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9 夕方には
しおりを挟む「はぁ……なんとか終わった」
教会の鐘が鳴り、今日一日の仕事の終わりを告げる。その中でレイはぐったりとして呟いた。
今日は昨日の一件が忘れられなくて、注意散漫な一日だった。おつりは間違えるし、貸本の予約をしてた人に違った本を渡してしまうし、その他諸々小さな失敗の連続。全く悲惨な一日だったとも言える。
しかし何とか今日を終え、レイはほっと息を吐く。だが仕事が終わったら終わったで、レイの鼓動がドキドキと鳴り始める。
朝起きたら、すでにルークは出かけていたから顔を合わせないでよかったのだが、もうすぐルークも仕事を終えて帰ってくるからだ。その時、どんな顔をすればいいのか。
レイは気恥ずかしさを隠すように頭を掻いた。そして店の外に掛けている営業中の木札を変えに行こうと店先に立った時、自分を覆い隠す人影が。
振り返るとそこには余所行きの格好をしたフェインが立っていた。
「フェイン!」
「はぁーい、昨日ぶりね、レイ」
フェインはにっこりと笑って言った。だがフェインを見たレイは開口一番、怒った。
「フェインッ! 昨日はなんてもの、渡してくれたんだ!」
「あ、ちゃんと飲んでくれたのね。で、どうだった? 私の特製ラブポーション、うふっ」
「どうもこうもあるか! こっちはなぁ……!」
そこまで言いかけるが、その先はさすがに友人にも言えなかった。まさか息子に自慰を手伝ってもらった上に、自分の精液を飲ませてしまった、なんて。
レイはかーっと顔を真っ赤にして言葉に詰まった。それを見たフェインは「あらあら、まあまあ」と楽し気に笑った。
「昨日、何かあったのねぇ。うふふ。やっぱりあげてよかったわぁ~」
「もう二度とあんなもの、よこすな!」
「あら、アレ結構人気なのよ~。大胆になりたい女の子とかうまく出来ない男の子とかに。レイもまた欲しくなったら、いつでも言ってね。じゃ、そろそろ行かなきゃだから」
「いるかッ! 変態魔法師!」
レイは叫ぶように言ったが、フェインは笑いながら去って行った。そんなフェインにレイはぷりぷり怒りながら見送ったが、そこへ入れ違いのようにポールがやってきた。
「おじさん、こんにちは」
「ポール! 平日に来るなんて珍しいな。本、借りに来たのか?」
「いえ、そういう訳じゃ……ルークの帰りが今日はちょっと遅くなるという事を伝えに」
「ルークが?」
レイは首を傾げた。ルークはいつも定刻通りに帰ってくるので、遅くなるのは珍しい事だった。そして不思議に思うレイにポールは説明してくれた。
「実は今朝、竜国からお客様が来られて、ルークがその対応をしているんです」
「ルークが……そういえば今日、竜を見たってみんな騒いでいたな」
レイは道端で人々が話していた事を思い出いた。レイは朝、それどころじゃなかったので、全然気が付かなかったが。
「今回、国交の事で来られたんですけど、竜人同士という事で、ルークに向こうから声がかかったんです。それで、今も話し込んでて」
「へぇ、そうなのか」
レイはルーク以外の竜人を見たことがないので、頭の中でどんな人なんだろう? と考える。
竜人は眉目秀麗というからな。ルーク並みの美形なんだろうか?
「それで帰ることが遅くなる事をおじさんに伝えて欲しいとルークに言われて」
「そっか。ありがとう、ポール」
レイはそうポールにお礼を言った。だがポールは伝え終わった後も、じっとレイを見つめる。
「どうした?」
「……あの、おじさん。昨日ルークに何かされました?」
突然、ポールに聞かれてレイは「へ?」と返したが、昨晩の事を思い出して顔が急速に赤くなる。それを見てポールは、やっぱり何かあったんだ、と確信した。しかし当然レイは真っ赤な顔をしたまま首を横に振って否定する。
「いや、何にもないよ!?」
「……おじさん。嫌な時はちゃんと拒否しないと駄目ですよ!」
ポールにがしっと肩を掴まれて言われ、レイは「だから、何もないって!」と否定したが、ポールは聞いちゃいなかった。ごそごそっポケットから小さな軟膏入れを出し、レイに差し出した。
「これ、おじさんにあげます。俺、剣の稽古で打ち身とか傷作った時によく使うんですけど、この魔草クリーム、魔草が多めに入ってて、傷によく効くんです」
そうポールは言った。魔草は打ち身、切り傷、頭痛、肩こり、なんにでも聞く万能草だ。その万能草をクリームに練り込んだものは薬局で売られ、配合が多ければ多いほど傷の治りが早くその分値段も高くで売られていた。
しかし突然の進呈にレイは驚き、なんで魔草クリーム? と思いつつも断った。
「え、いいよ。魔草が入ってるなら、高いだろ」
「いいんです! あいつ、おじさんに酷いことはしないと思うけど……おじさんのお尻に、もしもの時があったら、これを使って下さい」
ポールはレイの手にぎゅっと押し付けるように渡し「じゃあ、これで俺は失礼します」と言うと励ますようにレイの両肩をぽんっと叩いてからポールは去って行った。
お、俺のお尻にもしもの時があったらって……どういう意味だよッ、ポール!!
レイは無用な気遣いをされて、店先に立ち尽くすばかりだった。
しかしポールの気遣いもレイの気まずさも肩透かしを食らうように、ルークが帰ってきたのは夜遅く。
ガチャッと裏口玄関のドアが開き、ダイニングで待っていたレイは思わず座っていた椅子からシャキーンっとぎこちなく立ち上がった。
「お、おおお、おかえり、ルーク。遅かったな」
レイはついついどもりながら、挙動不審に声をかけた。
帰りが遅くなる、とはポールから聞いていたが、もう夜の帳もすっかり下りた時間だ。あまりにも帰りが遅いので、レイはちょっと心配していた。だが帰ってきたルークの顔を見た途端、昨日の事を思い出して恥ずかしくて、顔を背ける。
だが、レイは恥ずかしいと思っている事を悟られたくなくて、なるべくいつも通りに接する。
「か、帰ってこないから心配したぞ」
声が裏返りそうになりながらレイは言った。しかし、レイの言葉にルークは「ああ、うん。ごめんね」と素っ気ない声で返事をした。その素っ気なさに思わずレイは「ルーク?」と尋ねたが、ルークの態度は変わらなかった。
「僕、疲れたから、もうお風呂に入って寝るね」
思わぬルークの返事にレイは驚く。いつものルークなら遅く帰ってきても、レイとの時間を持とうとするのに。何より、いつものルークならば昨晩の事に絶対触れてくるはずだ。
なのに、ルークはそのまま風呂場に向かおうとする。
「お、おい、ルークッ!」
レイが思わず声をかけると、ルークは振り返り「何?」と聞き返してきた。
「え、あの……夕飯は?」
「ああ、外で食べてきたから今日はいらないよ。レイ、先に休んでて」
ルークはそう言うとそれ以上は何も言わずに、風呂場に入っていった。
ぽつんっと残されたレイはその場に立ち尽くしてしまう。
……なんか、よそよそし過ぎないか? もしかして昨日の一件で、俺の事を嫌いになった?
ルークの態度の急変は、それしかレイには思いつかなかった。
やっぱりどれだけ好きだといっても、男の体を見て幻滅してしまったのかもしれない。なんたって自分は男で、女の子のような柔らかい体も若い肌も持ち合わせていないのだ。
そう思うと、ちりっと胸が痛んだ。でもそれを誤魔化すようにレイは自分を納得させる。
……ルークが俺の事、好きじゃなくなったら、それはそれでいいじゃないか。俺は元々ルークに諦めさせるようにしていたんだから。これできっとよかったんだ。
レイはそう思ったけれど、胸はいつまで経ってももやもやした。
そして今日もまた眠れなかった。
――――一方、風呂場に入ったルークは服も全て脱ぎ、桶に汲んだ熱いお湯をざぱっと頭から被った。ぽたぽたとお湯の雫がルークの銀色の髪から滴り落ちる。その中でぽつりと呟いた。
「なんで今更」
ルークは項垂れ、ため息と共に目元に手を当てた。
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