こう見えても実は俺、異世界で生まれたスーパーハイブリッドなんです。【序章編】【高校生編】

若松利怜

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序章

 第参話 ― 輪廻 ―

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 夜中に孫の手に触れた後、いつの間にか寝てしまっていた俺は、死んだ妻の夢を見た。

 見た事も無い女性数人と一緒に、死んだ妻の悠子が微笑んでいたのだ。

 彼女達は横たわる俺の身体の周りに立ち、何やら話し込んでいる様だが、悠子だけは俺の顔を見て笑顔を見せてくれていた。

 いつも彼女の夢を見た後は何とも言えなく悲しい気持ちになるのに、今回は少し違った。

 しかし、あれからどの位寝ていたのだろう。

 随分とぐっすりと眠った気がする。

 ゆっくり目を開けると、辺りは琥珀色に染まっている。

 見上げた空は昼の様に明るくなっていた。

 朝焼けでは無く、これは夕焼けなのだろうか。

 そう思うと、すぐにハッと起き上がる。

 見晴らしの良い小高い丘に、独りで寝ていたのだ。

 近くに寝ていた息子たちの姿は無く、しかも、ここは部屋の中ではない。

(はぁ⁉ 何処だ、ここは?)

 辺りを見回しながら見上げた空は、薄い琥珀色になっている。

 とは言え、夕暮れのそれとは明らかに違っていた。

 途端に不安感が全身に過る。

 ここは全てがセピア色の世界であり、自分が今まで生きてきた世界ではないと、直感で感じたからだ。

 下の方には何処までも続く草原と木々が見えるが、どれも緑色をしていない。

 草原だけでなく、木々の幹も葉もセピア色なのだ。

 濃淡はあっても全てがセピア色であった。辺りをぐるっと見回しても、やはりここが何処だか分からない。

 そして、いつからここに居たのかも分からない。

 アパートの居間に寝ていた筈だ。

 足元を見ると裸足だった。

 いや、それどころか、裸である。

 私は一糸纏いっしまとわぬ姿で立っていた。

 どうして裸でここにいるのだろう。

 周りを見渡しても人工物らしい物が見当たらない為か、不思議と裸で居る事に恥ずかしさはなかった。

 やはり何処にも息子や孫の姿は見当たらない。
 
 一体ここは何処なんだろうか。

 だが、どことなく見覚えのある様な、そんな感じがしていた。

(これは夢なのか? 前にもこんな夢見た事あったな……)

 不安もあったが、何故か私はただその場でボーっと立ちすくんでいた。

 目の前に広がる辺り一面セピア色の世界の中に、過去の淡いセピア色の思い出を重ねていた。


『あれー? ちょっとおっちゃん! いつからそこにおるん?』


 突然、場違いとも思える関西弁が聞こえた。

 びくっとしながらも声の主を探すが、人影などは見当たらない。

 どこから聞こえたのか見当も付かず、その場でただキョロキョロと見回した。

 と、同時に素っ裸なのを思い出し、咄嗟に股間を両手でしっかりと隠した。


『あー見えへんか? ちょっと待ってな~よいしょっと』


 突如、目の前に赤い髪を頭の両サイドで束ねた、中高生くらいの少女が現れた。

 いや、正確には上半身だけ見えた。その真っ赤な髪が特に印象的だった。

 関西弁が妙に似合わない様に思えたが、それよりも突如現れた事に驚き、その少女を凝視していた。


「ちょ、ちょっと、真っ裸やないか! この変態! ドアホ! うちまだ乙女やで⁉」

「あっ……」


 その容姿とはミスマッチな関西弁でまくし立てられ、申し訳なく頭を下げるが更に怒鳴られる。


「全くも~! あっちからじゃ色が分からなかってん、まさか裸でおるとはな!」

「す、すみません!」

「で? おっちゃん、どないしたん?」

「あ、あの……えっと」

「あ、待ってな~隠すもん、隠すもんっと――」


 その少女は何処から出したのか、手にバスタオル程の大きさの布切れを手にして、目の前にストンと降り立った。

 私は再度会釈してからそれを受け取る。

 タオルかと思えたそれは、もの凄くさらさらして、とても肌触りの良い布だった。

 信じられない程に軽い布だが、これがシルク素材なのだろうか。

 これまでシルクの生地など触った事も無い。


「それやるわ、も~。結構いいもんやで、それ」

「す、すみません!」

「で? どないしたん?」

「あ、はい。気づいたらここにいました。どこでしょう、ここは」


 私はその少女に何度も頭を下げながら聞いてみた。

 きっと昨夜、久しぶりにお酒を呑んだせいだろうか。

 まさか裸で出歩いてしまったとは……。


「はぁ? どこでしょうって、あんた。やっぱり迷い人かいな!」

「え、ええ……まあ」

「うち、何人も見つけた事あんねんけどな、真っ裸まっぱって初めてやねん! どないなってんの?」


 セピア色に見えるのは解せないが、自分が裸でいる事は謝罪しなければなるまい。

 色々と世間的にマズい。


「本当にすみません! すぐに帰りますから――」


 そう言って頭を下げてから辺りを見渡すが、まるっきり帰り道がわからない。

 と言うより、どうやったら家に戻れるのだろうか。


「あーちゃうねんな。ここはおっちゃんの世界とちゃうねん。残念やけどな」

「え?」


 その子を見ると、少し悲しそうな顔で私を見ている。

(え? 世界が違う? どういう事だ?)

 何を言っているのか理解も出来ぬまま、その少女を見ていると悲しそうな表情のまま尋ねて来た。


「おっちゃん、元の世界に戻りたいんか?」


 その子にそう聞かれて返答に困った。

 そして違和感に気づいた。

 ――私は戻りたいのだろうか。

 妻のいない辛い生活を三十数年過ごして来た。

 そして息子に孫が出来た。

 今まで妻を亡くした思いを背負って来たが、それも今は軽く感じた。

 だが、息子も嫁さんも心配しているに違いない。


「え、ええ、まあ」

「何だかハッキリせーへんなぁ」

「す、すみません……」

「まぁ、えーけど、どの道戻られへんちゃうかなぁ」

「ど、どういうことでしょう?」

「おっちゃん、抜けてもーたよ?」

「抜けた?」

「んー、あっちで言うと、死んでもーたな。多分」


 そう言うと、少女は親指で自身の後方を指した。


「え……死んだ?」

「多分やけどな~」


 ああ、そういう事なのか。死んだらこうなるのか。

 痛みも苦しみもなく死ねたって事は、これはこれで幸せだったのだろうか。


「そ、そうですか……死んだんですか……」


 頭の中がグルグルと回って、足元がふらつく。

 これが死……?

 だが、これと言って思い残す事も無いと思えた。

 同時に、これでやっと悠子に会えるのかも知れないと考えていた。


「で、どないしよか? 戻りたいって事やろー?」


 悲しそうな表情のまま少女が聞く。

 が、そう訊かれてもどうしようも無い。

 こんな経験は初めてだしな。

 そもそも死んだ後にどうするか等、考えたことも無い。


「ま、まあ、運命うんめいに従います」

「は?」


 そう言うしか無かった。

 きっと、この子にどこかへ連れて行かれるのだろう。

 黄泉の世界かどこかだろう。

 こんな可愛い少女の様に見えて、実は死神なのだろうか。

 先に死んだ悠子はそこに居るのだろうか。

 悠子に会いたい。


「あーははは! おっちゃん、おもろいこと言うなー! 運命やてー?」

「え……?」

「おっちゃん、もう運命あらへんねんで? あっちでは死んでんねんからぁー」

「あ……」


 急に少女はその可愛らしい膝を、ぱしぱしと叩きながら笑いだした。


「あ、まあ……そうですね」

(やっぱり、このまま黄泉の世界にでも連れて行かれるのか?)


 こっちの身にもなってくれと内心思ったが、さっきまで悲しそうな顔をしていた少女が笑顔になった事を思うと、それはそれで少し気が紛れた。

 見た感じはまだ少女でもあり、箸が転がっても笑い出す年頃があると聞いた事もある。

 思春期の女の子とはこんなものかもしれない。


「あー笑わせてくれんねんなー、おっちゃん!」

「あ、ははは……」

「せや! うちの仕事手伝ってくれへん?」

「えっ⁉ 仕事?」


 中高生くらいにしか見えないこの子は、一体何者なのだろうかと考えるが、まるっきり想像も出来ない。

 しかも、仕事など思いも寄らない話だ。


「案外慣れたら簡単な事やで? うち、おっちゃんの事、気に入ってもうた!」


 まあ、死んでしまったからには行く所も無い訳だし、この際かまわないだろうと心を決めた。


「え、ええ。私で良ければお手伝いしますが……私に出来るでしょうか?」

「んー出来るんちゃうん? 人手は多い方がええねん! その内慣れるやろ」


 それより悠子はどうしてるだろう。


「あの、すみません。先に死んだ妻はどこにいるでしょう?」


 すると、少女は動きを止め、キョトンとこちらを見た。


「悠子って言うんです! ずっと前に先に死んだ……」

「えー? 妻て、あんたの奥さんかいな!」

「はい! 三十年ほど前なんですけど」

「ユウコとか言われてもな~そんなん分からへんてー」


 少女は自分の顔の前で手を左右に振った。


「え?」

(死んだらここに来るんじゃないのか?)


「でも、それ知ってどないするん?」

「あ……」


 改めて聞かれてハッと我に返った。

 どうしよう。

 死んだ頃の妻は二十歳程度、私はとっくに五十を過ぎている。


「おっちゃん、ええかー? 今はそんなん考えたらあかんねん」

「え……」

「ま、すぐに慣れるやろ~」


 少女は少し困った表情をしたが、すぐに笑顔になるとそう言った。

 だが、その言葉に私は落胆していた。

(悠子には死んでも会えないのか……)

 そう思うと、死んだ事も意味が無く思えた。

 これまでは、死んでしまった悠子に会えないのは、当たり前だと生きて来たのだ。

 だが、死んでも会えないと言われて、漠然とした虚無感に包まれていた。

 死んだ悠子に会えない私は、自分が死んだ事さえ無意味だったのだ。

 今の自分のその存在すら意味の無い様に思えた。

 そう思っていると、急に彼女が手を引っ張った。


「ほな、もう行くでー? ええかー?」

「あ、はい」

「おっちゃんの身体、用意せなあかんのや」

「え? 身体ですか?」

「そうやー?」

「ど、どう言う事でしょう」

「今のその身体な、何つーか、思念体つーやっちゃ」

「しねんたい?」

「せやせや! だから、この歪から出たら消えてまうかも知れへんのや」

「え……」

「そら困るやろ~? だから、ちょっと待っときや?」

「あ、はい」


 そう言うと、何やら彼女は祝詞を唱え始めた。

 その内、気分が遠のく様な、立ち眩みの様な、そんな気分のまま何も出来ずにじっとしていた。

 ふと気づくと、少女が屈託のない可愛い笑顔で私を見ている。

 見られている事に、不思議と安心感に包まれる。


「こんなんでええかな? さてとほな行くでー?」


 そのまま少女に強く手を握られたままその身を委ねていると、頭の中に≪ビシッ≫と言う音が鳴った。

 と、同時にいきなり景色が変わった。

 何事かと慌てて見回すと、目の前には祭壇の様な物があり、その柱の向こうは辺り一面緑の草原が広がっている。

 あちこちに色とりどりの花々が咲いており、上には抜ける様な青い空が眩しく見えた。

(どこだろう、ここは……)


「あかん! ルーナはんに言わな! 事後報告はあかんてユーナに言われっとった!」

「えっ⁉」

「いやいや、いらん話や!」


 私の手を放した彼女は、ケラケラと笑いながらそのまま走って行く。


「こっちやでー! 早う、走らんとー」

「あ、はい⁉」


 その先には、いつの日か歴史書で見たパルテノン神殿の様な柱の、真っ白な建物が目の前にあった。

 だがそれは柱だけの遺跡では無く、しっかりとした存在感のある建物だった。

 緑の草原からそのまま神殿内へ向かう階段があり、その階段をトントンと跳ねながら彼女は神殿の中へ入っていく。

 その後を遅れないように彼女を追う。

 彼女より幾らか遅れて中へ入ると、すぐに大きな広間があった。

 奥に祭壇があり、そこに誰かが居る様だ。

 心なしかその人の身体全体が、薄っすらと光っている様に見える。

 そして彼女はその人へ向かって大声で話しかけた。


「ルーナはーん、迷い人みっけたでー! それがなー? 真っ裸やねん! めっちゃびっくりやー! うち、乙女やんかー。どないせーっちゅーんやー?」


 彼女がそう一気に話し出すと その人はゆっくりこちらを振り向いた。


「あらあら~スクルドちゃん、落ち着いて~?」


 振り向いたその人は彫刻の様な整った顔立ちで、スクルドと呼ばれるその子を優しくなだめる。


「せやかて、真っ裸まっぱやでー? 心臓に悪いわ~ほら、あれや~」


 スクルドはルーナと呼んだその人の元まで行くと、くるっとこちらを振り返るとこっちを指差した。

 確かにスクルドの言う通りである。

 素肌に布切れを纏った姿が、途端に恥ずかしくなってきた。

 生きて居た頃は、こんなモラルの無い行動などした記憶はない。

 名前を名乗った方が良いのだろうが、その負い目からか少し躊躇していた。


「まあまあ、で、どうしてここへお連れしたの~?」


 スクルドを優しく見つめて言う。


「あ、うちな~この人、気に入ってもうたやんかー、でなー? うちの仕事てつどーてもらおうと思うねん! ええやろー? なあ~ルーナはーん、ええやろー?」


 周りの目を気にせずに、母親に駄々をこねる子供の様だ。

 ルーナはスクルドの保護者なのだろうか。

(俺……捨て猫みたいだな……)

 まるで捨て猫か捨て犬でも拾って来た子供が家に帰って来て、台所に立つ母親に我儘を言っている様だ。

 何となくばつが悪くなって来た。

 自分の事でスクルドがルーナに無理を言ってないか気になっても来ていた。


「えー? そんなこと勝手に決めちゃって~」


 スクルドに手を握られ、困ったようにルーナはこちらを見た。


「こうスクルドが言ってますが、いいんでしょうか?」

「あ、あの――」


 返事をしようとしたが、彼女と目が合った時、ルーナのその美貌に息を呑んでしまった。

 その身体はうっすらと光り輝き、まるで女神様と思える程の神々しさがあった。


「あら? 貴方は……そうでしたか、こんな事もあるのですね~」

「え?」


 死んだらここに来る訳では無いのかも知れない。

 やはり自分は特殊なケースなのだろうか。


「でも、スクルドが無理に押し付けてはいませんか~?」

「あ、い、いえ!」


 どうもその口調から察して、ルーナは自分の事を気にかけてくれている様だ。

 こちらとしても、訳が分からないまま、この流れに任せてしまっただけではある。

 だが、私自身、このスクルドというこの子の思うようにしてあげたくなってきていた。

 こんな自分に今、出来る事。

 それはスクルドの手助け、今はそれだけの様な気がした。


「あの、でも、私に出来る事なのでしょうか?」

「ん~それは、あなた次第ですねえ~」


 ルーナは笑顔ではあるが、全てを見透かすように私をじっと見つめた。


「なぁ~おっちゃんもああいうてるし、ええやんかぁーな~?」


 すかさずスクルドがルーナの袖を引っ張ると、ルーナはやれやれと言った表情でスクルドを見た。


「もう困ったわね~ちゃんと教えてあげてね~?」

「やったー! だから好っきやわ~ やったね、おっちゃん! おっちゃんからもお礼言うてな~」

「あ、どうもすみません。宜しくお願い致します」


 スクルドに言われるがまま、頭を下げてお礼を言う。


「いえいえ~私は何も~では、スクルドちゃんにお任せします~」

「ほな、おっちゃん、行くで~? はようしいや?」


 そう言うか否や、スクルドは神殿の出口へ走り出した。


「あ、ちょっとスクルドちゃん? 私はこれからも度々留守にするので、何かあったらお姉さんにお願いね?」


 ルーナに呼び止められると、スクルドは勢いよく振り返った。


「え? 何処行くん? ユーナは?」

「私はちょっとだけ用事済ませに来ただけで、ユーナちゃんはもう留守にしてるの~」

「えー⁉ 何処行ってるん?」

「ん~ちょっと内緒~」

「そんなぁー! 内緒やなんて酷いやんかー」

「ごめんね~ユーナちゃんと暫く留守にします~」

「むー!」

「後でお話してあげるから~行って来ますね~」

「うーわかった。じゃあ、うち、新入局員の教育あるから……行くわ……」


 そう言うと、スクルドはトボトボと神殿の出口へ向かう。

 そのやり取りを見ていた私は、慌ててルーナに頭を下げた。

 スクルドの言う新入局員とは、勿論私の事であろう。


「で、では失礼します」


 咄嗟の事で、自分の名を名乗るタイミングを失っていた。

 こんなことでいいのだろうかと思いながらも、慌ててスクルドの後を追う。


「は~い! よろしくね~」


 後ろからそう聞こえたので振り返るが、もうそこにルーナの姿はなかった。

 不思議に思いながらも神殿を出て階段を降りる。

 やはりあの人は女神様なのだろうか。

 それにしては話し方はおっとりとしていた。

 いや、そうは言っても女神と話した事も無ければ、声を聞いた事も無いが。


「おっちゃん、こっちやでー?」

「は、はい! あの、あの方に私の名前言うの忘れてました!」

「あー又でええんちゃうー?」

「そ、そうですか?」

「おっちゃん、名前なんての?」

「あ、霧島です。霧島圭一です」

「きりしま? けーいち? ほ~ええ名やん」


 神殿を出ると、辺りを見廻しながらスクルドの後を歩く。

 向こうの方には天にまでそびえたつ大きな木と泉が見える。

 その木の大きさに暫く唖然とした。

 まるで空を支えている様にも見える程高いのだ。

(ここがあの世の世界なのか?)

 そう思うと不安になり、見失わない様にスクルドの後を追う私は、いつの間にか走っていた。

(こんな風に走ったの、どれ位ぶりだ? あの時かな?)

 妻に息子が出来た時も、こんな風に走った事を思い出していた。

 あの時は、病弱な妻の安否を気にしながら、出来る限りの全力で病院へ向かった。

 だが今は、見慣れない神殿へ続く階段を、先を走るスクルドを見失わぬ様にと駆け上がる。

 そして、神殿の中へ入ると、先程と同じように奥に祭壇の様なものが見えた。

 ♢

「ここがうちのとこや! おっちゃん、何かあったらここへ来るんやでー」


 ここへ来いと言われても、一歩出たら帰る自信がない。

 私はただ、息を整えながら頷くと、スクルドは何やら探し物をしている様だ。

 祭壇の陰に彼女の赤い髪が見え隠れしている。

 辺りを見回すと、祭壇の前にちょっとした段差があった。

 私は、そこへ腰かけると思い切って聞いてみた。


「あの、スクルドさん。お尋ねしていいでしょうか?」


 中高生くらいの少女ではあるが、私よりこの世界での大先輩ではある。

 そう思うと自然に敬語になっていた。


「んー? ええよー?」


 スクルドは何やら探し物をしながらそう答えてきた。


「あのう、ここは一体どこなんですか?」

「は? 神殿やないかい! あ、名前か? ノルンやで?」

「ノルン……」

「あーここかー? エランドールちゅーとこや~」

「外国……では無いですよね」

「がいこく? 外の国っていやーそうなるか?」

「あ、まあ……」

「これでえーかな? うん、ええやろ! よっしゃー!」


 スクルドは大きな机の上へ鞄と服をごそっと置いた。


「よっしゃ、これ着てみー? きっと似合うでー? なんせファッションリーダー、スクルドちゃんが見繕ったさかいな! どやどや? ええやろ~? そんな、ええねん、お礼なんか照れるやろ~」


 スクルドは一方的に喋りながら、机上に置いた服をこちらへ突き出す。

 服が何点かと鞄の様な物もあった。


「あ、ありがとうございます」


 一つを手に取ってみると、普通のスウェットのズボンに思えた。


「あ、それはリラックスできるでー? 上下お揃いや! んーこれこれ!」


 そう言って祭壇の上の服の中から、今度はトレーナーの様な上着を差し出す。


「あの、スクルドさん。仕事には何を着たらいいでしょう?」


 上着を受け取りながら聞いてみる。


「は? 仕事着かいな! まずは部屋着を着ろっちゅーねん!」

「あ、そうですよね」


 今はまだ素肌にシルク生地を纏っただけだ。

 取り敢えず何かを着なければいけない。


「ま、ええわ。そやなー、これなんかどない? あ、これもええでー? ポロシャツや! 紳士の装いちゅーやっちゃ! 仕事着にもバッチリや!」


 胸のあたりに小さい亀が刺繍してある。

 これが仕事着で良いとは、どんな職種なのであろうか。


「それとなー? ズボンはこれや! ちゃーんとベルトもついてるんやで?」


 そう言ってスクルドは自慢げに私に突き出した。

 それを着た自分の姿を想像してみると、まるでゴルフ場で見かける姿の様に思えた。

 だが、デスクワークでないのであれば、動きやすくていいのかもしれない。


「これで、帽子かぶれとか言いませんか?」

「はぁ~? 帽子やてー? 帽子はやめとき! 落としてまうで? ま、はよう着てみー? きっと似合うで~?」


 ゴルファーになれと言う訳では無さそうだ。

 私はズボンを履こうとしてハッと気づいた。

 下着を履いていないし、にこにこしながらスクルドが見ている。


「あ、見とったら着られへんか! こりゃ失敬!」


 そう言って自分のおでこをぺチンとはたく。


「あ、おっちゃんパンツはトランクスでええんか? それともボクサー派? あ、まさか、ブ、ブリーフとか⁉ あの、純白の⁉」


 スクルドが不安げな表情をして、手には大きなトランクスパンツを持っている。


「あ、そ、それでかまいません。ありがとうございます」


 関西弁も似合わないが、話すとどうも中学生には感じないな。

 そう思いながら服を着た。

 やはりそれはゴルフウエアーの様だった。


「ええやんかー! ぴったりやん! いやー見直したわ~もう裸で歩いとったらあかんよー?」

「あ、はい……」


 いや、あの時は仕方なかったと思う。

 死んだんだし。

 だが、何となくこれからの目的を与えられた気がしていた。


「よーし、ほなら、おっちゃーん? ちょっとお勉強しよか!」


 思いがけないその言葉に、一瞬たじろぐ。


「何や、その顔はー、これから覚えなきゃあかん事、仰山あるでー? 気張ってやー?」


 そう言われて改めて気付いた。

 そうだ、ある意味私は新入社員だった。

 もう随分昔の気持ちを思い起こすと、気の引き締まる思いが急に湧き上がって来ていた。


「まあ、そう硬くならんでええねん。おっちゃんには、警備やってもらお思おてんねん」

「警備ですか?」


 思わず聞き返してしまった。

 警備などやったことがない。

 護身術とか経験がないけれどいいのだろうか。

 この歳になってからは、運動らしい事等やった記憶がない。


「うんうん、警備や! これからおっちゃんは時空警備員! どやー? かっこええなぁ~」

「はい? 時空警備ですか?」


 ニコニコしながらスクルドがそう言うが、私には全く自信がない。

 しかも、時空警備って何だろう。


「うちはな、言わば時空管理局の局長や! せやから、これからおっちゃんは時空管理局員でもあるんや!」

(ここが時空管理局?)


 言おうとしていることはわかるが、内容がさっぱりわからない。

 仕事内容は何だろうか。

 やはり聞いてみない事には分からない。


「スクルドさん、お聞きしてよろしいですか?」

「お? 何や~? はい! 新人君!」


 こちらをビシッと指さすと、スクルドがどや顔をしている。


「あの、それで私は何をしたら良いでしょうか?」


 私にそう言われ、スクルドはがっくり肩を落としてしまった。


「何や~仕事の質問かいな~。うちはてっきり彼氏居るのー? とか聞かれる思たわ」


 スクルドが上司で大丈夫だろうかと、一抹の不安を覚えた。


「せやなーまずは、おっちゃんには監視して貰お思おてんねん」


 監視員か。

 警備員よりも身体は使いそうもないのかな。


「あ、監視員ですか?」

「そうやー? まずは、時空の狭間に入り込んだものを発見したら、うちに即知らせるちゅー役や!」


(時空の狭間? もしかして、あのセピア色の世界か?)


「ここで何か異常を感知したら、その都度見に行くんやけど、最近は忙しくてあかん。行ったり来たりでもうしんどいんやわ。そこで、おっちゃんには、ここで一緒に見ていて貰ってやな、異常があったらうちが見に行く。要は、うちが居ない間の留守番やな!」

「留守番ですか……」


 スクルドと一緒に見ていれば、どんな事が異常なのかがかわかる。

 新参者の自分には、何が異常で何が正常なのかですら判断出来かねる。

 なんせ、来たばかりの自分には、この世界がどんな世界なのかも分からない。

 要するに、スクルドが居ない時に何か異常があったら、スクルドが帰って来た時に教えたらいいのか。


「どや? 簡単やろ?」


 聞く限りでは簡単そうだ。

 新参者の仕事にピッタリではないか。


「ええ。留守番なら出来そうな気がします」

「おおー! 流石うちが見込んだだけはある!」


 そう言うとスクルドは腕を組み、うんうんと満足そうに頷いた。


「ほな、こっち来てみ。ここや」


 見ると祭壇中央に白い空間があった。

 異様な感じにためらったが、よく見ているとそこは白ではなく灰色だった。

 そして何やらうごめいているのだ。

 そこをスクルドは指をさして話し始める。


「ここが時空の狭間やねん。ここは、あっちから入り込むとな、中々厄介やねんな」

(これが時空の狭間?)

 
 ここが時空の狭間だと聞かされ、そのもやをジッと見つめていた時だった。


『ジリリリリリリ――』


 その時、急にけたたましい音が辺りに響き渡った。

 それは、昔懐かしい電車の発車ベルか、工場の終業ベルにも感じられた。


「あちゃー警報や」

「警報?」

「そうやー? この音がしたら何か異常やねん」

「え……」

「ちょっと行ってくるわ。おっちゃんは、ここで待っときー」


 そう言うと祭壇のベルを止め、スクルドはその灰色の空間に頭を突っ込んだ。


「あれ? あいつ、妙なとこへ入ってもーたな……」


 スクルドはそう言いながら身を乗り出していた。


「あ、スクルドさん! 留守の間に鳴ったらどうしますか⁉」


 危なく、そのまま行ってしまいそうだったスクルドは、グッと顔を戻して答えた。


「あー! せやせや! よー気づいたわ! おっちゃん、流石やね~そうなったらやね、一応首だけ突っ込んでみてや。でも、入ったらあかんよ? あくまでも、様子見や、様子見」

「は、はい! わかりました!」

「しかし、おっちゃん、狭間に縁でもあるんか?」

「は?」

「いや、これが因果応報ちゅー奴かいな?」

「え?」

「あ、こんなこと言ったらおっちゃんが悪い奴みたいやんなーすまんすまん」


 そんな事を言いながら彼女は灰色のもやに首を突っ込んだ。


「こりゃうちが様子見に行かなあかんわ。よっしゃ、ちょっと行ってくるさかい、おとなしゅー待っといてやー」

「あ、はい!」


 そう言うとスクルドは手を振りながら、今度はそのまま頭から飛び込んでいった。

 独り残された私は、ジッと祭壇の上を見つめている。

 そこには灰色に鈍く光る空間があり、もやの様にうごめいている。

 この中へスクルドは入っていったが、一体何処へ繋がって居るのだろう。

 スクルドはこれを時空の狭間と言っていた。

 私にこれの留守番を託して入ってしまったが、先程の警報ベルが鳴ったらどうやって知らせたら良いのだろうか。

 そんな事を考えながら暫く見ていたが、特に異常は感じられなかった。
 
 次第にこの状況にも慣れて来た私は、自分が死んだという事を思い出していた。

 息子夫婦は悲しんでいるだろうか。

 生まれたばかりの孫は理解出来ているはずもない。

 息子の嫁さんにも大した事は出来ていない。

 せめて息子は悲しんでくれたであろうか。

 だが、妻を亡くしたあの頃の自分程、あんなに酷く悲しむ事は無いだろう。

 そう思うと少し寂しくも思えたが、同時に安心感も感じられた。
 
 そう言えばあの時、気づくと私は小高い丘に立っていた。

 人は死んでしまったらあの場所へ行くのだろうか。

 周りはセピア色だった。

 思い起こせば、音も聞こえていなかったように思える。

 しかも、あそこは初めてでは無い気もしていた。

 そして、スクルドに急に声を掛けられ、辺りを見回したがその姿は見えなかった。
 
 あの時のスクルドは、突然目の前の空間に現れた。

 もしかして、あの時もここから飛び込んで来たのだろうか。

 そうすると、ここはあの丘に繋がって居たという事になる。

 そう思い、改めて靄を見つめてみたが、ここからは中が見られない。

 さっき、スクルドは靄の中へ頭を突っ込んでいた。

(顔を入れたら見られるのか?)

 あの場所へ戻りたくは無いが、どうなっているのか興味が出てきた。

 暫く見ていたが、どうしても覗き込みたくなっている。

 だが、今覗いてもきっと誰も居ないであろう。

 誰かいた場合に警報が鳴る仕組みになっているはずだ。

 今はあのセピア色の景色が、ただ漠然と広がっているだけなのであろうか。

 そう思うと、覗き込む興味も薄れて来たが、仕組みが分かった気になった。

 ここはあそこに迷い込んだ人を監視する場所なのか。

 ならば少し覗いても構わないはずだ。

 意を決した私は、ゆっくり靄の中を覗き込むが、中はまだ良く見えない。

 両手でしっかりと祭壇を押さえながら、もう少し身を乗り出してみる。

 段々と何やら景色が見えて来た。

 下の方に薄いモノクロ色の景色が広がっている。

 そして、少し離れた所に道の様な物が見えた。

 それは線路だった。

 見慣れた景色の様に見えるが、そこがどこだかわからない。

 それに、そこには誰もいない。

 動くものが見当たらないのだ。

(セピア色じゃないな)

 線路脇の木々も見えてはいるが、その近くの道路には誰も居ない。

 見渡す限り無人なのだ。

 音も無く、薄いモノクロ色の景色がそこにあった。

 私は急に不安になると、両手で支えていた自分の重さを感じながら、その身が落ちない様にゆっくりと戻した。

 辺りを見回すと、そこには元の部屋がある。

 さっきまでスクルドが居た場所だ。

 少し安心はした気持ちにはなったが、自分が最初に居たセピア色の場所では無い事を不思議に思った。

(あそこは一体何処だろう)

 そう考えていた時だった。


『ジリリリリリリ――』


 急に先程の音が鳴り響いた。

 ビクッとしたが声にもならず、ただその場で凍り付く。

 これはスクルドが言っていた、時空の狭間に誰かが入り込んだ警報だ。

 だが、まだスクルドは戻ってこない。

(どうしたらいい⁉)

 急いで飛び込んだ所で、私には何も出来やしない。

 しかし、そんな思いはお構いなしにベルは鳴り響く。

 私はその場でオロオロと動き回るしかなかった。

 本当にどうしようもない時には、為す術もなくこうなるのかと思いながら、自分の無力さに悲観していた。

 それでもまだベルは鳴っている。

 こうしている間にも誰かが迷い込んで困っているのだろう。

 現在進行形で路頭に迷っているのだ。

 誰も居ない、音のないセピア色の世界に。

 けたたましく鳴るベルが、ただただ頭にこだまする。

 こんなに大きな音だったのかと思える程、その音に全身が包まれていた。

 両手で耳を強く抑えるが、頭の中でベルが鳴り響いている様だった。

 私は耐える事が出来なくなっていた。

 この音にも、そして誰かが困っているだろうその状況に、そして何もしてやれない自分に。

 その時突然、靄の中から真っ赤な髪が見えた。


「いや~遅くなってもーたわ~! おーおーえらく鳴っとるわ」


 そう言いながらスクルドが出て来る。

 急に聞き慣れた関西弁が聞こえると、安心感で涙が溢れて来た。


「あ、あの! ベルが、ベルが!」


 動揺してうまく話せない私を察したのか、スクルドが私の頭を撫でてくる。


「あ~ええねんええねん。怖かったやろ~もう安心せ~や~?」


 スクルドは迷子の子供をあやすかの様に、私の頭を撫でてそう言った。

 そして、祭壇でけたたましく鳴るベルを止めた。

 段々と落ち着いてきた私は、中学生程の女の子に頭を撫でられた事に、急に恥ずかしくなって来た。

 だが、まだ頭の中にベルの音が響き渡っているように感じていた。


「よし、おっちゃん。落ち着いたな? ほな、歪みの消えてる今のうちに教えるで?」


 そう言うとスクルドは、先程机の上に置いた鞄を手に取る。


「たったたーん! これや! おっちゃんの仕事ど~ぐ~ぅ!」


 まるで、青いネコ型ロボットを思い出させるかの様に、その鞄を高々と上に上げた。


「え?」

「え~か~? よう聞いてや?」

「あ、はい」


 その鞄の中から、何やら小さな銀色の機械を取り出した。


「これは秘密兵器なんやで~? どやー? うちの手作りや! 凄いやろ!」

「ひみつへいき、ですか?」

 
 そう言われても、その機械の凄さがさっぱりわからない。

 それよりも、先程の警報が気になっていた。


「あの、スクルドさん! さっき警報が凄く鳴っていたのですけど――」


 そこまで言いかけた所で、スクルドが手を上げて頷いた。


「うんうんー、うちかて聞こえとったよ。今は安定しとる様やね~」


 そう言うと、祭壇の上の靄に顔を突っ込む。

 直ぐに顔を戻したかと思うと、こちらへ先程の機械を振る。


「そこでこれやねん! そっから入ってあいつ見っけて、これや!」

「それ? あいつって誰⁉」


 これと言われてもさっぱり分からない。


「ああ、けったいな奴がおったんや。普段はきっちり確かめて欲しいんやけど、そいつがその世界に当たり前の様におったら、これ、これやねん」

「当たり前の様に?」 

「そうや~? 当たり前の様に、や。ま、さっき見た感じ、今回はこれの出番やな」


 そう言って、先程の小さな機械を見せた。

 あのセピア色に当たり前の様にいるとは、どういう事だろう。

 私があそこにいた時は、そこがどこなのかも分からなかった。

 それなのに、あの世界に当たり前とは……さっぱり分からない。


「でな~? これのなー? ここやねんけど、こーや!」


 スクルドの持つその機械を、食い入るように覗き込むが、やっぱり不安でしかない。


「あかんかー? このでっぱりをこう! そしてこう!」


 何やらつまみとボタンがあるが、デジカメか古い携帯電話の様に見えた。


「えーかー? もう一度やるで? こうして、こう!」


 要は、ダイヤルの様な物を動かしてからボタンを押すようだ。


「このでっぱりは、戻しすぎたらあかんで~? 厄介やねん」


 そして、スクルドは私の肩をポンと叩き、笑顔で言った。


「大丈夫や! ここでちゃ~んと見てるさかい。頑張ってや!」

「え? 私が飛び込むんですか? 一人で?」

「せやで~? おっちゃんのデビューにはもってこいの案件や!」

「そ、そうなんですか? 最初から一人では難しく無いですか⁉」

「これがうちらの仕事やもん。慣れなきゃあかんしやな~しかも、あいつはおっちゃんに救って貰わな……ま、ええわ。早くしてやらんと困ってまうであの子」


 スクルドは自分の肩越しに、靄の方を親指でくいっと指しながら言う。

 その表情は何やら笑みを堪えているかに見えた。


「スクルドさん、笑ってます?」

「笑って無いて! 早う行かんと!」


 そうだった。

(私の仕事なんだよな)


「ただ、ちゃんと確かめなあかんで? そこに当たり前の様に居たら、やで?」

「当たり前……ですか?」


 どういう事なのかは詳しく分からないが、当たり前の様にとは、そこの住人って事であろうか。

 こうなったら覚悟を決めて行くしかない。


「分かりました! ちゃんと見ていて下さいね? 行ってきます!」

「おう! 気張ってや!」


 こうしてる間にも、まさに誰かが困っているのだ。

 私は祭壇の上で蠢く靄を見た。
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