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1 王司聡介
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オメガバースのお話。
ハッピーエンド、全十七話。お楽しみください('ω')ノ
*****************
――――Ωの火照った体はαの熱を求め、後ろにいる男に強請った。
「……うなじ、嚙んでっ」
その願いを聞いた男は無防備なうなじを後ろからちゅっとキスすると耳元で囁いた。
「愛してるよ」
その言葉の後、強く噛まれる痛みがうなじに体に走る。だが同時に嬉しさが胸に広がって、涙が滲む。まさか好きな人とこんな風になれるとは――――と。
◇◇◇◇
―――――梅雨が明けて、一気に夏の暑さと日差しが強くなり始めた夏の初め。
ある一人の青年が大学構内を歩いていた。サラサラの黒髪に涼やかな顔立ち、178cmはあるスラリとした体格。まさに好青年という言葉を体現したかのような姿に誰もが振り返って見つめる。
そんな彼の名前は、王司・聡介(おうじ・そうすけ)。彼は密かに『プリンス』と学生たちから呼ばれていた。
しかし、そんな聡介に後ろから誰かが声をかけた。
「――――おーい、王司くん!」
呼びかけられて振り返れば茶髪の可愛らしい青年が手を振りながら聡介に駆け寄ってきた。だが段差を踏み外し、聡介の前で前のめりに倒れる。
「うわ!」
「危ないっ!」
青年の近くにいた聡介は咄嗟に抱き止めて何とか転ぶことを防いだ。
「あ、ありがと、王司君っ」
「大丈夫? 怪我はない?」
「う、うん、大丈夫」
聡介に尋ねられた青年は頬を少し赤らめて答えた。
「そう、良かった。ところで俺に何か用かな?」
聡介が尋ねれば青年は思い出したように答えた。
「あ。えっと、実は今日仲間内で飲み会するんだ。だから王司君もどうかな? と思って」
青年は言いながら少し離れたところで待っている二人の友人達をちらっと見た。その事に聡介も気が付いたが、誘いの答えはすでに決まっていた。
「ごめん、今日はバイトがあるんだ」
聡介が申し訳なさそうに言うと青年は「あ、そうなんだ!」とすぐに答えた。
「誘ってくれたのにごめんね」
「ううん、こっちが突然誘ったんだし。こちらこそ急にごめんね」
「いや、ありがとう。じゃあ、俺はもう行かなきゃいけないから」
「引き留めてごめんね。じゃあ」
別れの挨拶を済ますと聡介は早々にその場から離れて、大学の門へと歩いて行った。そして残った青年と言えば、去って行く聡介の後姿を眺めたが、そこに少し離れた場所で待っていた友人達が駆け寄ってきた。
「プリンス、やっぱり駄目だった?」
友人の内の一人がそう声をかけ、青年は「うん」と答えた。
「今日はバイトがあるんだって」
「いやー、バイトがなくても俺達と飲みには行ってくれないだろ~。あのプリンスだよ?」
「そうかな? それにしてもさっきのプリンス、格好良かったね~」
「うん。本当、僕達と同じオメガとは思えないよ」
そう言いながら青年は首に付けているチョーカーを何気なく触り、襟高のシャツを着ていた聡介の首元にもチョーカーがちらりと見えたことを思い出した。
――――そして、その頃の聡介と言えば。
声をかけられた後、大学前のバス停で定刻通りにやって来たバスに乗り込み、空いている席に腰を下ろして一息をついていた。
だが、その合間にバスはゆっくりと動き出し、変わり始めた景色を眺めながら聡介はさっきの話を思い出す。
……飲み会か。誘ってくれたのは嬉しいけど、集まりは苦手なんだよなぁ。
聡介はそんな事を思いながら窓の外を眺めつつ、まだ入学したての頃を思い出した。
それは新入生の集まりに参加した時の事。聡介は会場の隅にいたのだが、見知らぬα(アルファ)の女の子達に値踏みされた視線を送られ上に、明らかにがっかりした態度を取られてしまった事があった。
……俺は他の子と違ってΩ(オメガ)っぽくないからな……。身長も体格もそれなりにある可愛くない男Ωの俺なんて、対象外だったんだろう。でもだからと言ってあの視線をもう一度味わうのは。……ああいう人ばかりではないのは知っているし、今日はΩの男子だけの集まりだったみたいだけど。
聡介は茶髪の青年とその友人達の華奢な姿を思い出した後、自身の筋肉質な腕を見て落胆の息を吐いた。
そして不意にバスの広告に載っている子役から人気のΩ俳優の”アキラ”が見えて、自分との違いを更に思い知らされる。金の髪と可愛いキャラメル色の瞳、Ωらしい小柄な体型に茶目っ気のある笑顔は保護欲を掻き立てる。自分とは全然違う。
……せめて俺も髪や目の色素が薄ければ……いや、それでもダメか。
男のΩは大抵小柄で華奢な人が多い。そして色素も薄く、容姿端麗な顔立ちをしているのが常だ。
でも窓に映る自分は、甘くない顔立ちに濃い黒い髪と黒い瞳。屈強と言うほど筋肉は付いていないが、それでも他のΩからするとしっかりした体格で。おかげで第一印象で気が付かれた事はこれまで一回もない。
気が付かれるのは大抵、自分には不釣り合いな首のチョーカーが隠している襟高のシャツから見られた時ぐらい。
そしてこの見た目のせいか、小中高とΩだけが通う私立の学校に通っていた間、『プリンス』とあだ名を付けられ、遠巻きに見られていた。まさか共学の大学でも同じようになるとは思わなかったが。
……俺ってΩらしくないからな。まあこの歳になってもまだ発情期(ヒート)もこないし。
聡介はシャツの襟の下に隠しているチョーカーに手を伸ばして、その事実にチクリと胸が痛む。
個人差はあれど、十六歳を過ぎるとほとんどのΩが発情期を迎える。それは大変な事の始まりと言ってもいいが、同時に子供が生める体の証と言ってもおかしくなかった。
……こんな見た目だし、二十歳になっても発情期がこない俺はやっぱりΩとして出来損ないなんだろうな。
胸に重たい何かがズシリと落ちてきて、聡介は小さくため息を吐きそうになったが、何とか飲み込んで席を立った。いつの間にかもう降りるバス停に着いていたから。
……これからバイトなんだから気持ちを切り替えていこう。それに今日もあの人が来るかもしれないし。
聡介はある人物を思い浮かべるだけで、さっきまで重かった気持ちがちょっと浮上した。
……今日は少しぐらい、話せるかな?
聡介はそんな小さな希望を抱きながら、バイト先へと向かった。
◇◇◇◇
―――――小料理屋『羽山(はやま)』
そこは四十代の羽山夫妻が営んでいるこじんまりとした小さなお店で、地元ではなかなかの人気店だ。店内にはカウンターと奥に四つのテーブル席があるだけで、夕方になれば常連さんやご新規さんでいつも満席になる。
そんなお店のバイトとして、聡介は約一年前から働いていた。
注文取りにお会計、空いた席のバッシングに皿洗い。大変だけれど優しい羽山夫妻と働くのは楽しく、お客さんも気のいい人ばかりで聡介は大変さよりもやりがいを感じていた。
でも、なにより聡介にはある楽しみがあった。それは―――――。
「聡介君、これを四番テーブルに」
「はい、大将」
聡介はカウンターから差し出された大将が作った綺麗な玉子焼きの一品をトレーに乗せて、すぐさま言われたテーブルへと持って行く。そのテーブルは角の隅にある狭い二人席だ。けれど、そこを気に入っていつも一人で座る常連客がいた。
少々野暮ったい長い髪を一括りにし分厚い黒縁眼鏡をかけ、パイナップル柄の個性的なシャツを着ている二十代後半の男性客。ハッキリ言って見た目はちょっと変わり者だが、彼に会う事が聡介のバイトに来る楽しみだった。
「鬼崎さん、お待たせしました。玉子焼きです」
聡介がテーブルの上にそっと置けば、その席に座っている常連客・鬼崎(きざき)は嬉しそうに微笑んだ。
「ああ、ありがとう。聡介君」
にへらっと笑って言った彼に、聡介は「いえ」と小さく返事を返す。そして鬼崎はすぐにお箸で美味しそうに玉子焼きをぱくっと食べた。そんな鬼崎を聡介はついつい眺めてしまう。
……今日も美味しそうに食べるなぁ。いつも玉子焼きを頼むからやっぱり好物なんだろうな。
なんて思いながら聡介は不意に最初に出会った時も鬼崎が玉子焼きを頼んでいた事を思い出す。その時の格好いい姿も。
それは約一年前、聡介がまだここで働き始めたばかりの頃で。
開店前だと言うのに、迷惑客が勝手に店へ入ってきた時の事だった――――。
◇◇
―――聡介が開店準備の手伝いをしていると突然お店の戸がガラッと開き、一人の男性客が入ってきた。なので、テーブルを拭いていた聡介はすぐに声をかける。
「あ、お客様、まだ開店してませんので外でお待ちいただけますか?」
そう言えば男性客はじろりと聡介を睨み、酒臭いにおいが鼻についた。
……この人、酒臭い。
「あん? ここの店は客に外で待たせるのか?」
強い口調に聡介はやや眉間に皺を寄せる。そしてアルコールの匂いと顔の赤さから、すでに酔っているのだと察した。だが、そこに女将のやよいが後ろからやってきて。
「お客様、申し訳ありませんがうちはまだ開店準備中です。外でお待ちください」
やよいは丁寧な口調で、けれどハッキリと言った。しかし、その客は納得できないのかその場から動こうとしない。
「そう言わずにいいだろ。もうすぐ開店するならそこに座らせろよ」
尊大な態度に聡介の眉間の皺はますます深くなってしまう。そして今、大将は買い出しで不在中、このまま居座らせてやよいに何かされては、と思った聡介は強く前に出た。
「いいえ。困りますので、外へ出て行ってください」
聡介が頑として言えば、その態度が気に食わなかったのかその客は不機嫌な顔をして聡介の胸倉を掴んだ。
「おい、お前失礼だぞ……ん? お前、Ωか?」
言われて、聡介はビクッとする。客は聡介が首にしているチョーカーを見て不躾にも聞いてきたのだ、第二性の事を尋ねるのはタブーだと言うのに。その上、じっと聡介を見ると鼻で笑った。
「まさかな、こんなΩらしくない奴がいるわけないか」
それは聡介自身思っていた事だったが、人から言われて傷つかない訳でもなかった。ズキリッと胸が痛み、苦しさが刺さる。そして何も言い返せない聡介を見て、その客は調子に乗ったのか次々と暴言を吐いてきた。
「なんだ。お前、本当にΩなのか? こんな見てくれじゃ誰も相手にしてくれないだろ。せめてΩならΩらしく、大人しくしてないと誰とも番ってくれないぞ?」
からかう様に言われ、グサグサと胸を刺されるような痛みを感じても聡介は何も言えない。そんな事は自分が一番わかっているから。
でも、そんな聡介の代わりにやよいが声を上げようとした時、お店の戸が開き、怒りに滲んだ声が飛んできた。
「酷いな」
ハッピーエンド、全十七話。お楽しみください('ω')ノ
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――――Ωの火照った体はαの熱を求め、後ろにいる男に強請った。
「……うなじ、嚙んでっ」
その願いを聞いた男は無防備なうなじを後ろからちゅっとキスすると耳元で囁いた。
「愛してるよ」
その言葉の後、強く噛まれる痛みがうなじに体に走る。だが同時に嬉しさが胸に広がって、涙が滲む。まさか好きな人とこんな風になれるとは――――と。
◇◇◇◇
―――――梅雨が明けて、一気に夏の暑さと日差しが強くなり始めた夏の初め。
ある一人の青年が大学構内を歩いていた。サラサラの黒髪に涼やかな顔立ち、178cmはあるスラリとした体格。まさに好青年という言葉を体現したかのような姿に誰もが振り返って見つめる。
そんな彼の名前は、王司・聡介(おうじ・そうすけ)。彼は密かに『プリンス』と学生たちから呼ばれていた。
しかし、そんな聡介に後ろから誰かが声をかけた。
「――――おーい、王司くん!」
呼びかけられて振り返れば茶髪の可愛らしい青年が手を振りながら聡介に駆け寄ってきた。だが段差を踏み外し、聡介の前で前のめりに倒れる。
「うわ!」
「危ないっ!」
青年の近くにいた聡介は咄嗟に抱き止めて何とか転ぶことを防いだ。
「あ、ありがと、王司君っ」
「大丈夫? 怪我はない?」
「う、うん、大丈夫」
聡介に尋ねられた青年は頬を少し赤らめて答えた。
「そう、良かった。ところで俺に何か用かな?」
聡介が尋ねれば青年は思い出したように答えた。
「あ。えっと、実は今日仲間内で飲み会するんだ。だから王司君もどうかな? と思って」
青年は言いながら少し離れたところで待っている二人の友人達をちらっと見た。その事に聡介も気が付いたが、誘いの答えはすでに決まっていた。
「ごめん、今日はバイトがあるんだ」
聡介が申し訳なさそうに言うと青年は「あ、そうなんだ!」とすぐに答えた。
「誘ってくれたのにごめんね」
「ううん、こっちが突然誘ったんだし。こちらこそ急にごめんね」
「いや、ありがとう。じゃあ、俺はもう行かなきゃいけないから」
「引き留めてごめんね。じゃあ」
別れの挨拶を済ますと聡介は早々にその場から離れて、大学の門へと歩いて行った。そして残った青年と言えば、去って行く聡介の後姿を眺めたが、そこに少し離れた場所で待っていた友人達が駆け寄ってきた。
「プリンス、やっぱり駄目だった?」
友人の内の一人がそう声をかけ、青年は「うん」と答えた。
「今日はバイトがあるんだって」
「いやー、バイトがなくても俺達と飲みには行ってくれないだろ~。あのプリンスだよ?」
「そうかな? それにしてもさっきのプリンス、格好良かったね~」
「うん。本当、僕達と同じオメガとは思えないよ」
そう言いながら青年は首に付けているチョーカーを何気なく触り、襟高のシャツを着ていた聡介の首元にもチョーカーがちらりと見えたことを思い出した。
――――そして、その頃の聡介と言えば。
声をかけられた後、大学前のバス停で定刻通りにやって来たバスに乗り込み、空いている席に腰を下ろして一息をついていた。
だが、その合間にバスはゆっくりと動き出し、変わり始めた景色を眺めながら聡介はさっきの話を思い出す。
……飲み会か。誘ってくれたのは嬉しいけど、集まりは苦手なんだよなぁ。
聡介はそんな事を思いながら窓の外を眺めつつ、まだ入学したての頃を思い出した。
それは新入生の集まりに参加した時の事。聡介は会場の隅にいたのだが、見知らぬα(アルファ)の女の子達に値踏みされた視線を送られ上に、明らかにがっかりした態度を取られてしまった事があった。
……俺は他の子と違ってΩ(オメガ)っぽくないからな……。身長も体格もそれなりにある可愛くない男Ωの俺なんて、対象外だったんだろう。でもだからと言ってあの視線をもう一度味わうのは。……ああいう人ばかりではないのは知っているし、今日はΩの男子だけの集まりだったみたいだけど。
聡介は茶髪の青年とその友人達の華奢な姿を思い出した後、自身の筋肉質な腕を見て落胆の息を吐いた。
そして不意にバスの広告に載っている子役から人気のΩ俳優の”アキラ”が見えて、自分との違いを更に思い知らされる。金の髪と可愛いキャラメル色の瞳、Ωらしい小柄な体型に茶目っ気のある笑顔は保護欲を掻き立てる。自分とは全然違う。
……せめて俺も髪や目の色素が薄ければ……いや、それでもダメか。
男のΩは大抵小柄で華奢な人が多い。そして色素も薄く、容姿端麗な顔立ちをしているのが常だ。
でも窓に映る自分は、甘くない顔立ちに濃い黒い髪と黒い瞳。屈強と言うほど筋肉は付いていないが、それでも他のΩからするとしっかりした体格で。おかげで第一印象で気が付かれた事はこれまで一回もない。
気が付かれるのは大抵、自分には不釣り合いな首のチョーカーが隠している襟高のシャツから見られた時ぐらい。
そしてこの見た目のせいか、小中高とΩだけが通う私立の学校に通っていた間、『プリンス』とあだ名を付けられ、遠巻きに見られていた。まさか共学の大学でも同じようになるとは思わなかったが。
……俺ってΩらしくないからな。まあこの歳になってもまだ発情期(ヒート)もこないし。
聡介はシャツの襟の下に隠しているチョーカーに手を伸ばして、その事実にチクリと胸が痛む。
個人差はあれど、十六歳を過ぎるとほとんどのΩが発情期を迎える。それは大変な事の始まりと言ってもいいが、同時に子供が生める体の証と言ってもおかしくなかった。
……こんな見た目だし、二十歳になっても発情期がこない俺はやっぱりΩとして出来損ないなんだろうな。
胸に重たい何かがズシリと落ちてきて、聡介は小さくため息を吐きそうになったが、何とか飲み込んで席を立った。いつの間にかもう降りるバス停に着いていたから。
……これからバイトなんだから気持ちを切り替えていこう。それに今日もあの人が来るかもしれないし。
聡介はある人物を思い浮かべるだけで、さっきまで重かった気持ちがちょっと浮上した。
……今日は少しぐらい、話せるかな?
聡介はそんな小さな希望を抱きながら、バイト先へと向かった。
◇◇◇◇
―――――小料理屋『羽山(はやま)』
そこは四十代の羽山夫妻が営んでいるこじんまりとした小さなお店で、地元ではなかなかの人気店だ。店内にはカウンターと奥に四つのテーブル席があるだけで、夕方になれば常連さんやご新規さんでいつも満席になる。
そんなお店のバイトとして、聡介は約一年前から働いていた。
注文取りにお会計、空いた席のバッシングに皿洗い。大変だけれど優しい羽山夫妻と働くのは楽しく、お客さんも気のいい人ばかりで聡介は大変さよりもやりがいを感じていた。
でも、なにより聡介にはある楽しみがあった。それは―――――。
「聡介君、これを四番テーブルに」
「はい、大将」
聡介はカウンターから差し出された大将が作った綺麗な玉子焼きの一品をトレーに乗せて、すぐさま言われたテーブルへと持って行く。そのテーブルは角の隅にある狭い二人席だ。けれど、そこを気に入っていつも一人で座る常連客がいた。
少々野暮ったい長い髪を一括りにし分厚い黒縁眼鏡をかけ、パイナップル柄の個性的なシャツを着ている二十代後半の男性客。ハッキリ言って見た目はちょっと変わり者だが、彼に会う事が聡介のバイトに来る楽しみだった。
「鬼崎さん、お待たせしました。玉子焼きです」
聡介がテーブルの上にそっと置けば、その席に座っている常連客・鬼崎(きざき)は嬉しそうに微笑んだ。
「ああ、ありがとう。聡介君」
にへらっと笑って言った彼に、聡介は「いえ」と小さく返事を返す。そして鬼崎はすぐにお箸で美味しそうに玉子焼きをぱくっと食べた。そんな鬼崎を聡介はついつい眺めてしまう。
……今日も美味しそうに食べるなぁ。いつも玉子焼きを頼むからやっぱり好物なんだろうな。
なんて思いながら聡介は不意に最初に出会った時も鬼崎が玉子焼きを頼んでいた事を思い出す。その時の格好いい姿も。
それは約一年前、聡介がまだここで働き始めたばかりの頃で。
開店前だと言うのに、迷惑客が勝手に店へ入ってきた時の事だった――――。
◇◇
―――聡介が開店準備の手伝いをしていると突然お店の戸がガラッと開き、一人の男性客が入ってきた。なので、テーブルを拭いていた聡介はすぐに声をかける。
「あ、お客様、まだ開店してませんので外でお待ちいただけますか?」
そう言えば男性客はじろりと聡介を睨み、酒臭いにおいが鼻についた。
……この人、酒臭い。
「あん? ここの店は客に外で待たせるのか?」
強い口調に聡介はやや眉間に皺を寄せる。そしてアルコールの匂いと顔の赤さから、すでに酔っているのだと察した。だが、そこに女将のやよいが後ろからやってきて。
「お客様、申し訳ありませんがうちはまだ開店準備中です。外でお待ちください」
やよいは丁寧な口調で、けれどハッキリと言った。しかし、その客は納得できないのかその場から動こうとしない。
「そう言わずにいいだろ。もうすぐ開店するならそこに座らせろよ」
尊大な態度に聡介の眉間の皺はますます深くなってしまう。そして今、大将は買い出しで不在中、このまま居座らせてやよいに何かされては、と思った聡介は強く前に出た。
「いいえ。困りますので、外へ出て行ってください」
聡介が頑として言えば、その態度が気に食わなかったのかその客は不機嫌な顔をして聡介の胸倉を掴んだ。
「おい、お前失礼だぞ……ん? お前、Ωか?」
言われて、聡介はビクッとする。客は聡介が首にしているチョーカーを見て不躾にも聞いてきたのだ、第二性の事を尋ねるのはタブーだと言うのに。その上、じっと聡介を見ると鼻で笑った。
「まさかな、こんなΩらしくない奴がいるわけないか」
それは聡介自身思っていた事だったが、人から言われて傷つかない訳でもなかった。ズキリッと胸が痛み、苦しさが刺さる。そして何も言い返せない聡介を見て、その客は調子に乗ったのか次々と暴言を吐いてきた。
「なんだ。お前、本当にΩなのか? こんな見てくれじゃ誰も相手にしてくれないだろ。せめてΩならΩらしく、大人しくしてないと誰とも番ってくれないぞ?」
からかう様に言われ、グサグサと胸を刺されるような痛みを感じても聡介は何も言えない。そんな事は自分が一番わかっているから。
でも、そんな聡介の代わりにやよいが声を上げようとした時、お店の戸が開き、怒りに滲んだ声が飛んできた。
「酷いな」
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