Don't you see!!

Zessy

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怜思篇

柔らかな拒絶

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 互いの仮面が剥がれ落ちた瞬間だった。咄嗟に怜思は後ろに立つ雄星を見たが、既に雄星はスマホの画面に釘付けになっていた。

「……しーちゃん?」

 雄星は自然と彼の名前を口にしていた。勿論、目の前でこちらを見ている本人にではなく、画面の中の彼に対してだった。嬲られる親友の苦しそうな声に、意識が遠のいていく。雄星が嘘だと信じたかった現実を、動画は無言で突きつけ続けていた。
 青ざめた顔で浅い呼吸を繰り返す雄星の視界を、怜思の大きな手が遮った。

「……見ないで」

 お願い、ユウ。怜思の声は嗄れていた。氷のように冷たい指先。いつも自信に溢れ、芯の通るような声は弱々しかった。駐車場の外では、夕方のチャイムが鳴り終わっていた。

「どうかな、お金なら出すからさ……この後、その、僕と……」

 男の足音がじりじりと迫る。怜思の手が震えていた。
 怜思がすぐに言い返さないことを不思議に思った雄星は、目元の手を掴んで離すと、男が怜思の腕を掴もうとしているのを見た。駐車場の隅とはいえ、学校からさほど離れていない距離だ。ここで何か問題を起こせば、この動画の件が晒されてしまう。

 ──オレがしーちゃんを護らなきゃ。

 雄星の心の中で発した声はきっとそうだったのだろう。今まで築き上げてきた友情、それに伴う正義感。しかし、男の手が怜思の腕に触れた瞬間、それらを吞み込んでしまうほどの感情が雄星の腹の底から湧き上がってきた。景色が止まったような錯覚に襲われながら、雄星は怜思を自身の方へ引き寄せると、男の手首を掴んだ。

「触んな」

 しーちゃんが汚される。嫌だ。手垢一つだってつけたくないのに。オレの、オレだけのしーちゃんなのに。

「何だキミは……っあ゛ぁっ」
「どいつもこいつも……」

 雄星は掴んだ男の手首を勢いよく捻り上げると、男は情けない悲鳴を上げてその場に尻もちをついた。転んだ拍子に雄星の目の前にスマホが滑り落ち、急いで取り戻そうとする男を牽制するように雄星は勢いよく足を振り下ろした。
 男が顔を上げると、無表情で男をじっと見つめる雄星と目が合った。

「ひっ」
「踏めると思ったのにな……惜しい」

 そのまま再び上げられた足は、男のスマホの上だった。

「やめろぉぉぉ!!」
「ユウ、止まれ」

 低く、鋭い声が空気を裂いた。雄星の動きが、糸を切られたように止まる。パーカーのフードを引っ張りながら、雄星を後退させると、怜思は地面に落ちているスマホを拾い上げた。呆れたように画面をスクロールすると、力なくため息を吐いた。

「……そういうことか」

 怜思は自身が犯されている動画を閉じると、男にスマホを投げ渡した。

「とっとと失せな」
「……い、いいのか、大人にこんな、暴力をふるって」

 男は立ち上がると肩を震わせながら、ぶつぶつと呟き始めた。
 怜思はポケットに手を入れたまま、じっと男の出方を見ていた。

「学校に、つ、通報してやる!」
「いいのか?大人がこんな──」
「ちょっ、しーちゃん!?」

 怜思はゆっくりと男の前まで歩み寄ると、ポケットから自分のスマホを取り出し画面をタップした。

「どうかな、お金なら出すからさ……この後、その、僕と……」

 スマホからは先ほどの男の声が流れた。怜思は鋭い眼光で男を睨みつけながら、にやりと笑う。

「それ、は……」
「AVの画面を見せつけながら、未成年相手に性交渉か?身元抑えられたくなきゃ失せな。三回目は言わせンなよ」
「…………っ!!」

 悔しそうな表情を浮かべたまま、男が車に乗り込んで情けなく立ち去っていく様を怜思はスマホに納めると、立ち尽くす雄星に声をかけた。

「帰ろうぜ」

 いつもの通学路。数十分の沈黙が続き、お互い何も話さないまま怜思の家へ辿り着いた。
 支度をしてくる、と言い残し、雄星は一人玄関で体育座りで小さくなっていた。今更お泊りを撤回するわけにもいかず、かと言って今この瞬間も息が詰まりそうな緊張感が続いている。本人からの追及がない限り、何も見なかったままにするのか。それとも心配をした方がいいのか。

 大丈夫? なんて声をかけても、罪悪感で死にそうになる。
 ──大丈夫じゃなかったところを、昨日散々自分の目で見てたくせに。

 スマートに不審者を撃退できなかったことも、さらに雄星を追い詰めていた。結局、自分は怜思を護れない、と。

「悪ぃ、待たせた」
「ううん、大丈夫だよ」

 大丈夫じゃない。オレも。しーちゃんも。

 雄星の家に向かう道すがら、雄星は自分の少し先を歩く怜思の背中を見つめていた。左耳のピアスがきらきらと揺れているが、表情は見えない。雄星の隣を歩かないのに、彼の側の手だけポケットに入れず歩いている姿を見て、雄星は氷のような指先の冷たさを思い出した。手を伸ばせば触れられそうな距離なのに、触れない意気地なさを雄星は気づかれないように俯きながら自分を責めた。
 それでも、手を伸ばしたかった。

*

 結局気まずい空気のまま、雄星の家へと辿り着いた。

「適当に座ってて」
「あぁ。飲み物は冷蔵庫に入れておけばいい?」
「あ、うん、ありがとう!」

 怜思にコンビニの袋を預けたまま、雄星はその場から逃げるように自分の部屋へと駆け込んだ。制服を脱ぎながら、コンビニの駐車場での出来事を思い返す。
 男が見せてきたものはアダルト系の動画投稿サイト。昨晩のやり取りから、怜思が警察に通報する等の行動を起こせば大切な家族である姉二人の安全を脅かされるのは明らかだった。脅迫による性行為の強制。そして、その様子を撮影した動画のアップロード。不特定多数に公開されたことによって、怜思の身に更なる危険が及んだ結果がコンビニの件となる。雄星は怜思に起きていることを整理しながら、やはり自分では手に負える問題ではないと頭を抱えていた。

 これは犯罪だ。オレじゃどうにもならない。でも、どう切り出せばいい?しーちゃんはいつからコレに耐えているの……?

「ユウ、ちょっといいか」
「……!!ごめん、今行くね」

 怜思の声で、現実に引き戻された雄星は急いで身支度を整えると駆け足でリビングへと向かうが、部屋のドアが自然と開き、鉢合わせた怜思の胸に顔をぶつけてしまった。案の定、怜思はびくともせず、想像以上に柔らかい感触に雄星が戸惑っていると様子がおかしいことにようやく気が付いた。

「しーちゃん……?」
「…………」

 雄星が声をかけると、怜思は無言のまま雄星の肩に顔を埋めた。ずしりとのしかかる重みによろめきながら、雄星は空気を掴むような両手を大きな背中に回して抱きしめた。慰めるように優しく背中を叩くが、11センチもの身長差に雄星の体は限界を迎えつつあった。

「ごめんしーちゃん……ちょっと体辛いからベッドに座っていい……?」
「……」

 黙って頷く怜思の手を引いて、ベッドに腰を下ろすと、怜思は倒れ込むように雄星を押し倒した。今度は肩ではなく、胸に顔を埋めたまま喋らなくなってしまった怜思に戸惑いながらも、雄星は息を詰めたまま、赤茶色の髪をそっと撫でた。他人に弱みを一切見せない怜思が、今日のように甘えてきたのは初めてのことで、雄星も真剣に言葉を選んでいた。
 しかし、こんな密着した状況で彼の頭が回るはずもなく、頭の回転よりも速まる鼓動のせいで、気づけば怜思が顔を上げて、百面相をしている雄星を眺めていた。ぱちり、と合った視線が気まずくて雄星が目を逸らすと、怜思は鼻で笑って眉を八の字にしたのだった。

「さっきの、聞かねえの」

 さっきの、だけで雄星の顔が強張った。もう誤魔化しようがない。相手は心臓の上にいるのだから。

「うぅ……」
「いいぜ?聞いても」

 怜思は詮索されることを何よりも嫌う。雄星が彼と一緒にいた三年間で学んだことだ。仲良くなるために、嫌われないために、徹底して守ってきたことを今、本人の前で究極の二択を突きつけられている。怜思のことをもっと知りたい。彼に親友として頼られたい。それも雄星がずっと望んできたことだ。しかし、現実、この話を打ち明けられたことで、不審者から護ることすらできなかった自分に何ができるというのだろう。何も力になれないまま、ずっと内に留めておくだけの忍耐があるのか。それならばいっそ、本人が望むのであれば何もなかったことにしてしまえば……

──この、地獄みたいな時間から楽になれるかもしれない。

 雄星は早く解放されたかった。せめて一緒に遊んでいるこの時間だけでも、何も考えずに過ごしたかった。

「しーちゃんが辛いなら、話さなくてもいいよ」
「……そ。」

 怜思は再び雄星の胸に顔を埋めた。柔らかな拒絶。雄星の言葉に、怜思の呼吸が一瞬止まった。すぐに吐き出された息は、ため息にも笑いにもならなかった。
 怜思は雄星のゆるふわ頭に一体どんな葛藤が渦巻いているのかと思っていたが、会話のキャッチボールを勢いよく場外まで弾き飛ばされたような気分だった。本当に限界を迎えたら掴もうと思っていた藁が、目の前で霧散していく様に落胆するほど怜思は穏やかな性格ではなかった。
 怜思の頭を撫でようと雄星が手を伸ばした時、顔を上げた怜思が鋭い眼光で雄星を睨みつけていた。
 その瞳に、見慣れた優しさはなかった。

「そんな薄っぺらい優しさで誤魔化せるとでも思ったのかよ」

 不正解。即座にその単語が雄星の頭の中に浮かんだ。嫌われた。失望された。捨てられる。

「ご、ごめん、しーちゃんオレそんなつもりじゃ……ぐっ」

 長い間溜めこんだ感情が沸点に達する。怜思は、雄星の怯んだ瞬間を見逃さず、馬乗りになるとそのまま胸ぐらを掴んだ。

「ユウ、お前知ってるよな」

 鼻先がつきそうな距離で迫る怜思から、雄星は目をそらしたが怜思は襟を掴んで雄星の首を締め上げた。

「何、のこと……」
「とぼけンなよ。あの動画、あの夜のことに決まってンだろ」

 低く、喉の奥で唸るような声だった。

 雄星の鼓動だけが、部屋の中で生きていた。
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