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天狗攫い
十一、
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決意の日から3日ほど経ち――ついに天狗騒動は、近くまで手が伸びた。
万里の生家である松野屋の奉公人の息子が攫われたのだという。於菊は万里に呼び出されると、なにがあっても外には出ないように、と言いつけた。
「しばらく使いにも出さない。城の外に出たりなんて、絶対にしないように。御方さまにも、お願いしておくから」
「でも、攫われているのは男だって……一応、これでも菊は女なので、大丈夫かと」
「だめっ!」万里は大きな声を出して、於菊の肩を掴んだ。「たまたま女子が狙われていないだけかもしれないでしょう。異国になんて売り飛ばされたらどうするの。わたしも屋敷から出ないようにするから、於菊も出ないで。夜はきちんと眠ること。お須磨にも伝えてあるわ」
ぎくり、と於菊は肩を強張らせた。きちんと眠ること――と言われても、近頃はあまりしっかり寝ていない。乱丸が万里に妙なことをしないか、夜は見張っている。
余談だが、今朝も皿を割る寸前で須磨に掬ってもらい、苦言を呈されている於菊であった。
とはいえ、さすがに3日も寝ないでいると、眠い。目の下の隈も濃くなっているので、須磨にも今夜は寝なさい、と言われていたし、万里にも心配をかけている。
(今夜は、乱丸さまも何もしないよね……?)
於菊は大きく欠伸をした。乱丸は毎日のように万里の部屋に来ているが、勝手に書物を読んだり、かるたをしたりしているだけで、妙な動きは見られない。夜も部屋に入れば朝まで出てこないようだった。
(今夜は……寝よう)
於菊は立ったまま寝そうになり、力いっぱい頬を叩いた。昼に寝てしまっては、乱丸の動きを見張ることはできなくなる。
於菊は庭に降り、芒を1本手折った。もうすぐ秋が終わろうとしている。万里が金山城の姫になってから、三月が経とうとしていた。
葉に触れないように気をつけていたが、3本手折った頃に手首を見ると、うっすらと細長く傷ができていた。於菊の傷をあざわらうかのように風が吹く。生ぬるささえなく、身震いしたくなる風であった。
――その晩のことだった。
*
局で夜着にくるまった於菊は、何度も寝返りを打っていた。昼間は何度か気を飛ばしそうになるほど眠たかった。というのに、いざ寝そべってみると眠ることができなかった。明日も早いのだからと、瞼をきつく閉じているのだが、どうしても眠れない。
(水をもらってこよう)
諦めて局を抜け出すことを決め、部屋を出る。おなじ部屋を使うほかの侍女たちは、寝息を立てていた。ほかの者を起こさないように気を配りながら、厨に向かう。夏の昼間でもないのに、喉がからからに乾いていた。
於菊は万里の部屋がある方角を見た。そして――万里の部屋の戸が不自然に空いていることに気が付く。厭な予感を抱きながら、於菊が部屋を覗き――息が止まりかけた。
万里の褥が空になっている。
几帳をめくり上げたり、障子を引き倒しそうになったり、格子を開け閉めしたり、挙句長持の中まで荒らしてみるが、万里の姿は見えなかった。褥の温もりからして、それほど遠くに行ったとも思えない。
散らばった調度品まみれの部屋で固まっていると、湯冷ましを持った須磨が現れた。
「於菊、休んだのではなかったの?」
「お須磨っ」
於菊は半泣きになりながら、須磨の真横を走り抜けた。須磨が湯冷ましを乗せた盆を置いて、於菊の後を追い駆けてくる。目指すのは――乱丸の部屋である。於菊は声もかけずに戸を開け、愕然とした。
(あのひと……どこに行ったの……! まさか、乱丸さまが姫さまを……⁉)
乱丸に誘い出されたのか、あるいは万里の意思で乱丸を追い駆けたのか、分からない。
(まさか、本当に天狗がおふたりを攫ったの……? でも、それならどうして姫さままで――)
於菊がない頭を必死で動かしていると、「痛っ」と須磨がうめき声を上げた。須磨はしゃがみ込むと、透き通った珠を拾い上げる。万里が持ち歩いている、ビードロという珠である。
「お須磨、姫さまを最後に見たのはいつ?」
「本当に少し前よ」
須磨は蒼褪めながら言った。
寝付けない万里が厨から湯冷ましをもらって来てほしい、と所望したため、その間だけ離れたのだと言う。悔いる須磨を慰める前に、於菊は庭にもビードロが落ちていることに気がついた。
「あたし、姫さまのこと探してくる。まだ、遠くには行ってないだろうから」
於菊はビードロを拾いながら、庭を出て行った。
城門は既に閉じられている刻限である。ならば、城を抜け出せそうな場所は少ない。於菊は心当たりがある場所に向け、裸足のまま駆け出した。
万里の生家である松野屋の奉公人の息子が攫われたのだという。於菊は万里に呼び出されると、なにがあっても外には出ないように、と言いつけた。
「しばらく使いにも出さない。城の外に出たりなんて、絶対にしないように。御方さまにも、お願いしておくから」
「でも、攫われているのは男だって……一応、これでも菊は女なので、大丈夫かと」
「だめっ!」万里は大きな声を出して、於菊の肩を掴んだ。「たまたま女子が狙われていないだけかもしれないでしょう。異国になんて売り飛ばされたらどうするの。わたしも屋敷から出ないようにするから、於菊も出ないで。夜はきちんと眠ること。お須磨にも伝えてあるわ」
ぎくり、と於菊は肩を強張らせた。きちんと眠ること――と言われても、近頃はあまりしっかり寝ていない。乱丸が万里に妙なことをしないか、夜は見張っている。
余談だが、今朝も皿を割る寸前で須磨に掬ってもらい、苦言を呈されている於菊であった。
とはいえ、さすがに3日も寝ないでいると、眠い。目の下の隈も濃くなっているので、須磨にも今夜は寝なさい、と言われていたし、万里にも心配をかけている。
(今夜は、乱丸さまも何もしないよね……?)
於菊は大きく欠伸をした。乱丸は毎日のように万里の部屋に来ているが、勝手に書物を読んだり、かるたをしたりしているだけで、妙な動きは見られない。夜も部屋に入れば朝まで出てこないようだった。
(今夜は……寝よう)
於菊は立ったまま寝そうになり、力いっぱい頬を叩いた。昼に寝てしまっては、乱丸の動きを見張ることはできなくなる。
於菊は庭に降り、芒を1本手折った。もうすぐ秋が終わろうとしている。万里が金山城の姫になってから、三月が経とうとしていた。
葉に触れないように気をつけていたが、3本手折った頃に手首を見ると、うっすらと細長く傷ができていた。於菊の傷をあざわらうかのように風が吹く。生ぬるささえなく、身震いしたくなる風であった。
――その晩のことだった。
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局で夜着にくるまった於菊は、何度も寝返りを打っていた。昼間は何度か気を飛ばしそうになるほど眠たかった。というのに、いざ寝そべってみると眠ることができなかった。明日も早いのだからと、瞼をきつく閉じているのだが、どうしても眠れない。
(水をもらってこよう)
諦めて局を抜け出すことを決め、部屋を出る。おなじ部屋を使うほかの侍女たちは、寝息を立てていた。ほかの者を起こさないように気を配りながら、厨に向かう。夏の昼間でもないのに、喉がからからに乾いていた。
於菊は万里の部屋がある方角を見た。そして――万里の部屋の戸が不自然に空いていることに気が付く。厭な予感を抱きながら、於菊が部屋を覗き――息が止まりかけた。
万里の褥が空になっている。
几帳をめくり上げたり、障子を引き倒しそうになったり、格子を開け閉めしたり、挙句長持の中まで荒らしてみるが、万里の姿は見えなかった。褥の温もりからして、それほど遠くに行ったとも思えない。
散らばった調度品まみれの部屋で固まっていると、湯冷ましを持った須磨が現れた。
「於菊、休んだのではなかったの?」
「お須磨っ」
於菊は半泣きになりながら、須磨の真横を走り抜けた。須磨が湯冷ましを乗せた盆を置いて、於菊の後を追い駆けてくる。目指すのは――乱丸の部屋である。於菊は声もかけずに戸を開け、愕然とした。
(あのひと……どこに行ったの……! まさか、乱丸さまが姫さまを……⁉)
乱丸に誘い出されたのか、あるいは万里の意思で乱丸を追い駆けたのか、分からない。
(まさか、本当に天狗がおふたりを攫ったの……? でも、それならどうして姫さままで――)
於菊がない頭を必死で動かしていると、「痛っ」と須磨がうめき声を上げた。須磨はしゃがみ込むと、透き通った珠を拾い上げる。万里が持ち歩いている、ビードロという珠である。
「お須磨、姫さまを最後に見たのはいつ?」
「本当に少し前よ」
須磨は蒼褪めながら言った。
寝付けない万里が厨から湯冷ましをもらって来てほしい、と所望したため、その間だけ離れたのだと言う。悔いる須磨を慰める前に、於菊は庭にもビードロが落ちていることに気がついた。
「あたし、姫さまのこと探してくる。まだ、遠くには行ってないだろうから」
於菊はビードロを拾いながら、庭を出て行った。
城門は既に閉じられている刻限である。ならば、城を抜け出せそうな場所は少ない。於菊は心当たりがある場所に向け、裸足のまま駆け出した。
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