エルフェニウムの魔人

神谷レイン

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75 手紙

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 それから――――。

 転移魔術が発動し、シュリとエルサードが入れ替わって一週間。

 シュリがいなくなって、ロニーや他の面々も悲しんだが、帰ってきたエルサードを喜んで迎え入れた。
 特に若い騎士達は、過去がどうなったのかエルサードについて聞いてまわるぐらいだ。今では煙たそうに、その質問から逃げている。

 そしてエルサードは何の怪我もなく無事に帰ってきたが、やはり過去に行っていたという事で父さんから三日間は休養を取るよう言われていた。

 ここでいつものエルサードなら『三日も休暇なんていりませんよ』と軽口を叩くところだが、素直にその話をぼんやりとしながら聞いていた。
 その姿を見て、やはり過去で何かあったのか、と俺は思った。

 帰ってきたエルサードは何の変わりも見えなかったが、どことなく以前とは違った雰囲気をしていた。どこが違う、と言われたらわからないが、何か違うのだ。それによくため息を吐くし、時々寂しそうな目をした。
 向こうで出会った誰かを想っているのだろう、と思う。もう二度と会えない誰かを。

 そして、俺はというと。
 





「はぁ……すっかり散ってしまったな」

 俺は裏山を登り切り、エルフェニウムの木の前に立っていた。
 そこには満開に咲いていたエルフェニウムの花は散り、すっかり緑が芽吹いていた。あの馨しい香りはなく、あるのは新緑の匂いだけだ。

 でも、エルフェニウムはまた来年も咲くだろう。

 けれど、俺のあの好きなエルフェニウム色の瞳はもう二度と帰ってこない。
 この木の上に座り、俺に向かって飛び降りてきたあの小さな魔人は……もう二度と。

 そう思うと胸が痛み、奥歯を自然と噛み締めていた。

「……っ」

 俺はやりきれない思いと悲しさで胸がいっぱいになり、ぎゅっと両手を握った。

 胸にぽっかりと穴が開いてしまったみたいで、そこをすーすーっと荒んだ風が吹き通っていく。でもどうやって穴を塞げばいいのかわからない。

 どうしてシュリを行かせてしまったのか。どうしてシュリを引き留めなかったのか。

 今になって怒涛のように後悔が押し寄せてくる。

 エルサルから通信が来た時、俺はシュリを残してくれるよう頼むこともできたはずだった。大魔術師エルサルだったら、それも可能だったかもしれない。でも俺は全てを諦めて、みすみすシュリを送り返してしまった。

 何をやっている、第一部隊の隊長でもあろう者が、とんだ間抜けだ。

 何度も何度も、シュリを失った自分を罵る。そんなことをしてもシュリは帰ってこないのに。

 忘れよう忘れようとしても、瞼の裏にあの笑顔が何度でも蘇ってきて、その度に胸が掻きむしられる。この場で泣け叫んで、第一部隊の隊長という役職も、クウォール家の長男であることも、放り投げて何もかも忘れたかった。

 でも俺は叫ぶこともできなかったし、なによりどんなに悲しみに暮れて泣きたくても、泣けなかった。あの日から一滴も。

 なぜなら俺は知っているからだ。泣いたとしても、俺の涙を止めるキスを大好きな魔人から、もう二度ともらえない事を。

「……シュリ」

 だから俺はエルフェニウムの木を前にしても、苦虫を噛み潰したような顔をして、突っ立って名前を呼ぶしかできなかった。
 今は、誰に自分の努力を認められなかった時よりも胸が苦しい。

「……シュリ、会いたい」

 俺は置いて行かれた子供のようにぽつりっと呟いた。どんなに願っても叶わないのに。

「シュリ、シュリ、シュリ」

 俺は馬鹿になったみたいにシュリの名前を呼んだ。

 しかし、呼び続けた時、突然エルフェニウムの木全体がぽわぁっと光り始めた。

「なっ!?」

 思わず驚き、俺は声を上げた。だが驚く俺の足元の土が突然盛り上がり、俺は持ち前の反射神経で、さっと後ろに一歩退く。
 もこもこもこっと盛り上がった土は何かの生き物のようで気持ちが悪かったが、そこから一つの綺麗な木箱が出てきた。

 ……一体、何だ?

 俺は地面から出てきた木箱にじっと視線を向ける。
 木箱は両手に収まる程度の大きさで、木箱の周りには花や模様の彫りがされ、蓋にはステンドグラスのような色のついたガラスがはめ込まれていた。

 ……なんで、こんな綺麗な木箱が?

 俺は不思議に思いながらも膝を折って、恐る恐るその木箱に手を伸ばてみた。用心の為、最初は指先でこんっと木箱を突っついてみる。が、何も起きない。なので俺はそろそろと木箱を手に取ってみた。

 見た感じ通り、良い木を使っているのか土に埋もれていたのに手触りがいい。いや、土に埋もれていたのに土の汚れ一つついていない。

 ……保護魔術でも使われていたのか?
 
 俺はそう思いつつも膝を折ったままの態勢で、そっと蓋をゆっくり開けて中身をみた。

 すると、そこには一通の手紙が入っていた。

 それはまるで、たった今、ここに入れたような全くの新品のままで。
 でも俺はその手紙のあて名を見て、目を丸くする。

『アレクシス・クウォールへ』

 そこには俺の名前が書いてあったからだ。

 ……どうして、俺の名が?

 不思議に思ってもう一度見るが、間違いなく俺の名前だった。

 ……一体、誰がこんなことを?

 俺は戸惑い、そして困惑しながらも手紙を手に取り、裏を返して差出人を見た。そこに書かれている名前に、俺はまたも目を見張った。

『シュリ・アンバー』

 そこには愛しい名前が書かれていた。

「シュリ!?」

 俺は慌てて木箱を地面に置くと手紙の封を切り、中の便箋を取り出した。

 ……シュリは一体、いつこれを書いて、こんなところに置いたのだろうか?

 そう疑問に思いながら便箋を開き、中に書かれている俺への手紙を読んだ。


『親愛なるアレクシスへ。

 アレクシスがこれを読んでいる、という事は、もうこの手紙はアレクシスがいる五百年後に届いたんだな。この手紙は俺が去った後、アレクシスの元に届くように魔術をかけた。俺はエルサルのように複雑な魔術が得意じゃないから、ちゃんとアレクシスに届いたなら嬉しいな。

 アレクシス、元気にやっているか? 俺は過去に戻ってきて、もう一週間が経った。今でも未来で暮らしたことは夢だったんじゃないかって思うぐらいだ。そしてこっちに帰ってきてから、ウィリアやルサカ、エルサルからエルサードの事も聞いたぞ。エルサードは俺とは違って、こちらでの生活は大変だったみたいだ。でもウィリアがお茶飲み仲間のエルサードが帰ってしまった、と今も残念がっているぞ。未来では俺がいなくなったことを、みんな残念がってくれているだろうか? 俺はみんなに会えなくて、とても寂しい。みんな、俺に優しくしてくれて、本当に感謝している。

 勿論、アレクシスにも。

 だからな、俺。お礼がしたくて、エルフェニウムの木をここに植えることにした。アレクシスもエルフェニウムが好きだろう?
 だから毎年、毎年、アレクシスにエルフェニウムのいい香りが届けばって。
 だから、だから、エルフェニウムの花が咲いたら、俺の事、ちょっとでも思い出してくれると嬉しい。
 アレクシス、あの時は言えなかったけど。俺、アレクシスが大好きだ。本当は愛してた。言いたい言葉、お前にいっぱいある。どこが好きなのか、どうして好きになったのか。

 でも……これ以上はもっと長くなっちゃうから、ここらへんにしておくな。
 俺、アレクシスの幸せを願ってる。もう会えなくても、ずっと先の未来にアレクシスがいても。だから幸せに暮らすんだぞ。
 アレクシス、ありがとう。ずっと好きだ。シュリ・アンバー』


 手紙を読み終わるとぽたぽたっと雨が降ってきた。

 でも、空をみれば青く晴れている。それでも、雨はぽたぽたぽたっと手紙や俺の足元だけを濡らしていく。そこでようやく俺は自分の瞳から涙が溢れ出ていることに気が付いた。

「……シュリ、どうして」

 俺は涙を流し、地面に手を付いて項垂れた。胸がいっぱいになって体を支えられなかった。

 沸き上がる激情が俺の中で暴れる。後悔と悲しさと切なさと喜び。全てが俺の中で渦を巻く。
 そして、シュリに対する非難も。

 ……こんなところで、告白するなんて卑怯だ。なんで、あの時教えてくれなかった。どうして、今更になって言う。

 子供っぽい俺が悪態をついて、いないシュリに文句を叫ぶ。

 けれど、シュリだけを責められない。俺だって同じだ。シュリが帰ると思って、俺は何も言わなかった。好き、という告白の一言でさえ。

「シュリ、シュリッ、俺も愛してる。俺もシュリの事が好きだ!」

 届かない告白を俺は今になって言う。みっともなく、涙を流しながら。

 けれど、何の魔術も起こらない。長閑な時間が流れるだけだ。

 俺の手元に残ったのは、シュリがくれた手紙と木箱。そして。
 上を見上げ、緑が生え始めたエルフェニウムの木を見つめる。

「……シュリは本当に、エルフェニウムの魔人だ」

 俺は止められない涙を流しながら、エルフェニウムの木を見つめた。

 その先に同じ色の瞳をした魔人を思い描いて――――。
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