離縁の雨が降りやめば

碧月あめり

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7.月夜の波紋

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 橘と言葉を交わすのはこれで何度目になるのか。

 池の鯉たちの中では、蓮華の次くらいによく話していると思うが、葵はどうも橘が苦手なようだ。

 たまにやさしく声をかけてくれることもあるが、基本的に葵に向けられる橘のまなざしは冷たい。

 感情の読めない平坦な目が、ときおり葵の胸をざわつかせる。

 美雲神社の世話係のマキノも、葵に対して基本は淡々と態度をとってくる。けれど、それは龍神の花嫁である葵との主従関係をわきまえているからこそ。

 葵の行動が目に余れば小言を言ったり、この前も葵の不在を心配したりと、きちんと人間味はあるのだ。

 けれど、橘の無感情さはマキノとは違う。

 鯉に人間味を求めるのもおかしな話だが、蓮華は葵が驚くほどに感情豊かだ。

 だから、鯉が無感情なわけではない。橘の平坦な目には、葵を心の底では拒否しているような。虚無の闇に触れているような得体の知れなさを感じてしまう。

「失礼いたします。こちら、おさげしますね……」

 葵が橘の去った方を見つめてぼんやりしていると、誰かが声をかけてきた。

 ふと見ると、背中を丸めて小さくなった澄が空の皿を下げようとしているところで。

「澄もいたのね」

 葵はおもわず、そう声に出してしまった。

「申し訳ありません……」

 怯えた目をした澄が、手にとろうとしていた皿を離す。

「待って、違うの」

 そのまま鯉に姿を変えて逃げ去ってしまいそうな気配だったので、葵は慌てて彼女の黒い着物の袖をつかまえた。

 葵の発言は、澄に意地悪したくて口にしたことではない。

 池の邸宅に来てから一度も姿を見かけなかったし、もしかしたら御蔭とともに青嶺神社に帰ったのかと思っていたのだ。

「そんなにあわてて逃げないで。そのお皿は、もう下げてもらっても大丈夫よ」

 葵が言い直すと、澄の顔から強張りが解けた。

「それでは……」

 あらためてテーブルのほうに向き直った澄が、持ってきたお盆の上にひとつひとつ丁寧に空の皿を重ねていく。

 真剣なまなざしで仕事をする澄の様子をぼんやり見ていた葵は、彼女の右耳のそばに小振りの白い蓮の花が垂れ下がっているのに気が付いた。

 それまでほとんど意識せずにいたが、そういえばよく見ると、今日は蓮華を筆頭に、すべての鯉の女性たちが髪に白い蓮の揃いの花飾りをつけている。

 澄が刺した花飾りは、髪から落ちそうになっていた。

「ちょっと待って」

 葵が声をかけると、澄がビクッと振り返る。

 おだおどとした澄の目は「まだなにか?」と、無言で葵に訴えていた。

「お花がとれそうよ。直してあげるわ」

 葵が髪に触れると、澄は銅像のようにピタリと静止した。緊張でひきつる澄の表情を見て、葵の頬がゆるむ。

 葵に触れられるだけでこんなにも怯えている澄が、白雪からの間者だとはやはり信じられない。

 他人の一挙一動にいちいち怯えている子が、誰かを陥れたりできるだろうか。

「これでいいわ」

 葵が澄の髪に蓮の花を挿しなおして笑いかける。澄は右耳の少し上に飾った蓮に指先で触れると、はずかしそうにはにかんだ。

「ありがとうございます」

 ひかえめに会釈すると、澄が葵のそばをひゅんっと飛びのく。そのまま食器を持って急ぎ足で去ろうとしたとき。

 ガシャンッ――。

 澄が、なにかを運んできていた橘とぶつかった。

 澄の手から落ちた食器が床で割れ、手をついて倒れた橘そばでは、透明な青色の水菓子がぐしゃぐしゃになって器から溢れている。
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