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こわいa
面白いよりこわい
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朝の改札は、等級ごとに色分けされたレーンで分断されている。左端の銀色のゲートはSとA、中央の青はBとC、右端の黄ばんだプラスチックはDとE。俺——神代蓮は、当然いちばん右だ。古びたセンサーにEランクのチップをかざすたび、胸の奥に薄く錆びた嫌悪が溜まっていく。
戦闘権限。国が治安のためと作ったはずの制度は、いつの間にか力の序列そのものになった。権限が高い者は、一定の条件下で他者に「戦闘を申し込む」ことが許され、勝敗が、仕事も、住居も、そして尊厳も決める。上位は正義で、下位は雑音。そういうルールだ。
改札を抜けたところで、黒いスーツの連中がEレーンの出口に陣取っていた。黒城グループの下部組織、いわゆる徴収班。彼らはBランクが主で、腕に巻かれた灰色のバンドが権限の証明だ。 「おい、そこのE。滞納だろ?」 声をかけられたのは俺の後ろにいた初老の男だ。弁解の声は聞こえなかった。灰色のバンドが光り、路上カメラの認証が降りる。戦闘申請が通った印だ。次の瞬間、男は膝から崩れ、血がアスファルトの微かな凹みに溜まった。 俺は目を逸らさないよう努めた。逸らせば、次は自分だからだ。
「……行こ」 袖口を引いたのは美咲だった。幼なじみで、同じE。背が低くて、いつも笑っているような目元。だがその笑みは、最近どこか硬い。彼女の指先は冷たく汗ばんでいた。 「またやってる。朝からこれじゃ、遅刻理由をどう説明しようか」 「説明いらないよ。Eは遅れて当然って思われてる」 「それ、悔しくないの?」 悔しいに決まっている。だが言葉にした途端、悔しさは形を持ってしまい、俺の中で暴れ出す。だから飲み込む。兄も、きっと同じように飲み込んでいた。飲み込み続けて、そして——。
駐輪場の影に、背の高い男が立っていた。佐伯凌。Bの中でも下位だが、頭が切れて、やたら世の中の理不尽に詳しい。俺たちが近づくと、彼は顎でさっきの騒ぎを示した。 「見たか。今月から徴収が倍だ。黒城が選挙前に『安全』をアピるため、下位から数字を稼ぐ」 「安全って、誰の?」美咲が毒を含んだ声で言う。 「上の。俺たちのじゃない」凌は肩をすくめた。「蓮、お前、今夜は空いてるか」 「何かあるのか」 「査定バトル。地下の。勝てば身分点が跳ねる。負ければ……まあ、見てのとおり」 俺は首を横に振った。兄が死んだ夜の赤い雨が、瞼の裏でしつこく降り続ける。 「まだだ。俺は、あの夜の相手の名前しか持ってない」 「桐生司。黒城のNo.2」凌の声は低く、確かだった。「名前を持っているなら動ける。何も持たなければ、一生Eだ」
午前の現場は配送センター。俺は荷積み、凌は監視室、美咲は伝票。役割は決まっている。上位が突然の「試し撃ち」を仕掛けてきたとき、すぐ線を引いて逃げるためだ。 昼前、事件は起きた。黒いバンから降りてきた二人の男——BとC——が、わざとらしくコンテナの前で腕を組む。灰色と青のバンドが、警告色のように目に刺さる。 「Eの積み方は汚いな」 Bが言い、Cが笑う。戦闘申請の光がちらついた。 逃げる、が正解だ。だが俺の足は動かなかった。兄の背中が、薄暗い路地で振り返る。——逃げるな、と目が言ったような気がした。 「申請、取り下げてください」俺は言った。「ここは作業区域だ。規約の五条に——」 「Eが規約?」Bが口角を上げた。「お前、名は?」 「神代蓮」 「覚えた。俺は黒城の保全班、長坂。Eが規約を口にした罰だ」 灰色のバンドが光り、俺の首元に長坂の手が伸びる。触れられる、その瞬間——世界が、逆さになった。
音が遠のき、色が別の名前に置き換わる。長坂の灰色はくすみ、俺の手首に埋め込まれた薄いチップが、熱を帯びて脈打った。視界の端で、監視カメラの小さなランプが一斉に赤から青に変わる。誰かの悲鳴、美咲の名を呼ぶ声。俺は、長坂の手首を掴んでいた。 硬い何かが砕ける音。長坂のバンドから、ぱきりと亀裂が走り、灰色の輝きが霧散する。同時に、俺の視界の縁に見たことのないインターフェースが滲み出た。〈権限転倒:一時〉〈対象:長坂B→E〉——そんな文字列。 「な、何だこれ……!」Cが後退りする。長坂は膝をつき、今朝見た初老の男と同じ姿勢で、荒い呼吸を繰り返していた。 俺は手を離した。熱はすぐに引き、世界は元の色彩に戻る。監視カメラのランプも赤に戻った。長坂のバンドは、砕けたままだった。 「蓮……今の、見た?」美咲の声は震えていた。 俺は答えられなかった。自分が何をしたのか、言葉にすると、世界が確定してしまう気がしたからだ。
その夜、雨が降った。屋上の給水塔の脇で、俺たちは黙って缶コーヒーを飲んだ。凌が口を開く。 「逆転、だな。上の権限と下の権限を一時的に入れ替える。理屈はわからない。けど見た」 「偶然だ」俺は言った。「二度と起きないかもしれない」 「だから確かめる」凌は缶を握り潰した。「黒城が嗅ぎつける前に、使い方を知れ。でなければ、明日の朝にはお前は『事故死』だ」 遠くで救急車のサイレンが鳴る。雨の匂いに錆が混じる。 美咲が、ぽつりと言った。「蓮。逃げるなら今だよ」 「逃げない」俺は缶を置いた。「俺は——俺たちは、Eで終わらない」 給水塔の影が、雨の波紋に伸びて消えた。俺の中の何かは、もう後戻りできない場所に踏み込んでいた。
改札を抜けたところで、黒いスーツの連中がEレーンの出口に陣取っていた。黒城グループの下部組織、いわゆる徴収班。彼らはBランクが主で、腕に巻かれた灰色のバンドが権限の証明だ。 「おい、そこのE。滞納だろ?」 声をかけられたのは俺の後ろにいた初老の男だ。弁解の声は聞こえなかった。灰色のバンドが光り、路上カメラの認証が降りる。戦闘申請が通った印だ。次の瞬間、男は膝から崩れ、血がアスファルトの微かな凹みに溜まった。 俺は目を逸らさないよう努めた。逸らせば、次は自分だからだ。
「……行こ」 袖口を引いたのは美咲だった。幼なじみで、同じE。背が低くて、いつも笑っているような目元。だがその笑みは、最近どこか硬い。彼女の指先は冷たく汗ばんでいた。 「またやってる。朝からこれじゃ、遅刻理由をどう説明しようか」 「説明いらないよ。Eは遅れて当然って思われてる」 「それ、悔しくないの?」 悔しいに決まっている。だが言葉にした途端、悔しさは形を持ってしまい、俺の中で暴れ出す。だから飲み込む。兄も、きっと同じように飲み込んでいた。飲み込み続けて、そして——。
駐輪場の影に、背の高い男が立っていた。佐伯凌。Bの中でも下位だが、頭が切れて、やたら世の中の理不尽に詳しい。俺たちが近づくと、彼は顎でさっきの騒ぎを示した。 「見たか。今月から徴収が倍だ。黒城が選挙前に『安全』をアピるため、下位から数字を稼ぐ」 「安全って、誰の?」美咲が毒を含んだ声で言う。 「上の。俺たちのじゃない」凌は肩をすくめた。「蓮、お前、今夜は空いてるか」 「何かあるのか」 「査定バトル。地下の。勝てば身分点が跳ねる。負ければ……まあ、見てのとおり」 俺は首を横に振った。兄が死んだ夜の赤い雨が、瞼の裏でしつこく降り続ける。 「まだだ。俺は、あの夜の相手の名前しか持ってない」 「桐生司。黒城のNo.2」凌の声は低く、確かだった。「名前を持っているなら動ける。何も持たなければ、一生Eだ」
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音が遠のき、色が別の名前に置き換わる。長坂の灰色はくすみ、俺の手首に埋め込まれた薄いチップが、熱を帯びて脈打った。視界の端で、監視カメラの小さなランプが一斉に赤から青に変わる。誰かの悲鳴、美咲の名を呼ぶ声。俺は、長坂の手首を掴んでいた。 硬い何かが砕ける音。長坂のバンドから、ぱきりと亀裂が走り、灰色の輝きが霧散する。同時に、俺の視界の縁に見たことのないインターフェースが滲み出た。〈権限転倒:一時〉〈対象:長坂B→E〉——そんな文字列。 「な、何だこれ……!」Cが後退りする。長坂は膝をつき、今朝見た初老の男と同じ姿勢で、荒い呼吸を繰り返していた。 俺は手を離した。熱はすぐに引き、世界は元の色彩に戻る。監視カメラのランプも赤に戻った。長坂のバンドは、砕けたままだった。 「蓮……今の、見た?」美咲の声は震えていた。 俺は答えられなかった。自分が何をしたのか、言葉にすると、世界が確定してしまう気がしたからだ。
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