離縁の雨が降りやめば

碧月あめり

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4.池の邸宅

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***

 蓮華の案内で、葵は邸宅の中をひととおり見て回った。

 食堂、キッチン、客室、書庫など、御蔭の屋敷は池の中にいるとは思えないほど広い。

 水の中にいるせいか、不思議と陸にいるよりも体が軽く、ゆらゆらと泳ぐように歩く蓮華の後ろを葵もふわり、ふわりと一歩一歩浮かぶように進んだ。

「ずっと御蔭の住まいがどこなのか気になっていたのだけど……まさか、庭の池がこんなふうになっていたとは思わなかったわ」

 葵が感嘆の息を漏らすと、先を歩く蓮華が着物の袖を鰭のようにゆらめかせながら振り向いた。

「私も、まさかこの屋敷に人を招く日が来るとは思ってもいませんでした。でも、初めてここにお招きする人間が碧様でよかったです。兄様は初めて会った時から葵様のことを特別気に入っておられましたから」

 蓮華の言葉に、葵は頬が熱くなった。

 そんな葵に、蓮華が口に人差し指をあてて悪戯っぽく目を細めてみせる。

「それに、私にとっても葵様は特別なのですよ」
「どういうこと?」
「これは兄様には秘密なのですが、実は私は、先代の龍神の花嫁……葵様のお母様に助けていただいたことがあるのです」
「お母様と……?」

 先代の花嫁だった母の話は、世話係だったキヨやマキノからはもちろん、御蔭からも聞いたことがない。

 おもわず少し身を乗り出した葵に、蓮華は唇に微笑みを浮かべた。

「先ほど少しお話ししましたが、私、いつか兄様のように立派な龍になるのが夢なのです。ところが龍になるためには、激流の滝を登りきらなければなりません。そのため、夜になるとこっそり、太鼓橋の近くまで泳いでいって、水面から橋の欄干まで尾鰭を使って飛び上がる訓練をしていたのです。その日は調子がよくて、思いきり飛び上がったとき、ついコントロールを失ってしまって……水から飛び出した私の体は太鼓橋の真ん中に投げ出され、池に戻れなくなってしまいました」

「そのときに、わたしのお母様が……?」
「はい。私たち鯉が人に変化できるのは、水の中だけ。龍の力を借りれば陸でも変化できるものもいますが、ごく一部の者のみです。朝になって太陽がのぼり、太鼓橋の上でもう息絶えるかと思ったとき、散歩に出てきたゆかり様が私に気付いて池の中に戻してくださったんです」

 紫は、葵の母の名前だった。

 三つのときにわかれて、もう顔すらまともに覚えていない母の話を蓮華から聞くことになるとは思いもしなかった。

 着物の袂に触れて、母からもらったお守りを確かめていると、蓮華がふっと目を細めた。

「そのお守りは、紫様があなたに託したものでしょう?」
「どうしてわかるの?」
「そのお守りの中に、龍の鱗が入っているはずです」
「龍の鱗……?」

 半信半疑で紫色の袋に入ったお守りの口を開けてみる。するとそこには蓮華の言うとおり、銀色に輝く小さな鱗が一枚入っていた。

 無言で目を見開く葵に、蓮華が微笑ましそうなまなざしを向ける。

「それは、私が助けていただいたお礼に紫様にお渡したものです。紫様が守られるように願いを込めて」
「そうだったのね……これは、わたしが母を思い出せる唯一のものなの。いつも肌身離さず持って、心細いときには母のことを考えていた。そんなお守りに、まさか蓮華さんとの繋がりがあったなんて」

 母からもらったお守りに手をあてると、葵の心はいつも落ち着いた。それは、母を慕う気持ちからくるものだと思っていたが、ただそれだけではない守りの力もはたらいていたのかもしれない。

「私のお渡ししたものが、二代に渡って花嫁を守っていたとは嬉しい限りです。兄様と葵様は、きっと運命の糸で結ばれていたのでしょうね」

 蓮華が、葵を振り返って少し大袈裟に両手を合わせる。

 そのとき、廊下の角から誰かが飛び出してきて、蓮華の背中にぶつかった。
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