愚図な妖狐は嗜虐癖な陰陽師に甘く抱かれる ~巡り捲りし戀華の暦~

日蔭 スミレ

文字の大きさ
25 / 36
第参章

第24話 山桃の夏風、縁結びの札

しおりを挟む
 兄、虎貴こうきは存外早く見つかった。葬祭の片付けは終わったようで、兄は境内に散らばった山桃の実を竹箒で掃いていた。少し潰れたのだろう、甘酸っぱい匂いが夏風に漂っていた。

 龍志の姿に気づくと、兄は片手を上げた。

「おお、帰ってきてたのか」
「久しぶり。大変だったな。急いで駆けつけたが、もう土の中だったようでな」

 やれやれと龍志が言うと、兄は『まぁな』と親しみやすい笑みを向けた。

 二つしか歳が離れていないが、兄は相変わらず華奢だった。背丈も自分より少し低いだろう。
 顔立ちはあまり似ておらず、優しい面差しは母を思わせ、龍志は必然的に先程のやりとりを思い出した。

「母さん、憔悴しきっちゃって参るよ。どうにかしてやれよ」
「吉河の恥さらしの不良神職者に頼むな。こうちゃんがどうにかしてやれ、宮司ぐうじだろ」

 母の呼び方を真似して言うと、兄はぶっと噴き出し、破顔した。

「相変わらずだな。もう俺も二十三、龍も二十一のいい大人なのに」
「母親だしな。それに昔から息子には甘い人だ」

 しれっとした調子で切り返すと、兄は『だな』と頷き、母譲りの柔らかな笑みを浮かべた。

 ***

 それから、兄とは黒羽でのことを話した。

 輪廻前のことも少し話したが、通常の人なら胡散臭いと疑うような話を、兄は疑うことなく聞いてくれた。

 ――お前の人生だ。自分のやりたいように悔いなくやればいい。別に禰宜ねぎがいなくともどうにかなる。
 兄はそう言ってくれた。

「それにしてもお前、妻ができたんだな。婚礼がまだなら、距離はあるがうちで挙げりゃいい。生憎俺は縁談がなくてな、母さんも孫ができたら喜ぶから連れてきてやれ」
「とは言ってもな、色々事情もあるんだよ」

 ……さすがに相手が今は狐だなんて言えなかった。それも、いずれ自ら滅さねばならないなど。龍志は宵闇迫る藤色の空を眺め、季音を思い浮かべた。

 今頃、初めての夕飯作りに奮闘している頃合いだろう。まともにできているか不明だが、大惨事になっていなければいいと願いつつ……明朝に松川を発つことを決心した。

 ***

 龍志が帰省して五日目が経とうとしていた。

 掃除や洗濯は難なくこなせたが、炊事には季音も困っていた。
 龍志の所作を思い出しやってみるが、火を起こすにも初日はすすまみれ。タキが境内でヤモリでも捕まえると言うが、それだけでは足りないと朧が川魚を捕ってきてくれたお陰で、食料にはさほど困らなかった。

 単純な調理だが、炊事に慣れたのは三日目からだった。
 それ以降はだいぶ様になり、火起こしも問題なくできるようになった。

 だが、夜が来るたびに龍志が早く帰ってこないかと思えてしまった。あれからほぼ毎日同じ床で寝ていたのだ。毎日の手枕。そして、接吻され……蕩ける程に深く交わっては、甘い夜を過ごす。それが、日常になっていた。
 隣にいるはずの存在がいない。柔らかな温もりがないことが、妙に寂しく感じられた。

 五日目。ひぐらしの鳴く刻だった。
 笹垣の向こう、竹林の上でモクモクと立った入道雲が次第に広がり始めていた。すんと鼻を鳴らせば、僅かに雨の匂い。もうじき、大きな雨粒が落ちてくるだろう。
 龍志はまだ帰ってこないだろうか――そんな風に思い、季音は灰色の空を見上げた。

 ピシャリと稲妻が空を割り、雷が轟き始めたのは、宵の帳が降り始めてからだった。
 ボロ屋の屋根にビシャビシャと大粒の雨音が叩きつける音が響き始める。

 雷の音も雨の音も嫌いだった。生まれ変わった理由や目を覚ました理由を思い出してしまうから――輪廻した日を否応なく思い出すから嫌だった。

 季音は無性に心細くなり、タキのいる社へ行こうと、玄関に立てかけた番傘を手に取った瞬間だった。雨に混じって彼の気配を感じ、狐の耳をピクリと震わせた。

 ――妖独特の妖気とは違う。人の生命の流れだ。

 間違えるはずもない。龍志だ――そう確信し、季音は傘を開いて境内へと走り出した。

 少し先が見えないほどの豪雨だった。傘が壊れそうなほど、ビシャビシャと叩きつける雨音が聴覚を支配する。やがて、朱塗りの鳥居が見えたその先に――鉄紺てっこんの作務衣姿の龍志が見えた。

 季音は彼の名を呼んだ。だが、この雨では声が聞こえないだろう。それでも彼は季音に気づいたようで、手を軽く上げた。

 無我夢中だった。こんなに全力で走ったことなどあっただろうか――季音は番傘を投げ捨て、鳥居をくぐり抜け、龍志の腕に飛び込んだ。

「ただいま。濡れて風邪引くぞ」

 やっと聞こえた声に、胸が高鳴った。
 たった五日なのに、何年も会っていなかったかのように懐かしく感じた。季音は頬を赤く染め、彼をじっと見上げた。

「龍志様、びしょ濡れじゃないですか。おかえりなさい」

 応えた後、自然と踵が上がった。爪先で立ち、頭一つ高い彼に、季音は自分から接吻くちづけ」してしまった。

 触れるだけの接吻くちづけは一瞬だったが、とてつもなく甘美に感じた。

 だが、なんて恥ずかしいことをしてしまったのだろうと気づくのはすぐだった。季音は彼から身を引こうとしたが、彼が腰にぎゅっと腕を回すので逃げられなかった。

「そんなに俺がいなくて寂しかったのかよ。阿呆みたいに可愛いことしてくれて……」

 憎まれ口を叩くが、彼は嬉しそうだった。
 そんな龍志が愛おしく、堪らなく可愛く思えて『寂しかったです』と返すと、彼の耳はたちまち赤く色づいた。

 ***

 びしょ濡れの二人は一つの傘に入ってボロ屋に戻る。

 そうして、玄関の引き戸を開いたと同時に、季音は息を飲む。龍志の部屋に、白い装束を纏った見知らぬ初老の男が立っていたのだ。

 ……人だろう。だが、生命の流れは一切感じられず、ただ静かに佇んでいた。龍志は驚く様子もなく、男に無言で近づく。

「親父、また来たのか?」

 その言葉に季音は唖然とした。
 彼は五日前に神葬祭に行ったばかり。どういうことなのか……季音は龍志と目の前の彼の父を交互に見た。

 親子だけあって、目元の雰囲気は確かに似ている。だが、皺の寄った吊り上がった目には精気がなく、ただ虚空を見つめていた。

「どうした、神の元に行くんじゃないのか。まだ未練でもあるのか? 道が分からねぇなら俺が送ってやるぞ」

 そう言って龍志が懐から何かを取り出そうとした瞬間、彼の父は首を振り白装束の懐から一枚のふだを取り出した。

「札か? どうしたんだ……」

 龍志が尋ねると、父は頷き、季音の前に音もなく歩み寄ると、そっとそれを手渡した。

「え……私に?」

 季音が目を丸くすると、父は唇を綻ばせ、頷いた。
 そして、龍志に向き直ると、綺麗な一礼をして姿を消してしまった。

 季音の手には、しっかりと札が残っていた。達筆すぎて何と書いているか分からず首を傾げると、龍志がそれを覗き込む。

「吉河の御札だな。縁起物だ。俺の生家の社寺は厄除けと縁結びで有名だ」
「厄除けと縁結び……」

 なぜ息子の龍志ではなく自分に渡したのだろう。季音は小首を傾げて彼を見上げる。

「つまり、厄を断ち切り良い縁を結ぶ。そういうことだ。死者からの贈り物なんて複雑だろうが、受け取ってやってくれ。苦しき厄が降りかかっても、お前を少しは護ってくれるだろう」
「だけど、本当に私が受け取ってよろしいのですか?」
「いや、お前に渡したんだからお前が持ってろ」

 ――むしろ、素行の悪い愚息が持てば黄泉返って怨霊になりそうだ。なんて付け添えて、彼は穏やかに笑んだ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される

奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。 けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。 そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。 2人の出会いを描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630 2人の誓約の儀を描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」 https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

ヤンデレエリートの執愛婚で懐妊させられます

沖田弥子
恋愛
職場の後輩に恋人を略奪された澪。終業後に堪えきれず泣いていたところを、営業部のエリート社員、天王寺明夜に見つかってしまう。彼に優しく慰められながら居酒屋で事の顛末を話していたが、なぜか明夜と一夜を過ごすことに――!? 明夜は傷心した自分を慰めてくれただけだ、と考える澪だったが、翌朝「責任をとってほしい」と明夜に迫られ、婚姻届にサインしてしまった。突如始まった新婚生活。明夜は澪の心と身体を幸せで満たしてくれていたが、徐々に明夜のヤンデレな一面が見えてきて――執着強めな旦那様との極上溺愛ラブストーリー!

愛されないと吹っ切れたら騎士の旦那様が豹変しました

蜂蜜あやね
恋愛
隣国オデッセアから嫁いできたマリーは次期公爵レオンの妻となる。初夜は真っ暗闇の中で。 そしてその初夜以降レオンはマリーを1年半もの長い間抱くこともしなかった。 どんなに求めても無視され続ける日々についにマリーの糸はプツリと切れる。 離縁するならレオンの方から、私の方からは離縁は絶対にしない。負けたくない! 夫を諦めて吹っ切れた妻と妻のもう一つの姿に惹かれていく夫の遠回り恋愛(結婚)ストーリー ※本作には、性的行為やそれに準ずる描写、ならびに一部に性加害的・非合意的と受け取れる表現が含まれます。苦手な方はご注意ください。 ※ムーンライトノベルズでも投稿している同一作品です。

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

人狼な幼妻は夫が変態で困り果てている

井中かわず
恋愛
古い魔法契約によって強制的に結ばれたマリアとシュヤンの14歳年の離れた夫婦。それでも、シュヤンはマリアを愛していた。 それはもう深く愛していた。 変質的、偏執的、なんとも形容しがたいほどの狂気の愛情を注ぐシュヤン。異常さを感じながらも、なんだかんだでシュヤンが好きなマリア。 これもひとつの夫婦愛の形…なのかもしれない。 全3章、1日1章更新、完結済 ※特に物語と言う物語はありません ※オチもありません ※ただひたすら時系列に沿って変態したりイチャイチャしたりする話が続きます。 ※主人公の1人(夫)が気持ち悪いです。

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です

朝陽七彩
恋愛
 私は。 「夕鶴、こっちにおいで」  現役の高校生だけど。 「ずっと夕鶴とこうしていたい」  担任の先生と。 「夕鶴を誰にも渡したくない」  付き合っています。  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  神城夕鶴(かみしろ ゆづる)  軽音楽部の絶対的エース  飛鷹隼理(ひだか しゅんり)  アイドル的存在の超イケメン先生  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  彼の名前は飛鷹隼理くん。  隼理くんは。 「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」  そう言って……。 「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」  そして隼理くんは……。  ……‼  しゅっ……隼理くん……っ。  そんなことをされたら……。  隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。  ……だけど……。  え……。  誰……?  誰なの……?  その人はいったい誰なの、隼理くん。  ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。  その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。  でも。  でも訊けない。  隼理くんに直接訊くことなんて。  私にはできない。  私は。  私は、これから先、一体どうすればいいの……?

処理中です...