離縁の雨が降りやめば

碧月あめり

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5.墨色の鯉

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「橘さん、青嶺神社や白雪様という方、それから澄のことについて詳しく聞かせてもらうことはできる?」

 葵が気になって訊ねると、橘は周囲の様子を気にするように視線を巡らせてから和室の引き戸を閉めた。

「構いませんよ。ただひとつだけ。私から聞いたということは秘密にしておいていただけますか?」

 橘が眉をひそめて人差し指を口にあてる。

 橘の反応からして、もしかしたら葵が不用意に首を突っ込んではいけないことなのかもしれない。

 幼い頃からそばにいた葵に、自身が美雲神社のひとつ目の龍神であることすら教えてくれなかった御蔭。

 葵の大切な想い人は、葵を案じるあまりにほんとうに肝心なことを際の際まで教えてくれない。

 離縁の雨があがるのとともに美雲神社を去ることが決められていた仮初の花嫁のとき、葵は御蔭のことを知りたいと思う反面、深く知りすぎてしまうのが怖かった。

 御蔭のことを知り尽くせば、彼との別れが哀しく辛いものになることがわかっていたからだ。

 けれど、御蔭の真の姿を知って想いが通じ合った今は、何も知らされないことを淋しく思う。

(勝手な詮索をしたら嫌がられるかしら)

 少しの迷いはあったが、今の葵は御蔭に関することをひとつでも多く知りたかった。

 少し嫌な顔をされるかもしれないが、それでも御蔭は葵のことをひどく怒ったり、嫌ったりすることはないだろう。

 飄々としていて感情の起伏の読みにくい御蔭だが、根本のところで彼は葵に甘い。御蔭に関して知らないことはまだまだ多かったが、そのことだけは葵もずいぶんと前から薄々気がついている。

「もちろん、橘さんから聞いたことは秘密にするわ。だから、詳しく教えて」
「かしこまりました」

 橘がわずかに口角を引き上げる。

 従順なようにも、なぜかその逆でもあるように見える笑み。そんな微妙な笑みを口元に浮かべながら、橘が話し始めた。

「今から3000年ほど前でしょうか。御蔭様が竜堂家の祖先を眷属として迎えいれたとき、青嶺神社にご挨拶に行かれました。ここから三山ほど越えたところにある青嶺神社で祀られている蒼玄様は御蔭様の叔父にあたる方で、ふたつの神社は縁戚同士なのです。その際、蒼玄様の娘鯉である白雪様が御蔭様のことをたいそう気に入り、御蔭様と結婚したいと名乗りを挙げられました」

「え……」
「そのときの御蔭様は、富や権力と引き換えに竜堂家から人間の花嫁を迎え入れる約束をしたばかり。葵様もご存知のとおり、形式だけのものでしたが、御蔭様は白雪様との結婚はお断りになりました。けれど、御蔭様に一目惚れした白雪様はどうにも諦めきれず、『せめて許嫁にしてほしい』と父である蒼玄様にお願いしたのです。蒼玄様も娘が可愛いもので、なんとかしてやれないかと思ったようです。青嶺神社に伝わる特別な香を焚いて宴を開き、御蔭様が美雲神社に帰れないようにしてしまいました」

「特別な香?」
「はい。青嶺神社には、嗅いだものに幻想を見せてしまう古より伝わる香があるのです。それで、御蔭様に白雪と祝言をあげる幻想を見せようとしました。けれど、神力の強い御蔭様にはそれを信じさせるほどの効果がありませんでした。それでも白雪は御蔭様を諦めきれず、いつか人間の花嫁との契約が途絶えたそのときには御蔭様の花嫁にしてもらえないかと申し出ました。蒼玄様も、娘のためにと強く口添えされたようです」

 橘の話に、葵はおもわず固唾を飲み込んだ。

 竜堂家と契約の裏に、そんないざこざまであったとは。

 青嶺神社の蒼玄に懇願されても、御蔭は最初は渋っていたようだ。だが、美雲神社に帰ることをしつこく阻まれ、最後は仕方なく一度は白雪との約束を受け入れたらしい。

 竜堂家との花嫁契約は、形式上であるとはいえほぼ永久的なもの。

 御空色の瞳の幼い花嫁を美雲神社に迎え、十六歳で雨とともに離縁する。

 その習わしが終わるときが来るとは、御蔭も思っていなかった。それに、長い年月のうちに幼い白雪の御蔭への熱も冷めるだろうとのんびり構えていたようだ。
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