離縁の雨が降りやめば

碧月あめり

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5.墨色の鯉

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「どうかしましたか?」

 御蔭が、不審そうに首をかしげる。

 気付けば、呼吸も忘れてしまっていたようだ。

「いえ、なにも」
「そうですか……」

 微苦笑を浮かべて首を振った葵を、御蔭はまだ不審そうに見つめてきた。

 美しく澄んだ青の瞳に見つめられると、心の奥までを見透かされているようでどぎまぎする。

「ほんとうに何もないの。だから、あまりじっと見ないで」

 葵が白布に覆われていないほうの目に手のひらをあてて遮ると、御蔭がその手に手を重ねてクツリと笑った。

「なぜ隠すのです。もっとちゃんと、私の花嫁の顔を見せてください」

 御蔭が、葵の手を右手からそっと引きはがす。手のひらの下から現れた空色が、葵を映してやさしく弛む。

「あなたの瞳と揃いの色ですね。とてもよく似合っていますよ。私の花嫁は今日も特別美しい」

 やわらかな低い声を響かせる御蔭の口角がゆるやかに上がる。

 御蔭の澄んだ青の瞳やゆったりとした声から伝わってくる甘やかな熱が、葵の頬をほてらせた。

「ありがとう……」

(だけど、ほんとうに綺麗なのは御蔭のほう)

 おもわず目を伏せると、御蔭が葵の手を握ったままでやさしく頬に触れてきた。

「ところで、邸宅の中はすべて蓮華と見て回りましたか?」
「ええ、池の中とは思えないくらい広くてびっくりしたわ」

 ふたりが顔を寄せ合う距離で話していると、御蔭の後ろでうずうずと尾鰭を揺らしていた蓮華がぐるりと舞い泳ぐ。そして、紅白の鯉から人の姿に変化した。

「ああ、もう兄様ったら。もう少し周囲に注意してからおふたりの世界に入っていただけないかしら。邪魔をしないようにと思うと、なかなか人の姿になれないわ」

 蓮華が自身でトントンと軽く肩を叩きながら、御蔭にあきれた目を向ける。

「いつでも蓮華が好きなときに変化してかまわないのですよ」
「そういうわけにはいかないわ。ねえ、葵様」

 同意を求められて、葵は左右に視線を泳がせた。

 何を言われようが動じない御蔭と違って、葵は心中穏やかではない。

 御蔭といると周囲への関心が薄れてしまうのは、むしろ葵のほうかもしれない。

「邸宅の中はすべて私がご案内済みですよ。けれど、兄様のために庭だけは案内せずに残してあります。葵様と散歩するのにちょうど良いでしょう」

 蓮華が御蔭と葵の顔を見比べて、ふふっと悪戯っぽく微笑む。

「なるほど、それはいいですね。ちょうど今、蓮の花が見頃ですよ」
「蓮の花が?」

 御蔭の言葉に、葵は目を輝かせた。

 美雲神社の池の庭にも、毎年蓮の花が咲く。見頃はまだ少し先だが、葵は淡い桃色の花が咲く夏の始まりが好きだ。

 それが池の中の庭でも見られるなんて素敵だ。

「だけど、もう見頃の時間は過ぎているんじゃないの?」

 蓮の花は、早朝に開いて昼頃には閉じてしまう。

 池の中はずっと明るくて今が何時なのかよくわからないが、そろそろ昼も過ぎる頃だろう。

「葵の暮らす世界ではそうですね。けれど、ここでは見頃の時期には一日咲いています」
「そうなの?」

 一日中、蓮の花が開いているなんて御蔭の邸宅の庭はなんて贅沢なのだろう。

「そうですよ。現世とは少し時間の流れ方が異なるのです。それでは行きましょうか」

 御蔭が葵の手を引いた。
 
 
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