余寒

二色燕𠀋

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 柊造しゅうぞうがその異国の少年に初めて出会ったのは、明治政府が設立されたばかりの頃だった。

 当時、柊造は一時だけ工部卿こうぶきょうの秘書に赴任したことがあった。若手にしては相当重い役割で、これは数ヵ月程度の役だった。

 当時の工部卿、留学帰りの伊藤いとう博文ひろぶみという男は、風俗遊びにだらしがないことで以前から有名だったそうだ。
 金に綺麗ではっきりした性格、これが明治天皇の気に入った性格だったらしいが、その明治天皇がひとつだけ伊藤に苦言を呈した、それが風俗だった、らしい。

 しかし離任後、その話を耳にした柊造にはなるほどと行き当たった出来事がある。

 その日は先日帰国した使節団の見聞、まとめ役として柊造は席にいた。
 現在の柊造の上司、井上いのうえが接待の宴の席でふと、「伊藤さんはまたいないのか」と漏らしたことがきっかけだった。
 席はまだ、解散前である。

東堂とうどうくん、伊藤さんはどこへ?」

 と聞かれた柊造にも宛など、伊藤が取った今晩の部屋くらいしか覚えがない。何より、いつ自分の目をすり抜けたのかもわからなかった。

「…部屋を見て参りましょうか」

 確かに宴の席で政治のいろはが決まることもあるだろう、その頃はまだ土台しかない日本政府、会合はマメだった。それは恐らく、徳川改革に携わった者達の普通な事情でもある。
 しかし、昔と違い雑談が8割といった席。恐らく伊藤はだから、外したのではないか。呼び戻す必要があるか、26の若者には計りかねる。

 井上はにやりと笑うのみの対応、これは正直、伊藤への嫌味だろうなとわかったのだが、相手は上司なのだから従うしか、ない。

 「一間、失礼します」と席を外した際に柊造は溜め息を吐いた。

 元来、どうもこういった会合、偉い者達の嗜みは、幕府時代の上司が馴れ合わぬ性格だったせいかもしれない、柊造は好きではなかった。

 少し前に見た蝦夷の風景が浮かぶようだ。

 夜中まで浮かれいざというときに戦略がない、この地が目的ではないのに何を浮かれていやがるかと、その他の隊に苦言を呈した上司を思い出すようだ。それは少しだけ、この処遇になった柊造を安心させる。自分は、もう少しだけやらねばならぬらしいと思えるからだ。

 果たして、敵地のような場所まで流れ着いてしまったのはどうなのか、という疑問は、同時に浮かぶけれども。

 伊藤の部屋の前まで来て、少し気持ちを置いてみる。

 西洋作りのそのドアが、こうしてちゃんと音が響くのか、また意味はあるのかと未だに疑問を持つのだが、柊造はその戸を二回ノックする。返事はない。

 「失礼します」と開けた瞬間に言葉を失った。
 寝台に、光のような長いくるくるした髪の子供が座っていた。
 こちらと目が合う。

 柊造はそれに、以前舶来品で見た絵画を思い出した。
 その裸婦画は女神の誕生の瞬間だと聞いた。貝の上に立つ裸婦。その目は虚ろだったのだけど。

 西洋人形のような子供の目は青く涙目だった。きらびやかな、西洋の単の裾を口に咥えてこちらを見ているのだ。

 奴隷のようだと感じた。

  少し開かれた足の間に伊藤は埋もれていたのだが、ふと、柊造へ振り返る。

 その場は酷く、酒臭い。
 伊藤は片手に一升瓶を持っていた。
 柊造には平然を装うのが精一杯だった。

「あぁ、誰だ一体」

 と振り向いた伊藤に「伊藤さん、」としか声は出ていかない。
 振り向き様にはっきりと見て取れた。 伊藤は利き手で子供の突起した性器を摘まんで溝を作りそこに酒を注いだ…ようで。思考はより進まなくなる。
 
 この男はコレが好きなのだ。
 これは後に知る話で。

 止まる思考に柊造の視線は、青い目に釘付けになる、その顔は女児のように可愛らしいが泣きそうだ。
 それが酷く、背徳に思える。

「東堂か」
「……いつの間にやら…席を立たれたようで、」
「呼びに行けと言われたのか?」
「遠回しに」
「部屋で休んでいると伝えておいてくれ」

 そう言って伊藤がまた少年の股へ顔を戻し「やはり男児は肉がないから溢れるなぁ」と、変態じみた一言を発し、それからずずず、と酒を啜る品のない音が響く。
 居たたまれなくなった。

 それが汚されるような景色に柊造は立ち止まったまま「伊藤さん、」と、まるで伊藤を嗜めるような気持ちで声を掛ける。
 子供はずっと自分をその目で、見ている。

 そんな目で見るな。

「この異人の子供どうやら、横浜の英国公使館焼き討ち事件で置き去りになった赤子だそうだ」

 顔を上げた伊藤が何事もない、政治でも語るように淡々とした口調でそう言っては、黙り込んでいる柊造に「知っているだろ?」と、好奇に話を進めようとするのだから仕様もない。

「…なんですか、それは」
「知らないのか」
「…いえ、」

 自分から少々不愉快さが露呈してしまったかもしれない。
 だが伊藤は満足そうに笑った声で「そうだよなぁ」と誇示するようだ。

「…何故それが、」
「さぁ。
 生き残った異人官僚共は腰を抜かして国に帰ったというのに、どんな形であれこの子供は運が強いと言うことは確かだ。まぁ、それは君も、私も変わりのないことだ」

 …昔の敵であったとて、今があるなら大差のない。

 「夷狄に神州が穢される」。
 その理由は長州、日本人にとって脈々としていたのではなかったのか。
 人は違えるものだと知る。

 子供が、泣きそうな目で自分を見つめ歯を、かちかちと震わせているように見える。

 それに伊藤が気付いているかはわからない。
 留学帰りのこの男はそれに対しどんな気持ちでこの異国の年端もいかぬ子供に手を出すのか。

 どうしたと知ることもなく視界は、何も捕らえぬうちに「失礼します」と顔を背けて終了した。
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