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2.離縁の雨
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「助けて!」
助かったとばかりに、葵は章太郎の下で足をじたばたしながら叫ぶ。
「その娘を離せ」
けれど葵の耳に届いたのは、雷鳴のように轟く低い男の声だった。
「誰だ、おまえは?」
突然の乱入者に、章太郎が不快げに襖のほうを振り向く。
「おまえこそ、汚い手でその娘に触れるな。葵は私の妻だ」
「なんだと……?」
葵に覆いかぶさる章太郎の向こうで、顔の見えない誰かが葵を「妻だ」という。章太郎の他にも、龍神と離縁した葵を引き受けたいという者がいたのだろうか。
わけがわからず困惑していると、章太郎が葵のほうに向き直って、鋭い目で上から睨め付けてきた。
「おまえ、まさか……ここで暮らす間ずっと、こんな身分もわからない男を連れ込んでいたのか? 何が龍神様の花嫁だ。まるで、汚い売女じゃないか」
葵の上から退いた章太郎が、葵の着物の胸元を両手で引っ張って起き上がらせる。そのとき、章太郎の肩越しに見えた男の姿に葵の心臓がどくんと跳ねた。
「それ以上私の妻を侮辱するような発言をするなら、たとえ龍の眷属といえども許さぬが」
低い声で厳かに、章太郎に向かって言葉を発するのは、白銀の髪に、左側の目を白布で覆い隠した着流しの男。
池の太鼓橋の上で、葵の前から姿を晦ましたはずの御蔭だった。
部屋の前に凛と背を伸ばして立った御蔭が、章太郎を真っ直ぐに見つめる。御蔭の右の瞳は、鋭く威圧的な光を放っていて、穏やかでゆったりとした口調で話す普段の御蔭とはまるで別人のように見えた。
(どうして、ここに御蔭が……)
驚いて目を瞠る葵のそばで、章太郎が苛立ったように舌打ちをする。
「ふざけるな。この女は俺の妻だ。おまえのような醜い男にやるものか。ほら、来い」
そう言って、章太郎が葵の腕を乱暴に引きずっていこうとする。
「……痛い」
「醜いのはどちらだ」
葵が小さく悲鳴をあげると、御蔭が低くつぶやいて、左目を覆う白布を解く。
初めて見る、御蔭の左目。その閉じた瞼には、縦長の大きな傷があった。
白布の下に現れた傷に葵がつい見入っていると、ふいに御蔭が、その目を思いきりよくガッと開眼した。真っ赤な色をした御蔭の左目に睨まれた瞬間、章太郎の上に稲妻が落ちる。
「うわあっ……」
閃光に包まれ悲鳴をあげた章太郎は、葵から手を離してうつ伏せに倒れた。
「我が名は天之御影神。この神社に祀られているひとつ目の龍神だ」
びくりとも動かなくなってしまった章太郎に歩み寄ると、御蔭が赤い左目で彼を見下ろしながら自ら名乗る。
(天之御影神――? 御蔭が?)
耳に届いた言葉が、俄かに信じられない。
だが、もしほんとうに御蔭が龍神なのであれば、腑に落ちることがある。
たとえば、御蔭が誰にも見えていないように扱われていたことについて。御蔭は白布の下に隠した左目のせいでキヨやマキノから邪険にされていたのではなく、ほんとうに見えていなかったのかもしれない。
先刻、太鼓橋の上で音もなく姿を消したことも、御蔭が龍神の力を使ったというのであれば納得できる。
腰を抜かして茫然とする葵の前で、御蔭が倒れている章太郎の額に手をあてる。すると、章太郎の額に一瞬だけ刻印のような光の痣が現れた。
「私は葵と離縁はしない。私の花嫁を傷付けようとした竜堂家は龍神の眷属からはずし、今後一切我が敷地内に入ることを許さん」
低い厳かな声でそう言うと、御蔭が襖の外に控えていたシノのことを、赤い左目でじろりと睨んだ。
鋭い赤の瞳に凄まれて、シノが身体がびくりと震える。
「聞こえていたな。すぐに外の従者を呼んで、この男を美雲神社からつまみ出せ」
「はっ……、は、はいっ! 承知いたしました……!」
シノは、気を失って倒れている章太郎を部屋の外へと引きずると、震えながら民家を飛び出した。
助かったとばかりに、葵は章太郎の下で足をじたばたしながら叫ぶ。
「その娘を離せ」
けれど葵の耳に届いたのは、雷鳴のように轟く低い男の声だった。
「誰だ、おまえは?」
突然の乱入者に、章太郎が不快げに襖のほうを振り向く。
「おまえこそ、汚い手でその娘に触れるな。葵は私の妻だ」
「なんだと……?」
葵に覆いかぶさる章太郎の向こうで、顔の見えない誰かが葵を「妻だ」という。章太郎の他にも、龍神と離縁した葵を引き受けたいという者がいたのだろうか。
わけがわからず困惑していると、章太郎が葵のほうに向き直って、鋭い目で上から睨め付けてきた。
「おまえ、まさか……ここで暮らす間ずっと、こんな身分もわからない男を連れ込んでいたのか? 何が龍神様の花嫁だ。まるで、汚い売女じゃないか」
葵の上から退いた章太郎が、葵の着物の胸元を両手で引っ張って起き上がらせる。そのとき、章太郎の肩越しに見えた男の姿に葵の心臓がどくんと跳ねた。
「それ以上私の妻を侮辱するような発言をするなら、たとえ龍の眷属といえども許さぬが」
低い声で厳かに、章太郎に向かって言葉を発するのは、白銀の髪に、左側の目を白布で覆い隠した着流しの男。
池の太鼓橋の上で、葵の前から姿を晦ましたはずの御蔭だった。
部屋の前に凛と背を伸ばして立った御蔭が、章太郎を真っ直ぐに見つめる。御蔭の右の瞳は、鋭く威圧的な光を放っていて、穏やかでゆったりとした口調で話す普段の御蔭とはまるで別人のように見えた。
(どうして、ここに御蔭が……)
驚いて目を瞠る葵のそばで、章太郎が苛立ったように舌打ちをする。
「ふざけるな。この女は俺の妻だ。おまえのような醜い男にやるものか。ほら、来い」
そう言って、章太郎が葵の腕を乱暴に引きずっていこうとする。
「……痛い」
「醜いのはどちらだ」
葵が小さく悲鳴をあげると、御蔭が低くつぶやいて、左目を覆う白布を解く。
初めて見る、御蔭の左目。その閉じた瞼には、縦長の大きな傷があった。
白布の下に現れた傷に葵がつい見入っていると、ふいに御蔭が、その目を思いきりよくガッと開眼した。真っ赤な色をした御蔭の左目に睨まれた瞬間、章太郎の上に稲妻が落ちる。
「うわあっ……」
閃光に包まれ悲鳴をあげた章太郎は、葵から手を離してうつ伏せに倒れた。
「我が名は天之御影神。この神社に祀られているひとつ目の龍神だ」
びくりとも動かなくなってしまった章太郎に歩み寄ると、御蔭が赤い左目で彼を見下ろしながら自ら名乗る。
(天之御影神――? 御蔭が?)
耳に届いた言葉が、俄かに信じられない。
だが、もしほんとうに御蔭が龍神なのであれば、腑に落ちることがある。
たとえば、御蔭が誰にも見えていないように扱われていたことについて。御蔭は白布の下に隠した左目のせいでキヨやマキノから邪険にされていたのではなく、ほんとうに見えていなかったのかもしれない。
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鋭い赤の瞳に凄まれて、シノが身体がびくりと震える。
「聞こえていたな。すぐに外の従者を呼んで、この男を美雲神社からつまみ出せ」
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