名無しスズメと猫目尼僧

めけめけ

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第1章 スズメの上京

第9話 洋館の猫塚

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「幽霊坂とはよく言ったものだ」
 浅岡銀次は、ほろ酔いではあったが、常日頃より酒量はわきまえており、また人から臆病だと言われるようなことはない偉丈夫でもあった。
 午後9時を回ってそろそろ帰らなければと、お茶の水あたりから須田町に向かって神田方面に歩いて行ったその途中に"幽霊坂"と呼ばれている坂がある。幽霊が出てもおかしくないくらいに昼間でも薄暗いと言うだけで、別に幽霊が出るという話は何もない。まして銀二はせっかちな男である。
 帰るとなれば坂だろうが幽霊だろうが、近道を選ぶ。選んだはいいが、今日に限っては少し薄気味悪い物を感じずにはいられなかった。

「畜生、正田の奴、余計なこと吹き込みやがって」
 正田と銀二は東京で建設会社を営んでいる同業者である。ともに関東大震災で被災し、復興が進む中で出会い、持ちつ持たれつの関係を7年以上続けている。信頼できる協力会社であり、飲み仲間でもある、時に支え合い、時に競い合いながら少なからず東京の復興に貢献してきたという自負もある。
 震災後、お茶の水駅周辺の再開発に携わり、来年、1932年の夏に御茶ノ水駅に総武本線の電車が乗り入れするための大規模な工事の下請けをともに受けていた二人は、ともすれば家族よりも一緒にいる時間が長いほどだった。
 行きつけの蕎麦屋で酒を飲んでいる席で、正田が妙な噂について語った――それはこんな話である。

 鉄道の仕事は良い。安全と便利さと近代化。俺たちのやっていることは、東京を世界のどの国よりもモダンで安全な街に作りあげることに一役も二役も買っているのだからな。なぁ、そう思うだろう?
 政治家やお役人さんがどんなに弁舌をふるったって、俺たちがつるはしを握って汗水たらさなきゃ、列車もまともに走りはしねぇ。どんなに自動車が早く走れるようになっても、走る道路がお粗末じゃ、話にならない。そうだろう?
 だがどうにも御上のやることは、俺には理解できねぇなぁ。震災で焼けちまったこの街を地震や火事から守るのには神社仏閣よりも、鉄筋とコンクリートなのは子供でも分かる話だが、どうしてそれが、わからんのかねぇ。
 そりゃあ、神様は大事だ。俺だって祟られるのはごめんさ。だけど鎮地祭からもう二年近くたつって言うのに、一向に工事が始まらないっていうのは、どう考えたっておかしいだろう?
 それでいろんな伝手を通じて、何がどうなっているのかって聞いてみたら、いやぁ、驚いたの、なんのって、こりゃあ、祟りってものは本当にあるんじゃねぇかと思ってよ。
 いや、俺はちゃんと神様には頭を下げるし、そう言うものは大事にしてきたさ。粗末にして罰でも当たったら目も当てられない。だけど石ころ一つどかそうとしただけで、怖い目に合うのは、勘弁してもらいたいって話さ。
 噂には聞いていたが、やっぱりあったらしいぞ。震災で焼けた大蔵省の仮庁舎を建てようと話、聞いたことあるだろう?
 大臣が亡くなったのは、首塚を……あの将門公の塚を壊す命令を出したからだなんて、まさかそんな話はねぇだろうと俺も最初は思ったさぁ。だって確かあの大臣、もういい歳だったはずだからなぁ。
 だけど、仮庁舎を建ててから大蔵省の職員やら工事関係者に不幸な事故や、不審な病死が相次いだって話、どうやら嘘でもないらしい。それで今回の神田神社の改築の話も、ずいぶん前から準備をしているそうだが、どうにも決まらないらしい。
 鎮地際のあと、どうやら何かあったらしいのだ。今や馬車から電車、自動車の時代だっていうのに、一向に工事が進まないのは、どうやらこの辺りでおかしなことが起きているらしい。
 これは品川で宮大工をやっている奴から、うちが懇意にしている運送業者から聞いたって話なのだが、すでに資材となる木材が木場で数か所に集められて祈祷を行ったのだが、急に荷崩れを起こして、何人か怪我をしたらしい。それだけじゃなく、運送中の事故や、火の元がないのに木材の一部が焦げて、それがどうにもおっかない鬼のような形をしているとか、そんな話があるそうだ。
 俺もまさか今の時代にそんなことはないだろうって笑っていたのだけどな……、ここ最近じゃ、お茶の水から須田方面にいく途中にある、震災でも焼け落ちなかった洋館があるのだが、そこはいつからかずっと空き家になっていていな、人の気配はないのにどういうわけか夜になるとおぼろげな灯りが部屋の中を移動するのが見えるそうだ。
 それだけなら、誰かが勝手に夜中に入り込んで金品の物色でもしているのかもしれないが、その屋敷の周りに、最近妙な噂が立ちはじめていな。なんでも出るらしいぞ。化け猫が。

 "化け猫"と聞いて一笑した銀二であったが、正田の話は、妙に現実味があった。

 神田でも大きな商いをしている古本屋の店主の話では、そこには昔からそういう噂があったらしい。洋館の主は猫が好きで、何匹もの猫を屋敷に放し飼いにしていたことから明治のころには猫屋敷などと言われていたこともあるそうだが、そこに嫁いできた主の一人息子の嫁は、どうにも猫が嫌いで仕方がなかったのだが、ずっとそれを隠しながら暮らしていたそうだ。
 ところが主が重い病にかかり、床に臥せるようになってから、屋敷で飼われていた猫が、一匹、また一匹と姿を消すようになった。不審に思った亭主が、夫人の行動を密かに見張っていたが、ある夜、夫人が寝床からそっと抜け出して行ったのを、気づかれないように跡をつけて行ったのだが、そこで亭主はおかしな光景を目にすることになる。
 なんと夫人は着ている物を勝手口に脱ぎ捨てて、全裸で外に出て行った。何事かと物陰から夫人の様子を覗っていると、夫人は四つん這いになり、獣のように庭先を駆け回り、転がりだし、そして鳴いたそうだ。

 ”その声は、猫そのものだったらしい”

 驚いた亭主はうっかり物音を立ててしまい、夫人はそれに気づき、身を屈めて威嚇したそうだ。

 "まるで、猫のように"

 亭主は「お前、どうしたんだ?」と声を掛けた。途端、夫人は人とは思えない動きで夫に飛びかかり、低い声をあげながら、亭主を睨みつけたのだが……。

 "その目は、猫そのものだったそうだ"

 夫人はすぐに気を失い、その場に倒れた。夫は夫人を抱えて家に運んで手当てをしたが、三日三晩高熱にうなされ、最後の最後に亭主に詫びて夫人を息を引き取ったそうだ。

 "猫を殺したのは私ですと"

 夫人は臨終間際に庭のどこに猫を埋めたのかを亭主に伝えたそうだ。そこから四つの猫の頭と、五つの胴体が見つかったが、どうしても頭一つが見つからない。そしてそれはとんでもないところから後日見つかることになる。

 夫人の葬儀を終えて、荼毘に付した後、夫人の骨の中から、獣の骨が見つかった。

 "それは言うまでもなく猫の頭だったそうだ"

 亭主は猫を供養するために、洋館の庭の片隅、猫の遺体が埋められた場所に塚を立てて供養したそうだ。
 ところが最近、その洋館がいよいよ取り壊すことが決まった。そこを更地にして、神田神社工事のための資材置き場にする予定だったらしいのだが……

 正田は徳利をひっくり返し、最後の一滴をぐいのみに垂らした。銀二はそれをじっと見つめていた。

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