう。
自分で行くって決めたけど、正直そんなこと言わなきゃ良かったと思うくらいにダルい。
そんなこと言うとこれ幸いと兄が俺を連れて帰ろうとするから、言わないけど。

「そうだな。早く行って早く終わらせるぞ!」

キビキビと兄が指示を出し、俺達三人は兄お抱えの運転手が運転する車で目的のホテルへと向かった。
国内最高級ホテルだ。
たかだがお見合いごっこにわざわざ使う場所じゃないだろ。
ホテル側も迷惑だし、なんかこういう金のひけらかし目的な言動ってちょっとダサいよなって思ってしまうのは仕方ないことだろう。
否………遊びだといえうちの家との見合いの場を設ける為にはこういう場所じゃないと許さんって祖父が言った可能性もなきにしもあらず。
その時はそっちが言い出したんだからそっちが金を出せとも言ってそうだよな。
嫌がらせご苦労様過ぎる。

「待たせたら文句言ってやる。」
「文句、だけに留めてくださいね。」

一応、苦言を呈してはみたが、多分無理だろう。
しかしなんで兄も父も祖父もここまで反対的なんだ、この見合い。
確かにうちの家を舐めてるから提案した可能性もあるけれど、もしかしたら本気でうちと良縁を結びたくて唯一独身の俺に仕方なく声を掛けざるを得なかったかもしれないのに。
あ、だとしたらお相手である次男坊さんも哀れだな。

ホテルで受付をして通された部屋は、政治家とかも使うと有名なVIP室だった。
どこまで金かけてんの、この見合いに。
なんだか怖くなってきて思わず兄の奥さんの手を握れば、子供を見るような生暖かい目で見られた上に頭撫でられた。
恥ずかしい!
兄にも案内してくれてるコンシェルの人からもそんな目で見られたし!
しかし、流石は一流ホテルのコンシェルジュ。
ごく自然に意識を切り替え、例の部屋をノックして中に居る人に声をかけて部屋の中に通してくれた。

てか誰か居たんだ。
てっきり誰も居ない空間で待ちぼうけされるのかと………
なんか、別の意味でドキドキしてきた。
どんな人が居るんだろうか。
でも多分だけど、αの次男坊だからワガママで俺様なタイプだと思う。
偏見以外の何ものでもないけど。

「お待たせ致しました。」
「いいえ。こちらこそ急なお話にも関わらずお受け頂き、ありがとうございます。」

全然悪いと思っていなさそうな声と顔で、兄はそう言った。
失礼極まりないと思うけど。
しかし、中に居た父と同じ歳くらいに見える多分メールαと思われる人は、そんな兄に対してにこやかにそう言った。
やだ、大人。
兄ったら子供扱いされてるじゃん。
そう思うとますます不安になって視線を彷徨わせれば、ふと、その隣に居た人と目があった。
どう見てもメールαだと分かる美しさと雰囲気。
パチリと目が合った瞬間ふんわりと優しそうに微笑まれたから思わず会釈してしまったけど、え?もしかしてこの人が―――

「初めまして。お会い出来て光栄です。」
「あっ………」

話し掛けられた瞬間、鼻腔に広がるこの匂いはなんだ?
甘い、ベリーみたいな香り。
もしかして、このαの香り?
でも俺自身もフェロモンが薄いし、そもそもメールだろうがフィメールだろうがαのフェロモンなんて感じたことなかったのに、なんで?
今、こんなタイミングで………!

怖い。
この人は違う。
今まで出会ったどんなαとも違う人だ!
それは多分、彼もそう思ったのだろう。
優しげな微笑みを浮かべたまま、それでいてまるで獲物を狙うような獣の目をしていた。

「嗚呼………本当に、良い匂いだ………」

ポツリと彼は恍惚とした表情を浮かべながらそう言って俺に近寄ってくる。
怖い怖い怖い!
彼は俺の【匂いしか】、感じてない。
【俺】の事なんてまるで見ていない!
俺の人生を壊すつもりなのに!

「かえ、帰ろう!帰ろう兄さん!」

未だに付き添いのメールαと睨み合っている兄の袖を引き、小声で促す。
喋ろうと息を吸えば、相手のフェロモンが殴りつけるように脳に回って頭がクラクラする。
これ以上、ここには居れない。
失礼だとは分かっているけれど、でも、とてもじゃないけど耐えられない!

「………申し訳ございません、弟が体調が悪いようで。折角の機会ではありますが、本日はこれで失礼します。」

俺の顔色がよっぽど悪かったのか兄がそう言って俺を抱き上げ、兄の奥さんもコンシェルジュの人にペットボトルの水を持って来て欲しいと要求してくれた。
付き添いのメールαは驚いたような心配そうな顔を浮かべ、俺の見合い相手だという彼も同じように俺を心配そうに見つめて来た。
だが何故だろうか。
その瞳の奥に、期待のようなものが見えて気持ちが悪い。

「ホテルの部屋を取りますので、そこでお休みに………」
「家以上に安心出来る場所があるとでも?申し訳ございませんが、貴方はΩのことを何も分かっていないようですね。」

彼が言った言葉を、兄の奥さんがピシャリと跳ね除ける。
流石にΩに言われてしまえば反論のしようがないからか、彼は不機嫌そうに眉根を寄せながら黙った。
けれども余程不快だったらしく、彼からじわじわと【威嚇】のフェロモンを感じる。
気持ちが悪い。
さっきの甘さがこびりついてるのに、相反する威嚇の強さに脳が混乱する。

「体調が悪いΩが居ると分かっていながら、更に言えば私の妻に対してそのようなことをされるならば、此方としても考えさせてもらう。」
「………っ!まっ、待ってください!」

兄の言葉に彼が縋るようにそう言ったが、俺ももう限界だったから首を横に振って帰宅を促す。
もう無理だ。
自分で制御出来ないほどに、感情がぐちゃぐちゃになる。
訳が分からないままとうとう涙を流し始めた俺を兄は抱き締める腕を少しだけ強くして、部屋から出て行ってくれた。
彼の呼び止める声が聞こえる。
それでも俺はもう二度と彼に会いたくないと思う程に、気分が悪かった。

『運命の番って、やつかもしれない。』

いつぞやの彼との会話が頭を過ぎる。
身体が熱い。
熱くて熱くて気持ちが悪い。
お腹の中にぐるぐるとした何かが暴れ回っているような、そんな感覚がする。

「坊ちゃん!?」
「御託は要らん。直ぐに車を出せ。」

気持ちが悪い。
運転手に指示を出す兄の声が遠くに聞こえるのに、何故かわんわんと響いて聞こえる気がする。
耳鳴りもキンキンと鳴って、痛いし気持ち悪い。
自分の身体が自分じゃないみたいな感覚に、俺は車の中だし何より兄に抱き締められているという状態なのが分かっているのに耐えきれずに吐いてしまった。
やった、やってしまった。
折角お義姉さんが着付けてくれたのにそれも汚してしまったし、兄の高級スーツまで………。

「ごめ、さ………」
「良い、気にするな。出るなら全部吐いてしまって構わん。」
「気にしないで良いのよ。それより、お水飲める?お熱測ろうか。」

お義姉さんがどこからかちょっと変わった形の体温計を取り出して、俺の熱を測り始める。
直接身体に触れられているのに、なんだか実感がわかない。
触れられた所になんか薄い膜が張ってあるような、そんな感覚がする。

「どうだ?」
「フェロモン値がおかしい。ヒートかもしれない。」

ヒート?
これが?
快感なんてどこにもない。
何もかもが気持ち悪くて仕方なくて、俺は理解するよりも前に再び嘔吐した。
とはいえ何も食べてなかったから、出たのは真っ黄色の胃酸混じりの唾だけ。

「コレでか?」
「うん、多分。気持ち悪いね、大丈夫。これ持てる?」

兄はαなのに普通そうだった。
いくら番持ちのαでもこうも至近距離に発情期のΩが居ればラットになってもおかしくないのに、兄は普通なんだからやっぱりヒートじゃないじゃん!
耳鳴りは止まないし、頭痛はするはするし、まだ吐き気がしてイライラし出した俺に、お義姉さんが何かを握らせてきた。

なんだろう、これ。
ハンカチ?
ぼんやりと見つめ、何を思ったか俺は自然とそれを鼻に寄せた。
途端に鼻腔を抜ける、嗅ぎ慣れた爽やかなシトラスの香り。
それを認識した瞬間、不思議と不快感が全部落ち着いた。
まだお腹はぐるぐるするけれど、それだけだ。

「………彼のか。」
「ええ。念の為お借りして来たんですが、正解だったみたいで良かった。もう大丈夫ですよ。」

変態みたいと思いながらすんすんと鼻を鳴らして嗅げば、お義姉さんが宥めるように汗で額に貼り付いた俺の髪をそっと流してくれた。
早く家に帰りたい。
会いたい。

『ずっと一緒に居られたら良いのに。』

ねぇ、ホントはね、俺もそう思うんだ。
今だって、ずっと傍に居てよって思ってる。
早く会いたい。
【運命の番】でもなんでもない、君に会いたいんだ。
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