消えたい神様と三百年の眠りから覚めた生贄

碧月あめり

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消えた女神の面影

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 由椰が風音と共に屋敷の入り口まで戻ってくると、屋敷の正面に立つ大鳥居の外から一匹の狸が入ってきた。

「狸……」

(烏月様の神力で、外の者は侵入できないはずでは……)

 不思議に思いながら、由椰が茶色のふわふわした尾が揺れるさまを眺めていると、狸が敷地内にある小さな木造の祠の前で足を止める。

 そこで、狸がポンッと人間へと姿を変えたので、由椰は驚いて息が止まりそうになった。

「あ、の方は……」

 口の中でつぶやく由椰に、風音が薄く苦笑いする。

「泰吉さんですね」

 風音の言うとおり、狸が化けたのは泰吉だった。

「ほんものですか……?」

 やわらかそうな栗色の髪も、ヘーゼルの瞳も、梔子色の着物も。由椰が初めて会った日の泰吉とそっくりそのままだ。

 狸の化ける能力が、こんなに優れていたなんて。

 唖然とする由椰を見て、風音が今度はおかしそうに笑う。

「もちろん、ほんものですよ。由椰様。泰吉さんは、狸のあやかしなのです」
「狸のあやかし……」

 由椰がぽかんとした顔で繰り返すと、人型に姿を変えた泰吉が振り向いた。

「風音か。それに、由椰様もおひさしぶりです」

 泰吉が、人なつっこく笑いかけてくる。

 彼に会うのは、初めて烏月の屋敷に連れて来られて以来だ。

(そういえば、まだお礼を言っていなかった)

「その節は、洞窟の中から見つけていただきありがとうございます。人の世にうまく戻ることができず、今しばらくこちらの屋敷でお世話になることになりました」
「烏月様から聞いています。由椰様がここで暮らせることになって、オレもとっても嬉しいです。由椰様は、伊世様とご縁のあるお方だから」

 頭を下げた由椰に、泰吉が人なつっこく笑いかけてくる。

 お清めのときに何度か顔を合わせた風夜は少しとっつきにくい印象の男だったが、泰吉は人当たりがよく話しやすい。

「屋敷での生活はどうですか?」
「はい。風音さんがそばにいてくださるおかげで、不自由ないです」
「それなら良かった」

 泰吉はニコリと笑うと、腕に抱えていたものを祠の前に並べた。

 りんごや桃などの果物といっしょに置かれたのは、小さな透明なガラス瓶がふたつ。瓶には、鹿や紅葉などの絵が描かれている。由椰が、それらをじっと見つめていると、泰吉が小さなガラス瓶をひとつ持ち上げた。

「これは全て、烏月様への供物です。この小さい瓶の中には、ちょうど一合分の酒が入ってるんですよ」
「お酒、ですか……」
「昔は、一升瓶で供えてたりもしてたけど、最近の烏月様は全くと言っていいほど何も召し上がらないから。あとでオレがお下がりとしていただける分だけを人里から運んで来てるんです」
「人里から……」

 りんごや桃は、由椰が麓の村で暮らしていた三百年前も目にしたことがある。だが、酒の入ったガラス瓶というものを見るのは初めてだ。

 由椰が鹿の絵が描かれたガラス瓶を繁々と眺めていると、泰吉が笑う。

「人里に降りられたら、きっと驚くと思いますよ。最近の人の世は、由椰様が生活されていた三百年前とは様変わりしていて便利なものが増えているので。灯りもスイッチひとつで点くようになったし、火だって一瞬で起こせる。羽を使わなくても、空が飛べる乗り物だってあります」
「空を……?」

 鳥以外で、空を飛べるものがあるなんて……。泰吉の話は由椰が想像できる範囲を超えていて、頭の中にイメージを描くことすらできない。

「泰吉さんは、人里によく行かれるんですか?」
「月に一度か二度、人の世の偵察も兼ねて、烏月様への供物を探しに行ってます。昔は、この祠にもたくさんの人がお詣りに来たり、供物を捧げに来てたけど、最近は土地神信仰も薄れて、こんな山奥まで来てくれる人はいませんから。烏月様が外の者を遠ざけているっていうのもあるけど、祠を放っておくと烏月様自身が消えてしまうので」

「消える……?」
「神無司山の伊世様が消えてしまったことを話したでしょう。人々からの信仰が減っているだけでなく、外の者を遠ざけるようになった今、実は、烏月様もとても危うい状態なんです」

 首をかしげた由椰に、風音がそんなふうに教えてくれる。

「おそらく烏月様は、もう神様でいることをあまり望んでいないんです。このまま、いつ消えたっていいと思ってる……」

 少し悲しそうな目をする泰吉の言葉を聞いて、由椰は初めて烏月に会ったときのことを思い出した。

『誰か他人のために魂を捧げる……など、どうかしている。消えてしまいたいのは、おれのほうだ。もう何百年も前から……』

 そうつぶやいて、美しい金の瞳を曇らせた烏月。その表情は、ひどく哀しそうで孤独に見えた。

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