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一
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雪が『開』を押して女を促す。
エレベーターから降りると「タクシーはもう来る?」と、女は少し潤み甘さが交じりあったような瞳で雪を見上げてくる。
「もうすぐですよ」
と雪が先を歩けば陶酔に腕を自然と掴んでくる。
街の喧騒はこの狭い星もない夜空のように遠いもんだと、雪は女の手を引き腰に手を回し、リズムに乗るように自然とキスをした。
リキュールのように甘い。甘さに目眩がする。交じり合う唾液で溶かし合い、ターコイズブルーのような吐息。
タクシーが側まで来た気配に離れた女が「あの、」と俯いた。
「お気をつけて」
と囁くように雪は吐く。
女はその場で鞄を漁り、名刺に字を書いて雪に渡してきた。控えめに受け取り申し訳程度に頭を下げ、タクシーが去った。
頭を上げると向こう側に、見慣れた難いの良い男が立っていた。
目が合ったとなれば男が溜め息を吐きながら、車線を渡ってこちらまで歩いてくる。
「…随分と冷めたやつだな、お前」
そっぽを向くようにして店に戻ろうとした雪に男は言う。
開けた黒のダブルスーツとグレーシャツ。おまけに目が鋭い。間違いなく店に寄るタイプではない男に「何飲む?」と雪は訪ねる。
気分はとっくにチルアウトしていた。
「んー、取り敢えずテキーラある?」
息は静かに吐き捨てられる。こうも染まられてしまっては最早雪にもやりようがない。
7階への無言エレベーターは少々息が詰まるようだった。
「久しぶりだな」と言うよりは会うし、「何」と聞くのも野暮すぎる。その電気で動く箱は狭い。
店にその男を連れてきた雪を見て「ありゃ?」と言った青田は春斗と、前にいたカップルとで盛り上がっていた。
雰囲気に対空砲のよう。
「戻りました」と言って何事もないようにバーカウンターに戻る雪は手を洗った。見比べる青田と、「いらっしゃい旦那~」と気さくに言う春斗。
「旦那はやめろよ、なんか」
と、穏やかに笑い切れ長の目を伏せた男は、青田が座っていた席に座る。
こんな、一見してヤクザのような雰囲気を持つ男の浮き具合にも店員は馴染んでいる。初めてではないのは確かなのだが。やりにくいと雪は感じた。
「さっきの子、大丈夫だった?」
春斗に声を掛けられた雪はそうだ、名刺を貰ったなとポケットから取り出した。
「流石だねユキ」
無邪気に笑う春斗に「はぁ…うーん」と、その名刺は見ず、4つ折りにしてまたポケットにしまう。
やり場のなさに雪は「テキーラでいいんだっけ」と男に確認を取った。
「うん、コーラで」
微妙なチョイスだ。
だが店には合っている。本格的に青田にはこの男が何者なのか気になるばかり。青田は存外好みの男の隣に座った。
「初めまして」
と警戒心のような慎重な目で挨拶をする青田、「どうも」と男が返すタイミングで雪がメキシコークを出す。
「青田と申します」
名乗っただけの青田に男は「すみません、名刺を切らしていまして」と場違いなことを言い出すものだから、やはり青田には疑問しかない。
音楽がSparkLEのビートでチルアウトし始めた店内の喧騒に意識が少し遠くなるようだ。吐いた煙の辛さに少し、冴えてくる。
「兄です、僕の」
「えっ、」
青田は素直に驚いたようだった。それはそうか、一つも似ていないのだからと、雪はウィスキーのロックを作り直して一口含んだ。辛さはいま、丁度いいかもしれない。
雪を見た兄だというヤクザ風の男はメキシコークを掲げて乾杯を求めるが、雪はそれに応じずにあの、ポケットで折り畳まれた名刺を兄に渡した。苦い顔でメキシコークは引っ込む。そして何かを言おうとする兄にそっぽを向いた雪は言う。
「青田さん、その人ヘテロなんでやめた方がいいですよ」
「…あぁ…まぁ」
「雪、」
「今日はどうしたの陽一」
一瞥しわざとらしく兄を意識する雪を見て青田は完全に沈黙してしまった。このコントラストはどうやら、傍観した方がいいようだ。
ほとんどくしゃくしゃになった名刺を意味もなく兄、陽一は開いて眺めた。オフィス リバーズ 北嶋美波。縁も所縁もなさそうな情報だ。
「お前、あーゆーお嬢さんタイプ、好きだったか」
「どちらかと言えばタイプじゃないけど」
後腐れない関係が丁度いい。
「まぁな、」と言いながら陽一はその名刺をたたみ直してポケットにしまった。
「相変わらずだなぁ、身を固めてみたらどうだ?」
「フィリピンだかネパールだかの女はどうしたの?顔も名前も知らないし後腐れもなくて丁度良かったんだけど」
黙って腕を組んでどこか、カウンターなのか空気なのか、視線を泳がせた陽一に「穏やかじゃないねぇ…」と、青田はライムが刺さったウォッカトニックを口にする。
雪はにやっと、陽一には向けないだろう笑顔を青田に向けた。
「ね?やめたほうがいいでしょ青田さん」
「きよむちゃん…君なかなか面白いね」
それには答えずに雪は穏やかなまま春斗を見て、「僕もあっち行っていいですか?」と聞いた。
「たまにはいいけどユキ、曲全然知らないじゃん。まあいいよ、音楽やってきなー」
と、気さくで穏やかに笑った春斗には邪気はない。楽なもんだと雪はウィスキー片手に持ち、「あと俺、どちらかと言えばヘテロでもないから」と囁いたかと思えば、メキシコークとウィスキーを交換してカウンターから出ていってしまった。
色々と爆弾を現場に落とされた陽一には溜め息しか出なかった。
「まぁ…仕方ないだろうね。ヘタクソだから、あの子」
と励ますように青田は陽一を背後へ促した。
雪はすぐにその、眩暈がするような青いサイケデリックに交じり合って風景に溶けていく。穏やかに笑い、客と共に聞き入り、教わりながら機材を眺める雪の姿は、スパークル。エレクトリックな現象だと陽一には思えた。
エレベーターから降りると「タクシーはもう来る?」と、女は少し潤み甘さが交じりあったような瞳で雪を見上げてくる。
「もうすぐですよ」
と雪が先を歩けば陶酔に腕を自然と掴んでくる。
街の喧騒はこの狭い星もない夜空のように遠いもんだと、雪は女の手を引き腰に手を回し、リズムに乗るように自然とキスをした。
リキュールのように甘い。甘さに目眩がする。交じり合う唾液で溶かし合い、ターコイズブルーのような吐息。
タクシーが側まで来た気配に離れた女が「あの、」と俯いた。
「お気をつけて」
と囁くように雪は吐く。
女はその場で鞄を漁り、名刺に字を書いて雪に渡してきた。控えめに受け取り申し訳程度に頭を下げ、タクシーが去った。
頭を上げると向こう側に、見慣れた難いの良い男が立っていた。
目が合ったとなれば男が溜め息を吐きながら、車線を渡ってこちらまで歩いてくる。
「…随分と冷めたやつだな、お前」
そっぽを向くようにして店に戻ろうとした雪に男は言う。
開けた黒のダブルスーツとグレーシャツ。おまけに目が鋭い。間違いなく店に寄るタイプではない男に「何飲む?」と雪は訪ねる。
気分はとっくにチルアウトしていた。
「んー、取り敢えずテキーラある?」
息は静かに吐き捨てられる。こうも染まられてしまっては最早雪にもやりようがない。
7階への無言エレベーターは少々息が詰まるようだった。
「久しぶりだな」と言うよりは会うし、「何」と聞くのも野暮すぎる。その電気で動く箱は狭い。
店にその男を連れてきた雪を見て「ありゃ?」と言った青田は春斗と、前にいたカップルとで盛り上がっていた。
雰囲気に対空砲のよう。
「戻りました」と言って何事もないようにバーカウンターに戻る雪は手を洗った。見比べる青田と、「いらっしゃい旦那~」と気さくに言う春斗。
「旦那はやめろよ、なんか」
と、穏やかに笑い切れ長の目を伏せた男は、青田が座っていた席に座る。
こんな、一見してヤクザのような雰囲気を持つ男の浮き具合にも店員は馴染んでいる。初めてではないのは確かなのだが。やりにくいと雪は感じた。
「さっきの子、大丈夫だった?」
春斗に声を掛けられた雪はそうだ、名刺を貰ったなとポケットから取り出した。
「流石だねユキ」
無邪気に笑う春斗に「はぁ…うーん」と、その名刺は見ず、4つ折りにしてまたポケットにしまう。
やり場のなさに雪は「テキーラでいいんだっけ」と男に確認を取った。
「うん、コーラで」
微妙なチョイスだ。
だが店には合っている。本格的に青田にはこの男が何者なのか気になるばかり。青田は存外好みの男の隣に座った。
「初めまして」
と警戒心のような慎重な目で挨拶をする青田、「どうも」と男が返すタイミングで雪がメキシコークを出す。
「青田と申します」
名乗っただけの青田に男は「すみません、名刺を切らしていまして」と場違いなことを言い出すものだから、やはり青田には疑問しかない。
音楽がSparkLEのビートでチルアウトし始めた店内の喧騒に意識が少し遠くなるようだ。吐いた煙の辛さに少し、冴えてくる。
「兄です、僕の」
「えっ、」
青田は素直に驚いたようだった。それはそうか、一つも似ていないのだからと、雪はウィスキーのロックを作り直して一口含んだ。辛さはいま、丁度いいかもしれない。
雪を見た兄だというヤクザ風の男はメキシコークを掲げて乾杯を求めるが、雪はそれに応じずにあの、ポケットで折り畳まれた名刺を兄に渡した。苦い顔でメキシコークは引っ込む。そして何かを言おうとする兄にそっぽを向いた雪は言う。
「青田さん、その人ヘテロなんでやめた方がいいですよ」
「…あぁ…まぁ」
「雪、」
「今日はどうしたの陽一」
一瞥しわざとらしく兄を意識する雪を見て青田は完全に沈黙してしまった。このコントラストはどうやら、傍観した方がいいようだ。
ほとんどくしゃくしゃになった名刺を意味もなく兄、陽一は開いて眺めた。オフィス リバーズ 北嶋美波。縁も所縁もなさそうな情報だ。
「お前、あーゆーお嬢さんタイプ、好きだったか」
「どちらかと言えばタイプじゃないけど」
後腐れない関係が丁度いい。
「まぁな、」と言いながら陽一はその名刺をたたみ直してポケットにしまった。
「相変わらずだなぁ、身を固めてみたらどうだ?」
「フィリピンだかネパールだかの女はどうしたの?顔も名前も知らないし後腐れもなくて丁度良かったんだけど」
黙って腕を組んでどこか、カウンターなのか空気なのか、視線を泳がせた陽一に「穏やかじゃないねぇ…」と、青田はライムが刺さったウォッカトニックを口にする。
雪はにやっと、陽一には向けないだろう笑顔を青田に向けた。
「ね?やめたほうがいいでしょ青田さん」
「きよむちゃん…君なかなか面白いね」
それには答えずに雪は穏やかなまま春斗を見て、「僕もあっち行っていいですか?」と聞いた。
「たまにはいいけどユキ、曲全然知らないじゃん。まあいいよ、音楽やってきなー」
と、気さくで穏やかに笑った春斗には邪気はない。楽なもんだと雪はウィスキー片手に持ち、「あと俺、どちらかと言えばヘテロでもないから」と囁いたかと思えば、メキシコークとウィスキーを交換してカウンターから出ていってしまった。
色々と爆弾を現場に落とされた陽一には溜め息しか出なかった。
「まぁ…仕方ないだろうね。ヘタクソだから、あの子」
と励ますように青田は陽一を背後へ促した。
雪はすぐにその、眩暈がするような青いサイケデリックに交じり合って風景に溶けていく。穏やかに笑い、客と共に聞き入り、教わりながら機材を眺める雪の姿は、スパークル。エレクトリックな現象だと陽一には思えた。
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