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第二章 抗戦
第42話 #親孝行 #夜露の秘密
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部屋に戻った俺は、早速トイレとシャワーを確認しようと、窓側にある洗面台へ駆け寄った。
お、おお……。
愛美の言った通り、洗面台の横の大きなタペストリーを手で避けると、トイレとシャワールームがあった。
とは言え、扉などは無く、タペストリーが無ければ部屋の中からは丸見えだ。
まあ、自分の部屋だから特に問題は無いが。
「何だよ、前におしっこ行きたくて、わざわざ上の風呂場まで走ったじゃん」
独り言を言いながら洗面台まで来ると、ベランダに人影が見えてゾクッとした。
「――っ⁉」
確かに西園寺さんの位置情報は近くにあるし、近くに夜露さんの存在も確認出来た。
だが、この上の露天風呂だと思う。
女の人⁉ しかも二人⁉
音を立てない様にそっとベランダへ出るが、丁度その時にその影が振り向いた。
「あ、霧島君!」
「え⁉」
西園寺さんだった。
向うには夜露さんも立って居るじゃないか。
温泉に入ったら数時間は出て来ないと思っていたが、やはり昨日の今日でそんなに長湯をする気はおきなかったのだろうか。
やっぱり今夜来てくれたのは、温泉よりも俺達の寂しさを紛らそうと思ってくれていたんだ。
「びっくりした~西園寺さん、もうお風呂あがってたの?」
「ええ、戴きました~驚かすつもりは無かったのですが、お部屋のベランダがとても広くて、ついお散歩してました~」
「ああ、結構広いですよねベランダ。ぐるっと繋がってるみたいだし」
「そうなんですね~とても広くて素敵です。あ、もうご入浴は済まされました?」
「ええ。下の風呂に入りましたよ」
「でしたらご一緒しませんかぁ~? 夜風が気持ちいいですよ?」
「いいですね、行きましょう!」
西園寺さんの風呂上がりのいい匂いが夜風に漂い、横を歩く俺の鼻腔を刺激する。
はぁ~幸せだなぁ……。
「あ、西園寺さん、今夜は来てくれてありがとう!」
「いえいえ、こちらこそです~」
「二人が帰って、急に寂しくなってたんだ」
「え? 帰った?」
「あ、いや、引っ越してね⁉」
「ええ、厚かましいと思われても仕方ないと思いつつ、来てしまいました~」
「ホント、ありがとう」
「いえいえ、あんなに素敵なお二人が、昨日突然お引越しですもの……さぞかしお辛いのかと……私何かが来ても、お二人の代わりにはならないかと思いながらも、お手伝いさんに無理を言って来ちゃいました~」
「いえいえ! 本当にありがたいです! 実を言うと、今日の昼間も結構落ちてたんですよね、これでも……」
「あら……そうでしたか……あ、そこへ座りませんか?」
友香さんはそう言って、ベランダのベンチを指差した。
ほぅ……こっちにもベンチがあるんだ。
「ええ、少し座りましょうか」
「霧島様、何かお飲み物をお持ちしましょうか?」
後ろから夜露さんがそう声を掛けた。
「あ、そうですね! 三人で何か飲みましょうか⁉ とは言え、俺はまだ未成年だからお酒はNGですけど……」
「それは私もですよ~でも、家では少し飲んじゃいますけどね~」
「友香様、それは……」
「あ、勿論、今はやめて置きますよ? 夜露さん、私は冷たいお茶がいいです。霧島くんは?」
「そうですね、俺も冷たいお茶をすみません」
「かしこまりました」
そう言うと、夜露さんはベランダの暗闇へ消えた。
「俺、悠菜と沙織さんとは、産まれた時からずっと一緒に過ごして来たんです」
「そうなんですね~」
「ええ、ですから、今回の事は思った以上にきてるんですよね」
「ご両親も海外ですものね……」
「まあ、うちの場合、両親よりも沙織さんと悠菜の存在がかなり大きくて、愛美もかなり凹んでたんですよ」
「あら……」
「でも、あいつには蜜柑やイーリスが傍に居てくれるから、少しは気が紛れてるかも知れないけどね」
「イーリスちゃんはご一緒に行かなかったのですね~」
「あ、ええ。あの子はまだこっちに居るんです」
ヤバい!
あいつの親とか家とか訊かれても、俺には上手く交わせないぞ⁉
「だ、だから、今回は西園寺さんのご厚意に、俺達本当に感謝してる訳ですよ!」
「あら、そう言って頂けると少しは気が楽になります~」
「うんうん! もうね、ずっとここに住んで欲しいくらい!」
「ふふっ」
「あ、引っ越しちゃう? あはっ、あはははっ!」
「あらあら~」
動揺しながら言ってしまったが、何だか変だったか?
西園寺さんが少し照れてる?
「あ、でも、西園寺さんのご両親は、泊りに来ていて心配は無いんですか?」
「ええ。あの二人が一緒であれば問題は無いのです」
「そうなんだ? でも、西園寺さんも年頃だし……」
「え?」
「い、いや、結婚前のお嬢様ですし……ってね」
「ああ~その内、お父様が嫁ぎ先を言い渡すでしょうね……それまでは、自由です」
「え……」
許嫁って事か?
そんな事がこの時代にあるってのっ?
西園寺さんは自分で結婚相手を見つけられないって事か?
「さっき、霧島くんが引っ越しちゃう? とか言うから、何だか変な事話しちゃいましたね」
「え? あ……あーっ!」
そうか!
普通にプロポーズにも聞こえちゃうじゃん!
「深い意味は無いんでしょ? でも、びっくりしましたよ~」
「うわぁ……すみませんすみませんすみませんっ!」
「そこまで謝らないで下さいよ~」
「す、すみません……」
そうだよな。
プロポーズなどする気も無かったが、俺としては西園寺さんだったらここに住んで貰っても、そりゃ全然かまわないのは事実だ。
寧ろ一緒に住みたいですっ!
でも、俺の嫁さんとか恋人とか、まるでそんな気は無かった。
そりゃ、こんな人が恋人とか嫁さんだったら幸せだろうけど……。
「でも、それまでは自由に出来ますから~」
そう言って、ニコッと笑って見せた。
「でも……でもそれって、自由って言うのかな……」
「はい?」
「自分の結婚相手も選べないで、それって自由って言えるの?」
「霧島くん……」
「おかしいよ……親が決める結婚相手なんてさ!」
「あ、うん……」
「まるで、養豚場の豚ちゃんじゃん! 食べられる前までは自由って感じ!」
「ぶ、豚ちゃん……ですか?」
「あ、いや……」
俺は思わず声を上げてしまった。
この場で西園寺さんにどうこう言っても、まるで意味は無いのだろう。
だが、急に切なくなって声が大きくなってしまった。
それは、西園寺さんを決して自分のモノに出来ないと言う、決定事項。
ある種の嫉妬なのかも知れない。
例えるのであれば、人気の芸能人が結婚した時の、何とかロスって奴だろう。
でも、例え自分のお嫁さんになってくれなくても、俺には納得が出来なかった。
「霧島くん……」
「あ、はい」
「私、豚ちゃん?」
「ぎゃああーっ! いえいえいえ! すみませんすみませんすみませんっ!」
「あははは、うそうそ。分かってるよ」
「あ、ごめん」
「でもね、そう言われてこれまで育てて貰って来たから、そうしないと親孝行出来ないの」
「そ、そんな……」
それが親孝行なのか?
親の言う通りに結婚したら、本当に親は喜ぶものなの?
それがあるべき親の姿なのか?
「お飲み物お持ちしました」
そう言って突然、暗闇から夜露さんが現れた。
「あ、ありがとう……」
「夜露さん、どうもありがとうございます。あら? あなたは?」
「私は結構です」
「そうですか?」
「いや、夜露さんも飲んでくれ!」
「はい?」
「今夜は三人で乾杯するんだ!」
その時の俺は妙に反発してしまった。
西園寺さんがどれだけ金持ちか分からない。
こんなお手伝いさんを何人従えているのかも、そんな事知ったこっちゃない。
そんな上下関係は、今の俺の前では通用しない。
どういう訳かそう感じてしまった。
西園寺さんの許嫁の件に、無駄に反抗しているのかも知れない。
何だか子供っぽいけどさ。
「かしこまりました。すぐに戻ってまいります」
そう言うと、すぐにベランダの暗闇に消えた。
その後、俺達は無言のまま夜露さんを待っていたが、やがて俺は少し冷静さを取り戻して来た。
やっべー声上げちゃったよ……き、気まずい。
「お待たせしました」
すぐに夜露さんはペットボトルのお茶を手にして戻って来た。
「あ、お、お帰り」
「さあ、霧島くん一緒に飲みましょうか~」
「う、うん、夜露さんも座って!」
「え? はい……」
「さ、かんぱーい!」
「乾杯……ですか?」
「あ、やっぱ変?」
西園寺さんは苦笑いで俺を見ている。
「いえ、乾杯」
夜露さんはそう言って俺を見た。
「うん、乾杯っ!」
「はい、乾杯」
やさしい夜風の中、ベランダのベンチで俺達は、横一列に座ってお茶を飲んだ。
「霧島様……」
「あ、はい?」
「先程の友香様とのお話……」
あ、やっぱ聞こえちゃった?
声デカかったしな……。
「ああ、聞こえちゃってた? ど、どの辺から?」
「友香様のご厚意に感謝していると……」
って、殆ど最初からじゃん!
「あー随分聞いちゃってたのね」
「すみません、つい立ち聞きを……」
「いや、良いんですよ。俺、間違ってるかも知れないけど、今の俺はそんな程度なのさ」
「私は西園寺家へ奉公に来てからまだ五年ですが、それでも友香様のお人柄は理解しているつもりです。そして、友香様のご友人である霧島様とは、今夜出会ったばかりです。ですが、霧島様の友香様へ対するそのお心遣いを、大変嬉しく思えます」
そう言って、夜露さんは耳の髪をかき上げて見せた。
そこにはインカムの様な物が耳に装着してある。
「それは?」
「インターカムです」
「だよね……? 見た事ある」
遊園地の駐車場の警備員さんや、大手ファストフード店で店員さんがしてたな。
「メイド長との会話も、全て聞こえておりました。すみません」
「え……えーっ!」
な、何か変な事言って無かったか⁉
大丈夫? 俺……。
「友香様は豚ではありません」
「ぎゃああーっ! そ、そこーっ⁉ ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!」
「いえ、冗談です」
「え……よ、夜露さーん」
「ですが、やはり友香様のご友人です。貴方の人となりを、少しながらも知る事が出来ました」
「そ、そうですか……それは、まあ……」
「ごめんなさいね、霧島くん。夜露さん達の盗み聞きは許して下さい、私の為を思っての事なの」
「ああ、良いんですよ、西園寺さん。分かってますって~」
「ありがとう、霧島くん……」
「俺達、もう友達じゃんか。勿論、俺にとっては夜露さんも、朝比奈さんも友達だ。俺は二人のご主人様では無いし、使用人でもない。あ、年下だけど……友達だと思っていいですか?」
「霧島様……」
「何だか、霧島くんと知り合えて良かったな……私」
「え? そ、そう⁉」
急に天にも昇る気分になった。
今まで誰かからそんなこと言われた事無いからな。
免疫が無いんですよ。
これは尚更、西園寺さんを親の決めた奴と、け、結婚などさせてなるものか。
「霧島様、先ほどメイド長と話されていた件ですが……」
「ん? なに?」
「私達の身体の傷痕です……」
「あ……あれか……」
この人にも朝比奈さんと同じように、大きな傷跡があると愛美が言っていた。
まだ若いのに、そんな大きな傷跡があるとは思えなかった。
身体の傷だけでは無く、その心の傷もだ。
「私もこちらのお湯を戴いていた時に、同じ感じを受けていました」
「え?」
「朝比奈が申した様に、私の傷も癒えた気がしたのです」
「うそん……マジ?」
「はい」
あれって、愛美の戯言に朝比奈さんが大人の対応で付き合ってくれてたんじゃ無かったの?
「私もね、こちらのお湯には特別な効能が、何かある様に思えてなりませんよ?」
「そんな、西園寺さんまで?」
「ええ! 私はこう見えて、温泉には詳しいんです!」
「あ、まあ、そうですよね」
思いもよらず西園寺さんが声を荒げたので、俺は少したじろいでしまう。
確かにこの人の温泉フリークには定評がある。
まあ、五十嵐さん(談)だけど。
「私は幼い頃に両親と離れ、その顔も覚えていません」
「そ、そうなんだ……」
夜露さんがベランダの外を見ながらそう言った。
「三歳の頃から特別施設で育ちました。そこではあらゆる分野の勉学と、戦闘訓練を受けて来ました」
「せ、戦闘訓練ーっ⁉」
「はい。ターゲットを確実に仕留める訓練です。そのカリキュラムは実に残酷で、極まりないものでした」
「も、もういいよ夜露さん! そんな過去を洗いざらい言う事無いって!」
「夜露さん……」
「いえ、今まではこの事をこの口にする事等、それは出来ませんでした。ですが、今夜は不思議と話せる気がしたので……」
「良いんだってば、俺、夜露さんのそんな過去とか……あ、聞いちゃうかもだけど、答えて良い範囲で良いんだってば!」
「はい……今夜はどういう訳か、自然に言葉に出来ました」
「び、びっくりしたよ……」
そう話していた夜露さんは、不思議そうな表情をしている。
だが、そんな経験をしてきていた人だったとは驚きだった。
普通の訓練じゃないとは、何と無く感じていたが、それって殺人兵器って事か?
映画の世界じゃん?
「そ、それよりもだ!」
「え?」
「西園寺さんの結婚相手は、西園寺さん自身が自分で選んで決めるんだ!」
「あ……」
「そこが、そもそもの話だったでしょ?」
「あ~そうでしたね」
「うん、そりゃさ、色々な家庭の事情とかあるだろうけどさ。西園寺さんが本当にそれで良いのであれば、俺は何も言えない事かも知れないけど……」
「うん……」
「でも、親孝行って、本当にそう言うのかな……分かんないや、俺には」
本当は分からないけど、何だか違う気がした。
「霧島様……人にはそれぞれ育った環境があるのです。私にしてみれば、霧島様のこの環境は考えられない事なのです……」
「あ……」
それは否めないですよ。
「確かにそうだよね……」
「人権とか……私の様なモノには与えられた任務しかありません」
「え……どういう事?」
「夜露さん……霧島くん、私が話すね」
「夜露さんと朝比奈さんは諜報部員なの。お父様の依頼で派遣されて来ているの」
「諜報部員⁉ スパイって事?」
「ええ。特殊な部員らしいけれど、ここだけの話、偽造された国籍なの……そもそも、個人情報が無いの」
「え……」
この人が?
まだこんなに若くて、少しだけ俺よりも年上な、この人が?
「私達は、その任務を遂行中に命を落としても、それは抹消されるだけ。その為の集まりなのです」
「そんな事があっていいのか……」
この世に生を受けて、その存在が任務の為に生きるだけなんて。
お茶を持つ手が震え、中のお茶が小さく音を立て始めた。
シンと静まり返ったベランダに、その音が妙に聞こえる。
「さあ、霧島様。今夜はこの辺にしておきましょう」
「そうね、霧島くんあまり考えないでね? でも、秘密ですよ……夜露さん達の事。本来は素性も明かしてはいけない事なの」
「う、うん……。分かった」
諜報部員はその素性を明かしてはいけない。
その辺りは何と無くだが分かる気がする。
「じゃあ、お部屋に戻りましょう~」
そう言って二人が席を立つと、俺も釣られて立ち上がるが、動揺して上手く歩けない。
こんな事実があっていいのか……。
いや、俺が知らないだけで、この世にはまだまだ色々な闇があるのだろうか。
「大丈夫? 霧島くん」
「ああ、ちょっと驚いただけ」
そう言って笑って見せたが、上手に笑顔が出来ていたかは分からない。
「じゃあ、おやすみなさい」
「霧島様、おやすみなさいませ」
「うん、おやすみ……」
俺は今までこれと言った不自由なく、ごく普通に生きて来たつもりだ。
異世界で創られたハイブリッド人間であった訳だが、それでもごく普通の地球の人間とまるで変わりなく生きて来た。
だが、夜露さんの話を聞いて強いショックを受けた。
人権が無い……。
当たり前の様な事が、夜露さんには無いと言う。
任務だけ与えられ、ただそれだけをするために生きている。
それを生きる目的として、命に代えて生きている。
それを全うして当たり前。
失敗したら抹消される。
誰にも知られず存在して無かった事になる。
西園寺さんが許嫁を言い渡されるとか言った事に対して、納得がいかずに反抗心だけが先走ってしまった。
だが、夜露さんにしてみれば、そんな次元では無かった。
夜露さん自身の存在理由が任務だけ……。
俺は独りベランダの手すりにつかまって外を眺めていた。
考えてもどうしようもなかった。
俺はその後も暫く外をボーっと眺めていたが、何とも言えない気持ちのままそっと部屋に戻った。
お、おお……。
愛美の言った通り、洗面台の横の大きなタペストリーを手で避けると、トイレとシャワールームがあった。
とは言え、扉などは無く、タペストリーが無ければ部屋の中からは丸見えだ。
まあ、自分の部屋だから特に問題は無いが。
「何だよ、前におしっこ行きたくて、わざわざ上の風呂場まで走ったじゃん」
独り言を言いながら洗面台まで来ると、ベランダに人影が見えてゾクッとした。
「――っ⁉」
確かに西園寺さんの位置情報は近くにあるし、近くに夜露さんの存在も確認出来た。
だが、この上の露天風呂だと思う。
女の人⁉ しかも二人⁉
音を立てない様にそっとベランダへ出るが、丁度その時にその影が振り向いた。
「あ、霧島君!」
「え⁉」
西園寺さんだった。
向うには夜露さんも立って居るじゃないか。
温泉に入ったら数時間は出て来ないと思っていたが、やはり昨日の今日でそんなに長湯をする気はおきなかったのだろうか。
やっぱり今夜来てくれたのは、温泉よりも俺達の寂しさを紛らそうと思ってくれていたんだ。
「びっくりした~西園寺さん、もうお風呂あがってたの?」
「ええ、戴きました~驚かすつもりは無かったのですが、お部屋のベランダがとても広くて、ついお散歩してました~」
「ああ、結構広いですよねベランダ。ぐるっと繋がってるみたいだし」
「そうなんですね~とても広くて素敵です。あ、もうご入浴は済まされました?」
「ええ。下の風呂に入りましたよ」
「でしたらご一緒しませんかぁ~? 夜風が気持ちいいですよ?」
「いいですね、行きましょう!」
西園寺さんの風呂上がりのいい匂いが夜風に漂い、横を歩く俺の鼻腔を刺激する。
はぁ~幸せだなぁ……。
「あ、西園寺さん、今夜は来てくれてありがとう!」
「いえいえ、こちらこそです~」
「二人が帰って、急に寂しくなってたんだ」
「え? 帰った?」
「あ、いや、引っ越してね⁉」
「ええ、厚かましいと思われても仕方ないと思いつつ、来てしまいました~」
「ホント、ありがとう」
「いえいえ、あんなに素敵なお二人が、昨日突然お引越しですもの……さぞかしお辛いのかと……私何かが来ても、お二人の代わりにはならないかと思いながらも、お手伝いさんに無理を言って来ちゃいました~」
「いえいえ! 本当にありがたいです! 実を言うと、今日の昼間も結構落ちてたんですよね、これでも……」
「あら……そうでしたか……あ、そこへ座りませんか?」
友香さんはそう言って、ベランダのベンチを指差した。
ほぅ……こっちにもベンチがあるんだ。
「ええ、少し座りましょうか」
「霧島様、何かお飲み物をお持ちしましょうか?」
後ろから夜露さんがそう声を掛けた。
「あ、そうですね! 三人で何か飲みましょうか⁉ とは言え、俺はまだ未成年だからお酒はNGですけど……」
「それは私もですよ~でも、家では少し飲んじゃいますけどね~」
「友香様、それは……」
「あ、勿論、今はやめて置きますよ? 夜露さん、私は冷たいお茶がいいです。霧島くんは?」
「そうですね、俺も冷たいお茶をすみません」
「かしこまりました」
そう言うと、夜露さんはベランダの暗闇へ消えた。
「俺、悠菜と沙織さんとは、産まれた時からずっと一緒に過ごして来たんです」
「そうなんですね~」
「ええ、ですから、今回の事は思った以上にきてるんですよね」
「ご両親も海外ですものね……」
「まあ、うちの場合、両親よりも沙織さんと悠菜の存在がかなり大きくて、愛美もかなり凹んでたんですよ」
「あら……」
「でも、あいつには蜜柑やイーリスが傍に居てくれるから、少しは気が紛れてるかも知れないけどね」
「イーリスちゃんはご一緒に行かなかったのですね~」
「あ、ええ。あの子はまだこっちに居るんです」
ヤバい!
あいつの親とか家とか訊かれても、俺には上手く交わせないぞ⁉
「だ、だから、今回は西園寺さんのご厚意に、俺達本当に感謝してる訳ですよ!」
「あら、そう言って頂けると少しは気が楽になります~」
「うんうん! もうね、ずっとここに住んで欲しいくらい!」
「ふふっ」
「あ、引っ越しちゃう? あはっ、あはははっ!」
「あらあら~」
動揺しながら言ってしまったが、何だか変だったか?
西園寺さんが少し照れてる?
「あ、でも、西園寺さんのご両親は、泊りに来ていて心配は無いんですか?」
「ええ。あの二人が一緒であれば問題は無いのです」
「そうなんだ? でも、西園寺さんも年頃だし……」
「え?」
「い、いや、結婚前のお嬢様ですし……ってね」
「ああ~その内、お父様が嫁ぎ先を言い渡すでしょうね……それまでは、自由です」
「え……」
許嫁って事か?
そんな事がこの時代にあるってのっ?
西園寺さんは自分で結婚相手を見つけられないって事か?
「さっき、霧島くんが引っ越しちゃう? とか言うから、何だか変な事話しちゃいましたね」
「え? あ……あーっ!」
そうか!
普通にプロポーズにも聞こえちゃうじゃん!
「深い意味は無いんでしょ? でも、びっくりしましたよ~」
「うわぁ……すみませんすみませんすみませんっ!」
「そこまで謝らないで下さいよ~」
「す、すみません……」
そうだよな。
プロポーズなどする気も無かったが、俺としては西園寺さんだったらここに住んで貰っても、そりゃ全然かまわないのは事実だ。
寧ろ一緒に住みたいですっ!
でも、俺の嫁さんとか恋人とか、まるでそんな気は無かった。
そりゃ、こんな人が恋人とか嫁さんだったら幸せだろうけど……。
「でも、それまでは自由に出来ますから~」
そう言って、ニコッと笑って見せた。
「でも……でもそれって、自由って言うのかな……」
「はい?」
「自分の結婚相手も選べないで、それって自由って言えるの?」
「霧島くん……」
「おかしいよ……親が決める結婚相手なんてさ!」
「あ、うん……」
「まるで、養豚場の豚ちゃんじゃん! 食べられる前までは自由って感じ!」
「ぶ、豚ちゃん……ですか?」
「あ、いや……」
俺は思わず声を上げてしまった。
この場で西園寺さんにどうこう言っても、まるで意味は無いのだろう。
だが、急に切なくなって声が大きくなってしまった。
それは、西園寺さんを決して自分のモノに出来ないと言う、決定事項。
ある種の嫉妬なのかも知れない。
例えるのであれば、人気の芸能人が結婚した時の、何とかロスって奴だろう。
でも、例え自分のお嫁さんになってくれなくても、俺には納得が出来なかった。
「霧島くん……」
「あ、はい」
「私、豚ちゃん?」
「ぎゃああーっ! いえいえいえ! すみませんすみませんすみませんっ!」
「あははは、うそうそ。分かってるよ」
「あ、ごめん」
「でもね、そう言われてこれまで育てて貰って来たから、そうしないと親孝行出来ないの」
「そ、そんな……」
それが親孝行なのか?
親の言う通りに結婚したら、本当に親は喜ぶものなの?
それがあるべき親の姿なのか?
「お飲み物お持ちしました」
そう言って突然、暗闇から夜露さんが現れた。
「あ、ありがとう……」
「夜露さん、どうもありがとうございます。あら? あなたは?」
「私は結構です」
「そうですか?」
「いや、夜露さんも飲んでくれ!」
「はい?」
「今夜は三人で乾杯するんだ!」
その時の俺は妙に反発してしまった。
西園寺さんがどれだけ金持ちか分からない。
こんなお手伝いさんを何人従えているのかも、そんな事知ったこっちゃない。
そんな上下関係は、今の俺の前では通用しない。
どういう訳かそう感じてしまった。
西園寺さんの許嫁の件に、無駄に反抗しているのかも知れない。
何だか子供っぽいけどさ。
「かしこまりました。すぐに戻ってまいります」
そう言うと、すぐにベランダの暗闇に消えた。
その後、俺達は無言のまま夜露さんを待っていたが、やがて俺は少し冷静さを取り戻して来た。
やっべー声上げちゃったよ……き、気まずい。
「お待たせしました」
すぐに夜露さんはペットボトルのお茶を手にして戻って来た。
「あ、お、お帰り」
「さあ、霧島くん一緒に飲みましょうか~」
「う、うん、夜露さんも座って!」
「え? はい……」
「さ、かんぱーい!」
「乾杯……ですか?」
「あ、やっぱ変?」
西園寺さんは苦笑いで俺を見ている。
「いえ、乾杯」
夜露さんはそう言って俺を見た。
「うん、乾杯っ!」
「はい、乾杯」
やさしい夜風の中、ベランダのベンチで俺達は、横一列に座ってお茶を飲んだ。
「霧島様……」
「あ、はい?」
「先程の友香様とのお話……」
あ、やっぱ聞こえちゃった?
声デカかったしな……。
「ああ、聞こえちゃってた? ど、どの辺から?」
「友香様のご厚意に感謝していると……」
って、殆ど最初からじゃん!
「あー随分聞いちゃってたのね」
「すみません、つい立ち聞きを……」
「いや、良いんですよ。俺、間違ってるかも知れないけど、今の俺はそんな程度なのさ」
「私は西園寺家へ奉公に来てからまだ五年ですが、それでも友香様のお人柄は理解しているつもりです。そして、友香様のご友人である霧島様とは、今夜出会ったばかりです。ですが、霧島様の友香様へ対するそのお心遣いを、大変嬉しく思えます」
そう言って、夜露さんは耳の髪をかき上げて見せた。
そこにはインカムの様な物が耳に装着してある。
「それは?」
「インターカムです」
「だよね……? 見た事ある」
遊園地の駐車場の警備員さんや、大手ファストフード店で店員さんがしてたな。
「メイド長との会話も、全て聞こえておりました。すみません」
「え……えーっ!」
な、何か変な事言って無かったか⁉
大丈夫? 俺……。
「友香様は豚ではありません」
「ぎゃああーっ! そ、そこーっ⁉ ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!」
「いえ、冗談です」
「え……よ、夜露さーん」
「ですが、やはり友香様のご友人です。貴方の人となりを、少しながらも知る事が出来ました」
「そ、そうですか……それは、まあ……」
「ごめんなさいね、霧島くん。夜露さん達の盗み聞きは許して下さい、私の為を思っての事なの」
「ああ、良いんですよ、西園寺さん。分かってますって~」
「ありがとう、霧島くん……」
「俺達、もう友達じゃんか。勿論、俺にとっては夜露さんも、朝比奈さんも友達だ。俺は二人のご主人様では無いし、使用人でもない。あ、年下だけど……友達だと思っていいですか?」
「霧島様……」
「何だか、霧島くんと知り合えて良かったな……私」
「え? そ、そう⁉」
急に天にも昇る気分になった。
今まで誰かからそんなこと言われた事無いからな。
免疫が無いんですよ。
これは尚更、西園寺さんを親の決めた奴と、け、結婚などさせてなるものか。
「霧島様、先ほどメイド長と話されていた件ですが……」
「ん? なに?」
「私達の身体の傷痕です……」
「あ……あれか……」
この人にも朝比奈さんと同じように、大きな傷跡があると愛美が言っていた。
まだ若いのに、そんな大きな傷跡があるとは思えなかった。
身体の傷だけでは無く、その心の傷もだ。
「私もこちらのお湯を戴いていた時に、同じ感じを受けていました」
「え?」
「朝比奈が申した様に、私の傷も癒えた気がしたのです」
「うそん……マジ?」
「はい」
あれって、愛美の戯言に朝比奈さんが大人の対応で付き合ってくれてたんじゃ無かったの?
「私もね、こちらのお湯には特別な効能が、何かある様に思えてなりませんよ?」
「そんな、西園寺さんまで?」
「ええ! 私はこう見えて、温泉には詳しいんです!」
「あ、まあ、そうですよね」
思いもよらず西園寺さんが声を荒げたので、俺は少したじろいでしまう。
確かにこの人の温泉フリークには定評がある。
まあ、五十嵐さん(談)だけど。
「私は幼い頃に両親と離れ、その顔も覚えていません」
「そ、そうなんだ……」
夜露さんがベランダの外を見ながらそう言った。
「三歳の頃から特別施設で育ちました。そこではあらゆる分野の勉学と、戦闘訓練を受けて来ました」
「せ、戦闘訓練ーっ⁉」
「はい。ターゲットを確実に仕留める訓練です。そのカリキュラムは実に残酷で、極まりないものでした」
「も、もういいよ夜露さん! そんな過去を洗いざらい言う事無いって!」
「夜露さん……」
「いえ、今まではこの事をこの口にする事等、それは出来ませんでした。ですが、今夜は不思議と話せる気がしたので……」
「良いんだってば、俺、夜露さんのそんな過去とか……あ、聞いちゃうかもだけど、答えて良い範囲で良いんだってば!」
「はい……今夜はどういう訳か、自然に言葉に出来ました」
「び、びっくりしたよ……」
そう話していた夜露さんは、不思議そうな表情をしている。
だが、そんな経験をしてきていた人だったとは驚きだった。
普通の訓練じゃないとは、何と無く感じていたが、それって殺人兵器って事か?
映画の世界じゃん?
「そ、それよりもだ!」
「え?」
「西園寺さんの結婚相手は、西園寺さん自身が自分で選んで決めるんだ!」
「あ……」
「そこが、そもそもの話だったでしょ?」
「あ~そうでしたね」
「うん、そりゃさ、色々な家庭の事情とかあるだろうけどさ。西園寺さんが本当にそれで良いのであれば、俺は何も言えない事かも知れないけど……」
「うん……」
「でも、親孝行って、本当にそう言うのかな……分かんないや、俺には」
本当は分からないけど、何だか違う気がした。
「霧島様……人にはそれぞれ育った環境があるのです。私にしてみれば、霧島様のこの環境は考えられない事なのです……」
「あ……」
それは否めないですよ。
「確かにそうだよね……」
「人権とか……私の様なモノには与えられた任務しかありません」
「え……どういう事?」
「夜露さん……霧島くん、私が話すね」
「夜露さんと朝比奈さんは諜報部員なの。お父様の依頼で派遣されて来ているの」
「諜報部員⁉ スパイって事?」
「ええ。特殊な部員らしいけれど、ここだけの話、偽造された国籍なの……そもそも、個人情報が無いの」
「え……」
この人が?
まだこんなに若くて、少しだけ俺よりも年上な、この人が?
「私達は、その任務を遂行中に命を落としても、それは抹消されるだけ。その為の集まりなのです」
「そんな事があっていいのか……」
この世に生を受けて、その存在が任務の為に生きるだけなんて。
お茶を持つ手が震え、中のお茶が小さく音を立て始めた。
シンと静まり返ったベランダに、その音が妙に聞こえる。
「さあ、霧島様。今夜はこの辺にしておきましょう」
「そうね、霧島くんあまり考えないでね? でも、秘密ですよ……夜露さん達の事。本来は素性も明かしてはいけない事なの」
「う、うん……。分かった」
諜報部員はその素性を明かしてはいけない。
その辺りは何と無くだが分かる気がする。
「じゃあ、お部屋に戻りましょう~」
そう言って二人が席を立つと、俺も釣られて立ち上がるが、動揺して上手く歩けない。
こんな事実があっていいのか……。
いや、俺が知らないだけで、この世にはまだまだ色々な闇があるのだろうか。
「大丈夫? 霧島くん」
「ああ、ちょっと驚いただけ」
そう言って笑って見せたが、上手に笑顔が出来ていたかは分からない。
「じゃあ、おやすみなさい」
「霧島様、おやすみなさいませ」
「うん、おやすみ……」
俺は今までこれと言った不自由なく、ごく普通に生きて来たつもりだ。
異世界で創られたハイブリッド人間であった訳だが、それでもごく普通の地球の人間とまるで変わりなく生きて来た。
だが、夜露さんの話を聞いて強いショックを受けた。
人権が無い……。
当たり前の様な事が、夜露さんには無いと言う。
任務だけ与えられ、ただそれだけをするために生きている。
それを生きる目的として、命に代えて生きている。
それを全うして当たり前。
失敗したら抹消される。
誰にも知られず存在して無かった事になる。
西園寺さんが許嫁を言い渡されるとか言った事に対して、納得がいかずに反抗心だけが先走ってしまった。
だが、夜露さんにしてみれば、そんな次元では無かった。
夜露さん自身の存在理由が任務だけ……。
俺は独りベランダの手すりにつかまって外を眺めていた。
考えてもどうしようもなかった。
俺はその後も暫く外をボーっと眺めていたが、何とも言えない気持ちのままそっと部屋に戻った。
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