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 そう言うとエルヴェは優しく微笑んだ。

「殿下、そんな、そんなことは……」

『ないはずです』と続けるつもりがアリエルはあまりにも恥ずかしくて俯いた。
 そんなアリエルを見てエルヴェは言った。

「いつまでもそんな君でいてほしい。さて、これ以上君をいじめてはいけないね」

 そう言うとエルヴェは改まって言った。

「今度のお茶会なんだが、うまくいけばそこで重要な発表をするかもしれない」

 アリエルは顔をあげた。

「重要な発表、ですの?」

「そうだ。まだ言えないが、君には発表があることだけ伝えたかった」

「わかりましたわ」

 考えてもなんの発表なのかアリエルには皆目見当がつかなかった。だが重要な発表があると教えてくれただけでもアリエルは嬉しかった。

 と、そこでエルヴェが何かに気づいたようにアリエルの頬を見つめて言った。

「頬になにかついている。先ほどポインセチアに顔を寄せたときに土でもついたのかもしれないな」

 そう言うと、懐からハンカチを取り出しアリエルの頬を拭った。アリエルはそのハンカチを見て動きを止めた。

「そのハンカチ……」

 すると、エルヴェは微笑む。

「この前もらったハンカチ共々、とても大切に使わせてもらっている」

 そう言ってハンカチの刺繍を愛おしそうに見つめた。

「あの、そのハンカチをなぜ殿下が?」

 エルヴェが手に持っていたハンカチは、アリエルが刺繍しアンナに捨ててと渡したあのハンカチだった。

 エルヴェは満面の笑みで答える。

「フィリップが娘が刺繍したハンカチだと言って私にプレゼントしてくれたんだ。こんなに気持ちのこもったものを君は捨てようとしたのだろう?」

「そうですけれど、それはアンナが持っていたはずですわ」

「そう、それで君の優秀な侍女のアンナはフィリップにこのハンカチを渡したんだ『お嬢様の気持ちを捨てることなど絶対にできない』とね。そうして君の侍女がとても優秀だったからこのハンカチは捨てられずにすんだんだよ」

 そう言うと、もう一度ハンカチの刺繍を愛おしそうに見つめて言った。

「私の紋章と君の紋章が入っていて、私はこのハンカチをとても気に入っている」

 アリエルは恥ずかしくてまた俯く。

「渡すつもりはありませんでしたのに……」

「とんでもない。このハンカチからは君の気持ちが伝わってきて、持っているだけでもとても優しい気持ちになれる。私はこれから君が刺繍したハンカチだけを使い続けよう」

 アリエルは顔をあげて抗議する。

「いけませんわ! そ、それはダメです……」

「いや、私はそうするつもりだ」

 そう言うとエルヴェはアリエルの手を握った。

「私はやっとハンカチのお礼を君に直接言える。こんなに素敵な贈り物をありがとう、アリエル」

 そう言ってアリエルを熱のこもった眼差しで見つめた。

 こうして庭園でのエルヴェとの密会はいつも優しい時間が流れた。エルヴェはアリエルに隠すことなく気持ちを伝えてくるのだが、何度同じことをされてもアリエルがそれに慣れてしまうことはなく、アリエルはこれでは心臓がもたないと思うほどであった。




 そうして過ごしているうちに、お茶会の三日前となりファニーにデザインしてもらったドレスも届いた。

 ドレスはオレンジ色が上から下へ赤くグラデーションしている、バーサ・カラーのドレスだった。カラーの部分にはとても繊細なレースがあしらわれており、素晴らしい刺繍もほどこされている。
 そして腰の返しの部分に大きな花の飾りが付いていて、そこから下に向かって流れるように真珠があしらわれていた。

 ドレスを見てアリエルはあまりの出来映えのよさにため息をついた。

「こんなに素敵なドレスをわたくしが着てもいいのかしら?」

「お嬢様、なにを仰ってるんですかもちろんです。世界中でもこのドレスを着こなせるのはお嬢様しかいません」

「そ、そうかしら?」

「そうです。自信をもってください」

「そうよね、わたくしこのドレスを着て胸を張ってお茶会に行ってくるわ」

 そう言ってアリエルはお茶会を楽しみにしていた。だが、お茶会当日に思いもよらぬことがおきた。

 前日から興奮気味でなかなか寝付けなかったアリエルは、朝方になってやっと眠りについた。アンナに慌てて揺り起こされ、気が付けば起きる時間を三十分は過ぎていた。

わたくし寝坊したのね、早く支度をしましょう」

「お嬢様、それどころではないのです。ドレスが、今日着ていくはずのドレスがどこにも見当たらないのです!」

 それを聞いてアリエルも慌てて、ベッドから飛び起きドレスが準備されている部屋へ向かった。
 と、昨日の夜までそこにかけてあったドレスがどこにも見当たらなかった。

「どういうこと?!」

「私にもわかりません。今朝この部屋に入ったらもうなくなっていたのです」

「他に盗られたものはなくて?」

 アンナは涙目でかぶりを振った。どうやら泥棒といったたぐいではないようだった。

 アリエルは途方に暮れ呆然とした。だがいつまでもそうしているわけにもいかず、すぐにアンナに言った。

「まだ袖に手を通したことのない、予備のドレスが残ってたわよね?」

「はい、残っています。今すぐにお持ちします」

 とりあえずはこれでなんとかなるだろうと気が抜けたアリエルは、椅子に座り込み呆然とした。しばらくそうしていると、アンナがドレスを抱えて大急ぎで戻ってきた。

「お嬢様、お持ちしました!」

「ありがとう。予定のドレスと違うから、このドレスに合わせたアクセサリーも持ってきてちょうだい」

「はい、承知しました」

 そうしてバタバタと慌ただしく支度を終えると、アリエルはエントランスホールへ向かった。その途中アリエルのドレスを着たアラベルが立っているのが視界に入った。

「アラベル、そのドレス!」

 思わず後ろからアラベルにそう言うと、アラベルは振り返り上機嫌で言った。

「そうなんですの! 見てくださるかしらこのドレス!」

 そう言ってその場で一回転して見せた。アリエルは驚きながらアラベルに尋ねる。

「そのドレスはわたくしのドレスですわよね?」

 するとアラベルは憐れみの表情でアリエルを見つめた。

「アリエルお姉様、なぜそんなことを仰るのですか? このドレスはわたくしのドレスですわ。まさかアリエルお姉様はわたくしがドレスを盗ったとでも?」

 そう言って悲しそうな顔になり俯くと、アラベルはエントランスへ向かって歩きだす。

わたくし、アリエルお姉様が今言ったことは忘れますわ。もう馬車の準備もできていますし、遅れてしまっては大変ですもの、早く行きましょう」

 そう言ってアリエルの話も聞かずに慌てて外へ行ってしまった。

 その姿を唖然として見つめていると、アンナが憤懣ふんまんやる方ないといった顔で言った。

「お嬢様、私、流石にアラベルお嬢様を許せません! お嬢様がなにも言わないので今まで黙っていましたけれど、最近は特に酷いです。すべて旦那様に報告させていただきます!」

「そうね、お父様には報告した方がよさそうね……」

 そう呟くと、アリエルは流石に落ち込み、がっかりしながら自分の馬車へ向かった。
 いつもなら馬車の中ではアンナとの会話が弾むのだが、今日はそんな気にはなれずに窓の外をぼんやり眺めた。

 アラベルがドレスを盗ったことは証明できるだろうが、あのドレスを着ることができなかったのがアリエルはショックだった。
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