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――――目が覚めると朝を迎えていた。
「ん……あれ?」
聡介はベッドからむくりと起き、ポヤポヤする頭で周りを見る。そこは見間違えるはずもない自分の部屋だった。けれど、どこか違和感がある。それは部屋にではなく、この状況に。
……俺、いつ部屋に戻ってきたんだろう?
確かに自分は自室のベッドの上にいるのに、そこに至るまでの経緯を聡介は覚えていなかった。
「んん?」
聡介は寝癖の付いた頭をぽりぽりと掻く。けれど机の上に置かれている服屋の紙袋が目に入って聡介はハッとした。
……そうだ! 俺、鬼崎さんとランチした後服屋さんに寄って……それから、それから?
聡介は記憶を手繰り、その後何があったのかも全て思い出した。
ヒートが起こって、ラブホテルに急遽入り、それから鬼崎と―――。
「っ!!」
思い出した聡介は思わず声を飲む。そして自分のさらした醜態にどっと恥ずかしさが募る。
……俺、鬼崎さんになんて事をっ!! は、恥ずかしいっ、恥ずかしすぎるっ! 俺があんなっ。
自分ではないような甘い声で鬼崎を誘った事も、色っぽい声で鬼崎に囁かれた事も思い出して、起きたばかりの聡介には少々刺激的で衝撃的だった。
でもやっぱりどうやって帰ってきたかがわからない。
……俺がヒートになったのは思い出した。でも、その後は……?
鬼崎と触れ合った後の事をやっぱり思い出せず、首を捻っていると、パタパタと足音が聞こえ部屋のドアがノックされた。
「総ちゃん?」
声の主は母の真里だった。けれど真里が自分の部屋にやってくるのは珍しい。
「総ちゃん、起きてる? 入っていい?」
「あ、うん」
聡介が答えるとすぐにドアが開き、真里が心配そうな顔で入ってきた。
「総ちゃん、おはよう、気分はどう?」
「え? 別になんともないけど」
まるで風邪でも引いた時のように聞かれて、聡介は少し戸惑う。なにせ体はいつも通りだからだ。けれど、聡介の返事を聞いた真里はほっと安心したように胸を抑えた。
「良かったわ」
「お母さん、どうしたの?」
何がなんだかわからない聡介が思わず尋ねれば、真里は今度は呆れた顔をした。
「もう、総ちゃんってば。昨日、初めてのヒートを起こしてタクシーで帰ってきたのよ?!」
「え!?」
「鬼崎さんが連れて帰ってきてくれたから良かったものの。今日はこの後病院に行きなさいね」
「き、鬼崎さんが!?」
……鬼崎さんがわざわざ俺を家まで。……あれ? でもどうして俺の家を知ってたんだろう。やよいさん経由で聞いたのかな。
聡介は両親が羽山夫妻と仲が良い事を思い出して、そう思った。
「とにかく病院に行って診てもらいなさい。いいわね? あと起きたなら今から朝食を作るから降りてきなさい」
「は、はい」
真里の圧に負けて聡介は素直に返事をした。そして、そんな聡介を残して真里は部屋を出て行き、残された聡介は昨日の鬼崎を思い出して一人赤面する。
「はぁーっ」
……一体、今度どんな顔で鬼崎さんに会えばいいんだよーっ。
聡介は大きなため息を吐いて、項垂れたのだった。
◇◇◇◇
―――――それから聡介は真里に言われた通り病院に行って診察してもらったが、出された結果は『突発的なヒート』と言う事だった。
『体に異常はありませんでした。恐らく何かのキッカケで突発的なヒートが起こったんじゃないでしょうか? まあ、様子見と言う事でまた定期健診の時に診てみましょう。でも、もしまた何かあればすぐに来院してくださいね』
そう先生に言われ、一応抑制剤を処方された。
そして、それから二日後――――。
……抑制剤を飲んで次の日には落ち着いてたから突発的なヒートって事なんだろうな。話に聞く本格的なヒートだと一週間は熱が下がらないって言うし。……けど先生が言った、何かのキッカケってなんだろ? 俺、何かしたかな?
そんな風に考えながらお店のテーブルを拭いていると、突然後ろから声をかけられた。
「聡介君、どうしたの?」
「え? やよいさん?!」
声をかけられて振り返れば、すぐ後ろにやよいが立っていた。まさか背後に立たれてるとは思わず、聡介はびっくりする。
「なんだか今日はぼんやりしてるわね。大丈夫? やっぱり本調子じゃないんじゃない?」
心配げなやよいに聞かれて聡介はすぐに「大丈夫ですよ」と答えた。でもやよいが心配するのも仕方がなかった。
なぜならヒートの後、聡介は一応バイトを休んだのだ。もしまたあの突発的なヒートが起これば、お店に迷惑がかかると配慮して。なので休んだ理由も告げたのだが、ヒートを起こした事を知られているのはなんだか恥ずかしい。
……別に恥ずべきことじゃないのはわかっているけれど。やっぱりなんだか恥ずかしいな。
「その、ちょっと考え事をしてて。本当に大丈夫ですからっ」
聡介は念を押すように言った。けれど、やよいはまだまだ心配そうだ。
……本当に大丈夫なんだけどな。それより俺は自分の体調よりも、それ以上に……。
「あ、あのやよいさん。鬼崎さんって今日、食べに来ますかね?」
聡介は何でもない風を装って尋ねた。あれから聡介は何度か鬼崎に連絡をしようかと思ったけれど、恥ずかしくてできていなかった。不義理な事だとはわかっていても。
……お詫びとお礼をちゃんとしなくちゃって思ってるけど、どうしても恥ずかしくって連絡できてない。でも、ちゃんと連絡してればよかった。もし今日、顔を合わせたらどんな顔でいたら……うぅっ。
聡介は一人頬が熱くなる気がしたが、気が付かないやよいは聡介の質問に答えた。
「仁? どうかしら、何の連絡も貰ってないけど。聡介君、仁に何か用でもあった?」
問いかけられて聡介は目を泳がせる。
「あ、いえ、別にっ」
「……ふぅーん?」
やよいは疑いの目を向けられて聡介はさらに目を泳がすが、そんな二人に大将のテツが声をかけた。
「おーい、そろそろ店を開けるぞ~」
「あ、はい! のれん、出してきます!!」
聡介は天の助け、と言わんばかりにすぐに返事をして、やよいの視線から逃げるように店の入り口に向かった。
そしてこの数時間後、鬼崎はお店にやってくるのだが――――鬼崎の傍には同伴者がいたのだった。
◇◇
―――それは客もちらほらと帰り出した九時前頃。
聡介が空いたテーブル席を片付けている時だった。
ガララッとお店の戸が開かれ、大将のテツは直ぐに来店した客に声をかけた。
「いらっしゃい。お、仁か。あれ? 今日はお連れさんがいるのか?」
大将の声に聡介はビクッとして、そしてチラッと鬼崎を見る。するとそこには確かに鬼崎がいて、その傍には長い黒髪にキャラメル色の瞳をした可愛らしい女の子が立っていた。
「ああ、ちょっとね。いつもの席、空いてる?」
「ああ、空いてるよ」
大将が告げると鬼崎はいつもの席へ勝手に向かう。その後ろをついて行きながら女の子は鬼崎に話しかけた。
「ここが仁にぃの行きつけのお店かぁ」
「おい、大人しくしてろよ? どうしてもって言うから連れてきたんだからな?」
「わかってるー」
二人は親し気な話が聞こえてきて、聡介は胸がざわつく。けれど、鬼崎は聡介に気が付くと席に着く前に歩み寄ってきた。
「聡介君」
「あ、き、鬼崎さん」
聡介は気まずさのあまり鬼崎の顔が見れなかった。それでも鬼崎は聡介に話しかけた。
「あの後は大丈夫だった?」
「あ、はい……その、お礼も言わずすみません」
「いや、そんな事はいいんだよ。でも何ともなさそうでよかった」
鬼崎はほっとしたような声で言うが、聡介はまだ恥ずかしくて以前のように話しかけられない。けれどそんな鬼崎を一緒に来た女の子が呼んだ。
「仁にぃ~、勝手に頼んじゃうよー?」
親し気に呼ぶその姿に聡介は胸がもやもやしてくる。でも鬼崎は「ごめん、呼んでるから戻るね」と言って聡介の元を離れてしまった。
……あの子は一体鬼崎さんの何なんだろう?
そう思いながら席に戻った鬼崎を見れば、楽しそうにメニューを見る女の子におススメを教えている。その姿にますます聡介はモヤモヤして、その気持ちを消すように片付けたテーブルを拭き、汚れた食器が乗ったトレーを持って裏方へ戻った。
それからお店が閉まる十時までに客はどんどん帰って行き、聡介は片付けや皿洗い、明日の準備に追われているとやよいに声をかけられた。
「聡介君、レジをお願いできる?」
「あ、はい!」
答えて裏方から急いでレジに立つと、そこには鬼崎が女の子と立っていた。
「聡介君、お会計お願いできる?」
鬼崎に言われて聡介はもやっとしつつも「はい」と答えて、受け取った注文票とクレジットカードで会計を済ます。
「ありがとう、ご馳走様でした」
「……いえ」
聡介が戸惑いながら答えると女の子は聡介を見て、にこっと笑った。まるで花が咲いたみたいに可愛く。
「ご馳走様でした! とってもおいしかったです」
にこにこしながら言われれば聡介も邪険にはできない。そもそも彼女はお客様だ。
「ありがとうございます」
聡介がぎこちない笑顔を張り付けて何とか声に出せば、女の子は鬼崎に話しかけた。
「仁にぃ、また連れてきてよね」
「気が向いたらな」
鬼崎はそう言った。でもその姿に聡介は鬼崎に問いただしたくなる。
『その子は誰なんですか? 鬼崎さんの何なんですか?』
でもそんな事を言う権利は聡介にはなくて、レジカウンターの見えないところでぐっと手を握る。けれど、そんな聡介に鬼崎が声をかけた。
「聡介君。その……この前の事だけど」
その言葉を聞いて聡介は少し俯いていた視線を鬼崎に戻す。でも言われた言葉は聞きたくない言葉だった。
「この前の事は事故だったと思って忘れてね?」
鬼崎に言われて聡介は切りつけられたみたいに胸が痛くなる。でもそう言われて返す言葉はひとつしか思い浮かばなくて。
「あ……はい」
……鬼崎さんにとってあれは事故で、忘れたい出来事なんだ。
聡介は酷くショックを受けた。でも鬼崎は変わらない声で話を続け、「あと聡介君に言っておきたい事が」とそこまで言った時、思わぬ来客に話は途切れた。
「聡介!」
「ん……あれ?」
聡介はベッドからむくりと起き、ポヤポヤする頭で周りを見る。そこは見間違えるはずもない自分の部屋だった。けれど、どこか違和感がある。それは部屋にではなく、この状況に。
……俺、いつ部屋に戻ってきたんだろう?
確かに自分は自室のベッドの上にいるのに、そこに至るまでの経緯を聡介は覚えていなかった。
「んん?」
聡介は寝癖の付いた頭をぽりぽりと掻く。けれど机の上に置かれている服屋の紙袋が目に入って聡介はハッとした。
……そうだ! 俺、鬼崎さんとランチした後服屋さんに寄って……それから、それから?
聡介は記憶を手繰り、その後何があったのかも全て思い出した。
ヒートが起こって、ラブホテルに急遽入り、それから鬼崎と―――。
「っ!!」
思い出した聡介は思わず声を飲む。そして自分のさらした醜態にどっと恥ずかしさが募る。
……俺、鬼崎さんになんて事をっ!! は、恥ずかしいっ、恥ずかしすぎるっ! 俺があんなっ。
自分ではないような甘い声で鬼崎を誘った事も、色っぽい声で鬼崎に囁かれた事も思い出して、起きたばかりの聡介には少々刺激的で衝撃的だった。
でもやっぱりどうやって帰ってきたかがわからない。
……俺がヒートになったのは思い出した。でも、その後は……?
鬼崎と触れ合った後の事をやっぱり思い出せず、首を捻っていると、パタパタと足音が聞こえ部屋のドアがノックされた。
「総ちゃん?」
声の主は母の真里だった。けれど真里が自分の部屋にやってくるのは珍しい。
「総ちゃん、起きてる? 入っていい?」
「あ、うん」
聡介が答えるとすぐにドアが開き、真里が心配そうな顔で入ってきた。
「総ちゃん、おはよう、気分はどう?」
「え? 別になんともないけど」
まるで風邪でも引いた時のように聞かれて、聡介は少し戸惑う。なにせ体はいつも通りだからだ。けれど、聡介の返事を聞いた真里はほっと安心したように胸を抑えた。
「良かったわ」
「お母さん、どうしたの?」
何がなんだかわからない聡介が思わず尋ねれば、真里は今度は呆れた顔をした。
「もう、総ちゃんってば。昨日、初めてのヒートを起こしてタクシーで帰ってきたのよ?!」
「え!?」
「鬼崎さんが連れて帰ってきてくれたから良かったものの。今日はこの後病院に行きなさいね」
「き、鬼崎さんが!?」
……鬼崎さんがわざわざ俺を家まで。……あれ? でもどうして俺の家を知ってたんだろう。やよいさん経由で聞いたのかな。
聡介は両親が羽山夫妻と仲が良い事を思い出して、そう思った。
「とにかく病院に行って診てもらいなさい。いいわね? あと起きたなら今から朝食を作るから降りてきなさい」
「は、はい」
真里の圧に負けて聡介は素直に返事をした。そして、そんな聡介を残して真里は部屋を出て行き、残された聡介は昨日の鬼崎を思い出して一人赤面する。
「はぁーっ」
……一体、今度どんな顔で鬼崎さんに会えばいいんだよーっ。
聡介は大きなため息を吐いて、項垂れたのだった。
◇◇◇◇
―――――それから聡介は真里に言われた通り病院に行って診察してもらったが、出された結果は『突発的なヒート』と言う事だった。
『体に異常はありませんでした。恐らく何かのキッカケで突発的なヒートが起こったんじゃないでしょうか? まあ、様子見と言う事でまた定期健診の時に診てみましょう。でも、もしまた何かあればすぐに来院してくださいね』
そう先生に言われ、一応抑制剤を処方された。
そして、それから二日後――――。
……抑制剤を飲んで次の日には落ち着いてたから突発的なヒートって事なんだろうな。話に聞く本格的なヒートだと一週間は熱が下がらないって言うし。……けど先生が言った、何かのキッカケってなんだろ? 俺、何かしたかな?
そんな風に考えながらお店のテーブルを拭いていると、突然後ろから声をかけられた。
「聡介君、どうしたの?」
「え? やよいさん?!」
声をかけられて振り返れば、すぐ後ろにやよいが立っていた。まさか背後に立たれてるとは思わず、聡介はびっくりする。
「なんだか今日はぼんやりしてるわね。大丈夫? やっぱり本調子じゃないんじゃない?」
心配げなやよいに聞かれて聡介はすぐに「大丈夫ですよ」と答えた。でもやよいが心配するのも仕方がなかった。
なぜならヒートの後、聡介は一応バイトを休んだのだ。もしまたあの突発的なヒートが起これば、お店に迷惑がかかると配慮して。なので休んだ理由も告げたのだが、ヒートを起こした事を知られているのはなんだか恥ずかしい。
……別に恥ずべきことじゃないのはわかっているけれど。やっぱりなんだか恥ずかしいな。
「その、ちょっと考え事をしてて。本当に大丈夫ですからっ」
聡介は念を押すように言った。けれど、やよいはまだまだ心配そうだ。
……本当に大丈夫なんだけどな。それより俺は自分の体調よりも、それ以上に……。
「あ、あのやよいさん。鬼崎さんって今日、食べに来ますかね?」
聡介は何でもない風を装って尋ねた。あれから聡介は何度か鬼崎に連絡をしようかと思ったけれど、恥ずかしくてできていなかった。不義理な事だとはわかっていても。
……お詫びとお礼をちゃんとしなくちゃって思ってるけど、どうしても恥ずかしくって連絡できてない。でも、ちゃんと連絡してればよかった。もし今日、顔を合わせたらどんな顔でいたら……うぅっ。
聡介は一人頬が熱くなる気がしたが、気が付かないやよいは聡介の質問に答えた。
「仁? どうかしら、何の連絡も貰ってないけど。聡介君、仁に何か用でもあった?」
問いかけられて聡介は目を泳がせる。
「あ、いえ、別にっ」
「……ふぅーん?」
やよいは疑いの目を向けられて聡介はさらに目を泳がすが、そんな二人に大将のテツが声をかけた。
「おーい、そろそろ店を開けるぞ~」
「あ、はい! のれん、出してきます!!」
聡介は天の助け、と言わんばかりにすぐに返事をして、やよいの視線から逃げるように店の入り口に向かった。
そしてこの数時間後、鬼崎はお店にやってくるのだが――――鬼崎の傍には同伴者がいたのだった。
◇◇
―――それは客もちらほらと帰り出した九時前頃。
聡介が空いたテーブル席を片付けている時だった。
ガララッとお店の戸が開かれ、大将のテツは直ぐに来店した客に声をかけた。
「いらっしゃい。お、仁か。あれ? 今日はお連れさんがいるのか?」
大将の声に聡介はビクッとして、そしてチラッと鬼崎を見る。するとそこには確かに鬼崎がいて、その傍には長い黒髪にキャラメル色の瞳をした可愛らしい女の子が立っていた。
「ああ、ちょっとね。いつもの席、空いてる?」
「ああ、空いてるよ」
大将が告げると鬼崎はいつもの席へ勝手に向かう。その後ろをついて行きながら女の子は鬼崎に話しかけた。
「ここが仁にぃの行きつけのお店かぁ」
「おい、大人しくしてろよ? どうしてもって言うから連れてきたんだからな?」
「わかってるー」
二人は親し気な話が聞こえてきて、聡介は胸がざわつく。けれど、鬼崎は聡介に気が付くと席に着く前に歩み寄ってきた。
「聡介君」
「あ、き、鬼崎さん」
聡介は気まずさのあまり鬼崎の顔が見れなかった。それでも鬼崎は聡介に話しかけた。
「あの後は大丈夫だった?」
「あ、はい……その、お礼も言わずすみません」
「いや、そんな事はいいんだよ。でも何ともなさそうでよかった」
鬼崎はほっとしたような声で言うが、聡介はまだ恥ずかしくて以前のように話しかけられない。けれどそんな鬼崎を一緒に来た女の子が呼んだ。
「仁にぃ~、勝手に頼んじゃうよー?」
親し気に呼ぶその姿に聡介は胸がもやもやしてくる。でも鬼崎は「ごめん、呼んでるから戻るね」と言って聡介の元を離れてしまった。
……あの子は一体鬼崎さんの何なんだろう?
そう思いながら席に戻った鬼崎を見れば、楽しそうにメニューを見る女の子におススメを教えている。その姿にますます聡介はモヤモヤして、その気持ちを消すように片付けたテーブルを拭き、汚れた食器が乗ったトレーを持って裏方へ戻った。
それからお店が閉まる十時までに客はどんどん帰って行き、聡介は片付けや皿洗い、明日の準備に追われているとやよいに声をかけられた。
「聡介君、レジをお願いできる?」
「あ、はい!」
答えて裏方から急いでレジに立つと、そこには鬼崎が女の子と立っていた。
「聡介君、お会計お願いできる?」
鬼崎に言われて聡介はもやっとしつつも「はい」と答えて、受け取った注文票とクレジットカードで会計を済ます。
「ありがとう、ご馳走様でした」
「……いえ」
聡介が戸惑いながら答えると女の子は聡介を見て、にこっと笑った。まるで花が咲いたみたいに可愛く。
「ご馳走様でした! とってもおいしかったです」
にこにこしながら言われれば聡介も邪険にはできない。そもそも彼女はお客様だ。
「ありがとうございます」
聡介がぎこちない笑顔を張り付けて何とか声に出せば、女の子は鬼崎に話しかけた。
「仁にぃ、また連れてきてよね」
「気が向いたらな」
鬼崎はそう言った。でもその姿に聡介は鬼崎に問いただしたくなる。
『その子は誰なんですか? 鬼崎さんの何なんですか?』
でもそんな事を言う権利は聡介にはなくて、レジカウンターの見えないところでぐっと手を握る。けれど、そんな聡介に鬼崎が声をかけた。
「聡介君。その……この前の事だけど」
その言葉を聞いて聡介は少し俯いていた視線を鬼崎に戻す。でも言われた言葉は聞きたくない言葉だった。
「この前の事は事故だったと思って忘れてね?」
鬼崎に言われて聡介は切りつけられたみたいに胸が痛くなる。でもそう言われて返す言葉はひとつしか思い浮かばなくて。
「あ……はい」
……鬼崎さんにとってあれは事故で、忘れたい出来事なんだ。
聡介は酷くショックを受けた。でも鬼崎は変わらない声で話を続け、「あと聡介君に言っておきたい事が」とそこまで言った時、思わぬ来客に話は途切れた。
「聡介!」
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