1 / 55
One
1
しおりを挟む
好きになった人が自分のことを好きになる。
それって、この世界中の何パーセントの人が起こすことのできる奇跡なんだろう……。
◆
かれこれ三十分以上、放課後の化学準備室で黙秘を貫いているわたしを、葛城先生が途方に暮れた顔で見つめる。
厄介なことを引き受けた。
絶対にそう思っているはずなのに、無言でそっぽ向く私に根気よく三十分も付き合ってくれるなんて。葛城先生も、なかなかのお人好しだ。
「どうしてちゃんと話さなかったんだ? そうすれば、余計な誤解を受けなくて済んだのに」
だけど、最終的に真面目な顔付で諭してきた葛城先生に、わたしは少し幻滅した。
今年の春からうちの学校に非常勤としてやってきた葛城那央先生。彼は、女子生徒たちから「那央くん」なんて呼ばれて、裏でやたらとモテている。
まだ二十代であるということや、高校の化学教師にしてはムダに整いすぎているように思われる顔面のせいもあるけれど、彼に好意を寄せる女子たちは、「那央くんは優しくて話しやすい」とか、「生徒目線で話を聞いてくれる」とか、熱っぽい目をしてそんな噂をしている。
たしかに、非常勤勤務で何の責任もない彼は、他の先生よりも親しみやすい。だけど、仮にも「先生」の立場にある以上、この人だって、完全に生徒の味方というわけではない。
「いいんです。誤解されてるほうが都合がいいから」
つっけんどんに言葉を返すと、葛城先生が困ったように視線を泳がせた。
「でも、な……」
首の後ろを撫でながら言葉を詰まらせる葛城先生のことを、ジッと見る。
男性だけど、綺麗な顔をした人だ。二重で切れ長の大きな目が顔全体のなかで特に印象的だし、鼻筋が高く通っていて顔立ちがはっきりしている。パーツの整った顔には、ややつり気味の眉がのっていて。それが、彼の綺麗な顔を引き締めて、男性らしい端正さを見せるのに一役買っている。
鑑賞するには最適。だけど、正直言ってそれだけ。
放課後、生徒指導の三上先生に腕を取られて指導室に連行されそうになるわたしを見て慌てた唯葉が、助けを求めてくれたのが、たまたまそばを通りかかった葛城先生。だけど、残念ながら人選ミスだ。
「おれに任せてもらってもいいですか?」なんて、かっこいいことを言って三上先生から攫ってくれたところまではよかったけれど。いざ正面から向き合うと、十六歳の女の子から本音を引き出すこともできない。
「そろそろ帰っていいですか? あまり遅くなると心配するので。義父、が」
最後の一言をわざとらしく協調して、余所行きの顔でにこりと笑う。
「だから、どうしてそれを生徒指導の三上先生にもちゃんと話さなかったんだ? 桜田先生が別の学校に移ったのだって、岩瀬のためだろ?」
「さぁ? 知りません。頼んだ覚えもないですし」
完璧に作った笑顔で拒絶の意志を示すと、葛城先生が何か言いたげに唇を震わせた。
「それじゃぁ、これで失礼します」
椅子から立ち上がると、葛城先生に向かって表面上だけは丁寧にお辞儀する。
「とりあえず、岩瀬が桜田先生の義理の娘だってことは俺から三上先生に説明しとくから」
乱暴に化学準備室のドアを開けて出て行こうとしたとき、葛城先生が背中から声をかけてきた。
だから、「誤解されているほうが都合がいい」って言ったのに。ありがた迷惑な申し出に心の中で舌打ちしたい気持ちになる。
だけど、実際にはそうせずに立ち止まって、葛城先生のことを振り返った。
「それはどうも。お気遣いありがとうございます」
耳に届いた自分の声が、やけに嫌味っぽかった。
葛城先生が悪いわけではないけれど、彼の親切はわたしからしてみれば完全に的外れだ。
わたしは誰に何と噂されようと気にならない。学校中の生徒たちから後ろ指を指されたとしても、跳ね返してみせる。
もしも彼が、振り向いてくれるなら──……。
それって、この世界中の何パーセントの人が起こすことのできる奇跡なんだろう……。
◆
かれこれ三十分以上、放課後の化学準備室で黙秘を貫いているわたしを、葛城先生が途方に暮れた顔で見つめる。
厄介なことを引き受けた。
絶対にそう思っているはずなのに、無言でそっぽ向く私に根気よく三十分も付き合ってくれるなんて。葛城先生も、なかなかのお人好しだ。
「どうしてちゃんと話さなかったんだ? そうすれば、余計な誤解を受けなくて済んだのに」
だけど、最終的に真面目な顔付で諭してきた葛城先生に、わたしは少し幻滅した。
今年の春からうちの学校に非常勤としてやってきた葛城那央先生。彼は、女子生徒たちから「那央くん」なんて呼ばれて、裏でやたらとモテている。
まだ二十代であるということや、高校の化学教師にしてはムダに整いすぎているように思われる顔面のせいもあるけれど、彼に好意を寄せる女子たちは、「那央くんは優しくて話しやすい」とか、「生徒目線で話を聞いてくれる」とか、熱っぽい目をしてそんな噂をしている。
たしかに、非常勤勤務で何の責任もない彼は、他の先生よりも親しみやすい。だけど、仮にも「先生」の立場にある以上、この人だって、完全に生徒の味方というわけではない。
「いいんです。誤解されてるほうが都合がいいから」
つっけんどんに言葉を返すと、葛城先生が困ったように視線を泳がせた。
「でも、な……」
首の後ろを撫でながら言葉を詰まらせる葛城先生のことを、ジッと見る。
男性だけど、綺麗な顔をした人だ。二重で切れ長の大きな目が顔全体のなかで特に印象的だし、鼻筋が高く通っていて顔立ちがはっきりしている。パーツの整った顔には、ややつり気味の眉がのっていて。それが、彼の綺麗な顔を引き締めて、男性らしい端正さを見せるのに一役買っている。
鑑賞するには最適。だけど、正直言ってそれだけ。
放課後、生徒指導の三上先生に腕を取られて指導室に連行されそうになるわたしを見て慌てた唯葉が、助けを求めてくれたのが、たまたまそばを通りかかった葛城先生。だけど、残念ながら人選ミスだ。
「おれに任せてもらってもいいですか?」なんて、かっこいいことを言って三上先生から攫ってくれたところまではよかったけれど。いざ正面から向き合うと、十六歳の女の子から本音を引き出すこともできない。
「そろそろ帰っていいですか? あまり遅くなると心配するので。義父、が」
最後の一言をわざとらしく協調して、余所行きの顔でにこりと笑う。
「だから、どうしてそれを生徒指導の三上先生にもちゃんと話さなかったんだ? 桜田先生が別の学校に移ったのだって、岩瀬のためだろ?」
「さぁ? 知りません。頼んだ覚えもないですし」
完璧に作った笑顔で拒絶の意志を示すと、葛城先生が何か言いたげに唇を震わせた。
「それじゃぁ、これで失礼します」
椅子から立ち上がると、葛城先生に向かって表面上だけは丁寧にお辞儀する。
「とりあえず、岩瀬が桜田先生の義理の娘だってことは俺から三上先生に説明しとくから」
乱暴に化学準備室のドアを開けて出て行こうとしたとき、葛城先生が背中から声をかけてきた。
だから、「誤解されているほうが都合がいい」って言ったのに。ありがた迷惑な申し出に心の中で舌打ちしたい気持ちになる。
だけど、実際にはそうせずに立ち止まって、葛城先生のことを振り返った。
「それはどうも。お気遣いありがとうございます」
耳に届いた自分の声が、やけに嫌味っぽかった。
葛城先生が悪いわけではないけれど、彼の親切はわたしからしてみれば完全に的外れだ。
わたしは誰に何と噂されようと気にならない。学校中の生徒たちから後ろ指を指されたとしても、跳ね返してみせる。
もしも彼が、振り向いてくれるなら──……。
1
あなたにおすすめの小説
罪悪と愛情
暦海
恋愛
地元の家電メーカー・天の香具山に勤務する20代後半の男性・古城真織は幼い頃に両親を亡くし、それ以降は父方の祖父母に預けられ日々を過ごしてきた。
だけど、祖父母は両親の残した遺産を目当てに真織を引き取ったに過ぎず、真織のことは最低限の衣食を与えるだけでそれ以外は基本的に放置。祖父母が自身を疎ましく思っていることを知っていた真織は、高校卒業と共に就職し祖父母の元を離れる。業務上などの必要なやり取り以外では基本的に人と関わらないので友人のような存在もいない真織だったが、どうしてかそんな彼に積極的に接する後輩が一人。その後輩とは、頗る優秀かつ息を呑むほどの美少女である降宮蒔乃で――
人生最後のときめきは貴方だった
中道舞夜
ライト文芸
初めての慣れない育児に奮闘する七海。しかし、夫・春樹から掛けられるのは「母親なんだから」「母親なのに」という心無い言葉。次第に追い詰められていくが、それでも「私は母親だから」と鼓舞する。
自分が母の役目を果たせれば幸せな家庭を築けるかもしれないと微かな希望を持っていたが、ある日、夫に県外へ異動の辞令。七海と子どもの意見を聞かずに単身赴任を選び旅立つ夫。
大好きな子どもたちのために「母」として生きることを決めた七海だが、ある男性の出会いが人生を大きく揺るがしていく。
紙の上の空
中谷ととこ
ライト文芸
小学六年生の夏、父が突然、兄を連れてきた。
容姿に恵まれて才色兼備、誰もが憧れてしまう女性でありながら、裏表のない竹を割ったような性格の八重嶋碧(31)は、幼い頃からどこにいても注目され、男女問わず人気がある。
欲しいものは何でも手に入りそうな彼女だが、本当に欲しいものは自分のものにはならない。欲しいすら言えない。長い長い片想いは成就する見込みはなく半分腐りかけているのだが、なかなか捨てることができずにいた。
血の繋がりはない、兄の八重嶋公亮(33)は、未婚だがとっくに独立し家を出ている。
公亮の親友で、碧とは幼い頃からの顔見知りでもある、斎木丈太郎(33)は、碧の会社の近くのフレンチ店で料理人をしている。お互いに好き勝手言える気心の知れた仲だが、こちらはこちらで本心は隠したまま碧の動向を見守っていた。
俺と結婚してくれ〜若き御曹司の真実の愛
ラヴ KAZU
恋愛
村藤潤一郎
潤一郎は村藤コーポレーションの社長を就任したばかりの二十五歳。
大学卒業後、海外に留学した。
過去の恋愛にトラウマを抱えていた。
そんな時、気になる女性社員と巡り会う。
八神あやか
村藤コーポレーション社員の四十歳。
過去の恋愛にトラウマを抱えて、男性の言葉を信じられない。
恋人に騙されて借金を払う生活を送っていた。
そんな時、バッグを取られ、怪我をして潤一郎のマンションでお世話になる羽目に......
八神あやかは元恋人に騙されて借金を払う生活を送っていた。そんな矢先あやかの勤める村藤コーポレーション社長村藤潤一郎と巡り会う。ある日あやかはバッグを取られ、怪我をする。あやかを放っておけない潤一郎は自分のマンションへ誘った。あやかは優しい潤一郎に惹かれて行くが、会社が倒産の危機にあり、合併先のお嬢さんと婚約すると知る。潤一郎はあやかへの愛を貫こうとするが、あやかは潤一郎の前から姿を消すのであった。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
先生
藤谷 郁
恋愛
薫は28歳の会社員。
町の絵画教室で、穏やかで優しい先生と出会い、恋をした。
ひとまわりも年上の島先生。独身で、恋人もいないと噂されている。
だけど薫は恋愛初心者。
どうすればいいのかわからなくて……
※他サイトに掲載した過去作品を転載(全年齢向けに改稿)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる