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6 魔人のシュリ
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――――それから。
城を出た俺はすぐに騎士集舎に戻り、医療班とも呼ばれている第十部隊の構える医務室へと足を運んだ。エルサル広場で空から落ちてきた魔人を拾った後、俺は彼らに託して陛下に謁見しに行ったから。
でも、魔人が眠っている筈のベッドに向かうと、そこには第十部隊のルクナ隊長がいた。
ルクナ・ベルエール隊長は魔人種で黒に近い灰色の髪をしているが、肌は魔人特有の褐色を持つ。
彼女は陛下よりも魔人の血を色濃く継いだのか、陛下よりも年上の九十五歳だが、その容貌は俺と同い年ぐらいの姿だ。そして高い魔力を持ち、治癒魔法を誰よりも使いこなす。
「ルクナ隊長、戻られていたんですね」
俺は魔人の傍に立つ、ルクナ隊長に声をかけた。先ほど俺がこの魔人を運んできた時、ルクナ隊長は街の医療所に出向いていていなかった。だが、きっと話を聞いて戻ってきたのだろう。ルクナ隊長は俺に気が付き、俺に視線を向けた。
「アレクちゃん、陛下には面会できたの?」
まるで孫に尋ねるように言うルクナ隊長に俺は苦笑する。
確かに年齢的には彼女の曾孫でも違いはないのだが、俺も二十八歳のいい男だ。ちゃん付で呼ばれるのは気恥ずかしい。だがルクナ隊長は俺の父でさえネイズちゃんと呼ぶのだから、これはもう仕方ないのだろう。
「はい、誰かから聞かれて?」
「ええ、エルンストから」
そうルクナ隊長は答えた。エルンストとは、この第十部隊の副隊長だ。俺がここに来た時、彼はいた。でも今はどこにも見当たらない。
「エルンスト副隊長は?」
「私の代わりに医療所に行ってもらったわ」
ルクナ隊長はそう答え、俺はなるほど、と頷く。
「それより陛下は今回の事件、なんて?」
ルクナ隊長に尋ねられて、俺は事のあらましを大体伝えた。
今回の事件が大魔術師エルサルの魔術である事、五百年前にエルサードが飛ばされてしまい、代わりにこの魔人がやってきてしまった事を。
そして俺の話を聞いたルクナ隊長は小さくため息をついた。
「そう言う事……。まあ、陛下には何か考えがあっての事なのでしょうね。けど、この子が五百年前からやってきたなんて」
ルクナ隊長は信じられない様子で、ベッドの上で眠る魔人に目を向けた。まだその瞳は閉じられ、眠っている。
「ルクナ隊長、この子はまだ一回も起きずに?」
「ええ」
「このまま眠ったままという事は」
「気を失っているだけだから、もうすぐ起きると思うわ」
そして、そう話している内に「ん」と小さな唸り声が聞こえた。
視線を向けると魔人の瞼がゆっくりと開いていく。
「んん?」
まだ意識ははっきりとしていないのか、その目はぼんやりとしている。瞳の色はとても珍しい、エルフェニウムの花のような、赤に近いピンク色だった。
「大丈夫か?」
俺が声をかけると魔人はぱちっと目を開け、そして俺を見て、突然叫びながら抱き着いた。
「ウィリア―ッ!!」
あまりに突然の事に俺は身動きもできずに、ただ驚いてしまう。だか俺の驚きには気が付かず、魔人はそのまま喋り続けた。
「ウィリア、聞いてくれよーっ! エルサルの奴、俺を騙して実験に付き合わせようとしたんだ!? なんか訳の分からない不思議な円陣に入れられてさ! そんで気が付いたら空から落ちてて! もー、最悪! エルサルの馬鹿野郎!! ……ん? あれ? でもどうやって俺、助かったんだ? ……それにウィリア、どうしてこんな男物の服……胸もなんか潰してる?」
そう魔人は喋るだけ喋った後、違和感を覚えたのか顔を上げて俺を見た。そして首を傾げた。
「ウィリア、なんか男らしくなった?」
不思議そうに尋ねる彼に俺は困惑気味に答えた。
「すまないが、俺はウィリアという人物ではない。それに男だ」
俺が答えると、彼は「え?!」と驚き、そして俺をじっと見た。今まで見たことのない、赤に近いピンク色の瞳で見つめられると不思議な気分だ。でも彼は俺をじっと見て、ようやくわかったようだ。
「本当にウィリアじゃない……。ご、ごめん!」
彼は慌てて体を離して謝った。そして俺はようやく、ほっと息を吐いた。しかし、こんな風に他人に抱き着かれたのはいつ以来だろうか? と不意に考えてしまう。
柔らかな体の感触に、俺の体は妙に騒めていた。
しかし俺のそんな気持ちを知らない彼は、申し訳なさそうに俺を見た。
「ごめん、急に抱き着いて。あんたが俺の親友にすごく似てたから、つい」
彼はそう答えた。でも俺は彼の言葉に引っかかった。
自分に似た人物。
それは獣人に他ならない。だが、今のリヴァンテ王国では自分以外の獣人はいない。
だから俺は本当に彼が五百年前の世界から来たのだとわかった。五百年前の王都インクラントにはまだ獣人も魔人もたくさんいたと昔習ったからだ。
でもそんな事を俺が思っている間に、ルクナ隊長がぽんっと優しく彼の肩を叩いた。
「大丈夫よ、アレクちゃんはそんな事で怒ったりしないわ。心配しないで」
ルクナ隊長が言うと、彼はちらりと俺を見た。
「でも、まだむすっとしてる」
「この顔は生まれつきだ。怒ってない」
俺がそう告げると、彼はちょっと安心したようだった。
「ほら、大丈夫でしょ?」
ルクナ隊長が言うと、彼は「そうだな」と笑顔で返した。そんな彼の様子を見て、ルクナ隊長は自分の名を名乗った。
「私はルクナ・ベルエール。彼はアレクシス。もしよければ、貴方の名前を聞いてもいいかしら?」
「俺? 俺はシュリ・アンバーだ。よろしくな、ルクナ」
彼はにかっと溌溂に笑って言った。
でも彼の名を聞いて、俺とルクナ隊長は目を見合わせる。アンバーは、あの大魔術師エルサルの姓と同じだったからだ。やはり彼は大魔術師エルサルの関係者なのだろう。
「そう言えば、さっきエルサルがどうとかって言ってたけど、シュリはエルサルとどういう関係なの?」
ルクナ隊長が尋ねるとシュリは首を傾げ、何気なく答えた。
「エルサル? エルサルは俺の兄貴だけど?」
シュリの答えに、俺とルクナ隊長は驚く。エルサルに弟がいたなんて初耳の事だからだ。けれど、シュリは俺達の驚きを他所に周りをきょろきょろと見回した。
「てか俺。エルサルの新しい魔法で確か円陣の中に閉じ込められた後、空に投げ出されて……。ここ、どこ? 見た事ないとこだけど」
今更ながらに、自分の置かれている状況を把握したのか、シュリはルクナ隊長に尋ねた。
ルクナ隊長はどこから説明していいのやら、という困惑した顔を見せたが、大体の事をシュリに伝えた。そして、当然話を聞いたシュリは顔を引きつらせ、青ざめさせた。
「な、な、なっ! って、ことはここは俺が住んでいた五百年後の世界って事!?」
シュリは驚き、動揺した。まあ五百年後の世界に飛ばされたら、誰だってそうなるだろう。俺だって同じように慌てる。
「シュリ、落ち着いて。ここは五百年後の世界だけど、私達があなたをちゃんと保護するから」
そうルクナ隊長は落ち着かせようと言ったが、シュリは「嘘だ! ここが五百年後の世界なんて!」と言うなり、ベッドから降りて外に出ようとした。だが出て行こうとするシュリの細腕を掴んで止めた。
「おい、待て!」
「放せ!」
シュリは腕を振って俺の手を放そうと暴れた。しかし暴れても俺の手が放れる訳がない。力の差は歴然だ。
「大人しくしろ。今はまだ安静に」
俺はもう一つの手を伸ばし、シュリの体を捕まえて大人しくさせようとした。だが、シュリの瞳がキッと俺を睨むと、淡く光った。魔術を使う魔人特有の合図だ。
「お、おい、待てッ!」
俺は叫んだが、いつの間にかシュリの体はその場から消えていた。まさか目の前から人が消えるなんて思っていなかった俺は驚いた。
生粋の魔人であるシュリが魔術を使えるのも不思議はない。だが魔術式も詠唱もなく、しかもその場から体を消す魔術なんて、俺は今まで見たこともなかったのだ。それは魔人種であるルクナ隊長も同じようだった。
「魔人にしか使えない移動魔術だわ。しかも、かなり高等な……初めて見たけど、さすが大魔術師エルサルの弟ね。魔術式もなくやるなんて」
まるで感心するようにルクナ隊長は言ったが、俺は陛下から直々に彼の面倒をみるように言われているのだ。ここで彼に何かあれば、困った事になる。
「探してきますッ!」
俺はそれだけを告げて、医務室から出た。そして騎士集舎の屋上に上がり、鼻を研ぎ澄まして、シュリの匂いを嗅いだ。
……アイツから香ったのは甘い、エルフェニウムのような匂いだった。
俺は匂いを思い出し、くんくんっと辺りを嗅ぐ。すると北の方向にその匂いを嗅ぎ分けた。
俺は屋上から飛び降り、地面に着地すると、そのままその匂いを道標にシュリの元に駆け走った。
◇◇◇◇
そして十五分ほど走った頃。
シュリは道端のベンチに腰を下ろし、王都を警備していた騎士達に囲まれていた。
「シュリ!」
俺は駆け寄り、騎士達は俺に気が付いて道を開けた。そして一人の騎士がおずおずと「アレクシス隊長、この子って例の子ですよね?」と俺に尋ねてきた。
どうやら例の事件はもうみんなの耳に入っているようだ。
「ああ、そうだ。あとは俺が見る。お前たちは持ち場に戻れ」
俺はそう指示を出し、騎士達を散らした。そしてシュリに目を向けると、さっきの勢いはどこへやら、意気消沈した様子でがっくりとうなだれてベンチに座っていた。
「シュリ、大丈夫か?」
……魔術を使って、どこか体を悪くしたのだろうか? それとも怪我を?
そう心配してしゃがんで、うなだれるシュリに声をかけるとシュリは俺を見た。そしてエルフェニウムの花のような瞳に俺の姿を映すと、じわーっと涙を溢れさせて大粒の涙を零した。
それはぽろぽろと水晶のような涙がキラキラと落ちていく。
その粒があまりに綺麗で、俺は一瞬ぼうっとなってしまった。だが、すぐにシュリの泣き声で我に返った。
「うっ、うっ、お、俺の家とか、ウィリアの家、とか、色んな所に行ったけどぉ、何にもなかったぁ! 俺、ホントに、五百年後の、世界に来ちゃったぁっ」
シュリは涙を零しながら言った。どうやら逃げた後で色々と見て回ったようだ。しかしこの五百年で何もかも変わってしまった事実を見つけてしまったのだろう。
五百年もあれば世界は変わる。町も人も風景さえも。
「俺、これからどうすればいいんだろう。あのバカエルサルっ……俺、俺っ! どこにもっ!」
シュリは涙声で言いつつ、しゃっくり上げながら幼子のように泣いた。その姿が痛々しくて俺は手を差し伸べずにはいられなかった。
「大丈夫だ。きっとお前は帰れる。それまでは俺が面倒を見よう。だから何の心配もいらない」
俺がそう告げると、シュリは躊躇わずにぎゅっと俺に抱き着いて、わんわんと泣いた。
俺は、躊躇わず恐れもせずに抱き着いてきたシュリに少しばかり驚いたが、ただ黙ってシュリが落ち着くまで震える背中を撫で続けた。
城を出た俺はすぐに騎士集舎に戻り、医療班とも呼ばれている第十部隊の構える医務室へと足を運んだ。エルサル広場で空から落ちてきた魔人を拾った後、俺は彼らに託して陛下に謁見しに行ったから。
でも、魔人が眠っている筈のベッドに向かうと、そこには第十部隊のルクナ隊長がいた。
ルクナ・ベルエール隊長は魔人種で黒に近い灰色の髪をしているが、肌は魔人特有の褐色を持つ。
彼女は陛下よりも魔人の血を色濃く継いだのか、陛下よりも年上の九十五歳だが、その容貌は俺と同い年ぐらいの姿だ。そして高い魔力を持ち、治癒魔法を誰よりも使いこなす。
「ルクナ隊長、戻られていたんですね」
俺は魔人の傍に立つ、ルクナ隊長に声をかけた。先ほど俺がこの魔人を運んできた時、ルクナ隊長は街の医療所に出向いていていなかった。だが、きっと話を聞いて戻ってきたのだろう。ルクナ隊長は俺に気が付き、俺に視線を向けた。
「アレクちゃん、陛下には面会できたの?」
まるで孫に尋ねるように言うルクナ隊長に俺は苦笑する。
確かに年齢的には彼女の曾孫でも違いはないのだが、俺も二十八歳のいい男だ。ちゃん付で呼ばれるのは気恥ずかしい。だがルクナ隊長は俺の父でさえネイズちゃんと呼ぶのだから、これはもう仕方ないのだろう。
「はい、誰かから聞かれて?」
「ええ、エルンストから」
そうルクナ隊長は答えた。エルンストとは、この第十部隊の副隊長だ。俺がここに来た時、彼はいた。でも今はどこにも見当たらない。
「エルンスト副隊長は?」
「私の代わりに医療所に行ってもらったわ」
ルクナ隊長はそう答え、俺はなるほど、と頷く。
「それより陛下は今回の事件、なんて?」
ルクナ隊長に尋ねられて、俺は事のあらましを大体伝えた。
今回の事件が大魔術師エルサルの魔術である事、五百年前にエルサードが飛ばされてしまい、代わりにこの魔人がやってきてしまった事を。
そして俺の話を聞いたルクナ隊長は小さくため息をついた。
「そう言う事……。まあ、陛下には何か考えがあっての事なのでしょうね。けど、この子が五百年前からやってきたなんて」
ルクナ隊長は信じられない様子で、ベッドの上で眠る魔人に目を向けた。まだその瞳は閉じられ、眠っている。
「ルクナ隊長、この子はまだ一回も起きずに?」
「ええ」
「このまま眠ったままという事は」
「気を失っているだけだから、もうすぐ起きると思うわ」
そして、そう話している内に「ん」と小さな唸り声が聞こえた。
視線を向けると魔人の瞼がゆっくりと開いていく。
「んん?」
まだ意識ははっきりとしていないのか、その目はぼんやりとしている。瞳の色はとても珍しい、エルフェニウムの花のような、赤に近いピンク色だった。
「大丈夫か?」
俺が声をかけると魔人はぱちっと目を開け、そして俺を見て、突然叫びながら抱き着いた。
「ウィリア―ッ!!」
あまりに突然の事に俺は身動きもできずに、ただ驚いてしまう。だか俺の驚きには気が付かず、魔人はそのまま喋り続けた。
「ウィリア、聞いてくれよーっ! エルサルの奴、俺を騙して実験に付き合わせようとしたんだ!? なんか訳の分からない不思議な円陣に入れられてさ! そんで気が付いたら空から落ちてて! もー、最悪! エルサルの馬鹿野郎!! ……ん? あれ? でもどうやって俺、助かったんだ? ……それにウィリア、どうしてこんな男物の服……胸もなんか潰してる?」
そう魔人は喋るだけ喋った後、違和感を覚えたのか顔を上げて俺を見た。そして首を傾げた。
「ウィリア、なんか男らしくなった?」
不思議そうに尋ねる彼に俺は困惑気味に答えた。
「すまないが、俺はウィリアという人物ではない。それに男だ」
俺が答えると、彼は「え?!」と驚き、そして俺をじっと見た。今まで見たことのない、赤に近いピンク色の瞳で見つめられると不思議な気分だ。でも彼は俺をじっと見て、ようやくわかったようだ。
「本当にウィリアじゃない……。ご、ごめん!」
彼は慌てて体を離して謝った。そして俺はようやく、ほっと息を吐いた。しかし、こんな風に他人に抱き着かれたのはいつ以来だろうか? と不意に考えてしまう。
柔らかな体の感触に、俺の体は妙に騒めていた。
しかし俺のそんな気持ちを知らない彼は、申し訳なさそうに俺を見た。
「ごめん、急に抱き着いて。あんたが俺の親友にすごく似てたから、つい」
彼はそう答えた。でも俺は彼の言葉に引っかかった。
自分に似た人物。
それは獣人に他ならない。だが、今のリヴァンテ王国では自分以外の獣人はいない。
だから俺は本当に彼が五百年前の世界から来たのだとわかった。五百年前の王都インクラントにはまだ獣人も魔人もたくさんいたと昔習ったからだ。
でもそんな事を俺が思っている間に、ルクナ隊長がぽんっと優しく彼の肩を叩いた。
「大丈夫よ、アレクちゃんはそんな事で怒ったりしないわ。心配しないで」
ルクナ隊長が言うと、彼はちらりと俺を見た。
「でも、まだむすっとしてる」
「この顔は生まれつきだ。怒ってない」
俺がそう告げると、彼はちょっと安心したようだった。
「ほら、大丈夫でしょ?」
ルクナ隊長が言うと、彼は「そうだな」と笑顔で返した。そんな彼の様子を見て、ルクナ隊長は自分の名を名乗った。
「私はルクナ・ベルエール。彼はアレクシス。もしよければ、貴方の名前を聞いてもいいかしら?」
「俺? 俺はシュリ・アンバーだ。よろしくな、ルクナ」
彼はにかっと溌溂に笑って言った。
でも彼の名を聞いて、俺とルクナ隊長は目を見合わせる。アンバーは、あの大魔術師エルサルの姓と同じだったからだ。やはり彼は大魔術師エルサルの関係者なのだろう。
「そう言えば、さっきエルサルがどうとかって言ってたけど、シュリはエルサルとどういう関係なの?」
ルクナ隊長が尋ねるとシュリは首を傾げ、何気なく答えた。
「エルサル? エルサルは俺の兄貴だけど?」
シュリの答えに、俺とルクナ隊長は驚く。エルサルに弟がいたなんて初耳の事だからだ。けれど、シュリは俺達の驚きを他所に周りをきょろきょろと見回した。
「てか俺。エルサルの新しい魔法で確か円陣の中に閉じ込められた後、空に投げ出されて……。ここ、どこ? 見た事ないとこだけど」
今更ながらに、自分の置かれている状況を把握したのか、シュリはルクナ隊長に尋ねた。
ルクナ隊長はどこから説明していいのやら、という困惑した顔を見せたが、大体の事をシュリに伝えた。そして、当然話を聞いたシュリは顔を引きつらせ、青ざめさせた。
「な、な、なっ! って、ことはここは俺が住んでいた五百年後の世界って事!?」
シュリは驚き、動揺した。まあ五百年後の世界に飛ばされたら、誰だってそうなるだろう。俺だって同じように慌てる。
「シュリ、落ち着いて。ここは五百年後の世界だけど、私達があなたをちゃんと保護するから」
そうルクナ隊長は落ち着かせようと言ったが、シュリは「嘘だ! ここが五百年後の世界なんて!」と言うなり、ベッドから降りて外に出ようとした。だが出て行こうとするシュリの細腕を掴んで止めた。
「おい、待て!」
「放せ!」
シュリは腕を振って俺の手を放そうと暴れた。しかし暴れても俺の手が放れる訳がない。力の差は歴然だ。
「大人しくしろ。今はまだ安静に」
俺はもう一つの手を伸ばし、シュリの体を捕まえて大人しくさせようとした。だが、シュリの瞳がキッと俺を睨むと、淡く光った。魔術を使う魔人特有の合図だ。
「お、おい、待てッ!」
俺は叫んだが、いつの間にかシュリの体はその場から消えていた。まさか目の前から人が消えるなんて思っていなかった俺は驚いた。
生粋の魔人であるシュリが魔術を使えるのも不思議はない。だが魔術式も詠唱もなく、しかもその場から体を消す魔術なんて、俺は今まで見たこともなかったのだ。それは魔人種であるルクナ隊長も同じようだった。
「魔人にしか使えない移動魔術だわ。しかも、かなり高等な……初めて見たけど、さすが大魔術師エルサルの弟ね。魔術式もなくやるなんて」
まるで感心するようにルクナ隊長は言ったが、俺は陛下から直々に彼の面倒をみるように言われているのだ。ここで彼に何かあれば、困った事になる。
「探してきますッ!」
俺はそれだけを告げて、医務室から出た。そして騎士集舎の屋上に上がり、鼻を研ぎ澄まして、シュリの匂いを嗅いだ。
……アイツから香ったのは甘い、エルフェニウムのような匂いだった。
俺は匂いを思い出し、くんくんっと辺りを嗅ぐ。すると北の方向にその匂いを嗅ぎ分けた。
俺は屋上から飛び降り、地面に着地すると、そのままその匂いを道標にシュリの元に駆け走った。
◇◇◇◇
そして十五分ほど走った頃。
シュリは道端のベンチに腰を下ろし、王都を警備していた騎士達に囲まれていた。
「シュリ!」
俺は駆け寄り、騎士達は俺に気が付いて道を開けた。そして一人の騎士がおずおずと「アレクシス隊長、この子って例の子ですよね?」と俺に尋ねてきた。
どうやら例の事件はもうみんなの耳に入っているようだ。
「ああ、そうだ。あとは俺が見る。お前たちは持ち場に戻れ」
俺はそう指示を出し、騎士達を散らした。そしてシュリに目を向けると、さっきの勢いはどこへやら、意気消沈した様子でがっくりとうなだれてベンチに座っていた。
「シュリ、大丈夫か?」
……魔術を使って、どこか体を悪くしたのだろうか? それとも怪我を?
そう心配してしゃがんで、うなだれるシュリに声をかけるとシュリは俺を見た。そしてエルフェニウムの花のような瞳に俺の姿を映すと、じわーっと涙を溢れさせて大粒の涙を零した。
それはぽろぽろと水晶のような涙がキラキラと落ちていく。
その粒があまりに綺麗で、俺は一瞬ぼうっとなってしまった。だが、すぐにシュリの泣き声で我に返った。
「うっ、うっ、お、俺の家とか、ウィリアの家、とか、色んな所に行ったけどぉ、何にもなかったぁ! 俺、ホントに、五百年後の、世界に来ちゃったぁっ」
シュリは涙を零しながら言った。どうやら逃げた後で色々と見て回ったようだ。しかしこの五百年で何もかも変わってしまった事実を見つけてしまったのだろう。
五百年もあれば世界は変わる。町も人も風景さえも。
「俺、これからどうすればいいんだろう。あのバカエルサルっ……俺、俺っ! どこにもっ!」
シュリは涙声で言いつつ、しゃっくり上げながら幼子のように泣いた。その姿が痛々しくて俺は手を差し伸べずにはいられなかった。
「大丈夫だ。きっとお前は帰れる。それまでは俺が面倒を見よう。だから何の心配もいらない」
俺がそう告げると、シュリは躊躇わずにぎゅっと俺に抱き着いて、わんわんと泣いた。
俺は、躊躇わず恐れもせずに抱き着いてきたシュリに少しばかり驚いたが、ただ黙ってシュリが落ち着くまで震える背中を撫で続けた。
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