1 / 16
1
しおりを挟む
柊造がその異国の少年に初めて出会ったのは、明治政府が設立されたばかりの頃だった。
当時、柊造は一時だけ工部卿の秘書に赴任したことがあった。若手にしては相当重い役割で、これは数ヵ月程度の役だった。
当時の工部卿、留学帰りの伊藤博文という男は、風俗遊びにだらしがないことで以前から有名だったそうだ。
金に綺麗ではっきりした性格、これが明治天皇の気に入った性格だったらしいが、その明治天皇がひとつだけ伊藤に苦言を呈した、それが風俗だった、らしい。
しかし離任後、その話を耳にした柊造にはなるほどと行き当たった出来事がある。
その日は先日帰国した使節団の見聞、まとめ役として柊造は席にいた。
現在の柊造の上司、井上が接待の宴の席でふと、「伊藤さんはまたいないのか」と漏らしたことがきっかけだった。
席はまだ、解散前である。
「東堂くん、伊藤さんはどこへ?」
と聞かれた柊造にも宛など、伊藤が取った今晩の部屋くらいしか覚えがない。何より、いつ自分の目をすり抜けたのかもわからなかった。
「…部屋を見て参りましょうか」
確かに宴の席で政治のいろはが決まることもあるだろう、その頃はまだ土台しかない日本政府、会合はマメだった。それは恐らく、徳川改革に携わった者達の普通な事情でもある。
しかし、昔と違い雑談が8割といった席。恐らく伊藤はだから、外したのではないか。呼び戻す必要があるか、26の若者には計りかねる。
井上はにやりと笑うのみの対応、これは正直、伊藤への嫌味だろうなとわかったのだが、相手は上司なのだから従うしか、ない。
「一間、失礼します」と席を外した際に柊造は溜め息を吐いた。
元来、どうもこういった会合、偉い者達の嗜みは、幕府時代の上司が馴れ合わぬ性格だったせいかもしれない、柊造は好きではなかった。
少し前に見た蝦夷の風景が浮かぶようだ。
夜中まで浮かれいざというときに戦略がない、この地が目的ではないのに何を浮かれていやがるかと、その他の隊に苦言を呈した上司を思い出すようだ。それは少しだけ、この処遇になった柊造を安心させる。自分は、もう少しだけやらねばならぬらしいと思えるからだ。
果たして、敵地のような場所まで流れ着いてしまったのはどうなのか、という疑問は、同時に浮かぶけれども。
伊藤の部屋の前まで来て、少し気持ちを置いてみる。
西洋作りのそのドアが、こうしてちゃんと音が響くのか、また意味はあるのかと未だに疑問を持つのだが、柊造はその戸を二回ノックする。返事はない。
「失礼します」と開けた瞬間に言葉を失った。
寝台に、光のような長いくるくるした髪の子供が座っていた。
こちらと目が合う。
柊造はそれに、以前舶来品で見た絵画を思い出した。
その裸婦画は女神の誕生の瞬間だと聞いた。貝の上に立つ裸婦。その目は虚ろだったのだけど。
西洋人形のような子供の目は青く涙目だった。きらびやかな、西洋の単の裾を口に咥えてこちらを見ているのだ。
奴隷のようだと感じた。
少し開かれた足の間に伊藤は埋もれていたのだが、ふと、柊造へ振り返る。
その場は酷く、酒臭い。
伊藤は片手に一升瓶を持っていた。
柊造には平然を装うのが精一杯だった。
「あぁ、誰だ一体」
と振り向いた伊藤に「伊藤さん、」としか声は出ていかない。
振り向き様にはっきりと見て取れた。 伊藤は利き手で子供の突起した性器を摘まんで溝を作りそこに酒を注いだ…ようで。思考はより進まなくなる。
この男はコレが好きなのだ。
これは後に知る話で。
止まる思考に柊造の視線は、青い目に釘付けになる、その顔は女児のように可愛らしいが泣きそうだ。
それが酷く、背徳に思える。
「東堂か」
「……いつの間にやら…席を立たれたようで、」
「呼びに行けと言われたのか?」
「遠回しに」
「部屋で休んでいると伝えておいてくれ」
そう言って伊藤がまた少年の股へ顔を戻し「やはり男児は肉がないから溢れるなぁ」と、変態じみた一言を発し、それからずずず、と酒を啜る品のない音が響く。
居たたまれなくなった。
それが汚されるような景色に柊造は立ち止まったまま「伊藤さん、」と、まるで伊藤を嗜めるような気持ちで声を掛ける。
子供はずっと自分をその目で、見ている。
そんな目で見るな。
「この異人の子供どうやら、横浜の英国公使館焼き討ち事件で置き去りになった赤子だそうだ」
顔を上げた伊藤が何事もない、政治でも語るように淡々とした口調でそう言っては、黙り込んでいる柊造に「知っているだろ?」と、好奇に話を進めようとするのだから仕様もない。
「…なんですか、それは」
「知らないのか」
「…いえ、」
自分から少々不愉快さが露呈してしまったかもしれない。
だが伊藤は満足そうに笑った声で「そうだよなぁ」と誇示するようだ。
「…何故それが、」
「さぁ。
生き残った異人官僚共は腰を抜かして国に帰ったというのに、どんな形であれこの子供は運が強いと言うことは確かだ。まぁ、それは君も、私も変わりのないことだ」
…昔の敵であったとて、今があるなら大差のない。
「夷狄に神州が穢される」。
その理由は長州、日本人にとって脈々としていたのではなかったのか。
人は違えるものだと知る。
子供が、泣きそうな目で自分を見つめ歯を、かちかちと震わせているように見える。
それに伊藤が気付いているかはわからない。
留学帰りのこの男はそれに対しどんな気持ちでこの異国の年端もいかぬ子供に手を出すのか。
どうしたと知ることもなく視界は、何も捕らえぬうちに「失礼します」と顔を背けて終了した。
当時、柊造は一時だけ工部卿の秘書に赴任したことがあった。若手にしては相当重い役割で、これは数ヵ月程度の役だった。
当時の工部卿、留学帰りの伊藤博文という男は、風俗遊びにだらしがないことで以前から有名だったそうだ。
金に綺麗ではっきりした性格、これが明治天皇の気に入った性格だったらしいが、その明治天皇がひとつだけ伊藤に苦言を呈した、それが風俗だった、らしい。
しかし離任後、その話を耳にした柊造にはなるほどと行き当たった出来事がある。
その日は先日帰国した使節団の見聞、まとめ役として柊造は席にいた。
現在の柊造の上司、井上が接待の宴の席でふと、「伊藤さんはまたいないのか」と漏らしたことがきっかけだった。
席はまだ、解散前である。
「東堂くん、伊藤さんはどこへ?」
と聞かれた柊造にも宛など、伊藤が取った今晩の部屋くらいしか覚えがない。何より、いつ自分の目をすり抜けたのかもわからなかった。
「…部屋を見て参りましょうか」
確かに宴の席で政治のいろはが決まることもあるだろう、その頃はまだ土台しかない日本政府、会合はマメだった。それは恐らく、徳川改革に携わった者達の普通な事情でもある。
しかし、昔と違い雑談が8割といった席。恐らく伊藤はだから、外したのではないか。呼び戻す必要があるか、26の若者には計りかねる。
井上はにやりと笑うのみの対応、これは正直、伊藤への嫌味だろうなとわかったのだが、相手は上司なのだから従うしか、ない。
「一間、失礼します」と席を外した際に柊造は溜め息を吐いた。
元来、どうもこういった会合、偉い者達の嗜みは、幕府時代の上司が馴れ合わぬ性格だったせいかもしれない、柊造は好きではなかった。
少し前に見た蝦夷の風景が浮かぶようだ。
夜中まで浮かれいざというときに戦略がない、この地が目的ではないのに何を浮かれていやがるかと、その他の隊に苦言を呈した上司を思い出すようだ。それは少しだけ、この処遇になった柊造を安心させる。自分は、もう少しだけやらねばならぬらしいと思えるからだ。
果たして、敵地のような場所まで流れ着いてしまったのはどうなのか、という疑問は、同時に浮かぶけれども。
伊藤の部屋の前まで来て、少し気持ちを置いてみる。
西洋作りのそのドアが、こうしてちゃんと音が響くのか、また意味はあるのかと未だに疑問を持つのだが、柊造はその戸を二回ノックする。返事はない。
「失礼します」と開けた瞬間に言葉を失った。
寝台に、光のような長いくるくるした髪の子供が座っていた。
こちらと目が合う。
柊造はそれに、以前舶来品で見た絵画を思い出した。
その裸婦画は女神の誕生の瞬間だと聞いた。貝の上に立つ裸婦。その目は虚ろだったのだけど。
西洋人形のような子供の目は青く涙目だった。きらびやかな、西洋の単の裾を口に咥えてこちらを見ているのだ。
奴隷のようだと感じた。
少し開かれた足の間に伊藤は埋もれていたのだが、ふと、柊造へ振り返る。
その場は酷く、酒臭い。
伊藤は片手に一升瓶を持っていた。
柊造には平然を装うのが精一杯だった。
「あぁ、誰だ一体」
と振り向いた伊藤に「伊藤さん、」としか声は出ていかない。
振り向き様にはっきりと見て取れた。 伊藤は利き手で子供の突起した性器を摘まんで溝を作りそこに酒を注いだ…ようで。思考はより進まなくなる。
この男はコレが好きなのだ。
これは後に知る話で。
止まる思考に柊造の視線は、青い目に釘付けになる、その顔は女児のように可愛らしいが泣きそうだ。
それが酷く、背徳に思える。
「東堂か」
「……いつの間にやら…席を立たれたようで、」
「呼びに行けと言われたのか?」
「遠回しに」
「部屋で休んでいると伝えておいてくれ」
そう言って伊藤がまた少年の股へ顔を戻し「やはり男児は肉がないから溢れるなぁ」と、変態じみた一言を発し、それからずずず、と酒を啜る品のない音が響く。
居たたまれなくなった。
それが汚されるような景色に柊造は立ち止まったまま「伊藤さん、」と、まるで伊藤を嗜めるような気持ちで声を掛ける。
子供はずっと自分をその目で、見ている。
そんな目で見るな。
「この異人の子供どうやら、横浜の英国公使館焼き討ち事件で置き去りになった赤子だそうだ」
顔を上げた伊藤が何事もない、政治でも語るように淡々とした口調でそう言っては、黙り込んでいる柊造に「知っているだろ?」と、好奇に話を進めようとするのだから仕様もない。
「…なんですか、それは」
「知らないのか」
「…いえ、」
自分から少々不愉快さが露呈してしまったかもしれない。
だが伊藤は満足そうに笑った声で「そうだよなぁ」と誇示するようだ。
「…何故それが、」
「さぁ。
生き残った異人官僚共は腰を抜かして国に帰ったというのに、どんな形であれこの子供は運が強いと言うことは確かだ。まぁ、それは君も、私も変わりのないことだ」
…昔の敵であったとて、今があるなら大差のない。
「夷狄に神州が穢される」。
その理由は長州、日本人にとって脈々としていたのではなかったのか。
人は違えるものだと知る。
子供が、泣きそうな目で自分を見つめ歯を、かちかちと震わせているように見える。
それに伊藤が気付いているかはわからない。
留学帰りのこの男はそれに対しどんな気持ちでこの異国の年端もいかぬ子供に手を出すのか。
どうしたと知ることもなく視界は、何も捕らえぬうちに「失礼します」と顔を背けて終了した。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ
朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】
戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。
永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。
信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。
この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。
*ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。
日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-
ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。
1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。
わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。
だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。
これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。
希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。
※アルファポリス限定投稿
別れし夫婦の御定書(おさだめがき)
佐倉 蘭
歴史・時代
★第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★
嫡男を産めぬがゆえに、姑の策略で南町奉行所の例繰方与力・進藤 又十蔵と離縁させられた与岐(よき)。
離縁後、生家の父の猛反対を押し切って生まれ育った八丁堀の組屋敷を出ると、小伝馬町の仕舞屋に居を定めて一人暮らしを始めた。
月日は流れ、姑の思惑どおり後妻が嫡男を産み、婚家に置いてきた娘は二人とも無事与力の御家に嫁いだ。
おのれに起こったことは綺麗さっぱり水に流した与岐は、今では女だてらに離縁を望む町家の女房たちの代わりに亭主どもから去り状(三行半)をもぎ取るなどをする「公事師(くじし)」の生業(なりわい)をして生計を立てていた。
されどもある日突然、与岐の仕舞屋にとっくの昔に離縁したはずの元夫・又十蔵が転がり込んできて——
※「今宵は遣らずの雨」「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」「大江戸の番人 〜吉原髪切り捕物帖〜」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる