鬼のツノゴと神のメゴ

くるっ🐤ぽ

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人の子か神の子か

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 弥治郎の妹はハナとクキと呼ばれている。だから、ハナとクキという名前なのだと、トワコは思っていたらしいが、実はそうではないのだ。
「七つまでは人の子か神の子か曖昧だから、とりあえずの名前で呼んでいるだけだよ。名付けの儀式のときに、人としての名前を与えられる」
 その、名付けの儀式は秋に執り行われる。
 今日、学校は午前中に終わったので、弥治郎は少し遠回りをして帰りながら、トワコの兄さまが仕事をしているのを見た。トワコの兄さまは、新しく家を建てる場所に蔓延はびこるヤツデを根こそぎ掘り起こそうとしているところだった。トワコも傍に腰掛けながら、トワコの兄さまが根本から土をかき出そうとしているのを見ている。トワコの兄さまは、さすがに疲れてくるのか、時々作業する手を休めて、肩から腕を回している。
「可哀想じゃないの?」
 トワコが言う。ヤツデのことだと、弥治郎には分かった。
「新しく家の土台をつくるのに邪魔になるのだよ」
 トワコの兄さまは、トワコほどヤツデに同情を感じていないようだ。
「家主は、ここの庭に花を植えたいと言っていた。春には梅と桜。夏には天竺牡丹と向日葵。秋には桔梗と秋桜。冬には赤い椿と白い椿」
「白い椿があるの?見たことがない」
「あるよ。見つけても、椿と思わず、白い花と思ったかもしれないね」
「トワコは兄さまの額から流れた血を見て、赤い椿がパァッと咲き誇っているようだと思ったの」
「そう……椿といえばトワコにとっては赤なんだね。椿は首から落ちるから、武士のようでいさぎよいともいうけれど、あの花が白い雪の上にポタリポタリと落ちるのは、少し不吉なようだ」
 トワコはふっと顔を上げて、弥治郎を見つけた。
「兄さま、ヤツデの葉を、持っていってもいい?」
 トワコの兄さまは、頷いた。
 トワコは、扇のようなヤツデの葉を、ヒラヒラとさせながら、弥治郎の元に駆け寄った。色の淡い着物を着て、幅の狭い帯を気楽に締めている。少し暑いと感じる日だった。
「トワコ、髪を切ったの?」
「うん」
 頭を振って、切った髪を弥治郎によく見せようとしながら、トワコは言った。
「トワコの、兄さまが?」
「前髪は、自分で切ったの」
 長い髪を、トワコは項の辺りで緩く結っていた。後ろ髪の長さはあまり変わっていないが、豊かな髪が少し軽くなって、小さな頭の形が分かる。前髪も少し短くなって、顔の感じも明るくなったようだ。
 トワコは、弥治郎の家の前を通りながら、もう一度兄さまの仕事場に行って、兄さまと一緒に帰るのだ、と言った。
「じゃあ、弥治郎も、元々弥治郎という名前ではなかったのね」
 弥治郎の妹の名前の話から、そんな話になった。
「そうだよ。弟と同じで、タロウって呼ばれていた。最初に、弥治郎って呼ばれたときは、妙な気分だったな」
「ハナとクキの新しい名前は、誰が決めるの?偉い人?」
「俺の親だよ。そこまで偉い人じゃない」
 トワコから貰ったヤツデの葉を、クルクルと回しながら、弥治郎は笑って言った。
「ハナとクキって、可愛い名前だと思うけれど……」
「植物の、花と茎だよ。とりあえずの名前だから、いい加減な呼び方だ」
「そうかなぁ……」
「トワコのいたところでは、そういう習慣はなかったの?」
 弥治郎は問いかけながら、ふっと神妙な心持ちになった。トワコがトワコの兄さまとどこかから逃げてきたらしいことは、村の者は誰でも察していることだったが、改めてそこに踏み込んだことはなかった。弥治郎も、ハッキリとした好奇心で踏み込もうと思ったわけではなく、トワコへの親しみから、触れようとすることを避けてきた境界へ、うっかり足を乗せてしまった形だ。トワコは、ないならないと気安く答えそうなところを、口を噤んでじっと考え込んでいる横顔だ。弥治郎は、うっかりでも訊くべきことではなかったのだと悟って、何かもっと明るい、軽い話題へ転じようとした。そこへ、トワコが口を開いた。
「トワコは、メゴ、と呼ばれていたの」
 弥治郎は、ヤツデの葉を逆の手に持ち替えた。クルクルとヤツデの葉を回す。ハナとクキのおもちゃになりそうなヤツデだ。
「メゴ?」
「あまり言うことじゃないけれど……」
 トワコは、少し躊躇うような、モグモグとした口調だった。
「トワコは、最初からトワコだったわけではなかったの。兄さまが、トワコという名前をくれたのよ。トワコとして、生きなさいって」
「トワコの兄さまが?」
 トワコの兄さまは、弥治郎から見ると随分大人に見えるが、トワコが小さかった頃、トワコの兄さまも子どもといえる年頃ではなかったか。
「トワコに、両親はいないの?」
 トワコに、人としての名前を与えてくれるような、両親である。
「きっと、いる」
 トワコの言いようは、妙だった。
「トワコがここにいるのだもの。トワコのお母さんも、トワコのお父さんも、きっといる。けれど、きっとまた会える人たちなのか、トワコには分からないの。兄さまは、ひょっとしたら知っているかもしれないけれど……」
「トワコの言っていること、俺にはよく分からないな」
 弥治郎は、少しじれったくなった。
「トワコは、ただメゴとして大きくなったの」
 トワコの言いようは、やはり、妙だ。
「兄さまだけよ。トワコとして生きなさい、と言ってくれたのは」
「トワコとして生きるって、どういう意味?」
「トワコには、よく分からないの」
 分からない、と言ったとき、トワコは、少し寂しそうな、大人びた表情をした。
「トワコは、兄さまを信じているの」
 兄さまを信じている、というのは、トワコのよく言う言葉だった。そして、それはトワコにとって、本当の言葉、真っ白な、偽りのない言葉なのだと、弥治郎にも分かった。
「兄さまが、逃げようと言ったから逃げた。兄さまが、トワコとして生きなさいと言ったから、トワコはトワコとして、生きようと思う……でも、それがトワコには、とても難しいことなの」
「……きっと、そうでもないだろう」
 弥治郎は、トワコの真っ直ぐに切り揃えた前髪がかかる額を、眩しげに見つめながら言った。
「俺が俺として生きるのと、同じことだよ。トワコが好きなものを、大事にして、生きればいい」
 トワコは、何か弥治郎に伝えようとする表情をした。しかし、その唇は、ただ震えた。トワコは弥治郎の手を、そっと握った。弥治郎も、握り返した。温かい掌だった。
 寒い夜、姉が弥治郎を抱いて眠っていたことを、思い出した。
 姉もまた、姉として生きているのだ。
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