名無しスズメと猫目尼僧

めけめけ

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第2章 猫目の怪異

第15話 それでも地球は回っている

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「"小田原ニテ尼僧ニ会ウ、其ノモノ、妖艶ナリ"……なんだ、これは?」
 羽佐間剛は、同郷の友人、長谷川幸太郎を頼って上京を果たした。

「幸太郎、勝手に人の物を覗き見るのは昔からの悪い癖だぞ」
 幸太郎は高校を卒業すると東京の大学に進学、剛も東京に出たかったが震災直後の混沌とした東京にもともと病弱な剛を1人で活かすことを家族は決して許さなかった。

「まぁ、そう言うな。減るものでもなし」
 剛の家は静岡の片田舎にある村の盟主であり、父は隠居し、長男が家督をつぎ、二男はそれが面白くなく、いつか兄を出し抜こうと画策している。剛には本人も家族も期待しておらず、妹は好き勝手をやっているようで、なにやら不貞なことをたくらんでいることを剛は知っている。
 そんな家にいるのが嫌で、剛は上京してきた。

「ああ、食っても普通、覚え書きなどというものは腹の足しにはならんが……。知っているか幸太郎。虫の中には宿主の脳を洗脳して、食いたくないものを食わせる輩もいるのだそうだ」
 剛は先に届けた荷物を整理しながら、"何か手伝うことはないか"と勝手に上り込んできた幸太郎が書斎の上のメモ書きを勝手に覗き込んだことに少しばかり腹を立てていた。

「ほう、そんな恐ろしい虫がいるのかね」
「いるとも、幸太郎、お前、最近、牛の肉を食ったか?」
「ああ、食った。すき焼きは大の好物だ」
「ちゃんと火は通したか」
「ああ、だが、少し生でもあれはいけるぞ」
「それはよくないな」
「よくないのか」
「虫はな、かなりちゃんと火を通さないと死なないのだよ」
 幸太郎はまた剛の悪い冗談だと思いながらも、聞かずにはいられない。」

「それで、どうなのだ。ウシにもいるのか。その虫は」
「ウシもヤギも紙を食うというからな。お前、まさかそのノートを観て、思わず次のページをめくろうと思わなかっただろうな」
「思わなかったと言ったらうそになるな」
「それはやはり、虫がいるかもしれんぞ」
「剛よ、悪い冗談はよせ。なんだか腹の具合が悪くなってきたぞ」
「それは腹の虫だ。俺が言っているのは頭にしつこくこびり付く虫のことだ。虫下しじゃ治らんぞ」
「それは何と言う虫なのだ」
「それはな……」
 剛は小さな書斎机の上に広げられたノートを取り上げ、筒状に丸め、幸太郎の頭を軽く叩きながら言った。
「その虫の名は"好奇心"、人の心に住み着き、本来やらないような行動を無理やりやらせてしまう怖い寄生虫さ」

 幸太郎は大きな声で笑った後、それでも好奇心の虫は収まらないようだった。
「しかし、そのような恐ろしい虫は実際にウシに寄生したりするのか」

 剛は丸めたノートを広げて、机の上に置きそこに鉛筆で一番上にウシ、左下にカタツムリ、その右にアリの絵を三角に並べて描いた。
「ウシを洗脳する寄生虫は今のところ発見されていないかな。しかし、寄生虫という奴はな、幸太郎、本当に恐ろしいんだ。そいつの最終目的はこのウシの肝臓だ」
 剛は簡単なウシの絵のお腹に円を書き、『成虫』という文字を書き込み、そして尻の下に円を書き『卵』と書きいれた。
「この成虫はウシのフンに卵を産む。ウシがしたフンをこのカタツムリが食べる」
 剛は『卵』から線をカタツムリの口に引っ張り、カタツムリの下に円を書いて『幼虫』と書き足す。
「カタツムリの中で卵はかえり、その幼虫はカタツムリの身体から出てくるというか出されるというか、そのときにこの幼虫の身体にはカタツムリの粘液に包まれているのだが、これがアリの好物なのだよ」
 剛は幼虫から線を蟻の頭に引っ張る。
「ここからが、恐ろしいところだぞ、幸太郎。この幼虫はな、今度はウシの身体に戻ってこの肝臓を目指さなきゃならん。しかし、牛は別にアリを好んで食ったりはしない。そこでこいつはアリの体内から脳に指令を出すのか、或いは脳そのものに着くのか、アリを草木の上の方に這い上がらせる」

 幸太郎が怪訝そうな顔でノートを見つめている。
「それで、そのアリはどうなるのだ」
「どうもしない。ただじっと草の先っぽでウシが草を食べに来るのを待つのだよ」
 幸太郎は草と一緒にウシに食べられる瞬間をじっと待っているアリの姿を想像して身震いをした。
「怖い話だな」
「ああ、怖い話だ。こういう話を聞いてしまうと、ついつい何時間でも調べてしまう」
 剛は頭をかきながら笑った。
「それが好奇心と言う奴か」
 幸太郎も笑った。
「そうだ。だからもう、僕はすっかり好奇心に洗脳されてしまっているのさ。幸太郎が僕のノートを覗き見たのは、その好奇心の幼虫が、お前の頭に宿っているかもしれないと言っているのだよ。過度な好奇心は身を滅ぼす」
「誰か偉い人の言葉か?」
 剛は首を振り、すごく嫌顔をして、言った。
「それは我が羽佐間家に伝わる家訓のようなものだ」
 幸太郎も首を横に振り、そして今度は大きく縦に振った。
「それは剛よ、お前の問題じゃない。あの村全体がそうだった。だから俺もお前もあの村を出た」

 幸太郎はもし剛に出会っていなかったら、自分はあの村でずっと暮らしていたのだろうと考えていた。そのことを口にしたことはないが、剛と言う病弱でありながら、いや、そうだからこそ、旺盛な好奇心を満たすべく、あらゆる学問に精通し、それを自分のものにしている。あの小さな村の中で、他の誰よりもよく物を知り、道理をわきまえ、尚且つ今の自分の知識に決して過信しない謙虚さ――剛の言った言葉で、幸太郎がとても気に入っている一節がある。

"昨日正しかったことが、明日も正しいとは限らない"

 学生時代、剛と幸太郎は、ガリレオ・ガリレイの地動説の話をしたことがある――満点の星の下、まだ十代の二人は、新しい技術や学問に着いて良く語り合った。
「幸太郎、僕はね、ガリレオは地動説を唱えて裁判で有罪を受けたという話に最初とてもショックを受けたし、同時に"それでも地球は回っている"とう言葉にも感動した。でもね、幸太郎。よくよく考えてみるとわかるんだが、そんなはずはないんだよ」
 夏祭りの帰り道、二人は夜空を見上げながら話をしていた。

「そんなはずはないもなにも、本にはそう書いてあったじゃないか」
「幸太郎、本に書かれているからと言って、それをすべて信じるというのは天動説が先に本に書いてあるから、それをすべて信じるべきだと言っていることと同じじゃないか」
 先に剛が足を止め、幸太郎は少し先に進んだ格好から振り返って剛に反論した。
「それはいつだって古い人間は新しい人間のすることを非難したり、邪魔したりするものじゃないか。だけど必ず正しい物が最後には認められなきゃならん。実際、太陽は動かず、月は地球の周りをまわり、地球は太陽の周りを回っているのだから。それでいいではないか」

 剛は前に腕を組みながらゆっくりと歩きはじめる。
「幸太郎の言っている通りだ。だがしかし、正しい答えが常に正しい方法で導かれるとは限らない。すでにコペルニクスらによって、地動説の可能性を多くの人が理解している中で、ただ今まで信じていたことと違うからと言うだけでは、裁判という公正な場で、間違った判断がされることはないだろうと、僕は思っている。そんな中で"それでも地球は回っている"って言葉は、どこか芝居じみていやしないかと、最近は感じるんだ」

 幸太郎は納得できない。
「それはいっそう屁理屈というものではないのか。ならば剛が否定する根拠を示すべきだ」
 剛はすぐに反論した。
「否定する根拠も肯定する根拠も同質でなければならない。残された都合のいい言葉と、残されなかった都合の悪い言葉は同質でなければならないのと一緒だ」

 幸太郎は言い返そうとして、それができなかった。もう一度、それは屁理屈だと言っても良かったのだが、それはこの二人の間ではルール違反に思えた。
「それは難しい問題だ。誰も解けないかもしれん」
「その通りだ、幸太郎。本に書いていることは知識として有用だが、それを信じて疑わないのは危険なんだ。昨日正しかったことが明日正しいとは限らないのさ」

 以来、幸太郎はその言葉をずっと胸に秘めている。世の中の変化のスピードは日に日に増している。震災から東京が復興していく中で、人々の暮らしは大きく変わり、それまで当たり前だったことがそうではなくなったり、それまで好まれなかったことが、当たり前になったりと、人の世は移ろいやすい。
 幸太郎が小さな会社を切り盛りできたのも、変化への対応の早さであった。

 だから幸太郎はそのことを教えてくれた剛にどこか恩義を感じていたのである。そしてふとあの時のことを聞いてみたくなった。

「剛よ、昔、地動説を説いたガリレオが言ったとされる"それでも地球は回っている"という言葉は、今でも怪しいと思っているか?」
 剛は幸太郎の言っていることが最初わからない様子だったが、すぐに何の話か思い出したようだった。
「ああ、そんな話をしたこともあったな。確かに今でも疑っているさ。間違った結論というのは間違った認識の上で導き出されるものだが、そもそも教会は天動説の立場をとっていなかった可能性が高い。むしろガリレオの不幸は、科学とは別のベクトルに足を引っ張られたことだろうね。そう考えるとやはりあのセリフは彼の人となりや状況にそぐわない。当時の科学者というのは、僕らが考えている以上に教会には気を使っていたらしから、多分その言葉は、呑みこんだはずだと、僕は考えている」

 剛の説は後に有力なものとされるのはずっと後のことである。

「そうか、呑みこんだ言葉が後の世に伝わるというのもよく考えると怖い話だな」
 幸太郎がそういうと、剛は何かに言わされるように口を開いた。
「それはもしかしたら、呪いのようなものかもしれない、或いは祟りか……」
 剛はノートを開き、書き足した。

”隠された秘密”、”呑みこんだ言葉”、”無念を晴らす者の存在”

「幸太郎、お前はやっぱり面白いな。これで一つの仮説が立てられそうだ」
 剛はうれしそうに幸太郎の肩を三回叩いた。幸太郎には理解できなかったが、どうやら剛の助けになったらしいことは、少しばかり誇らしく思ったが、顔に出さない努力を怠らなかった。

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