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ハリーside

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 ハリー・フォン・ミラー侯爵令息は、長子なので家督を継ぐように教育されてきた。その教育の一環として、幼い頃から社交の場にでなければならず、否が応でも社交性を身に付けなければならなかった。
 ハリーには弟のオスカーがいたが、ミラー侯爵は、オスカーには目もくれず、人当たりもよく優秀なハリーに期待した。それは、ハリーにはプレッシャーだった。

 オスカーはガーネット・ディ・エバンズ侯爵令嬢に夢中で、彼女と結婚するために自身の地位を磐石とするため、ありとあらゆる努力を重ねていた。そんな姿を近くで見て育ったハリーは、オスカーに家督を継がせるべく、わざと軟派に振る舞い、女性関係にだらしのないふりをした。だが、ミラー侯爵の目はオスカーに向くことはなかった。
 逆に『男なのだから、そう言う噂がある方が良い』と、ミラー侯爵に言われた時には、今までの努力が無駄であったことに気づき落胆した。

 ハリーの周囲には、ハリーの上っ面しか見ずその地位に群がる者が多かった。そんな中、カール・ディ・フォルトナム公爵令息は違っていた。地位に関係なく、誰とでも気さくに話す信頼出きる人物だ。
 ある日、そのカールから

「親友を紹介したい」

 と、オニキス・フォン・スペンサー男爵令息を紹介された。男爵令息と聞いてハリーは、オニキスが爵位の高い者に媚びて利用する目的で近づいているのでは? と、警戒した。
 だが、観察しているうちに、ばか正直で嘘のつけない真っ直ぐな性格のこの少年には、そんなことが出きる訳がないと悟った。

 オニキスもカール同様、爵位など関係なく誰にでも気さくに話した。そして、とにかくよく笑い、言葉づかいは悪いが、相手のことをちゃんと考えて行動のできる人物であることがわかった。
 例えばお茶会で、違う種類のお菓子が一種類ずつ残ったとき、オニキスは相手の視線や仕草、言動をつぶさに観察し、自分はこちらのお菓子が良い。と言って、相手の欲しているお菓子をわざと残し、相手に気を使わせることなく、希望を叶える。そう言う細やかな気遣いをいつもしていた。

 だが、それを横で見ていて、我慢し過ぎて相手を優先させ過ぎているのではないか? と、いつからか心配するようになった。

「オニキス、君は自分を抑えすぎじゃないかな? たまには我が儘を言っても良いんだよ?」

 と言ってみたことがある。するとオニキスは笑って、こう答えた。

「ハリー、お前がそれを言うか? 俺んちなんかさ、男爵家だろ? 家督を継ぐったって大したプレッシャーはねぇよ。だけどお前は違うだろ? 二十四時間ずっとそうやって侯爵様を演じないといけないんだぞ、俺なんか楽なもんだよ。俺に言わせりゃ、お前の方がなん万倍も凄いんだからさ、お前こそたまには我が儘言えよ。本当に尊敬するぜ」

 そう言って、歯を見せて笑った。ハリーの境遇をわかったうえで、損得関係なくそんなことを言う人間が、周囲にはあまりいなかったので衝撃を受けた。
 それからは、とにかくオニキスが気になるようになってしょうがなかった。最初はその感情がなんなのかよくわからずにいた。
 その感情はオニキスの側にいればいるほど、日に日に大きくなっていった。

 そんな感情を自分でも持て余していた時、オニキスと他の令嬢が楽しげに話している姿を見て、激しい怒りを覚えた。すぐさま二人の間に入ると、令嬢に声をかけ巧みにオニキスから引き離した。オニキスは少しは悲しそうな顔をしたが、あっさり引き下がった。

 最初、なぜあのような行動を取ってしまったのか、自分でも理解できなかった。
 後日その件についてオニキスに謝ると、オニキスは

「お前、そんなこと気にしてたのか? そんなこと気にする必要はないって。俺はお前が幸せならなんだっていいんだ」

 と屈託なく笑った。その笑顔をみてハリーは胸がギュッとなるのを感じ、この時になって、やっと自分の感情の正体がわかった。自分はオニキスを愛しているのだと。


 ある日、お茶会で言い寄る令嬢たちを軽くあしらい、オニキスを探していると、カールと一緒にいるのが目に入った。二人はしばらく会話していたが、突然カールが手に持っていた薔薇の花束をオニキスに押し付けた。
 ハリーは誰からだろうと、オニキスが花をもらうのは我慢ならないと思いながら、近づいて声をかける。

「その薔薇、どうしたのかな?」

 オニキスは振り向くと驚いた顔をし、嬉しそうに微笑んだ。

「よぉ! ハリー。お前も来てたんだな。いやさ、カールの奴が薔薇くれたんだけど男からもらってもな。まぁ、適当にそこら辺にいる子にでもあげるしかないよな」

 ハリーはオニキスが誰かに花をもらうのは許せないが、オニキスが誰かに花をあげるのはもっと許せないと思った。

「じゃあ僕がもらってもかまわないかな?」

 オニキスは少し顔を曇らせたが、すぐにいつもの無邪気な笑顔に戻ると

「もらってくれるなら助かるよ」

 と薔薇の花束を手渡してきた。それを受け取ると、ハリーは、僕が花束を欲しいといったから花束をくれたが、もしかしてオニキスにはこの花束を渡したい相手がいたのでは? と気になった。

「薔薇をあげたいような好きな人がいるの?」

 質問するとあからさまにオニキスはあたふたした。そして、恥ずかしそうに言った。

「いや、まぁいないこともなくはない」

 そう答えると、恥ずかしさを隠すかのように、今度はハリーに質問してきた。

「お前こそ、いないのかよ!」

 ハリーはショックを受け、思わずオニキスの腕をつかんだ。なんとか平静を保ちながら更に問い詰める。

「君にもそんな人がいるなんて初耳だよ。誰なの?」

 オニキスは、驚いているようだった。

「なんだよ、そんなことはどうでもいいだろ? それよりもお前こそどうなんだよ!?」

 ハリーは我に変えると、自分の気持ちを落ち着かせ、つかんでいたオニキスの腕を離した。
 そして、ゆっくり返事をする。

「すまない、初めて聞いた話だから驚いてしまった。そうか、君にもそんな人がいるとはね。もちろん、僕にも昔から思いを寄せている人はいるよ」

 その言葉にオニキスも動揺を見せた。ハリーはその動揺を見逃さなかった。もしかしてオニキスも自分を? そう思った。

「俺なんかと違って、お前のことを断る女性なんて絶対いるわけない。そんなに昔から思っているなら、なんで気持ちを伝えないんだ?」

 ハリーはオニキスが、自身の魅力に気づいていないことに驚いた。男性と話すときはガラが悪いが、女性に対してはとても紳士的な振る舞いができる。そしてあの気遣いだ、少し話せばどんな女性でも、オニキスに興味を持つにちがいないと思った。

「君だって同じじゃないか、人懐っこくて屈託のない話し方をする。君から告白をされて嫌な気持ちになる女性などいないよ」

 そう言ったあと、オニキスが自分を好きでもそうでなくても、なんとかしてオニキスを手に入れる方法がないか考えた。

「そうだな、君は自信がないんだね? なら僕が女性の扱いを教える。その代わりと言ってはなんだが、君は僕の練習台になって欲しい」

 と提案した。もちろん練習台とは名ばかりで、そうやってオニキスを口説くことにした。それに、オニキスをより知るためにも、練習台と言う名目で、一緒にいることが必要だと思った。

「なに言ってんだよ、練習台? 俺は練習相手には不向きだ。百戦錬磨のお前が今さらなに言ってんだよ。練習台だなんてお断りだし、そんなものお前には必要ない。絶対大丈夫だから相手に言ってみろよ」

 そう言われて、ハリーは更にオニキスを逃がさないための方法を思い付いた。

「そんなに大丈夫と言うなら、賭けをしないか? もしも僕がその人に断られたら、君はひとつ僕の言うことを聞く。断られなければ君の言うことを僕がひとつ聞こう」

 これでもしもオニキスに断られたとしても、オニキスはハリーの言うことをひとつ聞かなければならなくなった。
 それに乗じてオニキスをずっと側に置こう、そう思った。
 それからと言うもの、ことあるごとにオニキスを誘いだした。オニキスも出かけることを楽しんでいるようだったが時折

「お前には練習はもう必要ない」

 と言って、誘いを断ろうとすることがあった。いつも楽しそうに過ごしていて、満更でもなさそうに見えていたので、なぜそんなことを言うのかハリーにはわからなかった。
 ハリーはオニキスが完全に自分に落ちるまでは、攻撃の手を緩めるつもりはなかった。

「駄目だよ。まだまだ、時間がかかりそうだ」

 そう言って、練習をやめなかった。そんなこともあり、今攻撃の手を緩めたら、オニキスはスルリと逃げ出してしまうのではないかと思った。

 ハリーは他の令嬢に対してはこんな感情を持ったことはなく、どちらかと言えば相手を攻略するような気持ちで接していたので、相手にどう思われようが気にしないことが多かった。だが、オニキスについては、ちょっとしたことや、反応を見ては、離れて行ってしまうのではないか、もしかして自分を嫌いになってしまったのではないかと、不安に思うこともあった。



 ある日、父親と出かけることがあり、出先で令嬢建ちに囲まれると、貴族間で話題になっている景色の良い場所がある、と言う話を聞いた。そこの詳しい場所を聞き出すと、さっそくオニキスを誘った。
 その場所にオニキスを連れてくると、思った以上に楽しそうにしてくれた。はしゃいでいる姿を見て、ハリーは連れてきて正解だったと安堵した。
 手摺につかまり、乗り出すように景色を眺めているオニキスに、隙だらけだなと思いながら近づくと、背後に立った。そして、両手でオニキスを囲うように柵をにぎった。囲まれていると気づいたオニキスは、緊張して振り返ることもできずに固まっている。あまりの愛らしさに、ハリーは思わずからかった。

「オニキス、緊張している? 景色もいいけど、もっと二人の時間を楽しまないか?」

 オニキスを横から覗き見ると、目をギュッとつぶっている。

「耳まで赤くなってる。反応が可愛過ぎて、このまま抱き締めてしまいたいよ」

 ハリーは本当に抱き締めてしまいそうだった。すると突然オニキスが振り返ったので、グッと距離が近くなる。ハリーの心臓は早鐘のように脈打った。オニキスがハリーの唇を見つめていたので、そのまま吸い寄せられるように、口づけてしまいそうになった。が、今そんなことをしたらオニキスに去られてしまうかもしれないと、わずかに残っていた理性が働き、ハリーはオニキスから離れた。

「今の良かったかな?」

 そう言って平静を装った。オニキスは、顔を真っ赤にして、腕で自分の顔を隠すと


「やっば、今のはヤバかった。お前凄いよ。俺でもメロメロになりそう。こんだけできればもう十分だろ。今日はいい練習になったな、もう帰ろうぜ」

 そう言って、馬車へ向かって歩き始めた。オニキスは馬車の中でも、ずっと顔を赤くして窓の外を見つめている。ハリーは、オニキスのそんな様子が本当に可愛らしくて、愛しくてたまらなくなった。
 上手くいっている。ハリーはそう確信していた。
 それから数日経ち、パシュート公爵家の舞踏会に招待されていたハリーは、オニキスも参加すると聞いて、行くことに決めた。

 今日のオニキスの反応を見て、二人の関係を次に進めてもいいのではないだろうか。と、考えていた。そう思い、緊張したハリーは柄にもなくワインを呷った。オニキスがなかなか姿を現さず、ハリーは酔いを覚ましに外へ出た。少し風に当たっていようと、ベンチに腰かける。が、そのままうたた寝をしてしまい、気がつくと誰かの肩に寄りかかっていた。

「これは失礼、どうも酔ってしまったようで」

 と体を起こして、相手を見るとパシュート公爵令嬢だった。ハリーは慌てて立ち上がると、もう一度丁寧に謝罪した。
 パシュート公爵令嬢は上目遣いに

「大丈夫ですわ、そんなことより貴方、ここにいるってことは、私になにか用事があるんではなくて?」

 と言った。ハリーには心当たりがなく、なんのことだろうと考える。パシュート公爵令嬢は微笑んで手を差しのべた。

「わかってますわ、貴方が私のことをどう思っているか。そんなに思われてるなら私、その気持ち受け入れて差し上げてもいいんですのよ?」

 ハリーは眠気が吹き飛んだと同時にゾッとした。やっとパシュート公爵令嬢の言わんとしていることがわかったからだ。初めて会った時、オスカーを一瞥すると、こちらに媚を売るように接触してきたのを鮮明に覚えている。

 先日、彼女の普段の素行の悪さから、ついに王太子殿下より王宮の行事への参加禁止の下命があり、カールにも相手にされなくなり、養子に入るとわかったオスカーにも接触してきた。当然相手にされず、最後にハリーに言い寄ってきたのは目に見えていた。
 そんな状況にも関わらず、自信たっぷりでおそらく自分がこうすれば、相手は従うに違いないと言う謎の確信があるように見えた。

「申し出はありがたきことですが、家名の役割上、王宮行事の参加が必須な身の上です。残念ですが、先日の下命が撤回されぬ限り私たちは結ばれぬ運命なのでしょう」

 そうお断りをすると、パシュート公爵令嬢は突然立ち上がり

「勘違いなさらないで、私はパシュート公爵家の者です。貴方のような方は相手にもなりませんわ!」

 と言って

「なによ! あいつの告白イベントだからわざわざ来てやったのに、馬鹿にして!」

 と意味のわからない独り言を言いながら去って行った。その後ろ姿を眺めながら、自身の大切な用事を思いだしオニキスを探しに中へ戻った。ところが、どこを探してもオニキスは見つからず。ハリーは挨拶だけすませると、会場を後にした。
 その後、オニキスを何度も誘ったが、今まであんなに順調だったにも関わらず、突然オニキスは誘いを断るようになった。家の都合と話していたが、誘いを全て断るのだから、それらは嘘なのだろうとハリーは思った。

 ハリーはもしかしたら、オニキスに嫌われてしまったのかもしれない。と思い悩んだ。



 ある日、ディスケンス公爵家の跡取りに養子に出ているオスカーが、妻のガーネットを伴ってミラー侯爵家に遊びに来た。
 ガーネットはハリーの幼馴染みでもあり、顔見知りでもある。ガーネットも、爵位に関係なくハリーに接する数少ない人間の一人だ。何よりも、会った時から家督を継ぐハリーには目もくれず、オスカーを慕っていたぐらいで、爵位などどうでも良いと思っている節さえある人物だ。
 ガーネットはハリーを見つけると、駆け寄り

「ハリー様、お久しぶりです! 内々に少しお話したいことがありますの。お時間よろしいかしら?」

 と言ってきた。僕に用事とは珍しい、なんだろうか? と思いながら微笑む。

「大丈夫ですよ。ところで内々にと言うことは、場所を移した方が良いかな?」

 ガーネットは頷くと庭を指差した。ハリーはガーネットと二人きりになれば、弟に殺されかねないと思った。なので一つ提案した。

「かまわないが、数メートル後ろにオスカーを歩かせた方が良さそうだ、それでどうだろうか?」

 ガーネットは首をかしげ、何故? と言う顔をしたが頷きオスカーの元へ事情を説明しに戻った。
 こうして庭に出ると、ガーネットは話し始める。

わたくしサファイア様と親交がありますの。それで聞いたのですが、オニキス様が家督を継ぐために、家を出るそうですの。そして、領地にお住まいになると聞きました。ハリー様はご存知でしたか?」

 ハリーは驚いた。そんなことは一度も聞いたことがなかった。やはり、オニキスは僕のことが好きでも何でもなかったのだと、打ちのめされる。ところが、ガーネットが意外なことを口にする。

「ハリー様、ここで諦めていいんですの? オニキス様はハリー様のことを愛してらっしゃるんですわ。だからこそ身を引こうとなさっているんです。ハリー様もオニキス様のそんな性格はご存知でしょう? だから、今捕まえてしまわないと、一生後悔しますわ!」

 ハリーはギョっとしてガーネットを見つめた。

「なぜ君にそんなことがわかるんだい?」

 すると、ガーネットはしばらく思案したあと

わたくしたちには少し未来のことがわかりますの。お二人の仲が順調に進んで、本当は先日のパシュート公爵家の舞踏会で、お二人は結ばれるはずでしたのに。なにかに邪魔をされたとか、思い当たることがおありになるかしら?」

 そう言われ、ハッとしてパシュート公爵令嬢のことが頭に浮かんだ。ベンチでうたた寝していたあの様子をオニキスに見られていたとしたら……

「なにかありましたのね? パシュート公爵令嬢が関わっているのではなくて?」

 ハリーは、驚いてガーネットの顔を凝視した。ハリーのその様子を見て、ガーネットは納得したような顔になった。
 ハリーはとにかく、なぜガーネットにそんなことがわかるのかが知りたくなった。

「君が僕らのことや、舞踏会でのことを知っているのはわかった。だが、なぜ知っているのかその理由を説明してもらわなければ、信用できないよ。説明できるかい? それと、君は今、わたくしたちと言ったね。あとは誰がこの事を知っているのかな?」

 そう訊くとガーネットは、逡巡したのち口を開いた。

「信じてもらえるかわかりませんけれど、わたくしとサファイア様、ルビー様は前世の記憶を持ってますの。みんな同じ世界の記憶を持ってますわ。その記憶の中で、わたくしたちが出てくる物語を目にしたことがあるんですの。その物語は、この世界そのもののお話でした。だから少しだけ未来がわかるんですの。もちろん、その物語と今の現実はほとんど違うものですし、知っている未来と違うこともあります。突拍子のない話ですし、信じてもらえなくてもしかたありません。でもオニキス様が領地に行かれると言うのは、これは間違いのない事実なのです。だから、告白なさるなら、チャンスは今しかありません」

 ハリーはガーネットが言うことも一理あると思った。このままだとオニキスに気持ちすら伝えられないし、それにオニキスに領地に引きこもられてはたまらない。ガーネットなら、サファイア嬢から話を聞き出すこともできる。味方につけたほうが得策だろう。

「わかった、君たちを信じるよ。さっそくだけどアドバイスを賜りたい」

 ハリーはそう言って笑うと、ガーネットは瞳を輝かせて頷いた。
 数日後にガーネットとルビー嬢の協力で、ディスケンス公爵家主催のお茶会を開いてくれることになり、その場にオニキスを誘い、引っ張りだすことにした。オニキスには断れないように

「相手に気持ちを伝えたい。賭けをしたのだから見届けて欲しい」

 と言って誘った。

「ハリー、もちろんだ。お前がそんなにも女性に対して真剣になるところなんて、あんまりみれるもんじゃないしな!」

 と、オニキスは快諾した。

 こうしてオニキスを誘い出すことに成功すると、ガーネットたちが会場の一部に舞台をセッティングするとまで言ってくれた。なんとも情けない話だが、ハリーはそれに甘えることにした。
 お茶会当日、オニキスを待っているとハリーを見つけたオニキスが笑顔で駆け寄って来た。ハリーはオニキスに久々に会うので少し緊張した。
 オニキスは小声になると言った。

「で、俺はどうしていればいい? どこに隠れてればいいんだ?」

 ハリーは微笑むと、庭園の奥にあるテラスを指差した。

「あそこにしようと思ってるんだけど、君はどう思う?」

 オニキスは妙に納得したような顔をすると頷き、ハリーの肩に手をのせると

「いいと思う。じゃあ、俺はそこら辺に待機してるから、お前は頑張れよ! 後でな!」

 そう言って、いつものように明るい笑顔を見せた。しばらく、挨拶などを交わしてオニキスに声をかけるタイミングを考えていると、ルビー嬢が駆け寄ってきた。ルビー嬢はハリーに近づくと耳打ちする。

「大変ですわ! オニキス様が屋敷へ戻られたようですの」

 そう言うと、ハリーの腕をつかんで入り口まで歩きだした。すると、サファイア嬢が血相を変えて正面からやって来た。今度は何事かと思っていると

「ハリー様、ルビー様、大変ですの、お兄様が領地へ行ってしまうみたいなのです!」

 ルビー嬢が驚いて

「大変ですわ、オニキス様はもう二度と戻ってこないつもりです。早く追いかけなければ! このままだと、領地に行ったきりで二度と会えなくなりますわ」

 それを聞いてハリーは駆け出そうとするが、サファイア嬢がそれを止めた。

「ハリー様、お待ちになって下さい。あの、お兄様はお父様と一緒です。お父様は領地に向かうなら行商のためいつも、水晶の森の方から行くはずです。ここからなら、スペンサー家に向かうより、直接水晶の森へ行った方が先回りになると思うのです」

 本当に水晶の森を通るかわからなかったが、今はそれにかけるしかなかった。ハリーが慌てて自分の馬車へ向かうと、馬車の車輪に破損が見つかり、ちょうど交換中だったため乗れなかった。

 ハリーは他の主人を待っている馬車の御者に、片っ端から、片道で良いので水晶の森まで乗せてくれないかと頼んだ。すると、主人の帰りが遅くなる予定だから大丈夫と言う御者が運良く乗せてくれた。
 水晶の森へ向かう途中、ハリーは永遠にオニキスを失うかもしれない恐怖で、手が震えた。頼む、間に合ってくれ。そう願った。

 水晶の森で馬車を降り、御者を見送ると耐え難い焦燥感に襲われ、じっとしていられず、数分その場を行ったり来たりしていた。すると、馬車の走る音と蹄の音がした。目を凝らしてそちらを凝視すると、スペンサー男爵家の紋章の入った馬車が見えてきた。

 ハリーは慌てて馬車の前に飛び出す。御者は思い切り手綱を後方へ引っ張ると、ギリギリハリーの手前で馬が止まった。
 馬車の中からスペンサー男爵の叫ぶ声がする。

「何事だ? どうした? この急いでいる時に!」

 御者は困った様に振り返った。

「旦那様、それが……」

 これで馬車が走りだしたら、もう追いかけられない。ハリーは急いで馬車のドアに駆け寄ると、ドアを叩いた。すると、中からオニキスがドアを開いて、信じられないとでも言うような顔でハリーを見ていた。後方にいるスペンサー男爵に声をかける。

「スペンサー男爵、ご子息をお貸しください」

 そう言ってオニキスの腕をつかむと、馬車から降ろした。

「これはミラー侯爵令息、うちの息子が何か粗相を? そうなのだとしたら、どのような処分でも構いません」

 ハリーは首を振った。

「そんなに大層なことではありません。お時間をお取りしてすみません。お急ぎのようなのでどうぞ行って下さい」

 スペンサー男爵は頭を下げると、御者に合図をする。馬車は森の中を走りだした。

「ハリー、なんでここに?」

 ハリーは、オニキスが思いとどまるように仕向けなければ、本当に二度と会えないと思うと恐怖を感じた。とにかく、この手を絶対に放してはならないと思った。

「良かったよ、間に合って。君がどこか手の届かない場所に行ってしまうのではないかと……」

 ハリーは感情にまかせて、オニキスを引き寄せると抱き締めた。

「なんだよ、らしくねぇな。んなわけないだろ? 俺も色々あってさ。お前の方はどうせ告白が上手く言ったんだろ? 俺も色々整理つけたら、お前の結婚式には会いに戻ってくるからさ、心配するなよ」

 そう言って、オニキスは体を少し離すと、ハリーの顔を見上げた。ハリーは本心を探るように、その瞳をじっと見つめ返す。すると、オニキスは恥ずかしそうに目を反らした。

「もう二度と、帰ってくるつもりがなかったんじゃないか?」

 ルビー嬢に聞いたことを直接確認する。ハリーの言葉にオニキスはハッとすると、ハリーの顔をみて驚いた顔をした。その反応でそれが本当のことだと悟った。

「やっぱりそうなんだね、行かせない」

 ハリーは抱き締める手に力を入れた。逃がしたくない、その一心だった。

「ハリー、大丈夫だって。結婚したら家族が一番になるさ。友達のことなんかあっと言う間に忘れるって」

 その一言で、オニキスがこの時点でもまだ、ハリーの気持ちに気づいていないことにもどかしさを感じる。早くこの気持ちをオニキスに伝えなければ。

「違うんだオニキス、僕が君を忘れることなんて絶対にあり得ないよ。僕が愛しているのは君なんだ。君を愛してる。ずっと側にいて欲しい」

 オニキスは少し体を離して、信じられないと言わんばかりの顔でこちらを見つめた。

「今、なんて? お前が俺を? 本当か? 俺だってお前を……」

 オニキスの頬を涙が伝う。ハリーはその美しい涙を優しく拭うと、オニキスの返事を促す。

「『お前を……』なんだ? オニキス、言ってくれ」

 オニキスは頬を拭う手をつかみ、ハリーを見つめた。その瞳は戸惑いと困惑、迷いをはらんでいた。

「でも、俺は男だし、ハリーにはもっと似合いの人がいるって! 俺じゃ駄目なんだ」

 断られることに恐怖しながらも、伝えなければ前には進めない。ハリーは自分の気持ちを素直にオニキスに伝えた。

「男だからなんだって言うんだ。そんなこと関係ない、僕は君だから好きになった。さぁ、オニキス、君の気持ちを教えて」

 すると、俯いたオニキスは、呟くように言った。

「愛してる」

 そう言った瞬間にハリーはオニキスに口づけた。そして口内をむさぼる。オニキスは舌を絡ませ、それに答える。しばらくオニキスの存在を確認するかのように、ハリーはしっかりと抱き締めた。
 オニキスはハリーから体を離すと、不思議そうな顔をしてハリーを見つめた。

「なんで俺がもう帰って来ないって思ったんだ?」

 確かに、色々知らなければそう思うのも当然だろう。ハリーはガーネットたちのことを思い出し、苦笑した。どうせ森の中にいるのだし、徒歩で戻るしかない、その間に説明しよう。そう思った。

「実は味方がいてね、情報をもらったんだよ。帰りがてらゆっくり話すよ」


 その言葉で、オニキスは自分たちが森の中に取り残されてしまっているのを思いだたようで、ハリーと顔を遇わせいつもの明るい笑顔になった。

 ハリーはオニキスと手を繋ぐと、オニキスに微笑みかけた。すると、オニキスは恥ずかしそうに下を向いた。そんなオニキスに向かって優しく話しかける。

「オニキス、一度は逃げられたとは言え上手くいったんだ、賭けは君の勝ちだね。君のお願いを聞くよ」

 オニキスは、しばらく下を向いていたが、意を決したように顔を上げ、ハリーを見つめる。

「じゃあ、ずっと俺の側にいてくれるか?」

 その言葉に、ハリーは声を出して笑った。オニキスは、顔を真っ赤にして

「なんだよ、お前がお願いを聞いてくれるって言うから、真剣に答えたのに!」

 と、怒った。ハリーは手を挙げてオニキスを制した。

「違う、違う、君の言ったお願いがおかしくて笑った訳じゃないんだ。僕がオニキスにフラれたらお願いしようとしていたことを、君が言ったから。まさか同じ願いをするとは思わなくて。嬉しいよ」

 そう言ってもう一度オニキスを抱き締めた。そして、オニキスの耳元で囁く。

「愛してます。一生側にいるよ」

 すると、オニキスはハリーの顔を見つめ大粒の涙をこぼすと、満面の笑みになり

「それは、俺の台詞だっつーの!」

 と言ってハリーの胸に顔を埋めた。ハリーはそんなオニキスをみて、この先絶対に幸せにしよう。そう思った。そして二人で、手を繋ぎ森の中を歩き始めた。


 この後ハリーはオニキスを雇った。そして二人は、お互いの関係を隠すことなく公私ともにパートナーとして過ごした。仲睦まじい二人を、周囲も受け入れ、特にフォルトナム公爵家やディスケンス公爵家の後押しや、はては王室からも公認となった二人は、ほとんど夫婦のような扱いを受けた。
 こうして幸せの後に、ハリーのの物語は幕を閉じた。
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