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十、
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うだるような暑さはいつしか真っ赤な紐羽扇により覆い隠され、そうかと思えば真白い雪化粧はあっという間に通り過ぎ、また梅が零れ、桜が散った。
そうして流れて行く時を繰り返すうちに、勝蔵は8歳の秋を迎えていた。
奇妙丸はといえば、相変わらずである。
濡れ羽色の髪は流水のごとく輝きを放ち、紅が塗られたような唇をしているし、白磁のような肌は艶めきを増している。
そしてその隣に寄りそう勝九朗も、同じく美童として名をはせている。奇妙丸に勝るとまでは言わずとも、劣ることはない。
奇妙丸が太陽の現身であるなら、勝九朗は月の精霊のようだった。
(俺だけ、場違いだよなぁ)
牡丹のような若君と、紅梅の精のような幼馴染。
それに引き換え、勝蔵は「攻めの三左」と呼ばれる森可成の息子に相応しい、鋭い顔つきをしている。
すぐ下の弟の乱丸は、生まれた時に母も侍女達も思わず微笑むほどの美童であった。思わずえいは「蘭丸」と名づけようとし、可成から「武士の子には可憐すぎる」と難色を示し、「乱丸」と名づけさせたという経緯がある。
もしこの場にいるのが乱丸の方であったなら、見劣りすることはないのだろうが。
しかし、乱丸だったら――こんなに手足が長いだろうか。
先日新しく仕立てたばかりの袴は、もう脛を超えている。小袖もあっという間に丈が足りなくなる。また侍女達に新しいのを仕立て直してもらわなければならない。
だが、勝蔵は自分の体つきや成長速度を厭だとは思っていなかった。
上背があるお陰で槍に振り回されずに済むのだ。傅役の各務元正からも、武芸を褒めてもらうことが増えた。
(うん、俺はこれがいいな)
と、勝蔵は自分を納得させるのだった。
「勝蔵、どうしたんだ?」
勝九朗が顔を顰めた。
本人は怖い顔をしているつもりなのだろうが、もともとの顔立ちが少女のように愛らしいせいで、小動物が上目遣いに見上げているようにしか見えない。
(この間、乱丸とうめに読んでやった妖怪の絵にこういうのいたな。確か、かわうそ……)
あやうく笑いそうになるのを堪えていると、勝九朗は「こっちこっち」と勝蔵を手招きした。
「若が菓子を用意してくださったぞ。早く来いよ」
「へえ。今日はなんだ?」
奇妙丸のところに来る楽しみのひとつが、菓子である。それも、つばき餅や干菓子ではない。
南蛮菓子という、異国から伝わってきた珍しい菓子だ。
はじめてカステーラを見た時は、その異様な見た目に目を剥いたものである。菜の花のような黄色い生地に、焦げたのか分からない茶色い皮。しかし、奇妙丸に半ば強引に口に押し込まれてみれば、口の中いっぱいに広がる甘さにまた別の驚きを得た。
『これはな。海を渡った菓子なのじゃ』
奇妙丸はどこか切なそうに――そして羨ましそうに言った。
『儂が知らぬことを、この菓子は知っておる。儂と違って……』
細められた珊瑚の瞳は、儚くて、今にも消えそうな灯火のようであった。
その灯火を強く燃やしたくて、勝蔵は慌てて、
『俺達も行けばいい』
と言った。
『見たければ、見に行けばいいんですよ。俺達なら、きっとできますって』
根拠など何もなかった。
しかし、勝蔵の言葉に、奇妙丸は至極嬉しそうに「うん」と言ってくれたのだった。
***
「お前達には、特別に教えてやる」
金平糖を齧っていると、奇妙丸が2人に向けて囁いた。
「此度、儂は上洛することとなったのじゃ」
「上洛?」
勝蔵は金平糖を舌の上で転がしながら、目を丸くした。
「いいなぁ! 俺も行きたい」
「残念だが、遊びに行くわけではない」
奇妙丸は誇らしげに胸を反らした。
「京には、先の将軍の弟君がおられる。恐らく、次の将軍になられるお方じゃ」
先の将軍・足利義輝が暗殺されたのは、紫陽花が蕾を見せはじめた頃のことだった。
将軍の死を嘆く暇もなく、人々の関心が寄せられたのは、「次の将軍は誰か」ということだった。
順当にいけば、嫡男が後を継ぐべきであるのだが、義輝の嫡男・輝若丸は生後間もなく早逝している。
――無論、織田家も黙って見ているわけではない。
今、将軍候補として最も有力視されているのが、覚慶という男だ。
そしてもうひとり噂されているのが足利義勝。
義輝と覚慶のいとこにあたる。
もともとは義勝の父の方が後継として推されたが、病に伏せたため辞退し、その息子である義勝が将軍候補として擁立されたらしい。
奇妙丸は覚慶に会いに行くと言った。
つまり信長は、覚慶を支持する立場を取るということなのだろうか。
誇らしげな奇妙丸に、勝蔵は言いようのない不安に押しつぶされそうになる。
勝九朗も恐る恐る口を開いた。
「いまだ後継と目されているお2人は、上洛を果たしておられぬそうではございませぬか。それなのに、覚慶殿にお会いしに、京へ上られるのですか?」
「そこが、見落とされそうな点よ。覚慶殿は、京近辺に幽閉されておられる。ゆえに、此度の上洛は内密なのだ。なぁに、心配するな」
勝九朗の頭を撫でながら、奇妙丸は笑顔を見せた。
「ただのご挨拶じゃ。土産も買うてくるゆえ、楽しみにしておれ」
「いりません」
勝九朗が睫毛を伏せた。
「俺は、若がご無事に戻って来てくださったら、それが一番です」
「そ、そうか」
素直に想いを口にする勝九郎と、率直な気持ちが照れ臭いのか目を反らす奇妙丸。一対の絵のような2人を見ていると、勝蔵は尻の下がこそばゆくなった。
そうして流れて行く時を繰り返すうちに、勝蔵は8歳の秋を迎えていた。
奇妙丸はといえば、相変わらずである。
濡れ羽色の髪は流水のごとく輝きを放ち、紅が塗られたような唇をしているし、白磁のような肌は艶めきを増している。
そしてその隣に寄りそう勝九朗も、同じく美童として名をはせている。奇妙丸に勝るとまでは言わずとも、劣ることはない。
奇妙丸が太陽の現身であるなら、勝九朗は月の精霊のようだった。
(俺だけ、場違いだよなぁ)
牡丹のような若君と、紅梅の精のような幼馴染。
それに引き換え、勝蔵は「攻めの三左」と呼ばれる森可成の息子に相応しい、鋭い顔つきをしている。
すぐ下の弟の乱丸は、生まれた時に母も侍女達も思わず微笑むほどの美童であった。思わずえいは「蘭丸」と名づけようとし、可成から「武士の子には可憐すぎる」と難色を示し、「乱丸」と名づけさせたという経緯がある。
もしこの場にいるのが乱丸の方であったなら、見劣りすることはないのだろうが。
しかし、乱丸だったら――こんなに手足が長いだろうか。
先日新しく仕立てたばかりの袴は、もう脛を超えている。小袖もあっという間に丈が足りなくなる。また侍女達に新しいのを仕立て直してもらわなければならない。
だが、勝蔵は自分の体つきや成長速度を厭だとは思っていなかった。
上背があるお陰で槍に振り回されずに済むのだ。傅役の各務元正からも、武芸を褒めてもらうことが増えた。
(うん、俺はこれがいいな)
と、勝蔵は自分を納得させるのだった。
「勝蔵、どうしたんだ?」
勝九朗が顔を顰めた。
本人は怖い顔をしているつもりなのだろうが、もともとの顔立ちが少女のように愛らしいせいで、小動物が上目遣いに見上げているようにしか見えない。
(この間、乱丸とうめに読んでやった妖怪の絵にこういうのいたな。確か、かわうそ……)
あやうく笑いそうになるのを堪えていると、勝九朗は「こっちこっち」と勝蔵を手招きした。
「若が菓子を用意してくださったぞ。早く来いよ」
「へえ。今日はなんだ?」
奇妙丸のところに来る楽しみのひとつが、菓子である。それも、つばき餅や干菓子ではない。
南蛮菓子という、異国から伝わってきた珍しい菓子だ。
はじめてカステーラを見た時は、その異様な見た目に目を剥いたものである。菜の花のような黄色い生地に、焦げたのか分からない茶色い皮。しかし、奇妙丸に半ば強引に口に押し込まれてみれば、口の中いっぱいに広がる甘さにまた別の驚きを得た。
『これはな。海を渡った菓子なのじゃ』
奇妙丸はどこか切なそうに――そして羨ましそうに言った。
『儂が知らぬことを、この菓子は知っておる。儂と違って……』
細められた珊瑚の瞳は、儚くて、今にも消えそうな灯火のようであった。
その灯火を強く燃やしたくて、勝蔵は慌てて、
『俺達も行けばいい』
と言った。
『見たければ、見に行けばいいんですよ。俺達なら、きっとできますって』
根拠など何もなかった。
しかし、勝蔵の言葉に、奇妙丸は至極嬉しそうに「うん」と言ってくれたのだった。
***
「お前達には、特別に教えてやる」
金平糖を齧っていると、奇妙丸が2人に向けて囁いた。
「此度、儂は上洛することとなったのじゃ」
「上洛?」
勝蔵は金平糖を舌の上で転がしながら、目を丸くした。
「いいなぁ! 俺も行きたい」
「残念だが、遊びに行くわけではない」
奇妙丸は誇らしげに胸を反らした。
「京には、先の将軍の弟君がおられる。恐らく、次の将軍になられるお方じゃ」
先の将軍・足利義輝が暗殺されたのは、紫陽花が蕾を見せはじめた頃のことだった。
将軍の死を嘆く暇もなく、人々の関心が寄せられたのは、「次の将軍は誰か」ということだった。
順当にいけば、嫡男が後を継ぐべきであるのだが、義輝の嫡男・輝若丸は生後間もなく早逝している。
――無論、織田家も黙って見ているわけではない。
今、将軍候補として最も有力視されているのが、覚慶という男だ。
そしてもうひとり噂されているのが足利義勝。
義輝と覚慶のいとこにあたる。
もともとは義勝の父の方が後継として推されたが、病に伏せたため辞退し、その息子である義勝が将軍候補として擁立されたらしい。
奇妙丸は覚慶に会いに行くと言った。
つまり信長は、覚慶を支持する立場を取るということなのだろうか。
誇らしげな奇妙丸に、勝蔵は言いようのない不安に押しつぶされそうになる。
勝九朗も恐る恐る口を開いた。
「いまだ後継と目されているお2人は、上洛を果たしておられぬそうではございませぬか。それなのに、覚慶殿にお会いしに、京へ上られるのですか?」
「そこが、見落とされそうな点よ。覚慶殿は、京近辺に幽閉されておられる。ゆえに、此度の上洛は内密なのだ。なぁに、心配するな」
勝九朗の頭を撫でながら、奇妙丸は笑顔を見せた。
「ただのご挨拶じゃ。土産も買うてくるゆえ、楽しみにしておれ」
「いりません」
勝九朗が睫毛を伏せた。
「俺は、若がご無事に戻って来てくださったら、それが一番です」
「そ、そうか」
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