碧の透水

二色燕𠀋

文字の大きさ
22 / 45

8

しおりを挟む
 翌朝雪は青田に

「仕事するからせめて避けて」

と起こされ、礼を言って自宅に歩いて帰った。

 午前9時。帰ったらまずはシーツを洗って夕飯を拵えて。意味はあるだろうか、不毛ではないか、この雑音はカットしようとドアを開ける。

 女物の靴はない。帰ったようだなと「ただいま」と言えば即、「てめぇ雪!」と怒鳴り声が出迎えた。

 不毛ではないか。
 しかし恐怖のアイソレーターがそのA音源をカットし硬直に至ってしまう。不毛だ、思考のキルスイッチがオフになる。

 いっそ。

「てめぇ早くこっち来いよ、」

 殺してくれたら楽なのにな。

 ホワイトノイズのままな思考に雪は引っ張られるように兄の声がするリビングに向かう。

 いっそ俺のこともあの人みたいに殺してくれたらいいんだこのクソ野郎、人殺し、さっさと、殴って無様にあの白い混じり気もない場所へぶち込んでくれたらどれだけ、
この不毛すぎる糸を切っちまえばどれほど最低な気持ちで朝を迎えられるか、明日を捨てられるか、濁流が混じり合う、ノッチフィルタと思考回路。氾濫、泥水、俺は、俺は一体なんだったんだ。

 なんだっていうんだ。

 浩を押し倒し馬乗りになった雪は「なんでなんだよっ、」と喚く。
 浩はその雪が降ろせない拳を取り涙を見て「このバーカ!」と言う、弟はやはり弱かった。震える上げられなかった手を引っ張り、押し倒し返した兄に「殺せよ、」と唸る。

「お前は人殺しだろっ、浩」
「てめぇそんなに殺されてぇか」

 泣いている弟の首を締めたときに抵抗がないのは昔を思い出す。

 そうだみんな非力だ、誰も俺を止めない。誰も俺を見ないんだ、お前の父も知らない自分の父も、引き止めない、それはお前が知らない物なんだ、綱も手錠も疑似でしか──

 人影は兄の向こうに見え、兄が自分から引き剥がされた。
 振り下ろされた足が見えて。
 そして真横に倒れた浩に乗り掛かったのは、紛れもなく陽一だった。

 「な…っ、」

 何が起きたか。
 火花が散った。
 反動でズレたちゃぶ台に兄、浩の後頭部はぶつかったはずで。

 呼吸は楽になったはずだ、だが目の前でひたすらになにか、「このクソ野郎、」だとか「死ね」だか、雑音のように言いながら浩を殴り続ける陽一と動かなくなった浩に雪はやっと我に返った。

「陽一っ…」

 止めなければ。
 浩は恐らく、死んでしまう。
 陽一は恐らく人殺しになってしまう。

「待ったっ…まっ、
陽一、」

 何故今陽一が来たかはどうでもいい。何故今なのかはどうでもいい。

 ただ。
 ただ。

 そちら側に染まってしまうのはどうしても恐怖でしかないんだと、雪はひたすらに陽一の背中に語りかけるように止めに入った。

「この子の未来はどうするの。
それは俺じゃないでしょ」

 白の記憶に入り交じる。母さん、どうして俺を生んだわけ。どうだっていいのに母はあのとき泣きそうな顔をしたから。

「陽一、ダメだって、ねぇ、ちょっと…っ、」

 濁流は止まらない。
 嵐はどうしても、人が抗えない。あの茶色の流れは川と混じりあった泥なんだと、血が滲んだ兄を見て、雪はただただ叫ぶように、後悔した。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

今さらやり直しは出来ません

mock
恋愛
3年付き合った斉藤翔平からプロポーズを受けれるかもと心弾ませた小泉彩だったが、当日仕事でどうしても行けないと断りのメールが入り意気消沈してしまう。 落胆しつつ帰る道中、送り主である彼が見知らぬ女性と歩く姿を目撃し、いてもたってもいられず後を追うと二人はさっきまで自身が待っていたホテルへと入っていく。 そんなある日、夢に出てきた高木健人との再会を果たした彩の運命は少しずつ変わっていき……

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

10年前に戻れたら…

かのん
恋愛
10年前にあなたから大切な人を奪った

処理中です...